(11)
夜になってもレオンは屋敷から出てこなかった。試しにフォルマとルテウスに訪ねさせると、確かに課題を届けに来たが、まだチュリブには面会できないためすぐに帰ったと秘書は伝えたという。おまけに、門のそばにこれが落ちていたとわざとらしくレオンの首飾りを差し出したのだ。
発作を抑える錠剤を入れた首飾りだったので、レクシスは青ざめた。もしも作戦決行中に発作が起きれば大変なことになる。
しかし首飾りを開けたフォルマが、安堵の息をついて笑った。
「先生、大丈夫です。レオンはたぶん薬を半分持っています。もしかしたらこれを奪われるかもしれないと予想して、事前に薬を抜いておいたんじゃないでしょうか」
「本当か?」
「あいつは一度痛い目にあうと、徹底的に用心するので」とルテウスも請け合う。マルクたち他の警兵もほっと肩の力を抜いた。
「彼は神法学院に進学するんでしょう? 卒業時には警庁に勧誘しますか」
一回生とは思えないくらい、しっかりした子ですねと言うマルクに、レクシスもうなずいた。
「そうだな。あの観察力と頭の回転の速さは使える。今から囲い込んで関係を築いておいたほうがいいな」
「酒はだめですよ、レクシスさん」
「なんでだ? あれが一番親交を深めやすいだろうが」
「今、教官の立場なのを忘れてませんか」
マルクがあきれる。警兵たちからも苦笑され、「まったく、不自由な職業だな」とレクシスは深緋色の髪をかいた。
先ほどマンティスが一度馬車で屋敷を発ったが、レオンは乗っていなかった。このすきにチュリブと少しでも話ができればいいがと、レクシスは屋敷をにらみつけながら唇を引き結んだ。
叔父が外出したのを見届け、チュリブはそっと部屋を出た。
レオンが屋敷を訪ねてきたこと、睡眠薬入りの果汁を飲んで意識を失い、秘書に運ばれていったのをプレヌから聞いたチュリブは、吃驚した。
本当は、レオンが持ってきた課題と皆からの手紙を見たかった。でも叔父は絶対に許してくれないはずだ。取り寄せた婚姻書類に署名するまでは、外の世界とチュリブを遮断するつもりだから。
まさか叔父が部屋に入ってくるとは思わなかった。レオンとの昼食を楽しみにしすぎて、浮かれすぎて、注意を払いきれなかったのは大きな失敗だった。
あの日、何かに頬をなでられる感触に目を覚ましたとき、チュリブは驚きすぎて呼吸を忘れた。レオンの人形でチュリブに触れる叔父の顔は、あまりにも暗く醜悪だった。
「いつからこれと添い寝をしていたんだい、チュリブ?」
人形の口をチュリブの唇に押し当て、マンティスは低く問いかけた。
「毎日こうしていたのかい?」
恐怖に声が出ない。ただかぶりを振るチュリブの目の前で、マンティスは人形の目にしていた青い玉を引きちぎった。
「これはお前の同期生だね。あの会食の日に会った、炎の法専攻一回生代表――名前はそう、レオンだ」
やはり覚えていた。トープがでしゃばったおかげで、もしかしたら叔父の気を引かなかったかもしれないというはかない願いは砕け散った。
「……ち……違うの、叔父様」
「何が違うんだい?」
「レオンは……私のことなんて眼中にないの。だから……」
「でも、お前は好きなんだろう? こんなものを作るくらいに」
そしてマンティスは、人形をチュリブの寝着に潜り込ませた。
「お前はあの子とこういうことがしたいんだろう」
人形で胸乳をこすられた刺激に、チュリブはびくりと身を縮めた。その反応すら憎らしいとばかりに、マンティスが馬乗りになってチュリブの胸元を開いた。
「やっ……嫌っ、やめて叔父様!」
抵抗するチュリブの首筋に吸いつく叔父の動きはとまらない。唇で上半身を這い回りながら手で太腿の内側に入ってくる叔父を、チュリブは必死に押し返した。
「誕生日まで待つって言ったじゃない!」
チュリブの叫びに、マンティスがはっとかたまった。
「約束を破るなら、叔父様の名前は書かないわ。死んでも書かないから!」
全身で息をしながら、チュリブは涙目でマンティスをにらみつけた。
苦々しげにチュリブを凝視していたマンティスが、やがて一つため息を漏らした。
「いいだろう。私の誕生日まで、お前には学校を休ませる。家でいい子にしているんだ」
「そんな……!」
「同期生との幼稚な恋愛ごっこなど無意味だ。私がお前を立派な淑女に育てるから、安心して私にすべて委ねなさい」
最後にチュリブの額に接吻を落とし、マンティスはレオンの人形をつかんで出ていった。
翌朝、レオンの人形はずたずたに切り裂かれた上で燃やされたとプレヌから聞いたとき、チュリブは泣いた。
せっかくのレオンとの約束もかなわず、ただぼんやりと一日を過ごした。
レオンの人形のことを叔父に報告しなかったことでプレヌは叱責されたが、チュリブがプレヌ以外の侍女からの世話は受けないと我を通したため、プレヌはどうにか罰を免れ、今までどおりチュリブ付きの立場にとどまることになった。
叔父の本性を知ったプレヌはただただ驚き、束縛されたチュリブをなぐさめた。チュリブが助けを呼べないよう、プレヌも外出を禁止されたが、裁縫の課題と称してレオンの色の紐と玉をつけた袋を学院に提出する手伝いをしてくれた。
自分のレオンへの想いを知っているホーラー教官なら、きっと気づいてくれる。ずっと登校できないことを怪しんでくれるはずだ。
叔父から解放されるためには、叔父が保護者としてふさわしくない人物だと証明しなければならない。遺産目当てで姪に結婚を迫る卑劣な男だという証拠を集めなければ、この牢獄から抜け出せない。
レオンの訪問には気づいていないふりをした。月のものがきて腹痛で動けないと、プレヌから叔父に伝えてもらったのだ。
食事もほとんどとらず寝台で横になるチュリブの様子を一度見に来てから、叔父はどこかへ出かけて行った。レオンに会いにいくなら今だ。
「お嬢様、本当に大丈夫ですか?」
不安げなプレヌに、チュリブは微笑した。
「私のことは心配しないで。プレヌは早く仕事に戻って」
体がつらいから薬を飲んで今夜はもう寝ると自分が言ったので、叔父はプレヌに別の仕事を言いつけた。これならもし叔父に見つかっても、プレヌは責められない。この屋敷でただ一人の味方を失うわけにはいかなかった。
チュリブへの行為が見咎められないよう、屋敷は事情を知るひとにぎりの人間しかいない。他はすべて叔父の誕生日まで、叔父が特別給金を与えて休暇を取らせたのだ。
ひっそりと静まり返った廊下を、チュリブは慎重に先をうかがいながら進んだ。地下牢があると言われている場所に、レオンはきっといるはずだ。
扉はどこも同じ色形をしていた。これではどの部屋に何があるのかわからない。それでも用心深く一つ一つを確認して回ったチュリブは、ようやくそれらしきものを発見した。
開いた扉の先に石階段が続いている。物音はしない。チュリブは一度深く息を吸ってから、ゆっくりと石段を下りていった。
狭い空間に、小さな牢が二つ並んでいた。燭台で燃える蝋燭の炎が照らし出した少年に、チュリブは瞠目した。
「レオン!」
一方の牢の中で石壁に寄りかかってうつむいていたレオンが、ぱっと顔を上げた。
「だめだ、それに触ったら――!」
駆け寄ったチュリブにレオンが警告する。しかし間に合わず、チュリブは鉄格子をつかんで悲鳴をあげた。
両のてのひらは赤くただれていた。膝をついて痛みにうめくチュリブに、レオンが這ってきた。
「大丈夫? すぐ冷やしたほうがいい」
中の人間が逃げ出せないよう、法術がかかっているのだとレオンは教えた。
「叔父さんは?」
「今、外出してるの。ごめんなさい、レオン。私のせいで、叔父様がひどいことを……」
手の痛みと、レオンに会えたことで気持ちが高ぶり、チュリブは涙をこぼした。
「君が課題だといって学院に送った袋で、ホーラー先生が勘づいたんだ。僕はホーラー先生の協力者としてここへ来た。僕なら叔父さんが捕まえるはずだからって」
「どうして……」
「言いたいことは山ほどあるよ。普段どうでもいいことは甘えるのに、なんでこんな大変なことをすぐ頼らなかったのさ」
叱られて、チュリブは肩をすぼめた。
「先生も心配してる。その……間に合った?」
遠慮がちな問いかけに、レオンがホーラー教官からだいたいのことを聞かされているのだとチュリブも悟った。
「叔父様の誕生日までは署名もしないし、手も出さないって約束させてるの」
「なるほど、それまで君を家から出さないつもりなんだね」
学院にはチュリブが流行り病にかかったという連絡が届いていることをレオンが告げた。
「待ってて、レオン。たぶん叔父様の部屋に鍵があると思うの。あと数日は家の中も人が少ないから、叔父様がいない間に鍵を取ってくるわ」
「僕のことはかまわなくていいよ。わざと叔父さんに捕まるために来たんだから。君は自分の身を守ることに専念して。もし救出より先に署名させられそうになったら……」
レオンは小声でチュリブに策を伝えた。
「ばれないように、さりげなくだよ」
「わかったわ。でもレオン、本当に平気?」
「うん。ホーラー先生の話では、あと二日くらいだから」
「薬は?」
「毎日飲んでいるほうは手元にないけど、発作用はポケットに入れてる。あまり長居しないで、もう戻ったほうがいい」
うながされ、チュリブはまだ涙で頬を濡らしながらも立ち上がった。そのとき、レオンが声をかけた。
「先生を信じて。先生が絶対に叔父さんをとめてくれる」
「……うん。ねえ、レオン。約束は無効になってない?」
こんな目にあわせたのだから、もう一緒に昼食をとりたくないかもしれない。それでもつい尋ねたチュリブに、レオンは青い瞳を弓なりにした。
「なってないよ。だから――あと少しだけ頑張れ」
初めて向けられた優しい笑みに、チュリブは胸が熱くなった。
助けてくれないと思っていたレオンが来てくれた。自分のかかえていた事情を知られてしまったのは恥ずかしいけれど、この先に待つ明るい未来に勇気がわいてきた。
何度もレオンをふり返りながら地下牢を出る。周囲に気を配って歩いていたチュリブは、ひりひりするてのひらを少し冷やそうと思い、一番近い料理場に立ち寄った。しかし水は張っておらず、自分で汲むこともできないので、プレヌを捜そうときびすを返した目の前に叔父の姿を見て、チュリブは悲鳴をあげた。
「こんなところで何をやってるんだい、チュリブ?」
「あ、その……お、お腹が少しすいて」
とっさに手を後ろに隠す。しかし見抜かれていたらしく、マンティスに強引に腕をつかまれた。
「やけどしてるじゃないか。いったいどうしてこんなことになったんだい?」
「だ、誰もいなかったから、何か作ろうと思ったの。でもうまくいかなくて……」
「鍋も食材も出ていないのに?」
緑青色の双眸をすっと細めたマンティスは、すぐそばの調理台にチュリブを押し倒してスカートをたくし上げると、乱暴に下着を下ろした。
「汚れてないね。月のものだというのは嘘だったのか」
秘部をむき出しにされたチュリブは驚きと羞恥で叔父を突き飛ばした。マンティスがよろめいたすきに調理台から下りる。そのまま逃げようとしたものの下着が足に引っかかり、チュリブは転んでしまった。
「私は約束どおり待っているというのに、お前は平気で嘘をつく。いいかげんお前にも罰を与えねばならんな」
マンティスがチュリブの左のふくらはぎを勢いよく踏みつけた。
あまりの痛みに呼吸がとまる。冷や汗と動悸に襲われ、チュリブはあえいだ。
「私のいない間に、彼のもとへ行っていたんだろう。その手は、鉄格子をうっかりさわったせいで焼けたようだね」
「あ……う……」
言葉にならない。息も絶え絶えの状態で、チュリブは叔父から少しでも離れようとしたが、マンティスはいっそう強くチュリブのふくらはぎを踏んだ。
殺されるかもしれない。冷ややかに見下ろしてくる叔父に恐怖が募ったとき、「お嬢様!?」とプレヌの叫び声が響いた。
マンティスがすっと足を引く。しかしチュリブはもう動けなかった。うずくまったまま小刻みに震えるチュリブにプレヌが駆け寄ったところで、「チュリブを部屋へ連れていく。湿布を用意しろ」とマンティスが命じた。
「旦那様、どうか水の神法士をお呼びくださいっ」
「だめだ。簡単に傷が癒えれば、この子はまた私の意に反した行動をとる」
「ですが……」
「私に口答えする気か、プレヌ?」
マンティスににらまれ、プレヌがはっとこわばって頭を下げた。
「申し訳ございません。出過ぎた真似をいたしました」
「チュリブをしっかり監視しておけ。少しでもおかしな動きをしたらすぐ私に知らせるんだ。言いつけを無視すれば……わかってるな?」
プレヌを脅してから、マンティスがチュリブを横抱きにする。マンティスに触れられるのが嫌でたまらなかったが、プレヌのためにチュリブは耐えた。
自室の寝台に寝かされたチュリブは、すぐ叔父に背を向けた。これ以上むだな抵抗はしない。ホーラー教官が助けに来てくれるまでの辛抱だ。
歯を食いしばって痛みと涙をこらえるチュリブに、叔父がささやいた。
「早めに署名する気になったらいつでも呼びなさい。そうすれば、あの少年もあそこから出してやろう」
「……どうしてレオンを捕まえたの?」
彼は何もしていないのに、とつぶやいたチュリブに、マンティスは鼻を鳴らした。
「あの子はお前のことを可愛いと言っていたそうだ。どうやらそっけなくしていたのはわざとだったようだな」
まさかと、思わず叔父をふり返る。ぞっとするほど狂気をはらんだまなざしに、チュリブは身をすくませた。
「やはり学校になど入学させるべきではなかった。お前を私の手からかすめ取ろうとする者が多すぎる」
チュリブに掛布をかけながら、マンティスは欲と冷徹さにあふれる微笑を浮かべた。
「いい子だから、よそ見をせずに私のものでいるんだ。そのほうが幸せだよ」
掛布ごしに体をなでられる。おぞましさにぎゅっと目をつぶるチュリブの髪を、マンティスは丁寧に指ですいた。
「怖がらなくていい。お前が私に逆らわなければ、痛い思いはさせないのだから」
愛してるよ、とチュリブの頬に接吻し、手当てに必要なものを持ってきたプレヌと入れ違いにマンティスは部屋を出ていった。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
寝台の脇の小机に冷たい水を張った盥を置き、「失礼いたしますね」と言ってプレヌが足元の掛布をめくる。
ひどくはれ上がったふくらはぎを痛ましそうに見ながら、プレヌが「痛みどめです。これは禁じられておりませんので」と飲み薬を渡そうとしたが、チュリブは両手にやけどを負っていたため、薬を口に運んでもらった。
「こんなになるまで踏みつけるなんて、あんまりです。それにこの両手……痕が残らなければいいのですが」
両手と左足に湿布をはってもらい、チュリブは吐息を漏らした。
「失敗しちゃったわ。叔父様があんなに早く帰ってくるとは思わなくて……でも、レオンには会えたから」
「レオン様はご無事でしたか」
「うん。レオンに頑張れって言われたの。昼食の約束もそのままにしてくれるって……だから、おとなしくしておくわ」
すべて解決するまで、レオンと話す機会はもてないだろう。それでも、同じ屋敷の中にレオンがいると思うだけで心強かった。
せっかく作った人形はもうないけれど。十日を待たずに破棄されてしまったけれど、代わりに温かい笑みをもらうことができた。
あと少し――もう少しで自由になれる。抱きしめた枕に顔をうずめ、励ましてくれたレオンを想いながら、チュリブは気を失うほどの疼痛に耐え続けた。
「よし、動いた」
夜半近くに屋敷の門を静かに馬車が抜けるのを見て、レクシスはあらかじめ召喚しておいた炎の神の使いを門柱から馬車の屋根へ飛び移らせた。
馬車は小窓が法術のかかった布で覆われているので、一見すると誰が乗っているのかわからないが、微弱ながらレオンの気配が漏れている。
「予定どおりにいきそうだと、アルスに連絡しろ」
レクシスの指示に、そばにいたマルクが承知して離れていく。その間も、レクシスは御使いの目を通して行き先をたどった。
「頼むぞ、レオン」
何とかもちこたえてくれとつぶやき、レクシスはチュリブがいるはずの屋敷を一瞥してから移動を開始した。