始まりの世界へ
ルナを追って屋敷の探索を進めていくと、急に雰囲気の違う場所に出た。
それまでの絢爛さがなくなり、やや冷たさを帯びた空気が辺りを覆う。ルナによれば、ここはこの屋敷の地下、宝物庫がある階層なんだとか。一定間隔で備え付けられた篝籠の火だけが照らす薄暗い通路を進んでいくと、突き当たりに巨大な鋼鉄の扉が現れた。
ルナが小さく何かを呟くと、指先に真紅の光が宿る。その指を扉に走らせると、扉は音もなく消滅した。と、扉は消すモノですか……さすがファンタジー世界。唖然とする俺を尻目に、ルナとリピオは悠然と部屋の中に入っていく。
「ここが宝物庫。アポカリプスもこの中にあったんだよ」
リピオに続いて部屋に入ると、ルナが顔だけを俺に向けて言った。巨大な本棚に伸ばした手は何かを探してゴソゴソと動いている。しばらくすると、ルナは何やら一冊の本と、布に包まれた細長い物体を手にして戻って来る。その内の本の方を前に突き出して、少し誇らしげに説明を始めた。
「ジャジャ~~ン! これはね、“エゼキエルの書”って言ってメイガスが生み出した多くのハイスペルやロストスペルが記された、伝説の魔導書の一つなんだよ。他に“エレミヤの書”、“イザヤの書”の二つがあって、全部を総称して“シャローシュカノン”って言うんだよ。さっきもチラッと言ったけど、リピオはエゼキエルを守るためにメイガスがアガムで創った守護獣で、エゼキエルの中で眠っていたのを昔私が偶然召喚したの……はいどうぞ」
説明が終わると、なぜかルナは俺にエゼキエルを手渡してきた。そして、謎の沈黙……。
「…………盗まないの?」
長い沈黙の後、突然ルナがそんな事を言った。俺はその言葉を聞いて思わず力が抜けてしまう。
「ぬ、盗むかっ!! まだ疑ってたのかよ!」
「わあっ、冗談だってば~。そ、それより……ジャジャ~ン! こっちは“杖剣アルヴィス”。メイガスが修行時代に愛用していたと言われている伝説の魔剣なんだよ」
言いながらルナが布を取ると、立派な鞘に収められた小振りの剣が姿を現す。俺は初めて見る本物の剣に今までにない感動を覚えた。
「おお~! 格好いいな~、ねぇねぇ、他に余ってる剣ない?」
少し興奮した声で俺はルナに尋ねた。するとルナはわずかに戸惑った声で答えた。
「え……っと……あ、あるにはあるけど、さ……」
チラッと動いたルナの視線の先には、ルナが手にする剣と同じくらい立派な鞘に収められた大剣が壁にかけられていた。俺はそれを勝手に引っ掴むと、おもむろに鞘から剣を引き抜いた。
薄暗い宝物庫の中、少ない光をかき集め、淡い輝きを放つ白銀の剣。刃こぼれは一つもなく、少しでも触れようものなら血が噴き出しそうなほど鋭い。俺はその重量感を確かめるように剣を一振りすると鞘に収めた。
「めちゃくちゃ馬鹿デカイけど、問題なく振れるな。こういうデカイ剣をクレイモアって言うんだっけ? いや、でもクレイモアはもっと細いか。ルナ、この剣って何?」
俺はゲームとかでよく見る大剣を思い浮かべつつ、ルナに尋ねる。するとルナはなぜか大袈裟に驚いて後ずさって言った。
「そ、その剣を問題なく振れるとか、冗談はやめてよ……それは“祭祀剣ソーマヴェセル”。神酒の器に見立てて作られた祭祀用の装飾剣よ。決して壊れないアガムが込められたすごい剣だけど、あくまでも飾るための剣であって人が持って戦う事を想定したモノじゃないの。グレートソードを振り回せる重戦士ならともかく、カエデみたいな体格の人には絶対に扱えない代物なんだから……」
そ、そうだったのか……。聞いた俺自身、びっくりした。そういえば俺、ここに来てなぜか身体能力が強くなってるんだったっけ。
「ねぇ、ちょっと訊きたいんだけどさ、俺、地球に居た頃より身体的な力が強くなってるみたいなんだけど……ルナは何でか分かる?」
「え、そうなんだ? ん~……そうだなぁ……考えられる事としたら、多分ルオスのせいかな。地球には、アガムはなかったんだよね? でもカエデもこの世界ではアガムを使えた。つまり、ルオスもイメージ力も意思力も備わっていたけど、地球にはレティアがなかった、って事になると思うの。でもカエデはこの世界に来てレティアに触れた。それによってカエデの内に眠っていたルオスが活性化して、身体能力の増加に繋がった……そんな感じだと思うよ」
俺の質問に的確な意見を返してくれるルナ。ルナって、ひょっとしたら凄く頭がいいのかもしれない。伊達に賢者の娘じゃないって訳か。
「ちなみに、“エンハンスアガム”っていう身体能力を高めるアガムがあるんだけど、カエデの場合それを無意識に常時発動させてるのかもしれないね。……そっか……剣もアガムも使えるなんて、もしかしたらカエデはアガムフェンサーなのかも。歴史上の偉人達は、大抵アガムフェンサーなんだよ。《魔術王》と呼ばれたメイガスや、《ソードギフテッド》と呼ばれた魔剣士ルシオとかがそう。カエデも頑張れば、ホントに伝説を作ったりしちゃうかもね」
独り言のように呟き、ルナは俺を眩しそうに見上げる。そんな顔されると、俺の方も眩しくなっちゃうんだけど……。
「……ッ! ワンッ!」
突然、リピオが吠える。一体どうしたのかと思ったが、どうやらガナッシュさん達が呼んでいるらしいとルナが説明してくれた。どうして解るんだ? 素朴な疑問を抱えつつも、俺達は元居た応接間へと戻ったのだった。
応接間に戻るとすでにガナッシュさんとレイアさんが待っていて、部屋の出入り口付近には何かが詰め込まれた荷物袋が幾つか用意されていた。おそらく、ガナッシュさん達が準備してくれた旅の荷物なのだろう。
ガナッシュさんがルナに荷物の中身について軽く説明をして、それが終わると一同は食堂に移動して夕食をとった。レイアさんが作ったという料理はどれも馴染みの無いものだったけど絶品で、本当に頬が落ちるかと思うくらい美味しかった。ただ、料理と一緒に出されていた酒をガナッシュさんが大量に飲み酔っ払ってしまい、酔った勢いでアガムについてを語り出したせいで、それに付き合わされた俺が睡眠を許されたのは東の空が白み始めた頃だった……。
──そして、次の日。
「カエデ君、昨晩は良く眠れたかね?」
屋敷の門の前で、ガナッシュさんが俺に言った。わざと言ってるんだろうか、この人は……。
「……いや、まぁそれなりっすかね……」
俺は愛想笑いを浮かべて曖昧に答える。ガナッシュさんは次にルナとリピオに向き直り言った。
「ルナ、リピオ。カエデ君に迷惑をかけないようにな」
「わ、分かってるわよ。もう子供じゃないんだからね。それより……」
ルナはふてくされたように言い返し、レイアさんにも言葉をかける。
「お母さん、しばらく私、フォローしてあげられないんだから無茶な事しちゃだめだからね?」
ん? それはどういう意味なんだろう? 優しいし、料理も上手いし、いいお母さんって感じだったけど、今のはまるでダメな母親に向かって言うセリフだ。ひょっとしたら、レイアさんには俺の知らない一面があるのかもしれない。何か天然っぽいし。
「うむ。それではカエデ君。どうか、ルナとアポカリプスをよろしく頼むよ。ただ、無理だけはしないようにな」
「はい。アポカリプスの方はどうなるか分かりませんけど……ルナの事は、俺が絶対に守りますから」
俺はドンッと胸を叩いて答えた。それを見てガナッシュさんは優しく微笑み、砕けた調子で言う。
「頼もしいナイトだなぁ。なあ? ルナ」
「っ!? そッ……そこで私に振らないでよ!」
虚を突かれたようにグラつき、プイとそっぽを向くルナ。その横顔が少し紅く染まって見えたのは……まぁ、俺の思い上がりだよなぁ。
「駆け落ちなんて考えてくれるなよ?」
「しッ、しないわよっ!! そういうのはカエデに言うセリフでしょ!!」
素早く怒鳴りつけるルナ。ガナッシュさんはその言葉通りに俺にも同じ事を言う。
「カエデ君、駆け落ちなんて考えてくれるなよ?」
「それはちょっと約束しかねますね」
「しなさいっ!! 神に誓いなさいっっ!! 今すぐに!!」
悪ノリする俺にルナがツッコミチョップを繰り出し、すごい剣幕でまくし立てた。俺は自然と笑みが浮かぶ。
「ところでカエデ君。持っていく武器は本当に“それ”でいいのかい?」
ガナッシュさんが言うソレとは、俺が背負っている剣の事だ。屋敷の宝物庫で見たあの装飾剣に一目惚れした俺は、結局この剣を旅の相棒に決めた。
「あー、無理言って譲ってもらって、申し訳ないです。高価な物なんですよね?」
「値段は問題じゃないさ。ただ、重くて扱い辛いのではないかと心配しているのだよ」
「ん……確かに少し重いけど、重くて誰も使えない剣だけにそれを使える俺最強! って感じでいいじゃないですか。どうせ剣なんて初めて使うモノだし、扱い易さも何も関係ないですから。これから上達して使いこなして見せますよ」
全く根拠はなかったけど、ガナッシュさんは納得したようだった。この信頼を裏切らないように、本気で頑張らないとな。
「さてと。それじゃガナッシュさん……行って来ます!」
ガナッシュさんの蒼い瞳を真っ直ぐに見つめて、俺は言う。アガムを使う時以上の意思力を言葉に込めて。ガナッシュさんも同様に、真っ直ぐ俺を見つめて言った。
「うむ! ……この旅に、『ゼークヴァリス』の加護があらん事を……」
○ ○ ○
「……レイア。私を、卑怯だと思うか?」
ガナッシュは遠ざかるカエデ達の背を見つめながら言った。
レイアは答えず、顔だけをガナッシュの横顔に向ける。
「私があの少年にした、真の頼み事……それはアポカリプス奪還などではなく……“ルナ”の事だ。結局、私は最後まで彼を欺き……今も試している」
風が、二人の間をゆっくりと流れていく。空はどこまでも青く、高く澄んでいた。
「ルナの心の闇は、誰にも晴らせないものだと思っていた。……だが、彼ならそれが果たせるかもしれないと感じたのだ。異世界からやって来たというあの少年に……数年振りにルナの心根を揺り動かしたあの少年に……私は賭けてみたいと思う」
「……私達があの子達にしてあげられる事は、そう多くはありません。祈り……願い……信じる事。きっと大丈夫ですよ。ルナを“ルナ”だと言ってくれた彼なら……きっとルナを受け入れてくれます。そして、ルナも……」
その全ては、ただ見つめていた。 旅立つ若者達の行く末を。 その先に紡がれる、冒険譚を──。
○ ○ ○
──幾千、幾万、幾億もの偶然と、奇跡と、そして運命が重なり合い、俺はこの世界と、一人の少女に出会った。
この出会いによって動き出す、一つの物語。
それは果てる事の無い無限の旅と、幾つもの運命の交差の始まりだった。
この旅で、俺は何を見て、何に出会い……何を成すのだろう。
運命の扉は、今開かれた。
俺は歩き出す。
夢と、不安と……期待に満ち溢れた、
先の見えない、幻の物語の中へ──。
第一章完。次回から新章突入です。いよいよ冒険が始まります。




