③
「引越し」と言えばやはり・・・。
-③ ビビる-
守は好美の家(というより自分の新居)で初めての内線にドキドキしていた、通常ナンバーディスプレイには各々の部屋番号が記されているが最上階のこの部屋の物だけは「好美用」と書かれていた。
イャンダ(内線)「引越し蕎麦出来たぞ、エレベーターに乗せて良いか?」
まさか自分の為に忙しい中用意してくれているとは思わなかった守。
守「すみません、わざわざありがとうございます。助かります。」
イャンダ(内線)「これ位構わないさ、それより・・・。俺らの大切な好美ちゃんを泣かせたら承知しないからな。」
元竜将軍のドスの利いた声に守は思わずビビってしまった、もし圭との一件を知ればどう感じるのだろうかと想像しただけで身震いしてしまった。
たとえ一度だけだったとしても守が好美を泣かせてしまったという事実、そして好美の放った言葉は変わらず守の頭にこびりついたままだった。
好美(回想)「何よ、守なんてもう知らない。」
過去の記憶に頭を悩ませる守の横で、屈託のない笑みを浮かべる好美。
そんな中、守は好美が学生時代にアルバイトをしていた中華居酒屋「松龍」で当時悪名が高かった学生の成樹による暴力事件があった日、店主である龍太郎の言葉を思い出した。
龍太郎(回想)「自分から大切な物を失おうとしたんだぞ。」
あの言葉は今でも守の胸の中にずっと残っていた、そしてあの日誓ったはずだ。「好美の笑顔をずっと守る」という事を。
守が一人強く拳を握りしめる中、すぐ隣でただただ笑う恋人が声を掛けた。
好美「守、何やってんの。早くしないと折角の蕎麦が伸びちゃうよ。」
好美の言葉を受けた守は空いた口が塞がらなかった、食卓の上には数十人分の物と思われる量の蕎麦が積まれていた。確かに元の世界にいた頃から好美が大食いだった事は今でも鮮明に覚えているが、いくら何でも多すぎやしないだろうか。
好美「何言ってんの、麺類は別腹って言うじゃない。」
守「いや、考えがほぼデブと同じだから。好美は違うだろう。」
言葉では口喧嘩している風に聞こえても久々に訪れた2人の時間に顔がニヤけついてしまう守。
守「じゃあ好美にとってスィーツって何なんだよ。」
好美「スィーツねぇ・・・、飲み物だね。」
好美には「食べ物」と言う概念が無いのだろうか、守はただ目の前に重ねられていく空いた容器の量を見て、今度は焦りの表情を見せ始めていた。
ただ、これだけで終末する訳では無かった事を知らずに。
守「これ全部食う気か?!」
好美「当たり前だよ、勿体ないじゃん。」
ゆっくりとだが食事を進める2人の元に再び内線が、相手は勿論イャンダだ。
イャンダ(内線)「そろそろ追加を送って良いかい?」
電話の相手の言葉に目の前が真っ暗になった守。
守「まだ食うのか?!勘弁してくれ!!」
好美「良いじゃん、体力付けとかないと。」
2人は引っ越し作業よりも長い時間をかけて食事を摂っている内に残っている荷解きの作業をすっかり忘れてしまっていた、というより「もう後でもいいや」と言う気持ちが強くなったらしい。
好美「守、いっその事呑まない?日本酒欲しくなっちゃった。」
守「確かに・・・、天婦羅に刺身って本当に日本酒が欲しくなる物ばっかりだけど店って拉麵屋だよな?」
好美「何、私の店に文句ある訳?」
守「すみません、無いです・・・。」
やはり「鬼の好美」には守も頭が上がらない。