満ちる月
「私は……セシル君の事が好きだった。そして、認めてほしかったんだよ。セシル君なら“私”を“私”として受け入れてくれると思ってた。魔術王の末裔としてじゃなく、ルナとして……」
ゆっくりと……そしてはっきりとした声で告げられたルナの想い。
そう。ルナの心の闇には、“魔術王の血筋”という言葉が絶対に切り離せないものとして存在する。
物心ついたその時から、ルナは周囲から魔術王の血を引く者としてのプレッシャーを絶えず受け続けてきた。父が五大賢者の一人である事も重なってそのプレッシャーはさらに増大し、ルナの幼心を押し潰した事だろう。
その苦しみから逃れるため、ルナは自然と閉鎖された空間──自分の屋敷に閉じ籠もり、同時に自分の殻にも閉じ籠もるようになっていった。
そんな中で、ルナはセシルと出会った。
小さな偶然がもたらした、大きな奇跡。自分を束縛する忌むべき存在であると同時に憧れの存在でもあった魔術王メイガス……そのイメージにぴったり重なるセシルに、ルナは初めての恋心を抱いた。
それだけでなく、“この人なら私を私として見てくれる、私という存在を個として認めてくれる”という、淡い希望も生まれていた。
セシルにもっと近付きたい、自分を認めてもらいたい一心で、ルナは密かにアガムの修行に励んだ。天才と言われるセシルと釣り合う力を身につければ、それが叶うと信じて……。
そして、運命の日。セシルを越えた、あの日。希望は一瞬にして絶望という二文字で打ち砕かれる事となる。
セシルの口から放たれた、拒絶の言葉。
それはむき出しで、無防備で、ガラス細工のように脆いルナの心を容赦なく破壊した。
希望と絶望、人が持つ光の顔と闇の顔を同時に目の当たりにしたルナは、心の拠り所を求めてセシルにすがりつく。
その時に見たセシルの笑顔。ルナが一番好きだった、その笑顔。でもそれは、次の瞬間には恐ろしいほど冷たい顔に変わり、セシルは追いうちとばかりに言葉の凶器をルナの心に突き刺した。
“大好きな笑顔の後は、凍りつきそうなほど冷たく怖い表情になる”。
その事だけを残し、ルナは辛く悲しい結末を迎えたセシルとの記憶を閉ざした。
これが、ルナの抱える心の闇の全容だ。
「……そうか……それを言いたくて、ルナは僕に会いに来たんだね?」
しばらくの沈黙を経て、やや冷めた口調でセシルは言った。問われたルナは無言で頷きを返し、そんなルナにセシルは言葉を重ねる。
「確かにあの時……僕はルナに対してとても酷い事を言ってしまった。その事については、僕も君に謝らなくてはならないと思う。本当にすまなかった……でもね……」
ふいに言葉を区切り、語気を荒げるセシル。
「甘いよ君はッッ!! 血の重さ? それが何だって言うんだ! 僕なら全てを受け止めて、全てを越えて行ける……それだけの力がその血にはあるんだ! 頂点に立つための力が生まれ持って約束されるんだよッ! じゃあ逆に言わせてもらおう。その血が流れていない、“ただの自称メイガス”である僕。それがどうやって一番になれるっていうんだ!? 真に才能のある者にはいくら努力しても敵わない僕は、どうすればいい!? 君を認め、同時に自分の無力を認めろっていうのか!? 君に僕の惨めな気持ちが分かる、ッぁが……ッ!?」
怒りもあらわにルナを怒鳴りつける、そんなセシルを俺は堪らず殴った。セシルはソファーに倒れ込むと、驚きと痛み、怒りと屈辱に目を見開いて俺を睨みつけてきたが、俺はそんなセシルを逆に睨み返した。
「てめぇ……てめぇがそんなだから、ルナは……! おいセシルよ、お前は少しでもルナの気持ちを考えた事があるか!? 自分の不服を押し付ける前に、少しでもルナの努力を理解してやろうとしたかよ!?」
「気持ち……努力……ルナ、の……?」
「そうだ。ルナと知り合ってから、お前は一体どれだけの努力をしたんだ? 教えてくれよ」
「それは……毎日がまるで地獄の責め苦のように思えるほどの修行さ。親が取り決めた厳しいトレーニングメニューを毎日こなして……まず、朝起きて朝食をとったらすぐアガムの勉強、そして実習。休憩時間なんて食事と入浴を含めて一時間程度しかない。睡眠時間だって一日三時間以下の日もザラだったよ。……キツすぎて笑えるだろう? だが、これが現実だ。偽の才能しかない僕は、これぐらいの努力をしなければ何の結果も出せないんだよ!」
吐き捨てるようにそう言うと、セシルは目の前のテーブルを思い切り叩きつけた。俺はそんなセシルを無視すると、セシルの話に首を傾げていたルナに語りかける。
「聞いたかよ、ルナ。じゃあコイツに教えてやろうぜ……ルナが積み重ねた、本物の努力ってヤツをな」
「え? あ、うん……でも私、別に地獄のような日々なんて送ってないよ? アガムの勉強とかすごく楽しかったし……苦しいとか辛いとか、そんな風には全然思わなかったけど……」
「それでいいんだよ、ルナ。一日の訓練メニューを、この馬鹿に詳しく教えてやれ」
「分かった。えっとね、朝起きたら……というより、前の日の夜から、かな? とにかく起きてる間はずっとアガムの勉強をしてたよ。それが苦でもなくて……むしろ楽しかったから、休憩なんて考えもしなかったなぁ。あ、でもお昼ご飯食べるの忘れてずっと勉強してると、お母さんが心配して口にパンをねじ込んできたっけ……あはは!」
当時の事を思い出しているのか、ルナは次第に明るい口調に変わっていく。
「勉強を見てくれてるお父さんの方がいつも先に白旗あげちゃうから、一人で本を読んでる事が多かったかな。う~ん……今思うと、あの頃の私って今より体力あったかも。三日四日の徹夜なんか当たり前でさ、自分から布団に入った記憶がないの。気が付くとベッドの上で目を覚まして、やっぱり人間ってどんなに楽しい事をやっててもいつかは眠っちゃうんだなぁって思ってたら、お父さんが言うの。お前、書庫で立ったまま気絶してたぞって! それ聞いたらホント笑っちゃって……それからは反省して、本は書庫で読むんじゃなくてベッドの上で読むようにしたの。そしたら今度は部屋が本でいっぱいになっちゃって……」
「はは……ルナ。悪いけどその辺で勘弁してやってくれ。これ以上差を見せつけられたら、セシルがショック死しちまうよ」
俺の言葉にルナは「あっ……」と口を押さえ、セシルはぎりぎりと歯を食いしばって呻き声を上げた。
「そんな……そんな馬鹿な……ルナの努力は、僕以上のものだったというのか……? だとしたら、僕は……僕のルナに対する言動は……一体どれだけ傲慢で浅慮だったのか……!」
「その言葉を待ってたぜ、セシル。お前が凡人だからルナに負けたんじゃない。ルナが天才だからお前に勝ったんじゃない。お前達の勝敗を分けたのは、純粋に努力の質と量の違いだったって事だ」
「そう……だな。ルナ……本当にすまなかった。親に言われるまま嫌々アガムを学んでいた僕と、文字通り寝る間も惜しんでアガムと向き合ってきた君では、最初から勝敗は決まっていたんだな。魔術王の血なんて関係ない。君は君自身の努力と情熱によって、僕を打ち負かした。認めるよ……君はすごい。僕の完敗だ」
過去を振り返り、静かに囁くセシル。目を閉じてその言葉に耳を傾けていたルナは、セシルを真っ直ぐに見据えて笑顔で言う。
「セシル君……私、少しは近付けたかな? そう思ってもいい、かな?」
「近付いたなんてとんでもない。僕はとっくに追い越されて、今は君の方が僕のはるか先にいる。これからは僕の方が近付いていかないといけないな。もっとも……君の一番近くには、もう立てそうにないけどね」
そう言うと、セシルは俺とルナの顔を交互に見て、小さく微笑んだ。……ん? 何で俺を見て笑うんだ? 顔にゴミでもついてるのか?
「わわっ! せ、セシル君てば……もうっ!」
ルナはルナで、顔を真っ赤にして腕をブンブンと振り回して喚いている。そんなちょっとした仕草からも、以前までとは違う自然な明るさを感じた。
よかった……ルナはもう、大丈夫だよな? 心の闇、晴らしてやる事ができたよな?
「ルナ、お前が笑顔を取り戻せてよかったよ。これで俺も約束を果たせたってわけだ」
「約束……そういえば前にもそんな事言ってたよね? 確か、小さくてかわいい女の子と約束したとか」
「あぁ。その子って実は、ルナの事だったんだ」
「か……カエデェェェ……私が背の低い事気にしてるの知ってるくせにぃぃぃ~~~!!」
「うおわぁっ!? ま、待てルナ! 俺が約束したのは、ルナはルナでも子供の頃のルナとだよ!」
「え? 何それ、どういう事?」
ルナだけじゃなく、その場の全員が首を傾げて俺に視線を向ける。これは説明しなくちゃいけない流れっぽいな。
「え~と、簡単に説明するとだなぁ……つっても俺もちゃんとした事は分からないんだけどさ。ファントナエラに襲撃された時、俺とルナが海に落ちて気を失っただろ? その時にルナの過去を夢で見れたんだよな。何でそんな事ができたのか理由は分からないんだけど……俺の予想では気を失う直前にロストスペルを使った事、ルナに人工呼吸をした事、折り重なるようにして気絶した事、この三点が鍵になってるんじゃないかと思う。それで何かこう、ルオスとルオスがリンクするみたいな不思議な事が起こって……」
そこまで言うと、ルナが俺の胸倉を掴んで見上げてきた。その表情は、怒っているとも困っているとも恥ずかしがっているとも取れる、複雑な表情だった。顔は真っ赤で、目にはうっすらと涙を浮かべている。
「今の話……ほ、本当なの?」
「う、嘘なんて言ってないって。何かおかしかったか?」
「……人工呼吸……も……?」
聞き取れないほどの小さな呟きに、俺はハッとなって目を逸らす。
「い、いやぁ~~……だって、なぁ? 緊急事態だったしぃ~~……」
俺が苦し紛れにそう言うと、ルナは手を離して俯いた。
……お? どうした? 怒らないのか?
「そっか……したんだ……。私達、もう……」
「え? 何だ聞こえないぞ? 言っとくけど、俺以外にできる奴がいなかったんだからな! そこは分かってくれよ?」
すると、ルナは顔を上げて俺を見た。……笑顔だった。その笑顔は本当に眩しくて、晴れやかで、それでいて優しくて……、
「……うんっ! カエデ以外にできる人なんていないよ! あはははっ!!」
俺はその笑顔を……『満月』みたいだと、そう思った──。
第十二章、完。そして……次章はついに最終章です!
消えたアポカリプスの真相、現れる最後の敵、見所満載の倭京編。あと少しですので、どうか最後までカエデ達の冒険を見守って下さい!




