桜の精と騎士
「これで任務終了だ。ご苦労だったな。レイス、お前は俺と一緒に大隊長に報告に行くぞ。」
「えー隊長だけで行ってくださいよ~。親子水入らずの時間を楽しんでください」
「うるさい。他は解散だ」
辺境騎士団中隊長ウィース・ハーンズの声に副隊長のレイス・フォード以外は、宿舎や家族、恋人のもとへと帰って行った。
「行くぞ」
背後で「ホントに僕も行くんですかぁ?」とやる気のない声で返事をしているレイスを無視して、執務室に向かった。
時間も時間なので、砦の中も昼間に比べると人が少ない。レイスはまだ後ろでぶつぶつ文句を言っている。うるさい奴だ。
広い砦の中を歩いてやっと執務室の前まで来ると、後ろから声をかけられる。振り向くとそこにいたのは母さんの待女、フロンだった。レイスは美人なフロンを見ると急に笑顔になった。相変わらず現金な奴だ。
「ウィース様、旦那様からのご伝言です。”私は愛する愛らしいハニーに一刻も早く会いたいからもう帰る。それと私だけのハニーが桜のケーキを作りたいそうだ。採ってこい。あっ報告はその時でいいや”とのことです」
思わず眉間に皺を寄せ大きく溜息を吐いた。――まったく、ふざけている。
「わかった。……レイス、私は桜を採ってから行く。彼女を送ってくれ」
「先に行って報告しときますよ。行きましょう、フロンさん」
二人を見送った後、自分も桜を採りに砦を出た。
この町に桜の木は一本しかない。ただ、一本しかないが大きく立派で、満開になるとその存在感は凄く、とても美しい。あと一週間もすれば見頃だろう。
森の中を進み丘を上った所に桜はある。
桜が見えてきたとき、強い風が吹いた。
花びらが舞う。
「……美しいな……」
――そう呟いた時だった。
桜の根元が虹色に光った。光は一瞬だけで光が消えると、そこには少女が倒れていた。
(――っ!!!)
一体何が起こったのかは分からないが、倒れたまま起き上がる気配の無い少女に駆け寄る。うつ伏せになっている身体をそっと起こしてやると、少女の顔が見えた。
まるで作り物のような美しい顔に息を呑む。──が、直ぐに頭を振って冷静さを取り戻す。
「おいっおいっ!大丈夫か!?」
身体を軽く揺すると少女の眉間に皺が寄る。それを見て安心とした。
「ん……」
少女はゆっくりと目を開ける。
最初は俺の胸にあった視線が徐々に上がっていく。──そして、目が合う。
長い睫毛に縁取られた神秘的な黒い瞳が驚いたようにこちらをじっと見詰めていた。
俺もまた、何故か視線を逸らすことが出来なかった。
どれ程長い時間見詰め合っていたのか、腕の中で大人しくしていた少女が不意に動いた。
その小さい手でウィースの頬を撫で始めた。触れている部分が熱くなるのが分かる。
動けなくなる。いや、動きたくない。出来ることならずっとこのまま…。
「ルシフェル様だぁ……」
少女は鈴の音のような美しい声で囁くと、長い睫に縁取られた大きな瞳から涙を一滴流した。
それを見たウィースに衝撃が走る。何故かこの少女が泣くのは堪えられないと思ったからだ。
「どっどうしたっ……どこか痛いのか?」
ウィースが少女の身体に怪我がないか確認しようと身体を離す。──と、少女が抱き着いてきた。
(──っ!!!!!)
「私も桜の精に立候補させてくださいっ」
少女は、とてもその細い腕から出た力だとは思えないくらいの力強さで俺の顔を両手でガシッとしっかり掴むと、その小さく美しい顔を近づけて来た。
彼の顔に少女の息がかかった。完全に思考が止まる。
心臓は早鐘の様にうるさく鳴っていた。少女にも聞こえそうな程に。
お互いの唇が触れ合う直前、咄嗟に少女の首に手刀を落としてしまった。
「ぐぇ」
少女はまた気を失い、今度は彼の胸に倒れた。
(あっ……つい)
「すまない」と謝りながら、もう一度少女の顔を見た。どんな風に笑うんだろうな。……ああ、だめだ。なんか思考がめちゃくちゃだな。
いつの間にかオレンジ色になっていた空を見上げる。
「どうしたらいいんだろうな……」
──夕日に照らされたウィースの顔は、真っ赤だった。
暫くこの謎の少女をどうするか考えていたが結局良い案が浮かばなかったので、とりあえず実家に連れていくことにする。
(あそこだったら部屋も有るし、母さんもフロアも居るしな…大丈夫だろう)
まだ頭は混乱していたが、しっかり腕の中で少女を抱き抱え立ち上がる。
そして歩を進めようとしたとき、あることを思い出した。
(…そういえば、”ルシフェル様”って誰だ?)
初めて感じる不快な気分と共に、新たな疑問が一つ増えた。
レイス「はは~ん、これは隊長”一目惚れ”しちゃったみたいですねぇ」
作者「でも本人は気付いてな……って、あれ? レイスさんがウィースさんより先にここへ登場しちゃっていいの?」
レイス「いいんじゃないですか? どうせ隊長、ここに来たって”知らん””うるさい”で通しますよ」
作者「……呼ぶの止めようかな」