白骨の大鎌
この第五章ですが、二話分しかない短いお話です。『四と二分の一章』とでも言った方がいいんじゃないかと思うくらい短いです。
が、そんな事をするとややこしくなるので、ここは第五章として投稿させて下さい。
○ ○ ○
──暗い夜……長い夜。
自分以外の気配は、周りに感じられない。暗く深い、孤独の色に染まったその場所で、私は長い間うずくまっていた。夜が明けた時……この暗闇を目映い陽の光が照らしてくれる事を願って……。
そしてそれと同時に、周囲の黒に混ざり込んだ“赤”も消し去ってほしかった。なのに、待ち望んだ朝日は黒だけを取り除いていき、さらに残酷な光景を私に見せつけてきた。
つい数時間前までは村だったはずのその場所は、荒野と呼ぶ事すら生ぬるいほどに荒れ果てている。そして……そこに転がるいくつもの“赤い塊”の正体を、私は知っている。
──どうして──その中心に私はうずくまっているの?
転がる赤い塊同様、真っ赤に染まった私。それでも痛みを感じないのは、その赤が私の血ではないから。陽が高く昇るにつれて、私の意識もはっきりとしてくる。同時に色々な考えも頭の中を駆け回った。
考えたくないのに……信じたくないのに……嫌になる事だけが頭から離れない。
助けがほしかった。
支えがほしかった。
この荒野に、自分以外の存在がない事は、もう分かっているのに……。
でも、たった一つだけ──残っている。
私に“絶望”をもたらしてくれるモノが。今の私には、それでも支えにはなるかもしれない。無になるよりは、絶望の方がいい。それに、捨てられない気持ちがあるから……。
ここに、心は置いて行こう。きっと、それはこれからの足枷になる。だって、もう私には……私の心には……。
陽が昇っても決して明けない、夜があるのだから……──。
○ ○ ○
山間からはみ出す淡い陽の光が、グランスフィアの大地を照らしている。首都国ガイルロードを発って三回目の夜明け。少し肌寒く感じるはずの朝の涼風も、今の俺の火照った体にはこの上なく心地よかった。
「ふぃ~……そろそろ休憩しようかな?」
俺は、さっきから振り続けていたソーマヴェセルを地に突き立てて一息つく。何となくだけど、少しはこの大剣も軽く感じるようになってきた気がする。俺は黄金色の朝日をその身に集めて光る愛剣を眺めて、ぼんやりとそう思った。
と、その時。背後から俺に向けられている視線に気付き、俺は振り向いた。
「ん? ……おぉ、おはようセイラ。相変わらず早起きだね」
そんな風に笑い掛ける俺。そんな俺に、いつもなら無駄なくらい元気いっぱいに返してくれるセイラだが、今回は少しばかり様子が違う。悲しそうな顔のまま、黙って俺を見つめるだけだった。
「あれ? ど、どうしたのセイラ、元気ないね?」
俺は心配して、思わずセイラに尋ねた。するとセイラはハッと我に返ったように狼狽して言った。
「あっ、ううん! 元気がないわけじゃないよ。ただ、剣を振るお兄ちゃんの後ろ姿が、お兄ちゃんに似てたから……」
あはは、と軽く笑いながら改めて「おはよう」と挨拶してくるセイラ。う~ん、そっか。確かアレスさんも剣士だって言ってたっけ。本当の兄の姿を俺に重ねちゃったのかな。
「ところで、お兄ちゃんは何で剣の素振りなんてしてたの? 今までもしてたっけ?」
どことなく空元気な感じで俺に話題を振ってくるセイラ。
「いや、単にミリーにやられたのが悔しくてさ。こんなんでセイラ達を守っていけるのかなって不安になっちゃったんだよね。だから……俺は強くなりたいんだ。ほんの少しでも」
何気なく答えた俺だったが、同時にセイラの目にみるみると涙が溜まった。
「お兄ちゃんも……ボクを守ろうとするんだね……そして、いつか傷ついて、ボクの前からいなくなっちゃうの? ……やだっ!! 嫌だよ、そんなの! お願いだからボクの事、守ろうとしないで……!」
非力だと思っていたセイラは、すさまじい握力で俺にしがみついて泣いた。今日のセイラは、少し感傷的になってるのかもしれない。突然泣き出したセイラに俺は少し焦ったが、その泣き顔を見て居た堪れない気持ちになり、そっとセイラの頭を撫でながら言った。
「大丈夫だよ、セイラ。俺はいなくなったりしない。だって俺が守りたいのは、セイラの“心”だから……。俺はセイラに悲しい想いは絶対させない。俺はずっとそばにいる。だからもう泣かないで」
するとセイラは涙を手で拭い、少しだけ笑顔を取り戻す。
「うん……。やっぱりお兄ちゃんは優しいんだね。ボク、もう泣かないよ。お兄ちゃんがそばにいてくれるなら、ボク……」
「よしよし、セイラは強い子だな。泣き止んだご褒美に、もっと撫でてあげよう……な~んてね! あはは」
「うん……もう少しだけ、このまま……」
冗談で言ったつもりだったのに、セイラは俺に体重を預けてきて囁いた。少し驚いたけど、ここは慌てずしっかり受け止めてやるのがお兄ちゃんってもんだ。俺はそのまましばらく、セイラの頭を優しく撫で続けてあげた。
「なぁ、いい加減機嫌直してくれよ~」
「うるさいな! 私は今最高に機嫌がいいのっ! これ以上よくしたら変な人になっちゃうでしょ!?」
ガイルロードの西に位置する町、『リ・ゼイラム』へと続く道を走る馬車の中に、ルナの怒声が響き渡る。セイラの頭を撫でている現場を目撃されてから、ルナはずっとこんな調子だ。
「あのなぁ……あれは別に何でもないんだってば。セイラがちょっと……まぁその、本当のお兄さんの事で辛そうだったから……」
「…………」
って無視かーい! 何だよ一人でイライラしやがって……っとと、いかんいかん。ここで俺まで怒っちゃダメだよな。何たって、俺はこのメンバーの中で一番年上なんだから。
俺は心の中でそう呟き、波立った気持ちを落ち着けた。
「ルナ、ちょっとこっち来て。早くな」
ミューが街道から逸れないように操りながら、俺は御者台にルナを呼ぶ。
「? ……何でよ? ヤダよ」
「いいからちょっと来てよ。ちょっとでいいから」
馬車の中でふてくされて寝転んでいたルナだったがまだ聞く耳は残っていたようで、面倒臭そうに俺の隣まで来るとドンッ、という音を立てて座った。俺はそれを確認すると、すかさずルナの頭を撫でる。
「わっ! い、いきなり何すんのよヘンタイッ!」
ルナはいつもの調子で怒鳴りつけてくるものの、右ストレートは飛んで来ない。
「はっはっは、いやぁ~セイラだけじゃ不公平だと思ってさ。ルナの気が済むまでこうやってるから機嫌直してよ、なっ?」
「いっ……いいよ別にっ! うん、本当にもう怒ってないから……っていうか、初めから怒ってないし?」
かぁ~~っと真っ赤な顔をして、恥ずかしそうにルナが言った。やれやれ、素直じゃないんだから……。
そんな他愛ないやり取りをしていた──その時だった。
「ミュー! 止まれッ!!」
急に馬車を停めた俺を、きょとんとした顔で見つめるルナ。驚いたセイラとリピオも、御者台に顔を出した。
「ど……何? どうしたの?」
「いや……なぁ、あれって……人、っぽく見えないか……?」
俺は遥か遠くに見える三つの黒い影を凝視して、誰にともなく問う。三つの影の内二つは、四足の獣に見える。……しかし、残る一つは……。
「うそ……あれ、人間じゃないかな……?」
セイラが言うように、俺の目にもそう見える。つまり、一人の人間が二匹の魔物に襲われている……のか?
だが、人影の方はピクリとも動かず、二匹の獣に引きずり回されている。最悪の考えが脳裏に浮かぶ。
俺は両目にルオスを集中させるように目を凝らす。……やっぱりそうだ、引きずり回されているのは、間違いなく人間……しかも……ッ!!
「……あいつらあああああぁぁぁぁーーーーッッ!!」
蹂躙されていたのは、女の子だった。そして、その表情は苦痛に歪んでいる。それはつまり、まだ生きてるって事だ。
それに気付いた俺の体が、燃えるように熱くなった。ゴォッ、という低い音が聞こえたのを最後に、俺の耳には何一つ聞こえなくなる。
──全身を、漆黒のエクルオスが包み込んでいた。
「くたばれっ! 雑魚共がぁッッ!!」
あれだけ離れていた敵との距離が、瞬く間にゼロへと変わる。これなら剣が届く──そう思った時には、すでに獣は二匹とも八つ裂きになって消し飛んでいた。
「大丈夫かッ!? おいっ、しっかりするんだ!」
魔物を一瞬にして蹴散らし、俺は引きずり回されていた人間……茶色い長髪の女の子を抱き起こして叫んだ。女の子はうっすらと目を開けると何かを言おうとして口を動かしたが、結局声が出る事はなくそのまま意識を失った。
酷い怪我だ……全身血塗れで……ん? な、何だ、コレ……。
「背中に……真っ白な、骨の大鎌……」
女の子がこんなおぞましい凶器を背負っている事自体、尋常じゃない。けど、それ以上に俺が目を疑ったのは、その色だ。持ち主がこんなに血だらけなのに……何でこの鎌は真っ白なんだ? 普通なら鎌も血に汚れているはず。これじゃまるでこの鎌が……、
──血を吸っている、みたいじゃないか。
「おおーい、カエデーーーっ! だいじょーぶー!?」
しばらくして馬車で駆けつけたルナ達に声を掛けられるまで、俺はその鎌から目を離せなかった──。




