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『髪を変えたら、人生が追いついてきた件。 〜どんな絶望も似合う髪にしてみせます〜』社会人編  作者: talina
カルテ⑩市役所職員

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第58話 「揺り戻し」

 翌日。


 目覚ましが鳴る前に、佐倉美桜は目を覚ました。


 胸の奥が、少しだけ、ざわついている。


 理由は、はっきりしていた。


 ――昨日は、うまくいきすぎた。


 洗面所の鏡を見る。


 髪は、昨日整えたまま。


 輪郭も、表情も、悪くない。


 なのに。


 「また戻るんじゃないか」


 そんな不安が、ふと、浮かぶ。


 市役所。


 窓口に立つと、いつもの空気が戻ってくる。


「次の方、どうぞ」


 声は、落ち着いている。


 でも、午前中、一件目の対応で、小さな違和感があった。


「それ、昨日も聞いたんだけど?」


 年配の男性が、少し苛立った様子で言う。


「……失礼しました」


 説明を続ける。


 間違っていない。

 対応も、いつも通り。


 なのに。


 男性は、最後まで、不満そうだった。


 ――あれ?


 心臓が、少しだけ、速くなる。


 続く窓口でも、同じ感覚があった。


 感謝されない。

 否定もされない。


 ただ、“普通”。


 昨日までの流れが、急に、遠く感じる。


 昼休み。


 職員食堂で、一人、席に座る。


 箸が、あまり進まない。


 ――やっぱり、一時的なものだったのか。


 そんな考えが、頭をもたげる。


 その時。


「佐倉さん」


 声がした。


 顔を上げると、昨日相談してきた職員が立っている。


「さっきの件、助かりました」


「……いえ」


「説明、すごく分かりやすかったです」


 それだけ言って、去っていった。


 美桜は、箸を止めたまま、しばらく動けなかった。


 ――消えてない。


 ――ちゃんと、残ってる。


 午後。


 一件、少し難しい相談が入る。


 感情的になりやすい内容だ。


 美桜は、深呼吸してから、ゆっくり話し始めた。


 焦らない。

 抑えない。

 でも、逃げない。


 相談者の声が、徐々に落ち着いていく。


「……そういうことなら、分かりました」


 最後に、そう言われた。


 胸の奥が、静かに、ほどける。


 定時。


 外に出ると、夕方の空が、薄く色づいていた。


 美容室の前を通る。


 今日は、入らない。


 代わりに、ガラス越しに、一瞬だけ、自分の姿を見る。


 ――崩れてない。


 完璧じゃない。

 魔法みたいでもない。


 でも。


 戻っても、また整えられる。


 それを、もう知っている。


 家に帰り、ベッドに座る。


 スマートフォンが震える。


 美容室からの、次回確認の通知。


 美桜は、少し迷ってから、指を動かした。


 予約確定。


 画面を伏せ、小さく息を吐く。


 ――揺り戻しは、ある。


 でも。


 それは、終わりじゃない。


 美桜は、静かに目を閉じた。


 明日も、ちゃんと、名前を持って生きる。

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