一杯のコーラ
結果として、売人は落ちた。
成りあがる機会を虎視眈々と狙っていただけあり、コザを縄張りとするヤクザ「比嘉派」の麻薬売買周りの情報を彼は多く有していた。
おかげで、ジェイスとカズミは沖縄の麻薬事情を把握することが出来た。
同時に、ヤクザ事情にもだ。
話すことが無くなった売人を営倉へ入れた二人は、今日の仕事を終わることにした。
時計の針はまだ宵の口を示しているも、収穫は十分だと判断したのである。
最後の仕事として、会議室の黒板にまとめた情報を記す。空調とチョークが黒板を響く音が静かに響く。
ジェイスが咥え煙草でチョークを握り、その後ろでカズミは瓶コーラを飲んでいた。
今日一日の礼と、今後の親睦のためにとジェイスが「一杯奢らせてくれ」と言ったのである。
ジェイスの背中を見ていたカズミが炭酸で小さくゲップをした後、ふと瓶へ目を落とし何かを思いついたように彼へ訊ねた。
「ジェイスさん」
「ん~?」
書きごとに集中しているので、ジェイスの返事は酷く間延びしたものだった。
「ジェイスさんって、お酒、弱いんですか?」
思わず、書く手を止めてしまうジェイス。カズミの声に悪意や嘲りの色は無かった。しかし、自身のトラウマと密接に関わっている以上、迂闊なことは言いたくなかったのだ。彼は過去を秘密にしている訳ではないが、話たがりでもない。
親しい仲でジェイスの過去を知っているのは、それこそダッチ大佐ぐらいなものだ。
「……弱いんだ。ビール一杯で倒れてしまう」
ジェイスは適当に嘘をついた。弱いどころか、一滴もアルコールを口にしたことが無いので耐性の強弱は判断できていないしする気もない。
「テキサス産まれなのに、弱いんですね。ちょっと意外です」
「南部の男が、全員、ウイスキー好きって訳じゃないよ」
冷や汗を内心に押し込め、困ったような苦笑を浮かべてみせる。しかし、内心の焦りからまだ長かった煙草を消してしまう。
取調室でフィルターギリギリまで吸っていたのを目撃していたカズミは、それに疑問を覚えるも喫煙習慣が無いので「そういうものか」と片付けてしまう。
「『一杯奢らせてくれ』って言うから、てっきり下士官クラブのバーにでも連れていかれるかと」
冷静に考えれば、その誘い文句で自販機に直行する方がおかしいとジェイスは納得した。悪意が無いのは分かっていたので、それがカズミの真意なのだと理解する。
「酒の方がよかったかな」
「ああ、いや。私も、飲めなくはないですけど、苦手で」
カズミは恥ずかしそうに肩をすくめる。
「だから、コーラで安心しました」
「そりゃあよかった、仕事一筋でこの手の誘いの正解がよく分からなくてね」
「でも、私と一緒に街歩き出来てたじゃないですか。だから、もう少し遊んでるものかと思ってましたけど」
「まさか。この年で、未だに嫁さんもいない男だ。遊びとは一切無縁だ」
「それも意外ですね。ジェイスさんくらい優秀で年頃なら、遊びはともかく、上官からお見合いの一つや二つは持ち掛けられそうなものですけど」
カズミの指摘は鋭い。実際、ダッチではない他の上官であるが見合いの話を持ち掛けられたことが何度かあるが、ジェイスはその度に断ってきたのである。時に「俺の娘がブサイクだとでも言うのか!」と怒り出す者もいたが、彼はかたくなであった。そうしているうちに、見合い話は舞い込んでこなくなった。
いくら酒を断ち、内なる恐怖に怯え銃を持とうとジェイスは姉の様に所帯を持つことは考えられなかったのだ。
彼の姉の場合、まだ壊れていない父を知っており幸せな家庭のビジョンを描けたので、それを目標として動けたのが大きい。
だが、ジェイスは壊れている父親しか知らず、幸せな家庭など人の話やテレビの中にしか存在しないと幼少の頃に思ってしまった。目指すべき指標はなく、幸せな家庭像に自分を当てはめることも出来ない。また、彼が男というのも心理に大きく影響していた。
男は結婚すれば夫、子供が出来れば父となる。至極当たり前のことであるが、ジェイスからすれば夫で父は一人しか思い浮かばない。
自分もいつか、ああなってしまうのではないか。そんな不安から、結婚から女性付き合いに至るまでを出来るだけ遠ざけてきたのである。
「……仕事一筋だから、結婚相手には向かないと思われたんだろう。誰だって、花嫁を幸せに出来る人間とくっつけたいはず。仕事ばかりで家庭を顧みない、いくら稼いでてもそんな男は嫌だろ?」
ジェイスの言葉にカズミは頷く。しかし、こうも言う。
「でも、ジェイスさんは、いい夫でいいパパになると思いますけど」
皮肉でもなんでもない、まっすぐな言葉だ。でも、ジェイスにとっては呪いの言葉にも等しい。
「……そうかな」
返す言葉は弱々しい。
「そうですよ。優しいし、仕事も出来るし、気遣いも出来て、おまけに強い。完璧です」
喉から「何も知らないくせに」と飛び出しそうになるのをなんとか止め、ジェイスは質問のボールを投げ返す。
「そういうカズミはどうなんだい? 君みたいな女性、ほっとく男はいないと思うけど」
ジェイスの言葉に、カズミの笑顔が一瞬固まった。また何かデリケートなところに触れたかとジェイスは身構えるも、彼女は眼鏡を直す仕草をしてからややオーバーに照れの反応を示した。
「やだもー。ジェイスさんったら、お世辞が上手いんですから」
「そうかな。まだ若いのに、立派にやってるんだからもう少し誇ってもいいとは思うけど」
「いやいや、自分なんてまだまだです。今日一日、ジェイスさんの動きを見て、更にそう思いましたよ」
「いやいやいや、その年でそれなら十二分さ。自分をそう卑下するもんじゃないぞ」
「……そう、ですかね」
「そうだよ」
デジャヴを覚えるやり取りに、二人は笑いあった。笑い方こそ双方とも快活であったが、双方とも空元気であるように見える。
それから少しして、二人は別れた。カズミは自分の部屋に帰っていき、ジェイスはシャワーを浴びてから肌着とパンツ一丁で簡易ベッドの上に寝転がる。薄い毛布を腹にかけ、冷やさないようにした。枕元にGIコルトが収まったホルスターを置いておくのも忘れない。
電気を消しても、窓の外からの光で部屋は完全に真っ暗にはならなかった。
薄暗がりの中、ジェイスは机の上に置かれたコーラ瓶を見た。
(……カズミ・レイ上等兵、か)
ふと目を閉じると、サマーワンピース姿の彼女が瞼の裏に映る。
憲兵として優秀であり、人当たりも良く、上役である自分にも卑屈でも従順でもない態度で接する。
これが今日一日を経て抱いた、ジェイスのカズミに対する印象である。
(良い奴だ。……良い奴過ぎて、少し怖いな)
そんなことを思うも、旅の疲れから深く考えることなく、彼はすぐ眠りに落ちた。




