獅子身中の冥王
──その日はミリーとの一戦があったせいもあり、俺達はもう一泊ハイダルの町で過ごす事になった。そしてその夜、俺はちょっとした気まぐれで珍しく剣の手入れをしていた。といっても俺のソーマヴェセルは刃こぼれも錆びも絶対にない特別製の剣だから、手入れなんか必要ないんだけど。それでも、日頃の感謝を込めて拭いてやるくらいはしなきゃいけないよな。こいつだって、一緒に戦う相棒なんだし。
すっかり夜も更け、そろそろ寝ようかと思ってベッドに潜り込んだ時、ふいに背筋が凍るほどの殺気を部屋の外から感じた。それと同時に聞こえる、扉を小さくノックする音。尋常じゃないその殺気に俺は緊張しつつも、それを表に出さないように気を付けて発声する。
「誰? 扉開いてるよ」
言いながらベッドから出て、愛剣を手にする。これほどの殺気だ……絶対にただ者じゃない。暗殺者か? いや、もしそうならノックなんかしないよな。そもそも誰かに命を狙われるような事をした覚えもないし……。
「……あ、あの……カエデさん……夜分遅くすみません」
おずおずと部屋に入ってきた人物を見て、俺は心臓が止まりそうになった。
殺気の主は──ティリス。あまりにも予想外すぎる殺意を持った訪問者に、俺は平静を装って尋ねる。
「どうしたティリス。夜更かしはお肌に悪いぞ~?」
俺の質問には答えず、ティリスは俺の手元を見つめている。そこにある剣を見て、露骨に嫌そうな顔でティリスは言った。
「剣……何してるんですか……?」
「あぁこれ? いや、ちょっと気まぐれでさ、手入れしてたんだよ」
相変わらずティリスから発せられている殺気に警戒しながらも、俺はにこやかに答えた。大丈夫大丈夫、手入れをしてたのは本当の事だもんな。
「で、ティリスはこんな時間に何の用?」
「あ、は、はい……ちょっと、大事なお話があるんです。とても大事な事なので、ここでは、ちょっと……」
「…………分かった。じゃあ、外に行くか」
大事な話を部屋以外のどこでするつもりなのか。ティリスの不可解な言動に疑問は尽きないが、とにかく今は話を合わせる事にした。
俺は剣を持ったまま、先に部屋を出たティリスについていく。するとティリスは振り向いて、やはり露骨に嫌そうな顔をして尋ねてくる。
「どうして剣を持っていかれるんですか……?」
「ん? あぁ……いい機会だから、ちょっと素振りをね。ティリスは知らないだろうけど、剣は磨き方によって振った時の感覚が結構変わっちゃうんだよね。だから磨いた後は素振りをして感触を確かめておかなきゃいけないんだ。これ、剣士としての豆知識な」
何とかもっともらしい出任せではぐらかす俺。もちろん、本当の理由はティリスから出る殺気に対する用心のためだ。
宿の外に出ると、冷えた夜風が頬を撫でてきて少し鳥肌が立った。見上げた夜空には星がなく、いつもより暗く感じる。
……そろそろいいだろう。
俺はティリスに向き直ると、なるべく威圧的な態度で言い放った。
「もう下手な演技はしなくていいぜ。お前、ティリスじゃないな? 一体何モンだ?」
するとティリスは一瞬驚いた顔をして下を向く。そして再び上げられた顔には、悪党のお手本のような表情が張り付けてあった。
「……ククク……ハーッハッハッハッ! 面白いぞ、いつから気付いていた?」
ティリスの顔をしたそいつは、ティリスの声でそう聞いてくる。
「扉をノックする前からだ。少しも殺気を隠さずに来られちゃ、嫌でも気付く」
「それもそうか。ククッ、待ち切れなかったのでな……」
そう呟いて肩を揺らすと、ティリスの体から紫色の光が溢れ出した。
「そう……待ちわびたぞ。この時を700年も待っていた。貴様を殺す、この瞬間をなっ!!」
ティリスはそう叫びながら手にルオスを集中させ、巨大な白い鎌を召喚した。それはティリスの故郷を滅ぼした犯人の手掛かりである骨鎌だ。
「さぁ、メイガスよ! あの黒いエクルオスを出せ! 今こそ貴様の魂を喰らってやる!!」
「ちょ、お前何言ってんだ!? 俺はメイガスじゃねぇ、カエデだ! あと、お前誰なんだよ、ティリスを返しやがれ……!」
俺の事をメイガスと呼ぶコイツの正体、まずはそれを見極める。そして本物のティリスの居場所も聞き出してやる。
「貴様……メイガスじゃないだと……? ふむ……よく見ると、確かに少し若返っているような……いや、騙されんぞ。あの黒いエクルオスは紛れもなくメイガスのものだ。俺は貴様を忘れはしない。貴様は忘れたのか? 700年前貴様に不覚を取った、この『冥王デゼス』の事を!」
俺の言葉に怒りを剥き出しにして吠えるティリス……いや、冥王デゼス。こいつ、いつからティリスに化けてやがったんだ?
「俺はお前なんか知らねぇ。っていうか、700年も経ってたらメイガスもとっくに死んでるって分かるだろうが」
「む……言われてみれば、確かに……むぅ……」
何なんだ? コイツ、結構天然なのか?
「冥王だか何だか知らねぇけど、本物のティリスはどうした!? 場合によっちゃ、てめぇ……ただじゃおかねぇぞ!」
するとデゼスはおかしそうに笑って言った。
「くく、何か勘違いしているようだが……この体は貴様の女のものだ。誰が好き好んで人間の小娘に化ける? 俺は今、この小娘の意識を乗っ取って体を動かしているだけだ」
な、何だと? ティリスの体が……乗っ取られた? 冥王デゼスに? おいおい……そりゃあヤバイ展開じゃねぇか……。
「この小娘が骨鎌に触れた日、俺は長き眠りから覚めた。しかし、メイガスによって倒された俺は魂のみの存在になっていたのだ。だが……俺には分かる。我が器は今もなお、冥界に存在していると。故に俺は娘の精神内部に潜伏し、ずっと機会を窺っていた。いつか娘の精神を殺して肉体を完全に掌握し、冥界へと赴き自分の器に戻る機会を。時折体を乗っ取っては、この娘の大切なものを引き裂いてやった。娘の精神を絶望で満たさなければ肉体を奪えんのでな」
魂だとか精神だとか、ごちゃごちゃと訳が分からねぇ。だが、最後だけは分かった。つまり……こいつが全ての元凶。ティリスの人生を滅茶苦茶にしやがった……張本人だ。
「てめぇ……てめぇがティリスの故郷を……ティリスの仲間を、やりやがったのか……!」
「そうだ。この娘の精神はすでに風前の灯火よ。もう少し……もう少しで完全に肉体を掌握できる。ふむ、丁度いい……貴様がメイガスでなかったのは残念だが、黒きエクルオスの使い手であるならそれで構わん。貴様の死体を肉体掌握の糧にしてくれる」
「させるかよ! ティリスから出て行きやがれ!」
「貴様の指図など受けん。出て行けというのなら、この俺を倒してみろ。まぁその場合、この娘の体も無事では済まんだろうがな……ククッ、ゆくぞっ!!」
俺達が探していた敵は、俺達の中にいた。倒すべき存在と守るべき存在が同居するという悪夢。この皮肉めいた結末をあざ笑うかのように、今……絶望の凶刃が振り下ろされる──。




