奪われたエゼキエル
「カエデ? お~~い、いきなり黙っちゃってどーしたの? お~いってば!」
「あ……あぁ、悪いルナ。ちょっと……変なもの見てた。幻覚……みたいな感じの」
幻覚……自分でそう口にしておきながら、それは違うと心の中で叫ぶ俺もいる。たった今俺が見てきた事は全て、夢でも幻でもない現実の出来事なんだろう。
「なぁルナ。一応確認なんだけど……シャローシュカノンを書いた奴って、魔術王メイガスなんだよな?」
「そうだけど、それがどうしたの?」
「じゃあ俺、今メイガスに会ったっぽいな」
「……は? 今? メイガスに会った?」
俺の発言に、ルナは驚いたというよりイラッとした感じで食いついてきた。何となく、その気持ちも分かる気がする。だってふざけてるとしか言いようがない発言だもんな。
「カエデ、メイガスは700年前の人間なんだよ? 会えるわけないじゃん。私もさっきからずっとカエデの隣にいたけど、メイガスなんて見てないよ?」
「いや、会ったのはここじゃなくて、もっとこう……魔術的な閉鎖空間の中というか。ほら、このページに書いてある『混沌を映す瞳』ってヤツを口にしたらさ、いきなり真っ暗な世界に行っちまったんだよ」
「ちょっと待って! そのページに何が書いてあるって?」
「混沌を映す瞳。ほら、ここに横書きで」
「嘘でしょ? 何も書いてないよ?」
「嘘じゃないって! 別に小さく書いてあるわけじゃないぞ? 普通に見える大きさで……」
まさか、俺にしか見えてない? それを肯定するかのように、ルナは首を傾げるばかりだった。
「よし、そんなに疑うなら何か質問してみろよ。俺の知らないメイガスの特徴とかさ」
「じゃ……じゃあさ、ど、どんな人だった……?」
そう質問してくるルナの目は、期待感に輝いている。
「俺と同じで、黒髪黒目だったな。年齢は三十代後半から四十代前半ってとこか」
「え~っ、嘘!? 私のイメージとちょっと違うなぁ」
「何でルナのイメージなんだよ? 文献ではどうなってるんだ?」
「知らない。メイガスの見た目って、どの文献にも書いてないんだもん」
「それじゃ質問の意味ないだろ! もっとこう、答えられたらメイガスと会った証拠になるような質問をしてくれ」
するとルナは、「う~ん」と唸って額に人差し指を当てる。何だよ、ルナも案外メイガスの事をよく知らないのか?
「ん~、そうなると……アレかなぁ? 本当にごく一部の人しか知らないメイガスの言い伝えがあるんだけど……」
「おぉ、それでいいじゃん。で、どんな質問?」
「それなんだけどね、う~ん、どうやって質問したものかなぁ…………あっ! じゃあこうしよう。あのね……メイガスは一人っ子なんだけど……」
「一人っ子? そんな馬鹿な、メイガスには弟がいるはず……あ、でもグランスフィアじゃいない事にしてたのかな? ……っとと、悪い、質問を続けて」
話の腰を折ってしまった事を謝り、俺はルナに続きを促す。しかし、当のルナは俺を震える指で差しながら、驚愕の表情を浮かべていた。
「それ……その話……! どうして知ってるのッ!?」
「はい? その話って、どの話?」
「メイガスに弟がいるって話!」
「あぁ、それ? そりゃアレだ、俺がメイガスの弟だからだよ。といっても、明言はしてないから多分だけど。……いや、多分っていうか……かなり決定的か。メイガスも最後に俺の事、兄弟って言ってたし」
平然とそんな事を言う俺を見て、ルナはとうとう頭を抱えてしまう。
「メイガスが……カエデのお兄さん……? それって前に言ってた双子のお兄さんだよね? え、え~……? って事はメイガスは私のご先祖様だから、カエデはその双子の弟で……じゃあ、カエデも私のご先祖様って事……?」
「お、俺がルナの先祖!? いやいや、それは何か違くないか?」
「だ、だよねっ! ちょっと違ったか! はぁぁ~~、落ち着け私、落ち着いて……メイガスはカエデの双子のお兄さん、カエデはメイガスの双子の弟……」
「まぁ、何で俺の兄貴が700年前のグランスフィアにいたのかは謎だけど。誰かに呼ばれたのかな……?」
そういえば、俺も誰かの声に呼ばれてグランスフィアに来たんだっけ……すっかり忘れてた。あの声の主も、そのうち探さないといけないよな。
「ね、ねえカエデ、お兄さんとは双子だから、見た目もそっくりだったんだよね?」
「うん、そうだけど?」
「じゃあ、四十歳くらいのメイガスを見れば、カエデの未来の姿も分かるって事……なのかな?」
「あ、なるほど! そうかもしれないな。……ははっ、俺も将来は、あんなどこにでもいそうなオッサンになるのかぁ」
メイガスの顔を思い出して、思わず苦笑いがこぼれる。あれが伝説の魔術王ねぇ……まぁ、見た目はどうあれ、やっぱ兄貴はすげーんだな。何たって伝説になるくらいだし……俺も負けないように頑張らなきゃ。
「ちょ、ちょっとエゼキエル借して!」
突然俺の手からエゼキエルをひったくるルナ。そしてそのまま、茂みの方に向かって走っていく。
「うわっ!? お、おいルナ! どこ行くんだよ!?」
「いいから一人にして! ちょっと私もメイガスに会ってくるから!」
「メイガスに会うって……混沌を映す瞳のページ、ルナは見れないんだろ? だったら多分無理だぞ?」
「いいの! とにかくやってみるんだから……絶対に追い掛けてこないでよ? もし成功したら、私しばらく動けないんだから……その……そしたらカエデ、絶対エッチな事するし……」
「バッ!? んな事するか!」
そうやって否定するも信用がないらしく、ルナはべーっと舌を出して茂みへと消えていった。
……全く、心外だ。紳士を以て鳴るこの俺が、意識のないルナにエッチなイタズラをするだって? するわけないだろう……少ししか。
「きゃあぁぁあぁぁーーーッッ!!」
エロい妄想をたくましくしていた俺の耳に、突然ルナの悲鳴が飛び込んできた。俺は反射的に愛剣を手に取ると、次の瞬間には弾かれたようにその場を駆け出していた。
「ルナッ!! どこだッ!?」
茂みの中に分け入ると同時に、目の前に広がる暗闇に向かって叫ぶ。
「カエデっ!? こ、こっちだよっ、こっち!」
俺はルナがしゃべり終えるのを待たずに、声が聞こえた方へ全速力で走った。
しばらく走ると急に視界が開けて、俺の目は前方にうずくまるルナの姿を捉えた。そして、その上空に浮かぶ三つの敵影も……。
まず目に入ったのは、巨大な鳥の翼。しかし、そこにいるのは鳥ではなく人間、それも全裸の女だった。その女の両腕が変化して、翼の形を成している。
妖しくも美しい顔、蠱惑的な乳房、くびれた腰に形の良いヘソ。人間であれば間違いなく美女であろうその三羽の女達だが、その太ももは刺々しい羽毛に覆われていて、膝から下は猛禽類のソレだった。
翼を有する人の上半身、異形と化した下半身……こいつらの名は、『ハーピー』。地球でも有名な、伝説上の怪物だ。
「こいつらぁッ!!」
俺はルナに駆け寄る勢いを殺さず、そのまま三羽のハーピーの内の一羽に狙いを定め、斬りかかった。だがそいつは俺に気付くと大きく羽ばたき、空高く舞い上がって俺の剣をかわす。吊り上がった真っ赤な唇は、飛ぶ術を持たない俺を嘲笑っているかのようだ。
「くそ……ルナ、大丈夫か!?」
俺はハーピー達とルナの間に割り込むように着地し、剣を構え直す。
「カエデ! はぁ~~~、怖かったぁ。私は大丈夫、でも……えっと、そのぉ……」
「? ど、どうした?」
歯切れの悪いルナの態度を不審に思い、再び尋ねる。するとルナは、パンッ! と顔の前で手を合わせて答える。
「ごめんなさいっ! あいつらにエゼキエル取られちゃった!」
「な、何だってーーーっ!?」
あまりの驚きにそう叫ぶ俺。それを見届けたハーピー達は、翼を広げてもの凄い速さでこの場から逃げていく。
「ちょ、待ちやがれ!」
俺は慌てて適当なアガムを連射したが、もはや射程の外。と、そこへさっきのルナの悲鳴を聞きつけたのだろう、セイラ達がやって来た。
「な、何があったんですか……?」
状況説明を求めるティリス。だが、今はそれどころじゃない。奴らを見失ったら、エゼキエルが……そうだっ!
「すまんリピオ! 事情は後で話す! だから頼む、あいつらを追えるところまで追ってくれ! 俺達も後から行く!」
「? ……ガウッ!!」
リピオは一瞬きょとんとしていたが、俺の指さす方向に飛んでいる三つの影を見ると勢いよく走り出した。
「か、カエデ……ごめんなさい、私のせいで……」
「ん? はは、気にしない気にしない。俺が絶対に取り戻してやるからな!」
ルナの奴、相当責任を感じてるんだろうな……。俺は元気づけるようにその肩を軽く叩き、なるべく明るく笑って言った。
「う、うん、ありが……えっ! 何で……何でカエデ、そんな顔するの……? ご、ごめんなさい、ホントに反省してるの! だから……そんな顔しないで……お願い、ごめん……ごめ……」
「ちょ、ちょちょちょ!? 何だよ、何で泣くんだよ! 俺は全然怒ってないぞ? それにルナは悪くないんだから、謝る必要なんかないんだってば」
俺の顔を見ていきなり泣き出すルナ。何だ? 俺、そんなに怖い顔してたのか?
「……あ、カエデ? ご、ごめんね、何か今、私意味分かんない事言っちゃって……私は平気だから、早くリピオを追い掛けようよ」
「えっ……あ、あぁ、そうだな……」
先頭に立って走り出すルナの背中を追って、俺達も馬車まで戻る。馬車と一緒に置き去りになっていたミューにリピオの追跡を頼み、俺は御者台で月を見上げて思う。
(さっきのルナ……俺の笑顔を見て、怯えてた。前にも何度か同じようになった事あったし……もしかしたらルナの奴、何かトラウマでも抱え込んでるのかもしれないな……)
俺は馬車の中にいるルナをそっと盗み見る。エゼキエルがハーピーに盗まれた事をセイラとティリスに説明するルナの様子は、いつもと何も変わらない。だけど……。
「セイラとティリスだけじゃない。きっと、ルナにもあるんだ……心の、闇が……」
そうは言っても、今は先行しているリピオが心配だ。
俺は心の中に渦巻く不穏な気配を振り払うように、夜の闇に目を凝らしてミューを走らせた──。
第六章、完。今回初めて次の展開と重なるようにして終わってます。だったらわざわざ章分けしなくてもいいんじゃないかとも思うのですが、一応節目なので。
さて、次章は新キャラ登場です。そろそろ人数も増えてきましたが、基本カエデ無双なのでヒロイン空気のような気がしないでもない……。何とか喋らせてあげたいものです。




