プロローグ
この作品について、ちょっとした補足事項を活動報告に記載しています。必読ではありませんが、時間に余裕のある方は一度目を通して見て下さい。
暗く深い、闇色に染め上げられた空間がどこまでも広がっていた。
底辺と分類すべき場所には蒼い光を放つ巨大な魔法陣が刻まれ、その中央部には一振りの剣が突き立っている。剣は魔法陣から伸びる無数の鎖によって縛られ、決して抜ける事はない。
闇によって支配される空間。全ての存在を否定するかのようなその場所に、二つの影が佇んでいた。
一つは、少女。背に一対の天使と悪魔の翼を持った、神秘的な少女。
一つは、獣。翼の少女に寄り添うように四足で立ち、二本の白い尾を揺らしている。
宝石のように澄んだ白金色の目を細め、少女は魔法陣に突き立つ剣を……いや、剣を繋ぎ止める鎖を見つめて呟く。
「そんな……鎖が損傷している。それも、無数にある鎖の全てにヒビが入っているなんて! 昨日までは傷一つなかったのに、どうして……?」
決して抜ける事のないように剣を繋縛する鎖。しかしその鎖が今、どういう訳か壊れかかっている。少女が疑問を口にするわずかな間にも、一本の鎖が音を立てて砕け散った。
「いけない、鎖が! どうしよう……今からバルド様にご報告しに行っていたら、きっと手遅れになる。このまま鎖が壊れて楔の剣が抜けてしまったら、世界が……【グランスフィア】が滅びてしまう!」
少女は自分の隣に立つ白い獣に手をかざす。すると獣は光の球体に包まれて闇の底から浮かび上がった。獣は、泣くように鳴いている。これが最後の別れになる事を本能的に察しているのだ。
「ごめんね。でも、これが私の使命だから」
少女は、獣の言葉を理解する事ができる。なぜなら、この白い獣は少女が『アガム』で生み出した“使い魔”であり、一番の友達だから。
〈フィアル様、わたしはあなたにお仕えする事が使命です! あなたがいなくなったら、わたしはどうやって生きていけば良いのですか!〉
声無き声でそう叫ぶ白い獣に、翼の少女・フィアルは笑顔で言う。
「なら、あなたとの主従契約を今ここで破棄します。あなただけは生きていて……。私を忘れ、新しい主を見つけて、私の分まで幸せに……」
そう告げるフィアルの白い頬を、一筋の雫が伝い流れ落ちた。そして、使い魔“だった”存在の頬にも、同様に。
瞬間、少女の身体からとてつもない量の閃光が溢れ出し、闇を照らしていく。
「──混沌よりの啓蒙、我、紡ぎ誘わん。運命を戒めし幾千の縛鎖、仮初にして、永劫に。連累たる封縛、彼の者の魂を繋ぎ止めん……我が魂諸共に!」
少女の体と楔の剣を、金色に仄光る鎖の群れが拘束していく。
「これで世界は再び生き長らえる……私の命と引き換えに。発動、『モロスの鎖』!!」
これで良かったのかは分からない。しかし、これが最善だったと考える事はできるし、今さら後悔する事も許されない。彼女の決断には、世界の運命が掛かっていたのだから。
それでも少女には、世界のために自分を犠牲にする覚悟などなかった。それは彼女が流した涙が証明しているし、何より……嫌に決まっている。
こんな寂しい夢の中に、たった独り。永遠に取り残されるのは……。
○ ○ ○
光の泡に包まれて、闇の檻から逃げていく。すでに見えなくなった“元”主の姿を探して、獣は鳴き続ける。契約破棄は成立していた。しかし主従関係を失くしたところで、二人の絆を捨て去る事などできるはずがなかった。
〈世界は人々にとって、掛け替えのないモノ。だけどフィアル様はわたしにとって、掛け替えのない人なんです。だからわたしは、あなたを助けたい。わたしは“わたしの一番大切なモノ”を差し出して、この『アガム』を使います。《禁呪法》、発動〉
白い獣は、光の泡の中で眠りにつくように目を閉じる。薄れゆく意識の中で、獣は強く願う。遥か時空の彼方まで、届かせるように。
〈助けて……わたしの声が届いたなら、お願いです。どうか……モロスを断ち切る剣になって……〉