第14話
父はパンを焼き、母は接客をする。二人の息は完璧といっていいほど合っている。
これが『夫婦』――これが『家族』なのだろう。マーシャ・レンデルにはそれが眩しく、羨ましく思えた。
パン屋を営むこの夫婦の元へ養子に来てから、ふた月が経過していた。
自分もいつか彼らのような『絆』を築くことが出来るのかどうか、『家族』になれるのか、心に根差した不安がいまだにマーシャを悩ませている。
これからずっと二人と長い時間を過ごしていく。いい加減に馴染まなければと焦るものの、内向的で受け身な性格のため思うようにいかない。
だがいつまでもそんな風ではいられない。自分も変わらなければいけない。
片隅に置かれたパンで詰まった紙袋を、ちらりと見る。マーシャが育った孤児院への差し入れとして用意されたものだが、客足が途絶えず二人ともなかなか手が空かない。
「あ、あの……」
勇気を出して、養父に声をかける。
「ん? どうしたんだい?」
忙しいにもかかわらず、養父は嫌な顔一つしない。その様子に、マーシャもほっとする。
「これ、わたし……も、持っていきます……」
と、紙袋を示す。養父は目を丸くして、
「一人で? しかしなぁ……」
気持ちはありがたいものの、危なくはないか心配しているのがありありと窺える。
「だ、大丈夫です……。わたし、手伝いたくて……」
何とか役に立たなければ――本当の『家族』になるために。
養父は目を丸くした。普段はほとんど我を通すことのないのだから、当然の反応だ。
「分かった。気を付けていっておいで」
迷いつつも、義理の娘の意思を尊重することに決めたようだ。マーシャはそんな養父に感謝して、紙袋を持って店を出た。
紙袋をしっかりと両手で抱え、大通りを進む。通行人にぶつからないよう気を付ける。
孤児院までの距離はたいしたことはなく、幼い彼女の足でも往復するのに支障はない。なにしろ会おうと思えば会いに行ける距離なのだから。それでも父が心配するのは、多少なりとも過保護な気があるからだろう。
孤児院まで問題なく到着した。質素ではあるが、暖かみのある建物がマーシャを迎える。外の畑では子供たちが水やりをしており、マーシャに気付くと手を止めてこちらへ駆けてくる。
「マーシャちゃ~ん! 久しぶり~!」
「わぁっ! 美味しそうなパンがいっぱい!」
「待ってて! 院長先生呼んでくるね!」
年下の子は紙袋のパンに目を輝かせ、年上の子は院長を呼びに走っていく。
やがて前掛けをした初老の女性が歩いてきた。彼女がこの孤児院の院長である、ナタリア・コリンズだ。そしてその少し離れた後ろから、一匹の黒猫がついてきている。
「あら? 今日は一人で来たの?」
「......はい。あ、あの......これ」
少し驚いた様子の院長に、マーシャは抱えた紙袋を渡した。
「ありがとう。重かったでしょう?」
「だ、大丈夫です......」
そこでマーシャはこちらを見つめる黒猫の前で屈む。
「ネラ......元気にしてた?」
訊ねる彼女に黒猫はにゃあと鳴く。まるでこちらの言葉が分かっているようだ。
雄の黒猫であるネラは、マーシャが孤児院にくる前からここに居着いていた。とても賢い猫で大人しく、手が掛からない。孤児院の子供はみんな、ネラのことが大好きだ。
「さ、中に入って。 おやつにしましょう」
ナタリアの言葉に、小さい子供たちは「わ~いっ!!」、「おやつ! おやつ!」とはしゃぎながら孤児院の建物に駆け込んでいく。
「ネラも......一緒に行こう?」
手を差し出し、嫌がる様子がないのが分かると、マーシャはネラを抱き上げる。撫でるとゴロゴロと嬉しそうに喉を鳴らした。
孤児院にいた頃は掃除や洗濯などの役割を与えられて、必要とされている実感を得ることが出来た。ここにいていいのだと、そう思うことが出来た。
今の両親は善良だ。だからこそマーシャは、レンデル家においても必要とされる存在に『なりたい』――いや、『なろう』と改めて決心するのだった。
今日もソフィーはミアと遊びに行っている。リシューにいたときより楽しそうで、モニカとしては複雑な心境だ。娘に必要なのは、同年代の友達なのだと改めて実感する。
イザークも最近は宿にいないことが増えた。口には出さないが、やはり懐が心許ないのだろう。
そういうわけで久々に訪れた王都において、モニカは一人でいることが多かった。
こういうときこそ羽を伸ばすべきだろうが、この空いた時間をどう過ごせばいいか、悩むばかりだ。
(たまに本を読むのも悪くないかも……)
かつては読書が趣味だったが、いつしか本とは無縁な生活になっていた。ソフィーが産まれ、母になりいつにも増して多忙になったからだろう。
大通りに面した書店に足を踏み入れる。王都の書店だけあって店内は広く、品揃えも豊富だ。きっと興味を惹くものが見つかるはずだ。
書棚に並んだ背表紙を、眺めながら歩く。題名から内容を想像する。そんな時間が好きだったことを思い出す。
「あ......」
そんなモニカの目が、一冊の本で止まる。背表紙には『聖女姉妹物語 ジャン・ホランド著』とある。
「これって、確か......」
記憶を辿る。まだサムウェルと交際していた頃、彼に誘われて演劇を観に行ったことがある。
『聖女クリスタベラ』。細かい展開は朧気だが、感情を揺さぶられるほど引き込まれたものだ。
『聖女クリスタベラ』の舞台は、女神フィオノーラを信仰するアルバフレム聖王国。万物を癒し治す『奇跡の魔力』を持つ平民出身のクリスタベラが主人公だ。
山間の貧しい農村で生まれ育ったクリスタベラには、一歳上の姉であるオクタヴィアがいて、彼女もまた『奇跡の魔力』の持ち主だった。
やがてバークレィ公爵家からの遣いと称する騎士の来訪によって、姉妹の人生は激変する。
『奇跡の魔力』を持つ姉妹の噂を聞き、興味を抱いたというそのバークレィ公爵家は、国内でも右に出るものはいない魔術の名門だ。本格的に魔術の扱い方を身に付けてもらうため、姉妹を公爵家に迎え入れたいという申し出だった。その暁には、村へ最大限の援助もすると約束した。
初めこそ姉妹の両親は拒んだものの、家族での話し合いの末に「もっと上手く魔力を使いこなして、みんなの助けになりたい」という娘二人の想いを尊重することにした。
こうして聖都に移り住んだ姉妹は、民を救う『聖女』を目指すことになる。
特訓を経て、聖女の仕事をこなす姉妹だったが――期待という名の重圧、成長がめざましい妹に置いていかれる不安と焦りに、オクタヴィアは心を蝕まれていく。
そんな負の感情が精神のみならず魔力にまで影響を及ぼした結果、オクタヴィアは万物を壊し滅ぼす『破滅の魔力』に目覚めてしまう。
『聖女』として希望を与えるクリスタベラに対し、『魔女』として絶望を撒くオクタヴィア。
激戦の末、クリスタベラは周囲の助力もあり『破滅の魔力』を封じ、姉を正気に戻すことに成功した。
姉妹は泣きながら抱き合い、物語は大団円で幕を閉じる。
鑑賞後、互いに感想を語り合った際。
――そういえば『聖女クリスタベラ』には、原作があるみたいだよ。
サムウェルによると、『聖女クリスタベラ』には『聖女姉妹物語』という原作にあたる小説が存在するという。彼自身も読んだことはないとのことだが、『聖女クリスタベラ』はその原作から大衆向けにだいぶ改変されているらしい。
――もし気になるなら、見つけたときにでも読んでみるといいよ。
そうサムウェルは言っていたが――今まさにモニカの目の前にあるのが、その『聖女姉妹物語』だった。
厚みがある本で、手にとるとそれなりに重い。頁を繰ってみると文章がやや堅苦しく、幼子には向きそうもない。
(ソフィーにも読ませてあげられたら良かったけど......)
やはり個人的に楽しむしかないか――と思っていると、
「お客さぁん。立ち読みは勘弁してくださいよぉ」
困り顔の店員に声をかけられ、
「それ、買うんですか? 買わないんですか?」
「あ、ごめんなさい。買います」
慌てて懐から金を取り出すのだった。




