第24話 イザーク(後)
ただの使用人の子、のわりには大人びた雰囲気がある。もしや噂されている侯爵夫妻の一人娘だろうか?
少女を見ながら、イザークはそんなことを考えていた。シアンもまた、ふいの少女の登場に戸惑っているように見える。
「どうしてそんなに怯えているの? 変なお兄さんたち」
可笑しそうにくすくすと、少女は笑う。
「怖い物でも見た? いったい何を見たの? 私、とても興味があるわ」
一見、無邪気そうに顔を覗き込んでくる――が、あまりにも場にそぐわない。
まるで知った上で訊ね、二人の反応を愉しんでいるかのようにすら思える。
「……何でもねーよ。俺らは行くからな」
目の前の少女が普通ではないとシアンも察したのか、緊張を声に滲ませながら後退りする。
「もう帰ってしまうの? そんなのつまらないわ」
激突音が響き――瓦礫とともに、天井からシアンが降ってきた。
「え?」
一瞬のことで、何が起きたか理解できない。
「あら? 嘘でしょう? お兄さん、弱すぎではないの?」
少女が拳を下ろす。彼女がシアンを殴り飛ばしたのだと、遅れて気付く。
「面白くないわ。こんなの、ぜんぜん面白くない」
少女は右足を上げ、シアンの頭部を何度も踏みつけた。床に亀裂が入るほどの、人間離れした力だ。
「これじゃあ、私が虐めてるみたいじゃないの。でも仕方がないわよね? 弱いお兄さんがいけないんだもの」
少女はシアンの髪をわし掴みにし、顔を持ち上げる。
「どんな気分? 年端もいかない、こんな可憐な女の子にやられるってどんな気分?」
口元を歪ませ、シアンに語り掛ける。幼い少女がする表情ではない。
「教えてくれないの? 私、分からないのよね。《弱者》の気持ちって」
少女が髪から手を離すと、シアンの頭が床に落ちる。ぴくりとも動かない。
「気を失ったら遊べないじゃないの。まだ遊び足りないのに」
拍子抜けだ、と肩を竦め今度はイザークを見る。その深紅の瞳から、底の知れない悪意が窺える。
年齢に反して異常なまでの身体能力、そして冷酷な性格――どんな生き方をすれば、こんな怪物が出来上がるのか?
「こっちの犬のお兄さんは……今にも死にそうな顏しているじゃない。期待外れね」
言い終わると同時に、少女の右足が鳩尾に食い込む。
「ぐぇっ……!」
呼吸が止まり、その場に突っ伏す。うまく息ができない。顎先を涎が伝う。
「惨めね、お兄さんたち。生きていて恥ずかしくはないの? 死んだ方がいいのではない?」
蔑むような視線――何も言い返せない。言い返す余裕がない。
「あっちのお兄さんはともかく……嫌な眼をしているわね。獣人だから?」
少女はイザークの前に屈み、まじまじと彼の目を見る。
「何でもいいわ。とにかくその眼は、お母様に相応しくない」
すぅっ――と少女の右手が動き、イザークの左眼は切り裂かれた。
「あぎゃあぁっ――!!」
凄まじい激痛に、のたうち回る。抑えた左眼から流れる温かな血が、イザークの顔を濡らす。痛みに思考力を奪われ、何も考えられない。
「お母様は綺麗な眼が好みなの。宝石みたいに、綺麗な眼が」
どこに隠し持っていたのか、少女の右手には血で染まったペーパーナイフが握られている。
「あなたでは……とてもではないけれど、お母様の宝石になれないわ」
孤児と接するアイリーンを見たときの違和感――その正体がようやく分かった。
彼女は食料の配給を口実に、孤児たちの眼を《品定め》していたのだ。そして気に入った眼を持つ孤児を連れ去り――殺して両眼を取り出し、収集しているのだろう。
「まだ右眼が残っているわ。ほら、我慢して? すぐ終わるから」
左手でイザークの頭を抑え込む。とてつもない腕力だ。
「暴れないの。男の子でしょう? 一応」
ペーパーナイフの切っ先が、眼前に迫る。
そんなイザークの、残された右眼が捉えたのは――少女の背後に立つ、シアンの姿だった。
頭部は血塗れで、立っているのが不思議なほどだ。何よりイザークを驚かしたのは、彼の表情だった。
眉間に刻まれた皺、見開かれ、血走った眼、きつく食いしばる歯――今シアンの顔に浮かんでいるのは、明確な『殺意』だった。もともと感情表現は豊かな方だったが、こんな表情の彼を見るのは初めてだった。
少女の後ろでシアンは拾ったらしい瓦礫の破片を、両手で高々と掲げている。
「?」
イザークの視線に気づき、少女が振り返り――その側頭部に、破片が命中した。
「がっ!?」
まともに食らっては、さすがの少女もひとたまりもない。その場に崩れ落ちる。シアンはそんな少女に跨り、躊躇なくまた瓦礫の破片を振り下ろす。少女はとっさに頭を庇うも、手首が砕けて悲鳴をあげる。
「やめっ……シアンっ……」
このままでは殺してしまう――先に襲ってきたのは少女の方だ。彼女の命など、正直どうでもいい。ただ、シアンに手を汚してほしくなかった。
彼が求めたのは、そんな『力』ではなかったはずだ。
「ダメだよっ……シアンっ!」
力を振り絞り、シアンにしがみつく。その隙を突いて、少女は這いずって逃れる。
「い、たい……痛い……痛い……卑怯よ、汚いわ……こんな手でしか勝てないのね……《弱者》は」
少女は石壁に背を預け、深紅色の瞳に憎悪を宿す。
「決めたわ……あなたたちはじっくり、長く……痛めつけて、苦しめて殺す……私が、殺す……殺してやる……絶対に許さない……」
もはや幼女とは思えない、悪鬼の如き形相だった。
「シアン、行こう。帰ろう」
放心するシアンの手から瓦礫の破片を取り上げ、今度はイザークが肩を貸して立ち上がる。重傷の少女が追ってくることはないだろう。
「あれぇー? 戻ってくるの遅いなぁって思ったら……大丈夫ぅ?」
唐突に間の抜けた声が聞こえ、振り返る。石壁に凭れている少女から更に奥――屋敷の方から、小さな人影が近づいてくる。
少女と同じくらいの年齢だろうか、黄緑色の瞳に青髪を後ろで束ねた少年だ。
「酷い怪我だよガーネット? らしくないねぇー」
言葉とは裏腹に、心配している様子は微塵も見られない。
「不意打ち、されただけよ……もしお母様に、余計なこと言ったら……殺すわよ? ペリドット」
「その前に君が死にそうじゃーん!!」
ケラケラと愉快そうに笑う。
二人の名前からして、名付けたのはアイリーンに違いない。瞳の色に合わせたのだろうが、宝石の知識などないイザークに知る由もなかった。
兄妹――あるいは姉弟のようだが容姿は似ても似つかず、二人とも親であるはずのアイリーンの面影すら感じない。血が繋がっているのかどうかも疑わしい。
「どうせさぁ油断したんでしょー? 自分より弱い相手にすぐ気を抜くからねぇ。悪い癖だよ?」
がさっ……がさがさがさっ……がさがさっ……がさがさがさっ……がざっ……がさがさがさっ……。
床から、壁から、天井から――奇妙な音が聞こえる。
がさがさがさっ……がさがさっ……がさがさがさっ……がさがさっ……がさがさがさっ……がさっ……。
何かが――複数の小さい何かが、辺りを這い回っている。しかもその数が増えてきているようだ。
暗いせいで、よく見えない。イザークは目を凝らす。
がさがさがさっ……がさがさっ……がさがさがさがさがさがさっ……がさがさがさがさがさがさっ……。
「ひっ……」
スカラベだ。数えきれないほど大量のスカラベが、通路内に湧いている。気が付けば周りを囲まれている。
「……何度も言った、はずよね? 私の前で……《ソレ》は、やめてって。虫、は嫌いなのよ……物覚え悪いの?」
ガーネットという名を持つ少女が、少年を睨みつける。
「そもそも君が遊んでないで、さくっと済ませてくれれば良かった話だけどねぇー」
どうやらスカラベの群れは、ペリドットと呼ばれた少年の仕業らしい。それが彼の『力』なのだろうか?
「だからさぁ、渋々こうして僕が……」
地下通路が揺れ、ペリドットの言葉が途切れる。
「……って思ったけど、そんな場合じゃあ無くなったかぁー。やりすぎだよぉガーネット」
彼が喋る間にも、ぱらぱらと瓦礫が降り注ぐ。ただでさえ老朽化で脆くなっているところ、ガーネットの攻撃が追い打ちになったらしい。
「猶予はなさそうだねぇー。戻るよガーネット」
揺れは次第に大きくなる。不本意なのか歯軋りしつつもガーネットは肩を借り、二人は屋敷の方へ戻っていく。
「……急ごう、シアン」
気が付くと、スカラベの群れはいなくなっている。とりあえず今は命拾いしたようだ。イザークはシアンを支え、それでも早足で引き返す。
彼らが山中に脱した直後、地下通路は瓦礫に埋もれた。
地下通路の一件から間もなく、二人は塒を離れた。あのときは運が味方したものの、また命を狙われないとも限らない。同じ場所に留まれば、より危険は増す。
だが寝床を点々としても、安心して過ごせた日は一日もない。いつどこで襲われるか、気が気でなかった。
イザークは、殺されて遺棄された孤児たちの姿を片時も忘れることはなかった。
この国では 『力』さえがあれば、あのような非道が罷り通るのか? 『正義』はどこにあるのか? 自分たちもまた国民である事実に、嫌気がさす。
そしてついにある夜――他国へと渡る密航船に、シアンとともに潜り込んだ。
「俺はいつか、強くなってヴーレタールに戻るぜ。あいつらの……ドニーたちの仇を討ってやんだよ」
《復讐》のための『力』を得る――それが本当に、彼が欲するものなのか?
イザークとしてはもう、母国と関わりたくなかった。薄情かも知れないが、それが『生きる』ということなのだと。
そしてそれが、二人の道を別つ結果となった。
違う生き方を選んだイザークを、シアンは責めなかった。それどころか、
「じゃーな! 俺がいなくてもちゃんと鍛えとけよ! 『相棒』!」
最後まで彼は、イザークをそう呼んだ。
その約束を決して違えないように、イザークは強くなるための努力を欠かさなかった。護衛や用心棒の仕事で経験を積み、侮られないよう言語動作も改めた。
いつかまた、どこかで『相棒』と再会したとき――恥ずかしくない自分でいるために。




