さよなら、ティリス
その後、俺達は無事にデゼスを倒した事とテミスの旅の同行をお婆さんに報告するため、最初の町の宿屋に舞い戻った。が、その成り行きでケレトゥスを倒した事を告げた途端、ロビーにお婆さんの怒声が響き渡った。
「この大馬鹿がっ!! 馬鹿なんてモンじゃない、とんだマヌケだよ!! 何て事しちまったんだいテミス!!」
「ひぇぇ!? お、お婆ちゃん、そんなに怒らなくたって……」
「これが怒らずにいられるかい! いいかいテミス、この冥界にゃお前みたいに冥王の座を狙ってる連中がわんさかいるんだ。冥王はいつだって命を狙われる立場にあるのさ。お前みたいに他人の力でなった冥王が生きていけるほど甘くないんだよ、ここは」
お婆さんの説教を目一杯に浴び、半べそをかきながら頭を抱える偉大な冥王テミス様。お婆さんはひとしきり怒鳴りつけると、ゆっくりと深い息を吐き出して俺に向き直った。
「済まないねぇお前さん方。悪いがあたしからもこの子を連れてってくれるようお願いするよ。ここに置いといたら瞬きしてるうちに殺されちまうだろうからね。勝手は承知の上だが、どうかこの子を守ってやっておくれ」
「は、はぁ……分かりました。それよりあの、デゼスの事なんですが……」
「ん? 何だい、デゼスがどうかしたのかい?」
「いえ、その……俺達、デゼスを倒したわけですけど……デゼスってほら、お婆さんの息子に当たるわけで……」
「……あぁ。何だそんな事かい。気にせんでいいさ、腹を痛めて産んどいて何だが、アイツは正真正銘の悪魔だ。スロームを手に掛けたあの日から……アイツには憎しみしかなかった」
言い淀む俺の言葉から言わんとしている事を汲み取り、お婆さんは呟く。その姿がやけに弱々しく映ったのは、今は亡き最愛の夫を思い出したからなのか。それとも……豹変する以前の息子を思い出したからか。
心の内は、いつだって闇の中だ。俺は変に詮索したりはせず、今日は泊まっていくといいというお婆さんの言葉に甘えて久し振りのベッドで一夜を明かした。
そして、その翌朝。
旅立ちのため宿のロビーに集合した俺達は、お婆さんに別れの挨拶を告げていく。昨日の説教が未だに尾を引いているのか、暗い表情のテミスはロビーの隅でうずくまっていた。う~ん、当代の冥王様は本当に威厳ゼロだな。
と、そうやって何気なくみんなの様子を観察していた俺はある事に気付いた。説教明けのテミスは分かるとして、なぜかティリスまで暗い顔をしていたのだ。
「どうしたティリス。何だか浮かない顔してるけど」
「え? あ、いえ……」
俺の問い掛けにティリスは一瞬顔を上げ、しかしすぐに俯いて目を伏せる。どうしたんだ、一体……。
「! まさか……ひょっとしてまだデゼスが?」
「い、いえっ! それは違います! そうじゃなくて……あの……」
俺の心配をはっきりと否定したものの、曖昧な態度を取るティリス。でも何かを言いたそうにしている空気を感じられたので、俺は黙ってティリスの決心がつくのを待った。
そして待つこと数秒。不安そうに揺れていた瞳から完全に迷いを消し去り、意を決したようにティリスは告白する。
「カエデさん……私……できちゃったみたいです」
「ん? できちゃったって……げぇっ!? う、嘘だろ、だって俺まだ何もしてないぞ!?」
「えっ? そんな、してくれたじゃないですか。あんなに激しかったのに、忘れてしまったんですか?」
「はっ!? え、ちょっと待って、それいつの話? 何で俺ってばそんな大事なこと忘れてるんだ?」
酒の席での事なら分かるけど、あいにく俺は未成年だし酒は飲まない。くそぉ、せめて感触だけでも思い出したいのに……って違う、そうじゃない! 身に覚えがないとはいえ、もしそうなら責任を取らなきゃだろ!
「え、で、ティリス……できちゃったって言うけど、今何か月なの?」
「何か月ってなんですか?」
「いや、とぼけなくていいから。妊娠したんでしょ?」
「は、はいっ!? どっ、どうして私が妊娠しなきゃならないんですか!? 身に覚えがありません!!」
「そんなの俺だってないよ!! じゃあ一体何ができちゃったって言うんだ!」
「私が今後やりたい事に決まってるじゃないですか!」
「あ。……あぁ、それかぁ」
やべぇぇぇぇ!! 俺馬鹿丸出しじゃねーかっ!!
「え? じゃ、じゃあその、あんなに激しかったっていうのは……?」
「デゼスとの戦いの事ですよっ! カエデさんが私のためにしてくれた事で、一番感謝している事です!」
そんな感謝の気持ちも今ので完全に吹き飛んだよね?
「えと……まぁその、何だ……やりたい事、できたんだったらめでたい話じゃないか。な、何なの? そのやりたい事って」
ぎこちないながら、俺は話題を元の路線に強引に持っていく。ティリスはこれまでに鍛えてきたポーカーフェイスで赤くなった顔色を整えると、咳払いを一つ挟んで俺ではなくお婆さんに向けて言った。
「テミスさんのお婆さん、お願いがあります。私に……鎌の扱い方を教えて頂けませんか?」
予想だにしないティリスの言葉に、どよめく一同。お婆さんが視線で理由を尋ねると、ティリスはどよめきを静寂に変えて言葉を継いだ。
「私……思ったんです。デゼスの時も、ケレトゥスの時も……いえ。もっとずっと前から、私は何の役にも立ててなかったなって……。カエデさんは強いし優しいから“気にするな”って言ってくれましたけど……でも、私はいつまでも足手まといなのは嫌なんです。もっとカエデさんの役に立てるようになりたいんです。結果的に……それでも役に立てなかったとしても、私は鎌を習いたい。私にできる何かをしたいって……初めて自分の意思でそう思えるようになった。この気持ちを大切にしたいって、そう思ったんです」
「ティリス……」
告げられる言葉の一つ一つから、ティリスの真摯で純粋な想いが伝わってくる。俺には、この想いを否定する権利なんてあるはずもなかった。
「ティリスがそうしたいって本気で思ったなら、俺は何も言わない。後は……」
お婆さん次第……と、投げ掛けた俺の視線にお婆さんは少し困ったような顔をして答えた。
「しかしな……スロームの技は言ってみれば“神技”の領域だ。並大抵の人間には荷が重いと思うぞ」
「はい。神技を体得できた人間がグランスフィアの歴史上にも数えるほどしかいない事は、私も知っています。でも、私はそれを理由に最初から諦めたくはありません。それに……」
ティリスはそこで一旦言葉を区切り、ロビーの壁に立て掛けてあったエレボスの骨鎌に手を伸ばす。デゼスは罪の塊だけど、この鎌に罪はない。そう思って俺が持ち帰っておいた物だ。
「この鎌の奥から……温かな鼓動が感じられるんです。変ですよね、デゼスの魂から解放されたっていうのに、まだそんな感覚が残ってるなんて……」
「! 鎌から……鼓動を感じるだって? まさか……」
ティリスの言葉に眉をひそめて呟くお婆さん。そんなお婆さんに向かってティリスはさらに続ける。
「この鎌は、元はスロームさんの物です。でも、今までこの鎌はデゼスに無理矢理力を行使され、泣いていました。私にはそれが分かるから……私がこの鎌を正しい方向に導いていきたい。カエデさんが、私にそうしてくれたように」
「なるほど……良く……分かった。お嬢ちゃんがデゼスの魂に魅入られちまった本当の理由が。エレボスは……お嬢ちゃんに助けを求めていたんだね。因果ってのは皮肉なモンだ……偶然だと思っていたが、どうやらお嬢ちゃんがソレを手にしたのは必然だったらしい」
憑き物が落ちたような、晴れやかな顔。お婆さんの心には、もはや一点の曇りもないように思えた。
「いいだろう! あんたがエレボスに認められたってんならこのあたしが一肌脱ごうじゃないか! ただし並の苦労じゃスロームの技は体得できないよ? 覚悟はいいかい!」
「は……はいっ!! 覚悟はできています! どうかよろしくお願いしますっ!!」
「よし! いい返事だ! これからあたしがあんたを冥界一の……いや! グランスフィア一の鎌使いにしてやるよ! 腕が鳴るねぇ、あたしゃ早速修行の準備をしてくるから、お前さんらは勝手に別れの挨拶でも済ませときな」
そう言い残すとお婆さんは足早にロビーを飛び出していく。残された俺達の間にしばしの沈黙が流れたが、その沈黙はティリスによって破られた。
「……と、言うわけで……みなさん。私は、しばらくお別れです」
「……だな。次に会う時はもうちょっとオシャレに気を遣えよ?」
「え? あっ……こ、これはっ、私、今までそんな余裕なかったから……。でも、分かりました」
「ん、楽しみにしてるからな。じゃあ……ま……またな」
言っている途中で目頭が熱くなってきたので、俺は背を向けてさっさと出口へ歩き出す。くそ、何だか最近涙腺が弱ってるな。
「あ、ちょっとカエデったら! もう……。ティリスさん、元気でね。そして頑張って。それじゃ!」
「あぁあのティリスさんっ。私も弓を習うのはそれはもう大変で大変で……何かを習うのは大変ですけど、頑張って下さいね! ではまた!」
ルナ、リースに続いてそれぞれが思い思いに別れを告げる。その時、すでに宿の出入り口に手を掛けていた俺の背にティリスが叫んだ。
「カエデさんっ!! 私……私はあなたの事が……っ、その……えぇと……あなたの、事……か、感謝、してます。そ、それじゃ……お元気で!」
ティリスの別れの言葉を受け、俺は振り向かずに手を振って答えてみせる。
悲しくないと言えば嘘になる。寂しくないと言えば嘘になる。そして俺は、嘘はつかない。だから悲しいし、寂しいんだ。
頑張れ、ティリス。負けるな、ティリス・ウィルハート。
別れの涙は俺が流してやるからさ……。再会の涙は、いつかお前が流してくれよな。




