第52話 「近づく人、離れる人」
朝、ロッカー室の空気が、少しだけ張りつめていた。
「……おはようございます」
佐倉美桜が挨拶をすると、数人の女性職員が、一拍遅れて返す。
声は、ちゃんとある。
でも、温度が違う。
誰かが、視線を逸らす。
誰かが、美桜を一度見てから、無言で鏡に向き直る。
――昨日までと、同じ場所。
なのに、立ち位置が変わったような感覚。
窓口に立つと、女性の来庁者が、少し戸惑ったように言う。
「……あの、今日は女性の方で……」
「はい。私が対応します」
「……あ、じゃあ……」
一瞬の間。
何を躊躇したのか、本人も分かっていない。
結局、そのまま手続きを進める。
対応は、問題なく終わった。
「ありがとうございました」
そう言われても、表情は、どこか硬い。
昼休み。
いつもの席に向かうと、先客がいた。
別の席へ移動しようとすると、遠くから声がかかる。
「佐倉さん、こっち空いてます」
声の主は、若手の女性職員だった。
少し控えめで、今まで、あまり話したことがない。
「……ありがとうございます」
向かいに座ると、彼女は、少し緊張した様子で言った。
「最近……大変じゃないですか?」
「いえ……特には」
「……でも、人、集まりますよね」
その言葉に、悪意はない。
ただ、距離を測っている。
「私、佐倉さんの窓口、安心します」
少しだけ、声を落として言う。
「ありがとうございます」
それは、救いの言葉だった。
午後。
女性の来庁者が、美桜をじっと見てから、ふっと息を吐いた。
「……綺麗ですね」
突然の言葉。
「え……」
「いえ、なんでもないです」
照れ隠しのように笑って、書類を出す。
嫉妬でも、嫌味でもない。
ただ、認識された事実。
定時。
同僚たちが、自然とグループで帰る中、美桜は一人、少し遅れて職場を出た。
孤独。
それは、前からあった。
でも、今は、質が違う。
――離れる人が、見えるようになった。
駅までの道。
街のガラスに映る自分は、やはり、綺麗だった。
嬉しい。
でも、それだけじゃない。
誰かから、遠巻きにされる感覚が、胸に残る。
家に帰り、靴を脱ぐ。
静かな部屋。
ソファに座り、深く息を吐く。
「……独りだ」
呟いて、すぐに首を振る。
違う。
独りじゃない。
自分が、自分と一緒にいる。
それを、今までしてこなかっただけだ。
スマートフォンが鳴る。
美容室からの通知。
『明日のご来店、お待ちしております』
短い文。
それだけで、胸が、すっと軽くなる。
そこでは、羨まれない。
競われない。
ただ、座っていられる。
佐倉美桜は、静かに目を閉じた。
美しくなることは、孤立することじゃない。
選ばれることは、奪うことじゃない。
その答えを、まだ知らない人がいるだけだ。
明日、また整える。
それでいい。




