第20話 「伝わる、ということ」
朝の廊下は、いつも通りの音で満ちていた。
走る足音。
笑い声。
少しの注意。
白石真帆は、その中を歩く。
以前より、少しだけ視線を感じた。
それは、見られている、というより、意識されているという感覚だった。
「先生」
後ろから、声がかかる。
振り返ると、低学年の子が、小さく手を振っていた。
「おはよう」
真帆は、自然に返した。
それだけで、子どもは満足そうに走っていく。
教室。
朝の会が始まる前、一人の男の子が、そっと近づいてきた。
「先生、昨日のところ、もう一回教えてほしい」
逃げない視線。
真帆は、頷いた。
「いいですよ」
言葉は短い。
でも、距離は近い。
授業。
発言の数は、劇的には増えない。
でも、沈黙が、重くない。
考える時間として、そこにある。
放課後。
教室を出ようとしたとき、一枚の紙が、机の上に置かれていた。
折りたたまれた、小さなメモ。
『せんせいへ、こわくないです。ちゃんとはなしてくれるから、すきです』
真帆は、しばらく、動けなかった。
胸の奥が、じんわりと温かい。
「好かれたい」
それが、目的ではなかった。
でも。
伝えようとしたことが、届いた。
それだけで、十分すぎた。
帰り道。
あの美容室の前を、通り過ぎる。
今日は、入らない。
変わるためじゃない。
整えるためでもない。
もう、ここに来た理由は、果たされた。
夕暮れの中、真帆は歩く。
髪は、静かに揺れる。
中身は、何も変わっていない。
でも。
伝わる形に、なった。
それで、十分だった。
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第4カルテ編・完




