日常→非日常
「どう? どう? だからムズイって言ったっしょ?」
「ぐぬぬ……」
鼻息荒く顔を近づけてくる友人は、俺の手元を指差しながらニヤニヤと笑っている。俺の手元には携帯ゲーム機があり、ゲーム機の画面には『クエスト失敗』の文字がデカデカと寝そべっていた。
ち、ちくしょう……何でそんなに嬉しそうなんだ、お前は。
唸りながら画面を見つめる俺に、友人は再び質問してくる。
「どう? 初めてやってみた感想は?」
「感想? ムズイね、言われた通り。けど慣れれば面白くなる予感はあるな」
ちなみに今俺が“初めてやってみた”のは、この友人が最近買った最新作のアクションゲームだ。ゲームが趣味の一つという俺は、まぁ、自慢じゃないが友人連中の間ではかなりの腕前だと自負している。
この友人を含む付き合いの長い友人達にもそれは周知の事実であり、だからこそこの高難易度で有名なゲームのプレイを勧められたわけだ。だが、周知の事実としてもう一つ……俺は決してゲームが上手いわけではない。俺はただ、“努力する事(もちろん好きな事に限る)”と“上手いと言われる人間のやり方を真似る事”に長けているだけなのだ。
今プレイしているこのゲームの腕前も、現時点ではどちらかと言えば“下手”に分類される事だろう。俺は溜め息をつくと、友人宅に一緒に来ていた兄にゲームを代わった。
練習さえすれば別人のように上達するのが俺だが、あいにく俺は努力している姿や、不完全な成果を人目にさらすのを嫌うらしい。……要は、単なる格好つけたがり。
──そうそう、紹介が遅れた。俺の名前は葉月楓。来年大学受験を控えた、ごくごく普通の高校三年生だ。どこの大学を受験するかは考え中。といっても学力的に選択肢は少ないだろうけど。それに、大学を出たとして将来どんな仕事をしたいのかもはっきりしたビジョンは浮かんでない。ま、なるようになればいいんじゃね? くらいに思っている段階だ。
夢のない奴……と自虐的に笑ってみたりするけど、俺は今のスタンスが別に嫌いじゃなかった。
いつも、思うんだ。中学の頃には、「あぁ、小学生の頃は良かったなぁ」とか、高校に上がれば、「あぁ、中学時代は気楽だったんだなぁ」とか。だからきっと、もし──当分は有り得ないだろうけど──今の日常が変わってしまえばその時は、「あぁ、あの頃は幸せだったんだなぁ」なんて思ったりするんだろう。
だからこそ、俺は思う。
流されるように過ごしてきた、変わり映えのないこの平々凡々な日常が、いつまでも続いていけばいいと。
……でも現実として、願わずとも続いていくであろう変わらない日常に退屈を強く感じ、変化や刺激を求めている自分がいるのもまた、事実だった。
「あ、もうこんな時間だ。んじゃ……そろそろ俺達は帰るよ。もう夕飯の時間だし」
携帯のディスプレイを見て時刻を確認した兄が立ち上がり、腰をとんとんと年寄りみたいに叩く。そんな兄に従うように俺も立ち上がると、友人がゲーム機を掲げて言った。
「このゲーム、面白かったっしょ? 買って一緒にやんない? マルチプレイ」
「いや~……でも本体持ってないし……や、買うか! ここは本体ごといっちゃうかね!」
「ってか、受験生の発言じゃなくね? どーでもいいけど。んじゃ、またね」
俺と兄、それぞれの回答をして部屋を出た。玄関口でも全く同じやり取りをした後でもう一度別れの挨拶を済ませ、俺達は友人宅を後にする。
外はすでに真っ暗で、街灯や飲食店の明かりが周囲の闇を照らしていた。十一月の冷たい夜風が頬を撫でていき、ブルッと身体が震える。
「あぁ~~……ッ。今日は座りっぱなしだったな~。ずっと同じ姿勢だったせいか膝がいてぇや」
背伸びと欠伸をしながら、兄が吐き出すように言う。俺が言おうと思ってたのに……さすがに双子だけはあるな。
「まぁね。あ~、これで明日も休みだったらいいんだけど……ていうか逆に極楽過ぎだな、そりゃ」
自転車の鍵をポケットから取り出しながら、友人宅からは少し離れた駐輪場に向かう。
街灯の光が届かない位置にある駐輪場は、仄暗い月光だけに照らされていて、少し寂しげな感じがした。同じく寂しそうにしていた愛車に近付き、俺は鍵を挿そうと暗くて見えづらい鍵穴を探る。
──と、その時だった。
『…………』
ふいに聞き覚えのない声が耳元で何かを訴えた。若い女の子のようだけど、何を言っているのかはさっぱり分からない。日本語じゃない……のか?
「ん? あれ? 何だ今の……声か?」
「は? 何が? 声?」
突然動きを止めた俺に兄が怪訝な顔を向ける。俺は兄を手で制し、耳に意識を集中させる。すると、バチンと何かが切り替わるような音が頭の中に響き、周囲の雑音がピタリと止んだ。
「何か聞こえない? 声、かな? ほらまた!」
『……助けて……わたしの声が届いたなら、お願いです。どうか……モロスを断ち切る剣になって……』
その声が消えた時、俺は一瞬の浮遊感と共に、目も開けられない程の光に包まれた──。