第40話 「変わらない朝」
その朝、理人は目覚ましより早く起きた。
窓の外は、まだ暗い。
だが、不思議と不安はない。
店に着くと、灯りを点け、コーヒー豆を挽く。
この音。
この香り。
何も、変わっていない。
六時前。
ドアの外に、人影がある。
まだ開店前だ。
「……?」
理人が近づくと、三人。
スーツ姿。
スマホを見ながら、
静かに待っている。
「……お待たせしました」
予定より、少し早く、鍵を開けた。
「ありがとうございます」
それだけ言って、皆、席に着く。
六時。
すぐに満席。
常連も、新規も、区別はない。
同じ朝を、共有している。
コーヒーを出しながら、理人は思う。
忙しい。
だが、追われていない。
七時。
常連の老人が、カウンター越しに言った。
「変わらん味だな」
「はい」
「……それがいい」
理人は、小さく頷いた。
八時。
店内は、相変わらず静かだ。
でも、人は多い。
誰も、急かさない。
誰も、居心地を壊さない。
九時。
最後の客が出る。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
ドアが閉まり、鍵をかける。
椅子に腰を下ろすと、ふっと力が抜けた。
売上表を見る。
数字は、もう驚くほどじゃない。
“当たり前に、良い”
その領域に、入っていた。
理人は、店内を見渡す。
古い椅子。
傷のついたカウンター。
変わらない景色。
それでも。
ここは、もう“選ばれる場所”だ。
あの美容師の顔が、浮かぶ。
何も、壊さなかった。
何も、増やしすぎなかった。
ただ、自分を、正しい場所に戻しただけ。
理人は、エプロンを畳んだ。
明日も、同じ朝を迎える。
だが、同じじゃない。
この朝は、ちゃんと、続いていく。
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第8カルテ編・完結




