表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『髪を変えたら、人生が追いついてきた件。 〜どんな絶望も似合う髪にしてみせます〜』社会人編  作者: talina
カルテ⑩市役所職員

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

69/70

第69話 「望みの正体」

 その違和感は、朝の窓口で、突然やってきた。


「佐倉さん」


 名前を呼ばれる。


 以前なら、それだけで背筋が少し固くなった。


 でも今は、違う。


「はい」


 声が、自然に前へ出る。


 その瞬間――

 背後のガラスに映った自分の姿を、美桜は見てしまった。


 ――誰?


 一瞬、本気でそう思った。


 姿形は、自分だ。


 でも。


 立ち方が違う。

 目線の高さが違う。

 “場を支配する側”の空気を纏っている。


 周囲の人間が、無意識に一歩、間合いを取っている。


 ――私、こんなふうだった?


 胸が、静かにざわつく。



「説明が、分かりやすいですね」


 対応を終えた後、年配の男性がそう言った。


「あなたが担当で助かりました」


 まただ。


 感謝の言葉。


 以前なら、どこか現実味のないものだった。


 でも今は。


 相手の声色に、“信頼”が混じっているのが分かる。


 ――私が変わったから?


 それとも。



 昼休み。


 窓際の席。


 ガラスに映る自分を、改めて見る。


 髪は、完璧に整っている。


 でも、それだけじゃない。


 表情が、迷っていない。


 決断を、恐れていない顔。


 ――望んでた?


 ふと、胸に問いが落ちる。


 自信が欲しかった。

 軽く扱われたくなかった。

 ちゃんと、見てほしかった。


 それは、確かに“望み”だった。


 でも。


 ここまで、だっただろうか。



 その夜。


 美桜は、美容室の前に立っていた。


 今日は、予約はない。


 それでも。


 どうしても、確かめたいことがあった。


 扉を開ける。


 控えめな音。


「……いらっしゃいませ」


 美容師の声が、少しだけ、遅れて届く。


 カウンターの奥。


 彼女は、以前よりも、明らかに疲れていた。


 顔色が、悪い。


「今日は、予約じゃないんですけど」


「……大丈夫です」


 そう言いながら、美容師は、ほんの一瞬だけ、視線を逸らした。



 椅子に座る。


 鏡の前。


 沈黙が、いつもより重い。


「……私」


 美桜は、意を決して口を開いた。


「変わりましたか?」


 美容師の手が、一瞬、止まる。


 ほんの一瞬。


 でも、見逃せなかった。


「変わった、と思います」


 慎重な答え。


「それは……良い変化、ですか」


 問いは、自分に向いていた。


 美容師は、鏡越しに美桜を見た。


 その目に、迷いがある。


「……佐倉さんは、ちゃんと望みを持っていました」


 選ぶ言葉が、遅い。


「だから、形になった」


「じゃあ……」


 美桜の喉が、少しだけ詰まる。


「その代わりに、何か、失われてますか」


 空気が、止まった。



 美容師は、答えなかった。


 代わりに。


 そっと、自分の手を見せた。


 指先。


 かすかに、震えている。


「……すべての“整え”には、均衡があります」


 低い声。


「それだけです」


 それ以上、語らなかった。



 帰り道。


 夜風が、やけに冷たい。


 美桜の胸に、答えは、もうあった。


 ――私の望みは、誰かから“持ってきた”ものだ。


 それが、善意であっても。


 奇跡であっても。


 代償が、ないはずがない。



 自室。


 鏡の前に立つ。


 美しい。


 確かに。


 でも。


 その美しさの奥に、見えない“線”が走っている。


 越えてしまった線。


 戻れない線。


「……私、どうしたいんだろう」


 初めて。


 その問いが、はっきりと、自分に向いた。


 望みは、叶った。


 では、これからは?


 その答えを、まだ、知らないまま。


 美桜は、鏡の前で、静かに立ち尽くしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ