実母ってめんどくさい。
私の実家は家から高速使って1時間くらいのところにある。
同じ県内だが、少し離れた市なのと市の中でもとても田舎にある。
近くのコンビニは車で20分くらいかかる。
結婚するまで実家暮らしだった私はずっと反抗期だった。
田舎ってのも嫌だった。
どこに住んでるのか聞かれて答えると必ずバカにされていた。
しかも同じ市内でも土地を知らない人もいた。
携帯の電波の入りも悪かった。
家も古くて嫌だった。
そんな色々が重なり、絶対に家を出るって決めてた。
でもそんな勇気も金銭的余裕もなかった。
高校卒業してすぐに市内の会社に勤めた。
高卒の会社員なんて給料はしれてて、自分の車のローン代や
遊ぶお金ですぐに無くなっていった。
だから嫌だったけど、実家に頼ってた。
「稼ぐようになったら家にお金入れるから」
とかかっこよく言ってたけど、
親不孝な娘はすぐにお金を家に入れなくなった。
その上態度も悪くて、口も聞かない。
休日はいつも家にいない。朝、出勤して帰ってくるのはいつも夜中とか。
親に黙って仕事終わりにスナックでバイトもしていた。
スナックで稼いだお金も飲み代に消えたり、仲のいい先輩と毎年沖縄旅行に行ってたから
その旅行代としてすぐに消えた。
今考えると親からしたら、私は何をしていてるのかわかない状態だったろうな。
ずっと心配だったんじゃなかろうか。
今の旦那からプロポーズを受けてすぐに両家の顔合わせをした。
その後に私の妊娠がわかった。
両家の両親の反応はいまいち覚えてないけど、悪くはなかったと思う。
なにより、私は実家から出れることが嬉しくて
妊娠なんて気にせずに家を出る準備をしていた。
母から「手伝おうか?」と言われたけど、
構ってほしくなかった私は「手伝わなくていい」と言い、
一人で荷物を詰めて自分の車に乗せた。
荷物は自分の車に乗る分だけで済んだ。
家を出る時に「おせわになりました」と言った。
母はものすごく寂しそうな顔していたのを覚えてる。
でも私がいない生活なんてすぐに慣れるでしょ。
しかも一緒に住んでても私はほとんど家にいなかったんだし。
って軽い気持ちだった。
今の旦那の狭いアパート暮らしで生活が始まった。
仕事は辞めてなかったから毎日高速使って往復していた。
ガソリン代は支給されるけど、上限1万だし
高速代なんて出るわけなかったから給料出ても少ししか手元に残らなかっった。
ある時、少し下着に血がついていた。
ゾッとした。
でもよくSNSとかで着床出血とかで稀に血が出ることがあるって書いてたから
大丈夫でしょ。って自分に言い聞かせていた。
大丈夫って信じたくて、誰にも言えなかった。
でも血はどんどん増えていった。
すぐに病院にいったけど、もうその時にはお腹の中の赤ちゃんは動いていなかった。
でももしかしたらまだ大丈夫かも。とかよくわかない期待をして
処方された痛み止めも飲まずに痛みに耐えてた。
でもやっぱりダメだった。
泣いても泣いても辛かった。
友達から言われる「赤ちゃんかわいそう」が死ぬほど辛かった。
母親からは電話がかかってきた
「大丈夫?妊娠したばかりなのに家出たから心配だったんだよ。
実はね、お母さんも二度流産してるんよ。
一人目の時はね、お母さん麻疹に罹ってしまってやむおえず堕胎したの。
二人目は自然と。だったけどね。だから辛い気持ちがすごくわかる。
誰も悪くない。まだ戻ってきてくれるよ。
だってお母さんの時もお兄ちゃんとあなたが戻ってきてくれたから。
今は体を休めなさい。辛かったら帰ってきていいんだよ」
と言ってくれた。
泣きすぎて頭痛いのに声を出して泣いた。
誰も悪くない。
一番言ってほしかった言葉だったのかもしれない。
私が家を出る時に寂しそうな顔をしていたのは
もしかして体が心配だったからなのかもしれない。
そうだよね
今考えればあんなに急いで家を出る必要なんてなかったんだよね。
その時に天国いった子が今の長女として戻ってきてくれた。
生まれたての長女を抱っこする母はとても幸せそうで柔らかい顔をしていた。
こんな顔、見たことあったかな。って思ったのを今でも覚えてる。
孫が一人、二人、三人と増え、その分母も歳をとった。
今でも現役で働いているけど、
何かあればすぐに飛んできてくれる。
私が仕事休めない時に子供が熱を出したら仕事を休んで朝早くから来てくれる。
実家に帰れば、孫たちと一生懸命遊んでくれて、ご飯も作ってくれて、
ゴロゴロしながらスマホあたってる私に文句も言わない。
ただただ、笑ってくれてる。
三女が生まれて2ヶ月くらい経ったある時、母が倒れた。
喘息持ちの母は肺炎になっていた。
少し前から体調が悪そうだった。
それでも私が生まれたばかりの三女がいながらの家事と長女と次女の育児が大変だからって、
仕事終わりに車で1時間かけてほぼ毎日手伝いに来てくれていた。
私は一瞬で自分を責めた。
「私のせいだ」と。
母はすぐに入院になった。
なんなら食道がんの可能性もあるとまで言われた。
しかも喘息持ちだから体内の酸素も薄くなって危険だった。
私はすぐにLINEで謝った。
「ごめんな、うちに毎日来てくれてたから疲れてたんだよね」と
すると母は
「違うよ、全然苦じゃなかった。
ただ人手不足で仕事がすごく忙しかった」と返信が来た。
それもあるかもしれないけど、
仕事終われば家に帰ってゆっくり休むことができとけば
こんなことにならなかったのかも。と自分を責め続けた。
食道がんの検査は少し時間がかかると言われて
結果が出るまで本当に不安な毎日だった。
ただ今は自分にできることをしようと思って
毎日病院に通った。
入院中にいるものとか、持っていった。
けど、まだコロナが少し流行ってたから面会も厳しかった。
子供は一緒に入れないから、三女をイトコに預けたり、叔母に預けて数分の面会にいった。
母の顔を見れば自分も少しは安心できるから。
入院中の母は鼻から酸素を入れていたけど少しキツそうだった。
話すのも苦しいからもうすぐ帰りなさいって言われた。
家で暮らす祖母と父の夜ご飯も毎日作って実家に持っていった。
母の代わりとしてできることはなんでもやりたかった。
母は三姉妹の長女だったので、父を婿養子にして
実家で暮らしていた。
義理の母と二人暮らしをするのも父は気まずかっただろう。
普段そんなに仲がいいわけでもない二人だから。
祖母は寂しがり屋なので母が心配で仕方なかった。
面会に行く前に実家に寄る時は
「婆ちゃん、お母さんの顔見ると絶対に泣いてしまうから面会には行かない。
でも寂しい。早く元気になって帰ってきてな。って伝えて」と目に涙いっぱい浮かべて私に言ってきた。
私も泣くの我慢していた分、涙腺が崩壊しそうだったけど
祖母には明るく接したくてぐっと我慢して「わかった!」だけ伝えて面会に言っていた。
父もとても寂しがり屋だ。
仕事終わりには毎日面会に行っていた。
病院の面会時間を過ぎていても無理を言って面会させてもらっていたらしい。
そこまで面会しなくていい!と母は怒っていたけど。
でも父も母と会うことで自分を安心させたかったんだと思う。
入院して一週間後くらいに癌の結果がわかった。
結果は癌じゃなかった。心の底から安堵した。
けどまだ肺炎が完全に治ってないから退院は一週間延びたけど
しっかり休んで欲しかったからよかった。
退院すればまた無理するだろうし。
無事に退院できて久々に会う3姉妹の孫の顔を見てすごく嬉しそうだった。
そんな顔を見た私が多分一番嬉しかったと思う。
元気そうに見えて歳は取るし、
気づかないうちに体も悪くなってたんだ。
認めたくないけど、母も歳と同時に老いてるんだと実感した。
三姉妹の世話もして、家事もして、仕事もして。
母のことも気にかけて。なんで私だけこんなにやることが多いんだろう。
本当めんどくさい。
歳をとっていく母はまたいつ倒れるかわからない。
母が今回倒れてから私の中で母はこんなに大切な存在なんだ。と実感した。
今までの反抗期を後悔した。親不孝な娘でごめん。
こんな私にも文句ひとつ言わずに私のことを応援してくれる母。今度は私が母を助ける番だね。




