第67話 「憧れられる側の孤独」
窓口に立つと、視線の質が、少し変わった。
佐倉美桜は、それに気づいていた。
露骨ではない。
でも、確かにある。
新人職員たちの、一瞬だけ伸びる背筋。
声をかける前の、小さなためらい。
――前は、なかった。
「佐倉さん、この場合って……」
質問は、増えた。
しかも、“確認”ではない。
“頼り”の形をしている。
「こうすると、後が楽ですよ」
美桜は、端的に答える。
余計な感情を挟まない。
それなのに。
「ありがとうございます!」
「助かりました!」
返ってくる反応は、以前よりも明るい。
――同じことを言っているはずなのに。
その違いが、少しだけ、不思議だった。
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昼休み。
職員食堂。
いつもの端の席に座ろうとして、足が止まる。
「あ、佐倉さん。よかったら一緒にどうですか?」
新人の女性職員が、控えめに手を振っていた。
一瞬、断ろうとした。
今まで通りでいい。
無理をする必要はない。
でも。
「……お願いします」
口から、自然に言葉が出た。
自分でも、少し驚く。
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会話は、取り留めもない。
仕事のこと。
通勤のこと。
誰も、踏み込みすぎない。
それが、心地よかった。
「佐倉さんって、落ち着いてますよね」
ふと、言われる。
「え?」
「なんか……ちゃんとしてる感じがします」
褒め言葉だと、分かっている。
でも。
胸の奥で、小さな引っかかりが生まれた。
――ちゃんとしてる。
それは、昔から言われてきた言葉だ。
褒められているのに、距離を作られる言葉。
でも今は。
その言葉に、“憧れ”が混じっている。
美桜は、静かに笑った。
「そう見えるだけですよ」
それ以上、何も足さなかった。
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午後。
窓口に立つ。
男性客が、書類を差し出しながら言った。
「あなたでよかった」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
「前の人じゃ、話が通じなくてね」
悪気のない言い方。
でも。
美桜の胸に、ちくりと刺さる。
――比較されている。
今度は、“良い方”として。
「ありがとうございます」
そう答えながら、心のどこかが、少し冷えた。
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帰り道。
美容室の前で、足が止まる。
今日は、予約はない。
でも。
中の明かりが、ついている。
ガラス越しに見える店内。
美容師は、一人で、片付けをしていた。
背中が、妙に小さく見える。
――こんなに、細かっただろうか。
美桜は、自分の胸元に視線を落とす。
整えられた髪。
すっと通った首筋。
最近、鏡を見るたびに感じる違和感。
綺麗になっている。
確かに。
でも。
それは、“誰かから渡されている”ものではないのか。
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その夜。
スマートフォンに、メッセージが届く。
【佐倉さんみたいになりたいです】
新人からだった。
悪気は、ない。
純粋な言葉だ。
でも。
美桜は、すぐに返事ができなかった。
――なりたい、って。
自分は、どこへ向かっているのだろう。
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ベッドに横になり、天井を見る。
美容師の手。
鏡の中の自分。
少しずつ、“別人”になっていく感覚。
それは、怖くない。
むしろ、心地いい。
でも。
その代償を、誰が払っているのか。
その答えに、まだ、触れたくなかった。
だから。
美桜は、目を閉じた。
整えられた幸福の、奥にある影から、少しだけ、目を逸らして。




