混沌を映す瞳 ~カエデ VS ガナッシュ~
──移動した先は、屋敷の外。この世界に来た俺が目を覚ました、良く手入れされている庭園の真ん中だった。
地球のそれとはどこか違う、柔らかな陽光と空気が俺を包み込む。しかしそんな中、俺の気分は重かった。
(……何でそんなに間合いを取ってるんデスカ? ガナッシュさん……)
ああ……そこはかとなく……嫌な予感がする。
「さて、カエデ君。先程私が言った避けて通れない道とは何か……分かるかね?」
「い、いえさっぱり……」
「そうか。ならば教えてあげよう。……君がどう決断しようと、今の状況を変えるには“行動”を起こさねばならないのは必然だ。そして行動とはすなわち、この広大なグランスフィアを旅するという事」
ガナッシュさんの言う事は分かる。俺が……仮に地球に帰る事を望んだとしても、その術を探すためにはこの世界を旅しなくてはならないだろう。
もちろん、この世界を隈なく旅して回っても帰る術が見つかる保証はない。けれど、俺がいつまでもこの屋敷に留まっていていいわけもない。俺が話を理解している事を確認し、ガナッシュさんが続ける。
「君もリピオを見て分かったと思うが、この世界には“魔物”と呼ばれる存在がいる。まぁ厳密に言ってリピオは魔物ではないが、それはここでは省こう。魔物はそのほとんどが凶悪で、破壊や殺戮の衝動に本能のまま従う、危険で忌むべき存在だ。カエデ君がグランスフィアを旅するなら、魔物達はその爪や牙を振るい君に襲い掛かるだろう。そして……それを避けて通る事はできない」
ガナッシュさんはここで一つ息をつくと、ザッ、と足で地面を削りつつ体勢を低く構えた。遠くで様子を見守るルナさん達が、半歩後ろに下がる。
「故に……先程少々見させてもらったが、今一度君の力……試させて頂く。よろしいか!!」
「はぁっ!? ちょ、よろしくない! よろしくないですッ!!」
何となくこの展開は予想していたものの、さすがに覚悟まではできていなかった。俺は必死になって待ったをかけたが、これも予想通り、ガナッシュさんは全く聞く耳を持ってくれない。
「油断や迷いは、一歩町を出れば即命取りとなる! 魔物は、待ってはくれんよッ!! ……虚空荒ぶりたる紅蓮の嵐は、慈悲無き灼熱の抱擁となりて飲み込む全てを黒き焦土と化すだろう。ルカヌスの加護を受けし我がエクルオスを、紅きアガムへと導かん。いくぞ……『バーニング・テンペスト』!!」
俺が躊躇する間に、ガナッシュさんは巨大な炎の竜巻を作り出す! 先に見せた火球とは比較にならない規模の炎が、その通り道を焦がしながら俺を取り囲む。激しく燃え盛る炎の壁がゆっくりと狭まり、押し寄せてくる。
あっ、熱いッ!! こんなの、とてもじゃないが耐えられない!!
息をする度に肺が焼かれ、熱気に目も開けられない。迫ってくる炎の轟音だけが耳に響く。その時、俺は初めて気付いた。俺に迫るもの……それは炎という名の──死。
「ッッ!!」
刹那──思考が止まる。
〈ドクン……ドクン……〉
生きている証の音が、耳障りなほど鼓膜に響く。頭が空っぽになり、まるで脳が“ただ黒いだけの空間”にすげ替えられたような感覚が俺を襲った。
その闇に……満ちていく。
死、恐怖、苦しみ、痛み、怒り。暴走した感情が、爆発する。そう────俺は……、
死にたく、ない。
「…………」
改めて思考を巡らせると、俺はいたって冷静である事に気付いた。頭の中を満たす黒いキャンバスに、全てを凍てつかせる吹雪を思い描く。
瞬間、俺を覆っていた炎を強烈な冷気が一瞬にして吹き飛ばし、空気を切り裂きながら……いや、空気中の水分を巻き込みながらガナッシュさんに伸びていく。ガナッシュさんは驚きに目を見開き土の壁を作り出すが、俺の放った冷気に壁はあっさり粉砕され、両手両足が凍りついた。
「!! しまった……!」
身動きの取れなくなったガナッシュさんが叫び、俺はそこに勝機を見る。頭を満たす闇に剣を描くと、俺の右手には漆黒に揺らめく闇の剣が握られていた。地を蹴るとその軸足が芝生を抉り取り、景色が高速で後ろに飛ぶ。リピオから逃げていた時よりさらに速く走っているかもしれない。
ガナッシュさんの驚愕に満ちた顔が、目の前に迫った。俺はその鼻先に暗黒の凶刃を向ける。
「……参った。降参だ」
苦しそうな声で紡ぎ出したガナッシュさんのその言葉が、戦いの決着を静かに告げたのだった──。