第39話 「朝を、選ばれる理由」
その日、理人は少し早く店を開けた。
理由は、特別なものじゃない。
ただ、最近、自然とそうなっていた。
六時。
ドアを開けて、看板を出す。
すぐに、ベルが鳴った。
「おはようございます」
昨日、写真を撮っていた女性だった。
「今日は、少し早く来ました」
「ありがとうございます」
声が、以前より、柔らかい。
自分でも、そう感じる。
七時。
初めて見る顔が、二人続けて入ってきた。
「SNSで見て」
「朝が落ち着くって」
それだけで、説明は終わる。
モーニングを出す。
トーストの焼き色。
半熟のゆで卵。
コーヒーの香り。
変えていない。
でも――
伝わり方が違う。
「……写真、撮っていいですか?」
「どうぞ」
今度は、迷わなかった。
カシャ、カシャ。
朝の音に、シャッター音が混ざる。
常連の老人が、その様子を見て、少しだけ笑った。
「賑やかになったな」
「うるさくは、ないですね」
「そうだな」
それでいい。
理人は、そう思った。
八時。
満席。
立って待つ客が、一人。
「……すみません」
理人が言うと、その人は首を振った。
「待ちます」
“待つ価値がある”
そう言われた気がして、胸が、少し熱くなる。
九時。
閉店。
売上を確認する。
数字が、はっきり違う。
「……こんな朝、あったかな」
椅子に腰を下ろし、コーヒーを一口。
静かだ。
でも、空っぽじゃない。
スマホを見る。
通知が増えている。
――「朝が好きになる店」
――「仕事前に寄りたい場所」
――「店主さんが優しそう」
最後の一文で、理人は手を止めた。
自分のことを、そう言われたのは、初めてだった。
ふと、あの美容室の鏡を思い出す。
変わったのは、髪だけじゃない。
“迎える側の顔”だ。
理人は、エプロンを外し、深く息を吸った。
この朝は、偶然じゃない。
選ばれている。
確かに。




