「お前を愛することはない」?わかりました。じゃあ、子作りしましょう。
「お前を愛することはない」
新婚初夜の寝室。豪奢な天蓋付きベッドの前で、私ーーメイリアの真新しい夫は冷たい声でそう言い放った。
(ああ、やっぱりそうきたか)
私はショックを受けるどころか、密かに安堵の息を吐いた。むしろ、これだけ好条件の結婚に何も裏がない方が怖かったのだ。
目の前に立つ旦那様――レーヴァス・マクスウェル公爵令息は、息を呑むほどの美丈夫だ。口数が少なく、人を寄せ付けない冷たい雰囲気から『氷の貴公子』と呼ばれている。そのミステリアスでクールな姿は、学園の令嬢たちから熱狂的な人気を集めていた。
対する私は、学園で『合理令嬢』などと揶揄され、いわゆる『理屈っぽくてつまらない女』として周囲から認識されていた伯爵令嬢である。
夢見がちな令嬢たちとは違い、恋だ愛だと浮かれるより先に、家の事情や現実を考えてしまう、地味で退屈な、なんとも可愛くない質だった。
そんな私とレーヴァス様に接点があったとすれば、図書館くらいのものだ。
彼も私も本が好きで、たまに同じ棚の前で顔を合わせて、社交辞令のように二、三言交わす。それだけ。彼はすぐ周囲を取り巻く令嬢たちに連れていかれてしまうから、まともに会話した回数なんて両手で足りる程度だったと思う。
だから卒業直前になってマクスウェル公爵家から縁談が来た時には、本気で何かの間違いだと思った。
父も母も仰天していたし、私だって仰天した。
けれど相手は由緒正しき公爵家。断る理由などどこにもなく、話は驚くほどとんとん拍子に進んだ。
挙式の日、レーヴァス様は終始、彫像のように美しい仏頂面だった。にこりとも笑わず、不機嫌そうな表情を常に顔に貼り付けていた。極めつけは誓いの口付けの際だ。神父が促しても彼が微動だにしないため、進行に支障をきたし、参列者からはクスクスと笑い声が漏れた。見かねた私が背伸びをして軽く口付けたが、(そんなに私とキスしたくなかったのね……)と、さすがにショックだった。
きっと他に愛する女性がいるか、あるいは貴族特有の体面を保つための政略結婚なのだろう。そう納得していた私は「愛することはない」と言う言葉に、至極淡々と頷いた。
「わかりました。では、子作りしましょう」
「…………は?」
初めて、氷の貴公子の顔がわかりやすく崩れた。
一体、何を動揺してるんだろう?今は新婚初夜で、私たちはれっきとした夫婦だ。しかも貴族の結婚なのだから、後継ぎを作るのはごく当然の話である。愛するだの愛さないだのは旦那様の勝手だが、貴族の義務までなくなるわけではない。
「子作りです」
伝わらなかったのかと思い、私は念を押すように言った。
「ま、待て。何を言っている?」
「何って、後継のことです」
私はきっぱりと言い切った。
「あのですね、レーヴァス様。政略で結婚するということは、立派な後継ぎを作らなければならないということです。私を愛さないのは旦那様の勝手ですし、どうぞご好きになさってください。でも、子作りはしないと後継は作れないでしょう?私たちは貴族なんですから、最低限の義務は果たしましょうね」
さあ、話はまとまりましたね、と私はネグリジェの肩を軽くはだけさせ、一歩前に出る。
「ほら、さっさとベッドに横になりなさい」
「ひっ」
ドンッ、と。私は長身の旦那様を、勢いよく天蓋付きのベッドへと押し倒した。
「さ、手早く済ませましょう」
「待って……や、優しく……優しくしてくださいっ……!!」
……は?私は耳を疑った。
見下ろした先。シーツに沈み込んだ「氷の貴公子」は、両手で真っ赤になった顔を覆い、ガタガタと震えながら乙女のような声を出していたのである。え、何その反応。
愛人がいるとか、形だけの結婚とか、そういう余裕のある態度はどこへ行ったのか。
しばし見つめ合う。と言っても向こうは指の隙間から私を見ている。
「レーヴァス様」
「……はい」
「まさかとは思いますが、女性に慣れていませんの?」
「…………」
「沈黙は肯定ですね?」
「…………はい」
氷の貴公子が、消え入りそうな声で白状した。
私は思わず額を押さえた。いや、待ってほしい。状況が見えない。
「確認しますが、あなたは私を愛していないのでは?」
「いや、その、違う」
「違う?」
「……むしろ、その、好きだ」
「はい?」
「ずっと前から」
今度こそ、頭が真っ白になった。
「ええと……どなたを?」
「君を」
「私を?」
「そうだ……」
レーヴァス様は顔を真っ赤にしたまま、観念したように話し始めた。
彼は昔から、ひどく口下手だったらしい。
思ったことをうまく言葉にできず、意図しない言い方で相手を傷つけてしまうことが何度もあった。学園に入って間もない頃も、親しくなろうとして話しかけた令嬢を泣かせてしまい、それ以来、極力しゃべらないようにしていたのだという。
そうしたら、なぜか周りが勝手に寡黙でクールな「氷の貴公子」と祭り上げ、モテるようになってしまったのだとか。
「それはなんというかまぁ、お気の毒に?」
「ああ、全然ありがたくなかった……」
本気で疲れた顔をしているあたり、たぶん本当なのだろう。
そんな中、彼にとって唯一の憩いの場だった図書室で、周りの噂など気にせず、分け隔てなく接してくれる私に、彼は救われ……あっけなく惚れてしまったらしい。
「"公爵令息"としての俺じゃなく、本を探している”ただのレーヴァス"として、俺に話しかけてくれた。新刊の感想も、棚の配置の文句も、貸出票を挟み忘れた時も……」
「細かいところまで覚えていらっしゃいますね……」
「全部覚えている」
即答だった。思わずのけぞる。そんなにですか。逆にこちらはそんなに記憶になく、少し申し訳ない気持ちになる。
「でも、奥手すぎてどうアプローチしていいかわからず……君が卒業して他の男と結婚してしまうと思ったら、焦ってしまって……父に泣きついて、強引に縁談を申し込んだんだ」
「じゃあ、結婚式でずっと仏頂面だったのは?」
「君の隣にいるのが緊張しすぎて、顔の筋肉が死んでいた……」
「誓いのキスの時に微動だにしなかったのは!?」
「す、好きな人といきなりキスなんて……立ったまま失神していた……」
「なんと器用な!!」
そんな漫画みたいなことある!?と私は頭を抱えた。
「本当に君が好きで……でも、強引に縁談を進めてしまった後ろめたさがあった。だから、今晩は無理に初夜の義務を果たさなくてもいい……君のペースに合わせるから、という意味で言いたかったんだ……」
「それが、どうしてあんな冷酷なセリフに変換されたんですか!」
「口下手なんだ……『君に愛を強要することはない』と言おうとして、緊張で盛大に舌が回らなくて……っ」
顔を真っ赤にして涙目になっている姿は、氷の貴公子の欠片もなく、ただでかくて顔のいい不器用な犬みたいだった。
「それじゃあ、完全に嫌われていると誤解されても仕方ないですよ!」
「すまない……本当に、情けない……」
しょんぼりとうなだれる姿(伏せた耳と尻尾が幻覚で見えるわ)は、学園中の令嬢が憧れた氷の貴公子様と同一人物だとは到底思えなかった。
最初は、ひどい結婚生活が始まるのだと覚悟した。愛のない夫婦になるのだと、そう思った。けれど蓋を開けてみれば、愛人もおらず、打算もなく。ただただ、私のことを一途に想い、不器用なりに必死に妻にしてくれたのだ。「合理令嬢」とからかわれていた私を、そんなにも大切に想ってくれていたなんて。
(こんな人なら、悪くないかもしれない)
ずっと遠い存在だと思っていた彼が、不器用ながらも自分を想ってくれていた。そう思うと、結構絆されてしまうちょろい自分がいる。
「……ふふっ」
「メイリア……?」
私は思わず吹き出してしまう。なんだ。旦那様は、ただの口下手で可愛らしい人じゃないか。
「まあ、事情はよくわかりました。なんだかホッとしましたよ」
「……怒って、いないのか」
「怒っていますよ。“愛することはない”なんて、乙女心に刺さる発言をされましたし」
「すまない……」
「でも」
私は彼の前に立ち、そっと手を差し出した。
「なんというか、まぁ、これから一緒に頑張っていきましょうね、旦那様」
彼は信じられないものを見るような顔でその手を見つめ、それから恐る恐る、壊れ物に触れるように私の手を取った。
その手は少し震えていたけれど、とても温かかった。
なんだかんだ、悪くない結婚かもしれない。部屋の空気は、すっかり甘く、ほんわかとした幸せな空気に包まれる。
「ああ、メイリア……俺は君を――」
感動的な雰囲気に包まれ、彼が身を起こそうとした、その瞬間。私は、ガシッと彼の両肩を掴み、再びベッドへと力強く押し倒した。
「はい、誤解も解けたところで!じゃあ、続きをしますよ!!」
「えっ!?あ、あれ!?今日は無理しなくていいって話では!?」
「誤解も解けました。あなたは私を愛している。私も、まあ、今後に期待してもいいかなと思っている……なら、無問題では?さあ、さっさと脱いでください!!」
「ひぃぃっ!ま、待って、心の準備が……優しく、優しくしてぇぇ……っ!!」
押し倒されたまま顔を真っ赤にして助けを求める不器用な旦那様を、合理令嬢が美味しくいただく初夜は、こうして賑やかに幕を開けたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
「愛することはない」とか言われても、そもそも貴族の結婚でしょ?愛はともかく後継者を作るのは義務なんだからヤることヤらんとだめだろう。ロマンチストかよ?と日頃の疑問を物語に起こしました。
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