命より大切なもの
──目を開くと、そこには見慣れない天井が見えた。俺……寝てたのか。でも、何で寝てるんだ? 寝る前は、何してたんだっけ? くそ、意識はハッキリしてるのに頭がまるで働かない。ズキズキと、全身にかすかな鈍痛を感じる。
……ここは、どこなんだろう? 俺は無言のまま、軋む首を巡らせる。すると、俺の寝ているベッドのすぐ脇に、イスに座って船を漕ぐルナが居た。
「んん~……う? ……あっ! あああッッ!? カエデッ!! 気が付いた!? 気が付いたんだ! よ、よかったぁ、本当によかったよぉ~!! もう、起きないんじゃないかって……心配して……ホントに、心配で……」
俺が目を覚ました事に気が付くと、ルナはすごい勢いでベッドにしがみ付き声を上げた。よほど心配してくれたのか、俺を見つめる瞳にはうっすらと涙が浮かび、潤んでいた。
「ルナ……? ここはどこなの? 俺は、どうなったんだ?」
俺はまだよく回らない頭を酷使して状況を知ろうとする。ルナの話によると、ここはレイドポートの宿で、俺が竜洞穴で倒れてからすでに三日も経っているらしい。宿まではもちろんというか、リピオが運んでくれたようだ。リピオには世話になりっぱなしだな……あとでちゃんとお礼しなきゃ。
「なるほど……大体状況は分かったよ。……で? 宝石眼の竜は? 倒せたのか? ……って、倒してなきゃ包囲法陣から出られないよな、あはは」
そう言って笑う俺を見て、ルナは急に暗い表情になって俯いた。落とした視線の先には、大事そうに抱えられたエゼキエルの書がある。
「うん……倒したよ……カエデが、倒してくれたんだよ……」
それから少しの間、部屋に無音の空気が流れた。一呼吸おいて、ルナがふいに口を開く。
「ねえ……カエデ、さ……あの時……どのアガム使ったの? 確か、“エレボスの洗礼”……だったよね?」
「ん? う~~ん……そんな名前だったかな、多分」
ルナの問い掛けに何気なしにそう答えると、ルナは強張った声で続けた。
「──それ……“ロストスペル”じゃない。しかもカテゴリーSクラスの! カエデもエゼキエル読んで少しは分かったんじゃないの? Sクラス以上のロストスペルは別名“サクリファイスアガム”とも呼ばれ、術者の大切なモノの中から何か一つを、エレメントの代わりに奪うって……」
怒ったようなルナの声の調子に俺は居心地が悪い気分になり、無言で頷く。その途端、ルナはそれまで抑えていた感情が爆発したかのように猛烈な勢いで叫びだした。
「じゃあ何でッ!? 何で分かっててそんな危険なアガムを使ったのよ!! 大切なもの……命だって奪われちゃうかもしれなかったんだよ!? 死んじゃうかもしれなかったんだよ!?」
「う……で、でもさ、そうしないと多分、みんな助からないんじゃないかと思って」
「そんなの、理由になってない! みんな助からないならともかく、もしカエデ一人死んじゃって、私達だけが生き残っちゃったらどうするのよ!? 私のせいなんだよッ!? 竜を倒しに行く事にあなたは反対してたのに、私が勝手に決めちゃって、わがままに付き合わされて……それで死んじゃっても良かったって言うのッ!? 」
ルナの白い頬を涙が伝う。俺は、それでルナが本当に心から俺を心配してくれていた事を知った。うろたえながらも俺は答えを考える。けど、すぐにそれが無意味な事だと気付いた。
だって、理屈じゃないんだ。“人の心”なんてモノは……さ。
「死んでもいいなんて思う人、多分普通はいないよ。もちろん俺もそう」
「じゃあ……なんで……?」
「ん~、上手く言えないけど……人が死にたくないって思うのはさ、やっぱり……単純に考えて、死ぬのが怖いからじゃないかな。だって“死”は、全ての“終わり”だから。楽しい事も、嬉しい事も。悲しい事や苦しい事さえ……何もかもそれで終わり。だから、人は何よりも死を恐れ、何を差し置いても死から逃れようとする。……命を、大切に思う。人の行動なんてさ、突き詰めれば結局は優先順位なんだよ。少なくとも、俺はそう思ってる。考え方なんて人それぞれだけどね」
そこまで言って俺は一旦言葉を区切る。ルナは俺の考え方を理解してくれたらしく、真剣な眼差しを俺に向けて続く言葉を待っていた。
俺は少しの間を置き言葉を選びながら続ける。
「うん……でさ、人の行動が優先順位で決まるなら、命が一番大切って事になる。そこでもし、命以上に優先したいモノができたなら……きっと、人はそれを一番大切に思う事になる。命を差し置いても、護ろうと思う。えっと……つまり……ま、まぁ、俺が言いたいのはそういう事だよ、うん。以上」
言って、俺は自分の頬が火照っている事に気付く。何だかよくまとまらなかったけど、恥ずかしい事言っちゃったような……。
ルナはというと、まるで俺の言葉を反芻するかのように小さく何度も頷いていた。が、突然ルナは見て取れるほどに赤面し、あたふたと暴れだした。ぐるぐると目を泳がせ、というかもう溺れかかったような目をして、
「あ! ああ~、え? あのっ、そそそそそれじゃあの、カカヵカエデってば、命……えと、えっと……うわわわぁ……」
と、良くわからない事を喚いた。ルナに俺の意図が悟られ、俺も一層顔が熱くなる。ルナはルナで真っ赤な顔のまま人差し指を立て、話をまとめようと必死だ。
「あ、ああ~、コホンッ! で、でもさ、ロストスペルはもう使わないでよ。それでもしカエデが死んじゃったら、意味ないし……気持ちは嬉しいけど……あ! いやっ、う、嬉しいっていうか、別にそうじゃなくてっ、嬉しくなく……もなくて、その~、だからッ! 悲しいとか、色々で、色々色々ワケワカンナイって言うか……ぁにゅ~~~~~~」
目を回してベッドに顔を埋めるルナ。言っている事はイマイチ分からなかったが、混乱したルナがあまりに可愛かったので俺は思わず吹き出してしまった。
「も、もうっ! 何で笑うの!? むぅぅ~~~……」
ルナは顔を上げ、ムスっとした表情で俺を睨むが、それすらも今の俺には可愛らしく思えた。
「はは、ごめんごめん。でも……そうだよな。主人公ってのはさ、往々にして欲深いものなんだ。仮にだ。この旅の主人公を俺とするのなら、俺ももっと強欲になってみるのもいいかもな。次からは探してみるよ。……何も犠牲にせず、みんなが助かる、最善の選択肢って奴をさ」
それが俺の正直な気持ちだった。ルナは、俺の死を悲しんでくれる。それは嬉しくもあるけど、なら俺はルナを悲しませないようにしなければルナの全てを護る事にはならないわけで。
……俺はルナを護る。あの時の誓いは嘘なんかじゃないし、嘘にしたくもない。その証拠に、俺はルナに対して自然な微笑みを向けられた。
本当に弱い俺が、本当に大切なものにだけ向けられる、無防備な笑顔を。
──だが、それも一瞬の事だった。次の瞬間、俺の笑顔は懸念の色で凍りつく。
「ど……どうした? ルナ? ……ルナってば!」
気付けばルナの表情は、驚愕と怯えに変わっていたのだ。ルナの身に一体何が起こったのか、俺には分からない。ただ、ルナのその変化がただ事でない事は明白だった。
「おい……急にどうしちまったんだよ、ルナ!」
俺は呼びかけに反応しないルナの肩を揺すり叫ぶ。
「カエデ……どう、して……どうして、そんな……」
「どうして……? 何言ってんだよルナ、しっかりしろ! 俺がどうしたんだよ!?」
虚ろな目でうわ言のように呟くルナ。俺はさらに激しく揺さ振り問い掛ける。するとルナはやっと我に返り、虚ろだった瞳に光が戻った。ルナは自分でも何が起きたのか分からない様子で一瞬きょとんとしたが、
「あ……ごめん……あはは、私、ちょっと疲れてるみたい。あ、でもカエデ、お腹空いてるよね? 何せ三日も寝たきりだったんだし。私、何か食べ物買ってくるよ!」
と、乾いた笑みを浮かべて部屋を出て行こうとした。
俺が呼び止めようとすると、それより先にルナが立ち止まり、振り向かずに言った。
「カエデ……さっきさ……さっきの顔……ううん、やっぱり何でもない。じゃ、待っててね。私は……大丈夫だから」
すでに握っていたドアノブを捻り、ルナは逃げるように部屋を出て行った。
一体どうしたっていうんだ。ルナの、あの怯えた瞳……尋常じゃなかった。俺の顔がどうとか言いかけてたみたいだけど……。
追いかけてやるべきかとも思ったが、今の体の状態じゃ動けそうにない。それに……追いかけたところで俺には何もしてやれないだろう。
「……俺、そんなに変な顔してたかな? なあリピオ?」
「クゥ~~ン……」
リピオは困ったような顔をして鼻声で返す。リピオもルナを心配している様子だけど、追いかけるような事はなかった。
おそらく、ルナと付き合いの長いリピオにも先程のルナの変化は珍しい事なのかもしれない。もしくは……意外と頻繁にある事とか。いずれにしても、今の俺には何とも言えないな。
何気なく視線を落とすと、リピオが荷物の中から何かを探している。取り出した物を口にくわえ、俺に差し出してきた。
俺はそれを手に取って眺める。ぼんやりと赤い光を放つ、拳大の丸い宝石……これは……あぁ、そうか。これがきっと、宝石眼だろう。……命懸けの戦いで得た、唯一の戦利品だ。
あのロストスペルが発動したという事は、俺は自分の大切なものの中から何か一つ、必ず失っているはずだ。それが一体何なのか……今の俺には考えもつかない。だが、失って得たものもある。一つは、この赤い宝石眼。そして……ルナとリピオの、命。
たとえ何を失っていたとしても……俺は後悔なんてしない。だって俺は、俺の持つ何かを失っても……何より大切と思える、掛け替えのないものを失わずに済んだのだから──。
第二章、完。次回から第三章『片翼のフェルマス』がスタートします。新ヒロイン登場もありますのでお楽しみに!




