決戦前の右ストレート
町を発ってから二日目の夜。俺達は最初にいたカラリエの領域とその隣、ソミエドの領域の境界線となっているリスィーの川のほとりに辿り着いた。
テミスの話によれば、この巨大な川は冥界を北西から南東にかけて斜めに横切る形で伸びる、グランスフィアでも最大の川らしい。しかも川が流れているのは、その昔デゼスがつけた大地の傷跡なのだとか。
「しかもね……この川の水が赤いのは……デゼスに虐殺された魔族達の血が流れてるからなんだってぇ~~~~!! 怖いっしょ!? ホラ後ろッ! ユーレイとか出ちゃうかもよよよよ~~~!?」
ガーーッ! とサキュバス特有の牙を剥き出しにしてテミスがそう言うと、俺とティリス以外の面々は派手な悲鳴を上げて抱き合っていた。セイラにいたっては本気で怖がっており、泣き出してしまっている。
「みんな元気だなぁ。明日にはデゼスと対決だってのに」
「ふふ……いいじゃないですか。緊張して、普段の実力すら出せなくなってしまうよりは」
俺の呟きにティリスが若干楽しげな声音で答えた。ここまで感情の籠もった声は初めて聞いたので俺はついティリスに目を向けたが、表情はいつもの無表情のままだった。
それから数時間後──。冥界でも相変わらず一人テントの外で寝ていた俺は微かな物音を聞きつけて目を覚ました。音の方に目をやると、テントからこそこそと抜け出していく人影が三人分。……何だ? ツレションか? 全くけしからんな、寝る前に怖い話なんか聞くからそうなるんだ。これはこっそり尾行して覗き見してやるしかないな!
俺にストーキングされているとも知らずに三つの人影はテントから離れていき、百メートルほど歩いたところでピタリと立ち止まった。辺りには身を潜められそうな物はなく、俺は暗闇に溶け込むように姿勢を低くする。
が、その時三人がアガムで火を点けたため俺はあっさりと見つかってしまった。
「っ!? カ、カ、カエデッ!? な、何でここに!?」
「いや待て違うぞ! 俺は別に、やましい考えなんてこれっぽっちしか……ん?」
テントを抜け出した三人の正体は、ルナ、コロナ、そしてテミスだった。あれ、この三人の共通点って……シャローシュカノンの持ち主?
「む~~。まぁ見つかっちゃったらしょうがない。いてもいいけど邪魔しないでよ?」
ルナがそう俺に釘を刺すと、三人はそれぞれのシャローシュカノンを懐から取り出した。一体、これから何が始まるっていうんだ?
俺が首を捻っている間にも、三人は黙々と作業を進めている。その作業とは、ルナ、コロナ、テミスの順にシャローシュカノンのとあるページのスペルを詠唱していくというものだ。
詠唱が完成した瞬間、三人の足元から凄まじい閃光が空高く立ち昇り、暗い冥界の空を虹色に染め上げる。次第に光は消えていったが、後に残ったのはいつもの暗闇と静けさだけだった。
「な……何だったんだ、今のは」
唖然として立ち尽くしている三人に、耐えかねて俺が尋ねる。するとコロナが真っ先に我に返って答えてくれた。
「今のはねぇ、シャローシュカノン一つ一つに分割されてる三つのアガムを使ってみたんだけど……」
「三つに分割されたアガム?」
「うん。シャローシュカノンにはね、それぞれの“守護獣の章”の最後のページに一つずつアガムが書いてあるんだよ。そのアガムは三つで一つのアガムって事は前から予想はしてたんだけど……イザヤの書だけが見つからなくって。でもテミスちゃんが持ってて三つ揃ったから、試しに使ってみようって話になったんだ。何が起こるか分からないからコッソリやろうと思ったんだけど、ホントに何も起こらなかったからルナお姉ちゃんもテミスちゃんもガッカリしてるみたい」
ふ~む。三つに分けたのはもちろんメイガスだよな……。メイガスがわざわざ分割するぐらいのアガムなのに、それが何も起きませんでしたってのは確かにショックかもなぁ。
「いや……まぁ何だ、そんな気ぃ落とす事もないだろ。何かあるんじゃないのか? 発動の条件が足りないとか、もしくは時間差で効果が出るとか、単にレベル不足とか、MPが足りなかったとか……」
「だ、だよね! あのメイガスが分割するくらいの厳重っぷりだもん、三冊揃えたからってすぐにどうこうなるわけないよね?」
「そうそう。気になるならまた今度試してみればいいだけだし。何にせよ、今日はもう寝た方がいい。何たって明日はいよいよデゼス戦なんだからな」
上手い事フォローして、俺は三人をテントへと促す。トボトボと歩く三人の後ろ姿を見て、俺はふと思った。
(コロナはただの興味本位みたいな言い方したけど……このタイミングで分割アガムを試そうとしたのはもしかすると、そのアガムがデゼス戦の役に立つかもしれないと思ったからなのかもしれないな……)
何となく……俺はみんなの緊張感が足りないような気がしてた。でも、それは間違いだった。デゼスを倒し、ティリスを救う。その戦いに、この中の一人だって油断はないんだ。
俺達が目指すのはただの勝利じゃなく、完勝。できるはずだ……他でもないこの俺になら。
だって俺は、あの魔術王の──メイガスの弟なんだから。
そして、翌日の朝がやってくる。朝とは思えないほど暗い空の下、俺達は朝食を済ませると素早く出発の準備を整えた。
馬車を引くミューを操りながら、俺は右手に見えるリスィーの川を横目に見やる。
「デカイよな……この川」
これほどの規模で地面を抉り取っちまうなんて、デゼスってのは本当に強さの桁が違う。幻獣アポカリプスの次に強かったってのも頷ける話だ。
いざって時はロストスペルがあるって思ってたけど、ルナの涙を見た今となっては使えるわけもない。頼れるのは剣と、通常のアガムのみ。
……くそ、やっぱ体が震えてきやがった。別に怖いわけじゃないんだ。不安なわけでもない。ただ……たった一度の失敗も許されないという状況に、俺は昔から滅法弱かった。
「? ……カエデ、寒いの?」
御者台で一人震えている俺にルナが気付き、隣に腰を下ろしてきた。俺はルナとは目を合わせず、震える声で答える。
「いや、むしろ暑いくらいだよ。でもさ、なっさけないだろ? 昔からこうなんだ、緊張すると……たとえ自分が一番得意で自信のある事をやろうとしてもこうなって……実際に失敗する事も少なくない。ルオスの活性化で体ばっかり強くなってさ、でも心は……ずっと弱いまんまだ」
こうやって愚痴を言う事が一番情けないってのは分かってるのに、どうしても愚痴が出てしまう。あ~あ、ルナには幻滅されちまったかなぁ。
「うう~~……ルナ・パーンチッ!!」
「おふっ!? なっ、何すんだいきなり!?」
それまで黙って愚痴を聞いていたルナが、急に俺の脇腹に右ストレートを繰り出してきた。予想もしなかったその奇行に驚いてルナを見ると、ルナは火が出そうなほど真っ赤な顔になって俯いていた。
あぁ……ルナパンチとか、そりゃ恥ずかしいですよね分かります。
「ゴホンッ! カエデってばたま~にシリアスしようとするよね~。もっといつもみたいに気楽にしてればいいのに」
「いや、してたいよ俺だって気楽に。でもそう簡単にいかないから困ってるんじゃん」
「……。もうっ、じゃあ……」
ルナは一瞬怒ったような顔をした後、ふっと優しい表情になって俺の頭を撫でてきた。
「ど、どうかな? 気、楽になったでしょ? 私は、カエデに……こうされると……ごにょごにょ……」
自分でやってて恥ずかしくなってきたのか、ルナは次第に語尾を濁らせ視線を落とす。
驚いた。素直じゃないルナがこんなに頑張って俺を元気付けようとしてくれるなんて。凄く嬉しい、けど、……くく、ダメだ、どうしても別の感情に負けちまう!
「ぷっ……! あっはははははっ!!」
「なっ! ……何よ? ちょっと! なんで笑うのよ!?」
「い、いや……そんな顔真っ赤にしてまで俺を撫でてくれるルナの姿がさ……ふふっ、あまりに滑稽というか、涙ぐましいというか……」
笑いながら言う俺の言葉に耳まで真っ赤になるルナ。それに比例して殺気も強まってるけど。
「ムッカァァーー!! カエデなんてちょっとぐらいテンション低いくらいが丁度いいんだ! もう知らないっ!!」
そう叫んでプイッと馬車内に戻ろうとするルナ。俺はその手を多少強引と思われるくらいの力で捕まえて引き止めた。
「ありがとうルナ。お陰様でほら、もう震えがなくなったよ」
そう言いつつ、俺はルナの頭をさっきのお返しとばかりに撫でる。最近こうしてルナの頭を撫でる機会が多いけど……こう何度も撫でてるとルナの頭のてっぺんだけ髪が無くなっちゃったりしてな。
と、文字通り気楽な事を考えていたその時──ルナはまたあの“怯えた表情”を見せた。
……正直言うと、こうなるんじゃないかという思いはあった。どうもルナは、俺が優しい態度を取るたびにこの表情を見せる気がする。一体……どうしてなんだ……。




