表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『髪を変えたら、人生が追いついてきた件。 〜どんな絶望も似合う髪にしてみせます〜』社会人編  作者: talina
カルテ⑩市役所職員

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

70/70

第70話 「等価交換」

 美容室の奥にある照明は、夜になると、少し色が変わる。


 昼間よりも、柔らかく。


 現実と、どこか違う色。


 佐倉美桜は、その光の中に立っていた。


「……ここ、初めて入りました」


 施術用の椅子ではなく、小さな丸椅子。


 鏡はない。


 代わりに、壁一面が、淡く反射する素材で覆われている。


「本当は、見せるつもりはなかったんです」


 美容師は、静かに言った。


 声は、疲れている。


 けれど、逃げてはいない。


「でも……もう、気づいてしまいましたよね」


 美桜は、小さく頷いた。


「私が変わった理由」


「ええ」


 美容師は、息を整えるように、一拍置く。



「この店は――“整える”場所です」


 それは、当たり前の言葉。


 でも。


 ここで言われると、意味が違って聞こえる。


「髪だけじゃない」


「……分かってます」


 美桜の声は、震えていなかった。


「私の“輪郭”ですよね」


 美容師は、一瞬だけ、目を閉じた。


「望みが、はっきりしている人ほど、引き出せるものが多い」


「その代わりに?」


「……均衡が、必要になります」



 美容師は、古いノートを差し出した。


 中には、短い言葉が並んでいる。


【自分で望んだ変化ほど、代償は重い】

【奪われるのは“時間”か“役割”】

【均衡は、必ず取られる】


「私の場合は、“時間”でした」


 静かな告白。


「気づいたら、一日が短くなっていた」


「……老けた、とかじゃなくて?」


「ええ。生きている感覚が、薄くなる」


 美桜の喉が、小さく鳴った。


「じゃあ……私は?」


 美容師は、すぐに答えなかった。


 代わりに、美桜の正面に立つ。


「佐倉さんは――“迷い”を、差し出しています」



「迷い……?」


「本来なら、あなたはもっと、立ち止まる人だった」


 美桜は、言葉を失う。


 ――その通りだ。


「不安になって、考えて、自分を疑って」


「……それが、普通だと思ってました」


「でも今は」


 美容師は、美桜を真っ直ぐ見る。


「決断が、早すぎる」


 胸が、痛んだ。


「それは、強さでもあります」


「でも同時に、“人間らしさ”でもある」


 美桜は、拳を握った。


「じゃあ……私は、もう戻れないんですか」



 美容師は、首を横に振った。


「戻ることは、できます」


 その言葉に、希望が灯る。


 けれど。


「ただし」


 次の言葉が、重い。


「均衡を、取り直す必要があります」


「どうやって?」


「――自分で、望むんです」



「他人から、与えられる変化じゃなく」


「自分で、選び直す」


「迷うことを、恐れない」


 美容師の声は、少しずつ、弱くなっていく。


「その間、私は……」


 言葉が、続かない。


「あなたが、削られますか」


 美桜は、はっきり言った。


 美容師は、苦く笑った。


「それが、私の役目ですから」



 沈黙。


 美桜は、ゆっくりと息を吸う。


「……私、すぐには答えを出せません」


「それでいいんです」


「でも」


 美桜は、顔を上げる。


「これ以上、無自覚には、なりたくない」


 美容師は、初めて、心から微笑んだ。


「それが、一番大事です」



 店を出る。


 夜の空気は、澄んでいる。


 世界は、何も変わっていない。


 でも。


 佐倉美桜は、知ってしまった。


 幸福には、形があること。


 奇跡には、重さがあること。


 そして。


 選ぶという行為こそが、人を“人”にすること。


 ――次は、私の番だ。


 その覚悟だけを胸に、美桜は、夜道を歩いていった。



                第10カルテ編・完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ