おはようの右ストレート
仰向けに倒れた俺の目には、二つの月が映り込んだ。小さな赤い月と、大きな銀の月。
ルナの話では赤い方はエリュティア、銀の方はフェズルジェントと言うらしい。月が二つある意味はあるのかと疑問に思ったけど、俺がそんな事を考えたところでそれこそ意味は無い。
そもそもあれは、地球で言うところの月とは全然仕様が違うっぽい。何せ満ち欠けという概念がなく、いつでも満月って話だし。それってつまり、太陽みたいに自分で発光してるって事じゃないのか?
ただ、昔のグランスフィアの人間はあの二つの月に強大な魔力が宿っていると信じ、崇める習慣があったそうだ。ルナの名前もそこからきているのだとか。地球でも“ルナ”という言葉に“月の女神”という意味を付けて神格化したりしている。グランスフィアと地球にそんな共通点があったってのは面白いけど、まぁルナの場合、月の女神というよりは突きの女神って感じだよな……と、ルナの正拳突きを喰らった左頬が震えながら申しております。
「…………」
俺は倒れたまま月に手を伸ばす。月が、二つ。それはつまり、ここが地球ではないどこか別の世界だという事を表している。
旅に出る時その事はもう理解したし、割り切ったつもりだった。でも、それは所詮“つもり”だったんだ。割り切れてなんかいない──こうやってはっきりと事実を突きつけられても、それを受け入れられないでいる俺がまだ……心の中にいる。
「カエデ、どうしたの?」
ルナが、俺の隣に来て座る。俺を見下ろす淡い青の瞳が、少し心配そうに揺れる。
「ん……二つある月を見たら……もう一人の俺を思い出したんだ」
「もう一人の……カエデ?」
首を傾げ疑問を復唱するルナに、俺は静かに頷く。
「俺には、双子の兄がいるんだ。兄とはすごく仲が良かったし……自分で言うのも何だけど、良く似てたと思う」
「へぇ~! じゃあそっくりなんだ?」
「そっくりも何も、顔も趣味も性格も体型も声も考え方も瓜二つでさぁ、自分以外の人間の中で一番信用できるし、信頼できる。まさに半身って感じだな。でもまぁ……」
俺は一呼吸置いて、吐き出すように言う。
「今は俺一人……だからなぁ……」
「違うっ!!」
「うわっ!? えっ? 何?」
黙って話を聞いてくれていたルナが、突然叫ぶ。俺は驚いてルナを見ると、ルナも自分の行動に驚いたのか、俺と同じ表情で俺を見ていた。
「ご、ごめん……でもさ、えぇと、その……カエデは、一人じゃないから……。だ、だってほら、私も、リピオも一緒に旅してるしね、うん」
ごにょごにょと口の中で呟くルナが何だかおかしくて、
「ぷっ……あっはははははっ!」
俺は思わず大声で笑ってしまう。
「なっ!? 何で笑うの~~!」
「いや、ごめん、俺は大丈夫だから。別にホームシックって訳じゃないよ。でもまぁ……ありがと、ルナ」
「な、何でよ? 別に慰めてる訳じゃないし……」
ルナはやはり怒ったが、拳が飛んでくる事はなかった。
「……さてと! そろそろ寝ておこうか。明日もまた歩くんでしょ?」
俺は勢い良く起き上がって言う。ルナも「当然でしょ!」と立ち上がり、そして俺に何かを投げつけてきた。んん? こ、これは……。
「……寝袋?」
言わずとも分かる事を、俺はあえて声に出して言った。すると、ルナはいたずらっぽく笑って俺に視線を向け、
「テントは私で、カエデはそれで外! こんな狭いテントでカエデと寝たら、何されるか分かったもんじゃないし」
と、そんな残酷な事を言う。
「なっ……! そ、それもそうだけど……っていやいやいや! 何だルナ! 俺は一人じゃないって言ってくれたのは嘘だったのか!?」
「うっ……嘘じゃないけど、それとこれとは話が別! 常識的に考えて別なの! というわけで、おやすみ~っ!」
にこやかに夜の挨拶を言い捨て、ルナが背を向ける。俺はその背中に溜め息混じりに投げかけた。
「はぁ……俺一人だけが、蚊と格闘しながら寂しく寝るのか……あ~あ……」
すると、ルナの後に続いてテントに入ろうとしていたリピオの耳がピクリと動いたかと思うと、くるりと反転しこちらに寄ってきた。
「あれ? ちょ、ちょっとリピオ!?」
ルナが目を見開いてテントから顔を出す。俺はリピオの優しさあふれる行動に嬉しくなり、リピオの頭や背中をガシガシと撫でてやる。
「おお! リピオよ! 俺の寂しさを感じ取ってくれたか! よ~しよしよし、今度いっぱい遊んでやるからな~!」
「むぅ~……リピオってば甘いんだから~。リピオも女の子なんだから、カエデにエッチな事されても知らないよ~?」
えっ、リピオってメスだったの!? ていうか、さすがの俺も獣に手を出すほどマニアックじゃないってば。
しかしルナの奴、露骨に不機嫌になったな。そういうところはやはりまだまだ子供よのぅ。俺は皮肉っぽくルナに言う。
「そうそう。テント、寝てる間に崩れるかもしれないから気をつけてね」
「その時はカエデ、明日の朝日は拝めないと思うから気をつけてね」
俺の言葉にルナは女神みたいな笑顔で答えた。その笑顔を見た途端、なぜか背筋が凍る。
「……たっ、ただ今キャンペーン期間中につき、テントの安全点検サービスを無料で実施しておりまして……」
「あら、そお? それじゃあ、ちょっとお願いしようかしら~」
勝ち誇った笑みを浮かべ、ルナは俺の肩に手を置いて言った。く、くそう……ルナの方が一枚上手だったか。
俺は地球より何倍も多く星が輝く夜空を仰ぎ、溜め息をついたのだった。
○ ○ ○
「…………で。結局こうなる、と」
ボソリと、俺は低い声でつぶやいた。柔らかな朝の日差しを浴びる俺の頬には、くっきりと拳の跡が刻まれている。
「ご、ごめんってば。今のはホント、私が悪かったよ……あ、あはははははっ」
乾いた笑いを浮かべ謝罪してくるルナ。俺はこの旅で、ルナの事がもう一つ分かった。それは、ルナは意外にも“朝に弱い”という事だ。
──つい数分前の事。俺は隣で寝ていたリピオのディープなキスで爽やか(?)な目覚めを迎えた。そして旅立ちの日にグランスフィアのものに合わせておいた携帯の時刻を見ると、何と十時を回っていたのである。
慌てて俺は、崩れる事なく張ってあるテントの中のルナを呼んだがいくら呼んでも返事が無い。仕方が無いのでテントに入り揺すって起こそうとするも、ルナは一向に目を覚まそうとはしなかった。困り果てているところ、リピオが俺にしたようにルナの顔をぺろぺろと舐めると、ルナはようやく目を覚ましたのだった。
だが、そこで寝ぼけたルナはリピオではなく、その隣に居た俺に抱きついてきたのだ。その後、ルナの正拳突きが俺の頬にブチ込まれて、現在に至る──。
「だ、だってさ、カエデしか見えなくってさ、リピオじゃなくてカエデが顔舐めてきたのかと思って……」
「いくらなんでもそんな事するかっっ!!」
「あぅっ! だ、だからさ、さっきからこうして謝ってるじゃ~ん。お願い許して、このと~りっ! てへっ」
破壊力抜群のいたずらなその笑みに、俺の怒りはすっかり失せてしまったのだった……。




