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『髪を変えたら、人生が追いついてきた件。 〜どんな絶望も似合う髪にしてみせます〜』  作者: talina
カルテ⑥保険外交員

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第28話 「少しだけ違う顔」

 翌朝、結城里穂は、いつもより五分遅く家を出た。


 理由はない。

 寝坊したわけでもない。


 ただ、急ぐ必要がない気がした。


 駅のホームで、ガラスに映る自分を見る。


 髪は、昨日とほとんど変わらない。


 それなのに、どこか落ち着いて見えた。


「……まあ、いいか」


 それだけ呟いて、視線を外す。


 支店に着く。


 朝礼の前の、あの独特の空気。


 数字の話。

 目標の話。

 達成率の話。


 里穂は、背筋を伸ばしながら、ふと気づいた。


 ――笑っていない。


 いつもなら、誰かと目が合うたびに、条件反射で口角を上げていた。


 今日は、それをしていなかった。


「結城さん、今日、静かだね」


 隣の同僚が、小声で言う。


「そう?」


 自分では、分からなかった。


「うん。でも、なんか変じゃない」


 褒められているのか、心配されているのか、判断がつかない。


 午前中。

 一件目の訪問。


 高齢の男性客だった。


 資料を広げ、説明を始める。


 内容は、いつもと同じ。


 言葉も、間も、大きくは変えていない。


 でも。


 途中で、無理に笑うのをやめた。


「分からないところがあったら、止めてください」


 それだけ言う。


 男性は、一瞬驚いた顔をしてから、ゆっくり頷いた。


「……実は、ここがな」


 初めて、細かい質問が返ってくる。


 里穂は、きちんと答えた。


 売り込まない。

 急かさない。


 結果。


「今日は、契約はしない」


 そう言われた。


 ――失敗だ。


 いつもなら、そう判断していた。


 でも、不思議と、胸はざわつかなかった。


「分かりました」


 自然に、そう言えた。


 帰り際、男性が言う。


「今日は、話しやすかったよ」


 その一言が、妙に残る。


 支店に戻ると、上司が声をかけてきた。


「結城、午前どうだった?」


「……契約は、取れてません」


 叱られる覚悟で、正直に答える。


「そうか」


 それだけだった。


 拍子抜けする。


 昼休み、一人で弁当を食べながら、里穂は考える。


 笑顔を減らした。

 数字は減った。


 でも。


 誰かと、ちゃんと話せた。


 その感覚が、昨日の美容室の空気と、重なる。


 夕方、別の客から、一本の電話が入る。


「昨日の説明、もう一度聞きたい」


 理由は、それだけ。


 里穂は、小さく息を吸った。


 ――全部、間違ってたわけじゃない。


 帰り道、駅のガラスに映る自分を見る。


 今日も、派手な変化はない。


 それでも。


 笑顔の置き場所が、少しだけ変わった。


 無理に貼り付けるものではなく、必要な時に、出せばいいもの。


 そう思えただけで、仕事の重さが、ほんの少し軽くなる。


 里穂は、明日の予定を確認しながら、歩き出した。

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