第43話 「選ばれる理由」
その美容室は、駅から少し外れた場所にあった。
神谷光一は、店の前で美容師とのやり取りを思い出していた。
「……髪、ですか?」
「はい」
美容師は、穏やかに微笑った。
「神谷さんは、説明がとても丁寧ですね」
「それは……仕事なので」
「でも、“伝わる丁寧さ”ではないみたいです」
胸に、小さな針が刺さる。
図星だった。
「神谷さんの言葉は、正しいです」
「理論も、安全性も、すべて完璧」
「ただ――」
美容師は、ハサミを止めた。
「最初に来る人は、安心したいんです」
「凄くなりたい前に、怖くないと思いたい」
神谷は、黙って聞いていた。
「髪型って、第一印象の“入り口”なんです」
「運動も、同じですよね」
その言葉が、ゆっくりと、腹に落ちていった。
仕上がった鏡の中。
そこにいたのは、いつもの神谷だった。
ただ――
違った。
硬さが、抜けている。
怖くない。
次の日。
フロントに立った瞬間、空気が変わった。
「あれ?」
「店長、雰囲気変わりました?」
スタッフの声。
神谷は、軽く笑った。
「そうですか?」
スタジオ。
神谷のクラス。
いつもより、人が多い。
しかも。
初心者ばかり。
「今日は、“できなくていい日”です」
その一言で、場が和んだ。
「運動って、続いた人が勝ちですから」
笑いが起きる。
終わった後。
「楽しかったです」
「思ったより、怖くなかった」
「来週も、来ます」
その言葉が、重なっていく。
一週間後。
数字が、はっきり動いた。
初心者入会数、増加。
3か月継続率、過去最高。
本社から、連絡が入る。
「神谷さん」
「はい」
「◯◯店、モデル店舗として見学依頼が来てます」
神谷は、一瞬、言葉を失った。
そして、小さく頷いた。
「……わかりました」
夜。
スタジオの灯りが、一つずつ消える。
神谷は、誰もいないフロアを見渡した。
人気じゃない。
派手さでもない。
ここは、戻って来られる場所。
その価値が、ようやく、伝わり始めていた。




