(12)
闇に溶ける色合いの地味な馬車が停車しては、黒い外套に仮面姿の人物が下りてきて受付係に入場券を手渡す。今宵が最後と伝えたためか、『賭け事』に参加する者は常よりも多かった。
「秘蔵していたとっておきの子だと聞いたが」
「さようにございます。きっと皆様を十分に楽しませることができましょう」
「そうあってほしいものだな。先日は実につまらなかった」
不平を漏らし、客が館へ入っていく。それからも客足は途絶えることなく、ほぼ満席になる勢いだった。
今夜だけで儲けはかなりの額になる。ほくそ笑んだ受付係は、時間ぎりぎりに現れた最後の馬車を迎えた。
ここを訪れるにはふさわしくない、何人もが乗れる大型の馬車から降り立ったのは、琥珀色の髪の男性だった。仮面の下からのぞく空色の瞳は、柔和なようでいて凛々しくもある。
「私で最後かな」
入場券を差し出す男性の穏やかな声音はまだ若さを感じさせる。付き人を背後に従えた客に、受付係は一礼した。
「いらっしゃいませ……失礼ですが、お名前をうかがってもよろしいですか?」
「こういった場で名を尋ねるのは不躾ではないのか」
どうやら相手の機嫌を損ねてしまったらしい。しかし勘が働いたと言うべきか、受付係は引き下がらなかった。
「もちろん、失礼は承知しております。ですが、私の記憶違いでなければ、お客様はお見かけしたことがなく……」
「ああ、なるほど」と男性が小さく笑ってうなずいた。
「君の仕事ぶりに、主催者はさぞ満足しているだろうね」
かすかに漂う揶揄の響きに眉をひそめた受付係は、男性の外套の下に長剣がのぞいたのを見逃さなかった。
声を上げる前に、男性の付き人に取り押さえられる。仮面をつけていてもわかるほど優しげな雰囲気の付き人が予想以上に俊敏かつ力が強かったことに、受付係は驚惑した。
「そんなに知りたいなら教えてやろう」
男性が右手を挙げると、馬車に潜んでいたらしく、大地の神法士と水の神法士が二名ずつ下車してきた。さらに後方から騎馬隊が乗り込んでくる。
彼らの制服を見ていっそう蒼白する受付係を見下ろし、琥珀色の髪の男性は答えた。
「私の名はシアン・フォルナ―キス。警師団の団長だ」
チュリブの屋敷から夜中にここへ連れてこられて一日がたった。押し込まれたのはまたもや牢内とはいえ、最後の情けのつもりなのか食事はきちんと与えられ、鞭打ちなどのよけいな体罰もなかったのは助かったとレオンは思った。
一つ、想定外で鬱陶しいことがあるとすれば――。
「僕たち、どうなっちゃうんだよ。なあ、レオン。何とかしてくれよう」
隣でずびずび鼻をすすってばかりのトープ・デルフィーニーを、食事中のレオンは睥睨した。
「ご飯がまずくなるから、そばで泣かないでくれる? それに、ちゃんと食べておかないと後で困るよ」
「困るって、何が困るんだよ?」
「お腹がすいたままだと、全力で戦えないってこと」
レオンの返事に、トープはぴたりと泣きやんだ。
「ここから逃げるってことか?」
「逃げられるかどうかは、君しだいじゃないかな」
「もちろん、レオンが守ってくれるんだろう?」
目をきらきらさせて身を乗り出してくるトープに、レオンは渋面した。
「なんで僕が君を守らないといけないのさ。自分が死なないようにするだけで精一杯だよ」
「お前、神法学科生だろ。神法学科生は教養学科生を守るのが義務だ」
「そんな規則、見たことも聞いたこともないよ」
すべてきれいにたいらげてから、レオンは立ち上がった。本当は杖を所持していたかったが、さすがに取り上げられてしまった。杖がなくても法術は使えるが、制御にむだな労力がかかる。発作用の薬はポケットに入れているものの、常用の薬をここ数日飲んでいないので心配だった。
この状態でトープまでかばうのは難しい。というより、たぶんそんな余裕はない。
自分は計画どおりなのでまだ冷静でいられるが、トープは訳が分からないまま無理やり連れてこられたらしい。父親の逮捕騒ぎのすきをついてさらわれたのだと。
なぜトープが誘拐されたのか、最初はレオンもわからなかったが、自分の立場を考えて納得した。
トープはチュリブに積極的にからみにいっていた。それがマンティスを怒らせたのだろう。
本人もこういう目にあうとわかっていれば、チュリブに近づきはしなかったはずだ。偽の大地の法担当教官が学院で暴れたときも、眼前に迫る魔物から逃れようとリリーを突き飛ばしたくらいだから。
そのとき、靴音が近づいてきた。トープが慌ててレオンのそばへ寄ってくる。
現れた相手は鉄格子の外から二人をじっくりと見た。
「調子はよさそうだね」
「僕たちをどうするつもりですか?」
知らないふりをして尋ねるレオンに、マンティスは口角を上げた。
「いつもは説明なく放り込むんだが、今日は『賭け事』最後の日だから特別に教えてやろう。君たちには、これから見物客の前で獣と戦ってもらう。しかも運がいいことに、二人一緒だ」
衝撃のあまり頭が働いてなさそうなトープを一瞥してから、マンティスはレオンに笑いかけた。
「そこのよく肥えたみっともない子供は客から文句が出るかもしれないが、見目のいい君ならきっと満足させられる」
「トープと比べられても嬉しくないんですが」
「そうだね、炎の法専攻一回生代表の君には失礼極まりない話だな」
「なんで……どうして僕が!? こいつ一人でいいじゃないですかっ」
ようやく状況を飲み込めたらしいトープが、鉄格子を揺さぶってわめく。
「確かに君は足手まといにしかならないだろうね。最初は不本意ながら君だけを送り出すつもりだったが、思いがけず彼が私のもとへ飛び込んできてくれたおかげで、最後を飾るいい見世物になりそうだ」
トープには侮蔑、レオンには嫉妬の混ざった愉悦の目を向け、マンティスは身をひるがえした。
「もし最後の獣をも倒すことができたら、君たちを解放しよう。しかし負ければ君たちは獣に食われて死ぬ。せいぜい奮闘したまえ」
「そんな……おじさん、待ってくださいっ。レオンだけのほうが絶対に見栄えがしますから、僕は助けてください! お願いです、おじさんっ!」
必死で命乞いをするトープに足をとめ、マンティスは肩越しに見やった。
「まったく、どうしようもなく見苦しい子だな。教養学科ではみんなに頼られているとずいぶん自慢していたじゃないか」
「だって僕は剣も法術も使えないんですよ!?]
「それなら真っ先に餌になればいい。少しでも奴らの腹を満たせば、そっちの彼の助けになるだろう。君の存在意義は所詮その程度だと、いいかげん自覚しろ」
吐き捨てるように言って、マンティスは去っていった。
「なんでこんな……僕がいったい何をしたっていうんだ」
ずるずると泣き崩れるトープに、半分あきれながら半分同情したレオンの背後で、扉が開いた。
「開いた……出口だっ。助けが来たんだっ」
ぱっと立ち上がり、トープが走る。
「いや、待ってトープ、違うっ」
先に扉の先へ出たトープを追ったレオンは、いきなり眼前に広がった光景にぎょっとした。半円型の広い舞台を鉄格子が覆っている。そして仮面をかぶった大勢の人が、舞台をぐるりと囲むように設けられた席に座っていた。
二人の少年の登場に会場がざわつく。自分たちを見て観客同士でささやきあう異様な状況に、レオンも生唾を飲んだ。
「とっておきというのは後から出てきた子か。あの法衣、炎の法専攻生か」
「期待外れかと思ったが、あれなら確かに楽しめそうだ」
二人の出てきた扉が閉まる。もう逃げる場所はない。
この会場のどこかに、ホーラー教官がいるのだろうか。希望が砕けてへたり込んでいるトープのそばでレオンがもう一度周りを見回しかけたとき、別の扉が開いて、中型犬が姿を現した。
戦うのはあれかと、レオンはよく観察した。思ったよりは大きくないが、どうも様子がおかしい。口からよだれを垂らした犬は、狂気の色を目に宿していた。
まるで薬か何かで正気を失ったかのようだ。あるいは、戦闘用に改良でもされたか。
どちらにしても手なずけることは無理だとわかり、レオンは潔く戦うことに決めた。
「レ、レオン……」
「そこに剣があるから、一応持っておきなよ。できるだけ僕が倒すつもりだけど、自分のほうに向かってきたらそれで戦って」
がたがた震えているトープに指示を出す。トープは隅に転がっている剣を見つけると急いで取りにいった。しかし慌てすぎて途中で派手につまずき、観客に失笑された。
「光と熱を司りし炎の神レオニス。我は請う、我に仇なすものに灼熱の刃を!!」
犬の狙いが先に動いたトープに定まったのを見て、レオンは先制攻撃を仕掛けた。まさに床を蹴ってトープへ走りだした犬が炎に包まれる。法術が使えるのはありがたかったが、焼かれる犬の鳴き声に胸が痛んだ。
観客からどよめきが起きる。神法学科生は珍しいのか、もっとよく見ようと前のめりになる客が少なくなかった。
次に登場したのも犬だった。先ほどより小さいことに、トープがほっと息をつく。しかしレオンは逆に警戒を強めた。普通は対戦相手はだんだん強くなる。小さいからといって侮れば危険だ。そしてやはりその犬も正常ではなさそうだった。
獣はなぜか弱いものをかぎ分ける。今度もトープが狙われ、レオンは法術を放ったが、先ほどより素早くて、あやうく外すところだった。
杖がないのでなおさらきつい。紋章石の予備も用意しておけばよかったと悔やんだレオンは、続く相手に歯がみした。たった今倒したばかりのすばしこい犬が複数出てきたのだ。
客席のざわめきが大きくなる。その反応から、ここまで生きのびた子供はいなかったのだろう。勝つ展開と残酷に引き裂かれる結末、両方の期待がないまぜになった熱気にレオンは気分が悪くなった。
それでもまだ発作が起きる前兆はない。もしキュグニー教官の薬に変えていなければ、とっくに体調を崩していただろう。この任務をやり終えたら、自分もルテウスと一緒にキュグニー教官の追っかけをしようとレオンは心に決めた。
ホーラー教官の授業でやった訓練がいきるかもしれない。法術を唱えかけたレオンは、いきなりトープに背後からしがみつかれてよろめいた。
「うわああっ、レオン、怖いよっ! あんなにたくさん無理だよっ。僕たちはここで死ぬんだっ」
「ちょっ……トープ! 邪魔するなら君も一緒に燃やすよ!」
むだに体が大きいせいか、自分よりは力もある。振り払えずに苛立ったレオンの怒鳴り声に、トープが悲鳴をあげてようやく手を放した。
「光と熱を司りし炎の神レオニス。我は請う、我に仇なすものどもに灼熱の刃を!!」
詠唱は遅れたものの、もともと備わっていた発動の早さに救われた。少なくとも三匹は黒焦げになり、二匹は脚に当たって動きを封じることに成功した。
練習のときより的が大きくて助かった。杖なしでやったにしては上出来だと、レオンはふうと息をついた。
会場から割れんばかりの拍手が鳴り響く。仮面をつけた大人たちはすっかりレオンの戦いぶりに魅了されているらしい。マンティスもこれを見てさぞかし満足していることだろう。いや、もしかしたらしぶとく生き残る自分たちに腹を立てているかもしれない。
そのとき、当のマンティスが仮面をつけて舞台の前に出てきた。
「さあ、皆さん。いよいよ最後の戦いです。残る一匹は、これまで一度もかすり傷一つ負わずに挑戦者を食い殺してきた猛者です。どちらが勝つか、しかとその目で見届けてください!」
両手を広げて声高に告げるマンティスに歓声があがる。それに手を振って応じてから、マンティスがレオンをかえりみた。
「よくここまで頑張ったね。そんな君に敬意を表して、これを返してやろう」
マンティスが黒い外套の下から出したのは、レオンの杖だった。鉄格子の隙間から差し込まれた自分の杖を受け取ったレオンは、マンティスと視線を交えた。
「私は約束を守る男だ。もし次の勝負で君が勝ったら、君を解放する」
レオンは瞳をすがめた。最後の試合の前に、レオンに有利なものを渡すマンティスの行動には違和感しかない。
何かある。絶対に、すんなりとは決着がつかない仕組みになっているはずだ。
そばを離れるマンティスを目で追う流れで客席を見回す。どこにいるのかわからないあたり、見事に周囲に溶け込んでいるようだ。
もう時間稼ぎはこれで十分だろうか。手元に戻ってきた自分の杖をにぎりしめ、レオンはうつむき一度深呼吸をした。
獣側の扉が開かれる。緊張しつつ待ち構えていたレオンは唖然とした。
大きい。今までとは比べ物にならないほどの巨体だった。
あれは犬なのか。むき出した牙の隙間からよだれをぼたぼた垂らすさまは他と同様、明らかに狂っているとわかる。
一度も負けたことがないと言うマンティスの言葉は、おそらく正しいのだろう。それくらい、獰猛な顔つきだった。
「……へっ、あんな奴、レオンの法術で一発だ」
そばでトープが尻込みしながら、人任せの強がりを言う。
レオンはふと、首輪についた赤く光る球に気づいた。
まさか、と息をのんだとき、獣が駆け出した。
すぐさま『剣の法』を飛ばす。しかし今までなら即死だったのに、今回は火にまみれて多少びくついたものの無傷だった。
トープだけでなく、観客までが一様に驚くのがわかった。
「なんで炎が効かないんだよ!?」
完全に安心しきっていたらしいトープが、予想外のことに目をみはってわめく。
「……法具がついてる。たぶん、法術をはね返すんだ」
色からしておそらく炎の法対策だと、レオンは教えた。
「え……じゃあ、レオンの法術は――」
「あいつには効かない」
レオンの返答に、トープがヒッとひきつった悲鳴を漏らした。
「ただ、もともとあいつ自身に耐性があるわけじゃないから……トープ!」
まだ説明が途中なのに、恐怖が募りすぎたのかトープは鉄格子をつかんで助けを求めた。
「嫌だ、死にたくないっ。出してくれっ。ここから出してくれ!」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃに濡らすトープが失禁まですると、外側にいた見物人たちの空気が変わった。鼻白んださまで、隣の客とひそひそ話をする。
そこへ獣が飛びかかってきた。
レオンは再び『剣の法』を放った。火球を食らって獣が後退する。やはり体が燃えることはないが火は怖いのか、警戒した目でレオンを見つめている。
「トープ、あいつに背を向けるとよけいに狙われるよ」
レオンはトープと獣の間に立って忠告したが、トープは錯乱状態に陥っている。ひたすら大声で叫ぶだけのトープに、ついに文句が出始めた。
「うるさい子だな」
「まったく、邪魔だよ。あの炎の法専攻生だけでよかったのに」
「さっさと食われてしまえ」
自分へそそがれる軽蔑と敵意にすらトープは気づいていないのか、まだ声を張り上げている。その間にレオンは何度も炎で獣を押し戻した。
さすがにもう息が切れてきた。
あちらからの合図については、ホーラー教官は言及しなかった。ただ、限界だと思ったときに取る行動は指示されていた。そのときはたとえ準備が整っていなくても駆けつけるからと。
鼓動が速い。かすかに感じた異変に、いよいよ発作が起こりかけていることをレオンは察知した。よくここまでもったと、自分をほめてやりたい。
ポケットに手を突っ込んで錠剤をにぎる。しつこく牙をむく獣に炎のつぶてを投げてからレオンは錠剤を飲んで走り、トープの背中を杖でなぐった。
けっこう力を入れたので、痛かったのだろう。ようやく我に返ったらしいトープが怒りの表情でふり返った。
「痛いじゃないか、レオン!」
「鉄格子から離れて、僕の近くにっ」
「なん……」
「早く来ないと丸焦げにするよ!」
また舞台中央付近にまで戻りつつレオンが口にした二度目のおどしに、トープが慌てたさまでついてくる。獣のほうもこれが最後とばかりに吠えて猛然と駆けてきた。
「光と熱を司りし炎の神レオニス。我は請う、我に仇なすものどもに灼熱の刃を!!」
敵は一匹だったが、レオンは宙に三角形を描いた杖を横なぎにした。
レオンを中心に炎が輪となって一面に広がる。レオンの放った範囲法は舞台を覆い隠すまでに立ち昇った。
「何だ!?」
「炎で見えないぞっ」
客席がどよめいたとき、出入口が開かれて警師団と市の警兵がなだれ込んできた。末席で悠然と座る一人をのぞき、見物していた者たちがいっせいに逃げようとしたが、足が動かない。
「足が――!?」
「いったいどうなってるんだ?」
「どうしてここに警師団が……」
警師団に反応しているのは貴族だ。皆、レオンが最後に発動させた派手な法術に目を奪われ、大地の神法士がかけた枷の範囲法に気づくのが遅れたのだ。
「全員確保したうえで、貴族以外は警庁へ引き渡せっ」
一人だけ枷の法の枠から出ていた琥珀色の髪の男性が立ち上がって命じる。
警師団員と警兵が会場内に散り、手際よく縄をかけていく。怒号や悲鳴、泣き落としで騒然となる中、シアン・フォルナ―キスは付き添う団員を連れてまだ燃え盛る舞台へと向かった。