第18話 「好かれたい、わけじゃない」
美容室の中は、思っていたより静かだった。
音楽は小さく、人の声も、控えめ。
「いらっしゃいませ」
柔らかな声。
白石真帆は、少しだけ肩を強張らせたまま、椅子に座った。
「今日は、どうされますか?」
「……」
すぐに答えが出なかった。
髪を切りたいわけじゃない。
染めたいわけでもない。
ただ――
ここに来てしまった。
「変えたい、です」
絞り出すように言う。
「でも……派手にはしたくなくて」
「はい」
美容師は、否定も、驚きもしなかった。
鏡越しに、真帆の目を見る。
「理由、聞いてもいいですか」
少しだけ、迷う。
でも、ここでは嘘をつく気にならなかった。
「……小学校で、先生をしています」
「そうなんですね」
「真面目だとは、思っています」
言いながら、自分で自分を確認する。
「でも、子どもに好かれません」
言葉にした瞬間、胸が、きゅっと縮む。
「怖い、近寄りにくい、そう言われます」
美容師は、黙って聞いていた。
急かさない。
結論も言わない。
「好かれたい、わけじゃないんです」
真帆は、少し強く言った。
「ただ……伝えたいだけで」
子どもたちに。
大事なことを。
「将来、困らないように」
声が、少し震える。
「でも、伝わっていない」
美容師は、真帆の髪に、そっと触れた。
「先生」
初めて、そう呼ばれる。
「真面目な方ほど、“隙”が少ないこと、多いんです」
真帆は、顔を上げた。
「隙……ですか」
「はい」
否定ではなかった。
「悪い意味じゃありません。安心する“余白”が、見えにくいだけ」
鏡の中の自分を見る。
きっちりまとめた髪。
乱れのない前髪。
無意識に、“近づかせない”形を作っていたのかもしれない。
「先生の中身は、変えなくていいと思います」
その言葉に、胸が、少し熱くなる。
「外側だけ、少し緩めましょう」
真帆は、ゆっくりと頷いた。
「……お願いします」
カットが始まる。
髪が落ちる音が、やけに大きく聞こえた。
整えられていくのは、形だけのはずなのに。
何かが、少しずつほどけていく。
「完成です」
鏡に映った自分を見て、真帆は、息を止めた。
柔らかい。
変わりすぎていない。
でも、近寄れそうな感じがする。
「……私、こんな顔だったんですね」
思わず、そんな言葉が漏れた。
美容師は、小さく笑った。
「元々ですよ」
真帆は、少しだけ、肩の力を抜いた。
外に出ると、夕方の光が、優しく差していた。
好かれたいわけじゃない。
でも。
伝わる可能性が、ほんの少しでも増えるなら。
それで、十分だった。




