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転生人形クロエ  作者: 黒砂糖
第一章
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第5話 ロイス・シャーウッドの手記(中)

 両親が飲食店を経営していて、普段からその手伝いをしているため、エリナは料理が上手かった。

 空腹だったこともあり、食事の手が止まらない。温かいシチューが胃袋に染み渡る。


 「美味しい?」


 「……まあ、な」


 素直に認めるのも癪で、小声でぼそりと呟く。とはいえ食べている様子を見れば明らかだろう。エリナも嬉しそうにニコニコしている。

 暫く会わない間に料理の腕前が一段と上がっているようだ。それこそ店に出しても問題ないくらいに。恥ずかしいので、決して本人の前で口にすることはないが。


 それからもエリナは何かと私の世話を焼くようになった。そこまでしなくていいと言ったところで、彼女の性格では聞くわけもない。


 「ロイスは、私がいないとダメなんだから」

 

 「何だそれは……子供じゃないんだぞ」


 口ではそんなことを言いつつ、彼女を誰よりも必要としていることを、私は分かっていた。

 人形を作るしか能のない私を、ここまで気にかけてくれるのはエリナだけだった。いつしか彼女の存在は、私の人生に欠かすことのできないほど大きなものになっていた。

 

 思えば、二人が結ばれるのは自然な流れだったのかも知れない。陳腐な言い方をすると運命、というものだろうか。


 だがそのときの私は知らなかった。運命とは神の気まぐれに過ぎないということを。

 神には二つの顔がある――時にはどこまでも慈悲深くもなり、時にはどこまでも冷酷にもなる。

 人間というのは、神のそんな二面性によって弄ばれるだけの、哀れな生き物に過ぎないということを。




 結婚から一年後、私たちの間に娘が産まれた。

 二人で話し合って、娘の名前はクロエに決めた。

 髪と瞳は私と同じ色、顔形はエリナによく似ていた。

 

 クロエは好奇心旺盛な子供だった。少しでも興味を惹かれたものがあれば、すぐふらふらと一人で行ってしまうので、私とエリナで探し回ったこともある。

 とはいえキラキラと目を輝かせて物事に夢中になっている姿は、何とも微笑ましい。

 私の工房にもふらりとやってきては、よくエリナに連れ戻されていた。

 といってもわりと大人しく見学していて、仕事の邪魔にならないようにという分別はしっかりしている利口な子だ。なので、私としては自由に居てくれても構わなかったが。

 むしろ娘が人形師という仕事に興味を持ってくれていることが、内心嬉しかったぐらいだ。


 あの頃が私たちにとって、幸せの絶頂だった。







 「…………お父さんっ! ねえお父さんっ!」


 クロエが八歳のとき――注文を受けた人形を仕上げるため徹夜で作業していた私は、いつの間にか工房で寝入ってしまっていた。

 私の体が、激しく揺さぶられる。


 「ねえってば! 起きてよお父さん!」


 クロエの声だ。私を呼んでいる。

 疲れて工房で眠ることは稀にあるが、エリナもクロエも私を気遣って、無理に起こすことはしない。明らかにおかしい。


 「起きて! お願いだから!」


 切羽詰まった声――ただ事ではない。私はすぐに起き上がる。


 「何だ? どうした?」


 訊ねる私に、クロエは今にも泣きそうな顔で、


 「お、お母さんが……お母さんが……」


 エリナに何か遭ったというのか? 私は急いで工房を飛び出した。

 寝室で、エリナは横になっていた。顔色が優れず熱があり、呼吸も荒い。大量の汗を吸った寝間着はぐっしょりと湿っている。


 「エリナ? 大丈夫か?」


 「え、ええ……」


 応じる声は、酷く掠れている。


 「お母さん、大丈夫……?」


 扉の陰から、クロエが心配そうに顔を覗かせる。そんな娘を安心させるため軽く頭に手を乗せると、私は医者を呼びに行った。


 そして医者を連れ、家に戻ってくると――クロエが、俯せに倒れていた。


 「クロエ!?」


 クロエが倒れている床は水浸しで、傍らには手拭いと盥が転がっている。母親の汗を拭こうとしたのだろう。彼女なりに看病をしようとしていたらしい。

 私は娘を抱き起こす。苦しげに呼吸をしていて、顔色が悪く、それに発熱――エリナの症状に似ていた。


  医者によると二人を苦しめているのは感染性の病原体で、潜伏期間と症状については、それぞれ個人差があるとのことだ。

 エリナは薬さえ欠かさず服用していれば、症状は落ち着いてくるらしい。


 だが、クロエの容態は深刻だった。

 

 症状は遥かに重篤で、快方に向かう兆しもないまま、クロエは日に日に衰弱していった。

 娘の体を容赦なく苛む病原体に対して私は為す術もなく、どうしようもないほど無力だった。


 数日が経過した、その夜――娘の手を握る私に、クロエは焦点の合わない瞳を向けて、口を開いた。

 酷く窶れ、呼吸も浅くなっている。もう長く保たないことが一目で分かる。それでも最後の力を振り絞り、言葉を紡ごうとしている。


  一言も聞き漏らさないよう顔を寄せるが、唇が震えるばかりで上手く声を出せないようだった。

 目尻から一筋の涙が頬を伝い、目蓋がゆっくりと落ち――クロエはそれきり、目を覚ますことはなかった。


 娘が最期に何を言おうとしたのか、何を言いたかったのか――私は結局、知ることが叶わなかった。

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