あいさつの魔法
「ぬおおおお……イッテェェェェ~~ッ!! い、いきなり何すんだよアンタ! 謝ったし、不可抗力だって言ったろ!? なのにグーで殴りやがって……」
「あ、あんなの謝って済む事じゃないでしょ!! 故意だろうと事故だろうと、罪の形は変わらないわよ!」
「むぐ……お、仰る通りで……」
少女の剣幕があまりにもすごかったんで、逆ギレしかかっていた俺はすっかり萎えてしまった。
「うん、分かればよろしい。その頬の痛みは罪の痛み……一生忘れないようにね」
ビシッと立てた人差し指を揺らしながら、微妙に偉そうな態度でその子は言った。まだちょっと納得いかねーけど、まぁこの痛みは忘れないでおくとしよう……ついでに右手の感触も忘れないようにしなきゃね、ムフ、ムフフッ。
などと邪な考えを巡らせていると、女の子が気づいたように問いかけてきた。
「んん? ところであなた、誰? ……あッ! あなたひょっとして……! うぅ~、性懲りもなく~! コラッ、何? 今度は何を盗みに来たわけ!? アポカリプスは返してもらうわよっ!!」
またも怒り出す少女。盗む? アポカリプス? 一体何を言ってるんだ?
「ちょ、ちょっと待ってよ。話が見えないんだけど……」
「今更とぼけたってダメなんだから! どうせ味を占めてまた盗りに来たんでしょ! 素直に返さないなら、力ずくでも!!」
困惑する俺を全く無視して、少女はやる気満々だった。どうやら俺は泥棒か何かと誤解されているらしい。何とかこちらの話を聞いてもらわないと……。
と、その時背後の窓からさっきの怪物が飛び込んできた。少女は怪物が部屋に入ってくるなり叫んだ。
「リピオっ、いいところに! いい? そいつを捕まえて!」
リピオと呼ばれた例の怪物は女の子に対して一つ頷くと、俺に向き直りうなり声を上げた。
何だこの怪物、人の言葉が分かるってのか? とはいえ、この怪物もそのご主人様も俺の話は聞いてくれそうにない。最悪の状況だが、とにかく今は説得するしかない。
「ま、待って! お願いだよ、俺の話を聞いてくれ! 俺は──」
「問答無用! リピオ、GO!!」
俺の必死の呼びかけもどうやら無駄に終わったらしい。聞く耳を持ってくれないのは、第一印象が悪かったからだろうか?
少女の命令によりリピオが俺に飛びかかってくる。のしかかられ、叩きつけられ、俺は背中に受けた鈍痛に顔をしかめた。リピオの鋭い牙が俺の喉笛を狙ってガチガチと音を立てる。
──冗談じゃない。向こうは俺を“捕まえる”つもりでいるようだが、こんなのにやられたら間違いなくただじゃ済まない。……なら、俺に残された選択肢は一つ。
コイツをここで──倒す!
「うおぉおぉッ!!」
俺は選んだ。戦う道を。渾身の力でリピオの腹めがけて膝蹴りを放つ。人間で言うなら鳩尾の部分だし、かなり効くはず。
思惑通り、「ガッ」という短いうめき声を上げ、リピオは苦しそうに咳込んだ。
そして、この結果は予想通りでもある。どういうわけか、俺はこの不思議な世界に来てから腕力や脚力といった身体能力が大幅に強くなってるっぽいからな。
今の俺なら……いける! 俺は気合と共にリピオを力一杯投げ飛ばした。リピオの巨体が宙を舞い、部屋の壁をぶち抜く。轟音を伴って崩れ落ちた瓦礫の中からリピオは弱々しい足取りで立ち上がったものの、すぐにグッタリと床に倒れた。ふぅ……何とか勝てたみたいだな。
「ああっ!! リピオ! ……だ、大丈夫? ごめんね、無茶させて……」
少女がパタパタとリピオに駆け寄り、涙ぐみながらその頭を優しく撫でる。う……必死だったとはいえ、ちょっと罪悪感……壁も壊しちゃったし。
なんとなく気まずくて、女の子に謝ろうとしたその時、勢い良く部屋の扉が開き一人の男が飛び込んできた。男は入ってくるなり叫ぶ。
「ルナ! 何かあったのか!? 壁に穴でもあいたような、もの凄い音がしたが……」
「お、お父さん! ホントに壁に穴があいたんだよ! ってそれよりお父さんっ、そいつを捕まえて! その人いきなり部屋に飛び込んできて、わ、私のむ、むね……と、とにかく! アポカリプス盗んだ奴かもしれないの!!」
その子もその子で、やや赤面してそんな事を言う。人の話も聞かないで……これじゃ誤解が深まる一方じゃないか。
「ん? 君は誰だ? いや……それよりもどうやってこの敷地に入ってきたんだ? 結界は完璧のはずだが……」
男が身構え、淡々とした口調で言う。ここで話だけでも聞いてもらわないとまた争いになる……まずは何が何でも話を聞いてもらわないと。
「どうやってっていうか……それは俺、いや、僕にも分からないんですけど……でも、僕は何かを盗みに来たワケじゃなくて……」
「ふむ……だがそうは言っても、言葉は時に偽りを紡ぐモノ。容易には信じられんな。少なくとも……」
男はそこで一旦言葉を区切ると、女の子に抱かえられたリピオを一瞥して──再び、俺に視線が向く。
冷たく鋭い、身のすくむような視線が。
「……万が一、君に暴れられるとやっかいになりそうだ。悪いが……少し大人しくなってもらおうか」
男は言って、両手を天井に向かって突き出す。するとその手に赤々と燃え盛る炎が点った。俺はその光景に驚愕し、戦慄する。
「まッ……待って下さい! 俺はアポカリプスなんて知らない! 危害を加えるつもりもないんです!! とにかく俺の話を……!」
「可能性の問題だ。それに、君に悪意や敵意がなかろうと……不法侵入である事に違いはなかろう?」
「くッ……!」
至極もっともなその言葉に、俺は言葉を失う。
だが──理不尽だ。
あまりに、不条理。俺自身さえ今の状況が分かってないのに、なぜこんな目に遭うのか。やり場のない怒りが、俺を支配する。
が、俺を包み込んだものは、怒りだけじゃなかった。俺の体から不思議な光が溢れ出している……。この光が何なのか、今の俺には分からない。ただ、全身に力がみなぎってくるのが分かった。俺に力を与えてくれる、金色の光──。
「そ、その光……! 何てとてつもない“エクルオス”なんだ! ……くっ! 『フレイム・ブラスト』ッ!!」
男は俺の変化に一瞬うろたえたが、直ぐに平静を取り戻し叫んだ。炎に包まれた腕が押し出され、二つの火球が飛んでくる。
これは……俺の知るところの“魔法”ってヤツじゃないのか……? つまりこの世界には、“魔法”が存在する? だったら……試してみる価値は、ある!
俺は男と同じように腕を正面に構え、目を閉じ意識を集中する。イメージは……身を守る盾。次の瞬間、ガンッ、と激しい衝撃を腕に覚え、熱気が後ろに流れていった。が、体は無事だった。腕の先には、淡い金色の輝きを放つ光の盾が大きく展開されていた。
「で……できた……? 使えた……魔法」
俺は一人呟きながら、床にへたれこむ。火球を凌いだ安堵と、魔法が使えた感動とで腰が抜けてしまったらしい。
一方男の方はかなり動揺した様子で、ブツブツと何かを呟いていた。
「馬鹿な……あれは反射魔術。だがエレメントの相殺も無しに強引に、か? その上言霊にも頼らずに……」
言っている事の意味は分からなかったが、とにかく今ならこの人達も俺の話を聞いてくれるかもしれない。そう思った俺はもう一度説得を試みた。
「あの、俺、じゃない、え~と、僕の話を聞いて下さい。混乱する気持ちも分かりますが、それは僕も同じだし……さっきも言ったとおり、危害を加えるつもりは決してないんです」
俺の言葉に男は少しの間考える仕草を見せていたが、幾分は和らいだ表情になっていた。
「これだけ威嚇しても敵対の意思を見せないか……ふむ……分かった、君の話を聞かせてくれ。……ついてきなさい。応接間に案内しよう」




