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 自分の教官室へ戻るため神法学院内の廊下を歩いていたイオタは、曲がり角の向こうから聞こえてくる叫び声に眉をひそめた。

「私はキュグニー先生と一緒がよかったのに、どうしてウォーモ先生なんですか!?」

 涙声で訴えているのは、去年副教官から昇進した大地の法担当教官のレチェ・ブリッケンだ。

「君がイオタとは行きたくないと言ったからだよ。まだ教官になって年数が浅いし、年配のウォーモ先生からは学べることも多い」

「若い先生のほうが参考になります。水の法担当教官と組むなら、リベル先生にしてください」

「私は今年はオーリオーニスに行くから」

「じゃあ、私もそこに入れてください。キュグニー先生と同行できないのにゲミノールムなんて――」

「ブリッケン先生、これ以上振り分けに文句を言うなら辞退してくれてかまわないよ。絶対に君に行ってもらわなければならないというわけではないからね」

 普段は物腰の柔らかいカルフィーが珍しく苛立ちをあらわにしている。ブリッケン教官もそれを感じ取ったのか、ひくりと涙をとめた。

「キュグニー先生はどうなんですか? 私よりカエリ―先生のほうがいいというんですか!?」

 意味がわからない。イオタがため息をつくと同時に、カルフィーの隣にいたファイが答えた。

「遊びに行くんじゃないんだから、いいも悪いもないだろう」

 正論だ。近頃はかなり人当たりがよくなってきたファイの久しぶりの無愛想な口調に、イオタは思わず吹き出しかけた。

「でも、馬車で過ごす時間もそれなりに長いですし、どうせなら楽しく過ごしたいと思いませんか?」

「まるでイオタが君につらく当たったような言い方だね」

 首をかしげるカルフィーに、ブリッケン教官はよくぞ聞いてくれたとばかりに身を乗り出した。

「カエリ―先生は男性の前とでは態度が違うんです。女性にはとても高圧的なんですよ。去年私がどれだけ居心地が悪かったか……!」

「それについては、私は実際にこの目で見ていないので何とも言えないが、君があちこちで()()()()()()()()()()()()まねをしているということは、しばしば耳にしている」

 よほど腹に据えかねたのか、ついにカルフィーの口から嫌味が飛び出した。心当たりがありすぎるらしいブリッケン教官がはっと息をのみ、かたまる。それでもまだしつこくすがりつくまなざしをファイへそそいだ彼女に、ファイが告げた。

「もし僕に選択権があっても、君じゃなく、付き合いの長いイオタを選ぶよ。そのほうが気を使わなくてすむし、イオタは実のある会話ができる人だから」

 ファイからもとどめの皮肉を食らい、ブリッケン教官が真っ赤になった。

「……ゲミノールム出身の先生方は意地悪ですっ」

 まずい。法衣を着ていても大きさがわかるほど前に突き出た胸を揺らしながらこちらへ向かってくるブリッケン教官に、イオタはやむを得ず曲がり角から出た。どうせ嫌な態度を取られるなら、カルフィーとファイの視界に入る状態のほうがいいと思えた。

 案の定、イオタに気づいたブリッケン教官は仇敵にでも遭遇したかのようににらみつけてきた。

 言動があまりにも幼稚で、やり返す気にもなれない。

 誰もが神法学院で学び、教官になったとはいえ、やはり出身学院が同じ者と親交が深くなり、派閥もできやすい。一方で、交流戦の相手だった学院とは年を取ってもなぜか張り合う傾向にある。

 クラーテーリス出身の教官も、オーリオーニス出身の教官のことを、お高くとまっているだの何だのと陰口をたたいていた。

 武闘館ではそんな風潮はないと夫は言っていた。どの学院出身だろうが実力のある者が称賛されるし、互いに競い合う間に仲良くなるからと。しかしそれはおそらく、誰が見ても判定が変わらない形で勝敗が決まるからではないかと思う。

「ゲミノールムが意地悪なら、スクルプトーリスはむだに押しの強い自信家ね」

 カルフィーとファイに合流したイオタは、やれやれと肩をすくめた。

「あんなのを教官に上げた大地の法専攻教官長の()()は大きいわ」

「タッシェが怒り狂っていたからね。自分のときは他の教官が何人も推薦してくれたにも関わらず難癖ばかりつけていたのに、彼女はちょっと胸元を開いて見せただけで、エルタァ教官長はゴミ同然の論文をほめて、たった二年でさくっと昇格させたと」

 カルフィーが苦笑する。タッシェ・ペタススはファイの同期生で、現在神法学院の大地の法担当教官であるとともに、ファイと共同で薬の研究をしている。

「ちょっと見せただけじゃないわ。ヤッてるわよ」

「まさか……祖父と孫ほどに年の差があるのに?」

 瞠目するカルフィーに、イオタは鼻を鳴らした。

「当人同士がその気なら年齢なんて関係ないんじゃない?」

 同僚には昇進を盾にエルタァ教官長に迫られたと被害者ぶっているそうだが、さすがに同学院出身者(みうち)もあきれているという。

「まあ、苦労するのはこれからだよ」とカルフィーは言った。

「エルタァ教官長は来年で退職が決まっている。だからこそ今のうちにと彼女も取り入ったんだろうが、後ろ盾がなくなれば、実力のない者は淘汰されるだけだ」

「すでに淘汰が始まってるみたいだけど。今年の受講希望者、最低人数ギリギリだったって聞いたわ」

 しかも色仕掛けと泣き落としで、どうにか確保したという噂だ。

「卒論の指導生は?」

 イオタが尋ねると、「たしか五人だったはずだ」とカルフィーが答えた。

「あら、よく五人も集まったわね」

「希望調査ではまだそれなりにいたんだけどね。今年はファイが手伝わないと明言したら、みんな逃げ出したんだ」

 残った五人は成績不良で他の教官がはじいた子ばかりだから、全員留年するかもしれないなと言うカルフィーに、イオタはファイを一瞥した。

「当てが外れたってわけね」

 ファイは眉間にしわを寄せている。年度末、初めての卒論指導で困っていたときにファイが優しく手伝ってくれたと、ブリッケン教官はあちこちに吹聴していた。事の真偽を問いただしたイオタに、彼女を手伝ったわけではなく、彼女の指導生に泣きつかれたことをファイは説明した。

 卒業論文の評価は指導教官以外に二人以上の教官も加わる。半分以上の教官に不可をもらうと卒業できなくなってしまうのだ。

 ファイとしても正直手一杯だったが、第一希望をファイにしていた四人だけは引き受け、どうにか合格をもらえる基準まで世話をしたという。

 しかし残る八人のうち、三人は結局留年することが決まった。もちろんその三人は今年、別の教官のもとで論文作成に取りかかっている。

 講義は単位を取りやすい楽なものを選び、卒論指導はきちんと面倒を見てくれる教官のもとへ行こうとして、上級生からの情報収集に必死な下級生は多い。気に入ればどんなひどい出来でも必ず『優』の評価をくれるブリッケン教官は、要領のいい生徒にとっては扱いやすい先生だが、去年の悲惨な状態を聞いているせいか、今年卒論指導を受ける五回生からは敬遠されていた。

 だからこそ、ブリッケン教官も生徒に人気のファイと親しくして自分の立ち位置を上げようと考えているのだろう。もっとも、彼女の意図はそれだけではないが。

「それで、彼女は君につらく当たられたみたいだけど、身に覚えは?」

 からかうカルフィーに、イオタはむすっとした。

「あるわけないでしょ。初めての訪問だから女性同士のほうがいいだろうとエルタァ教官長に押しつけられたけど、馬車の中で彼女が話す内容といったら、もっぱら男性教官の品定めだったのよ。口を挟まずはいはいとうなずいていただけで『つらく当たられた』だなんて、私のほうがよっぽど精神的にしんどかったわよ」

 思い出すだけで気分が悪くなったイオタは、ファイを見た。

「特にファイ、あんたのことがすごく好みだそうよ。学院生の頃から付きまとってたけど、仕事も家事も完璧にこなせるなんて素敵って、行き帰りの大半はあんたの話だったわ」

 そこへもってきて卒論指導まで協力してもらったのだから、ファイに熱を上げるのも当然かもしれない。

「あんたが未婚なら、彼女がどれだけぐいぐい行こうが気にしないけど……せめてどんな奥さんを捕まえているか、入念に調べてから来いと言いたいわ」

「見事なまでに正反対な人物だからね」とカルフィーもくすりと笑う。

 倦怠期など今までもこれからも絶対にないだろうと傍から見ていても予想できるくらい、ファイとシータは睦まじい。そもそも、新婚の時期にあの苦労を乗り越えた二人の間に割り込めると本気で思っているのだろうか。

 既婚の、しかも自分が古くからよく知る二人の仲を裂こうと狙っているブリッケン教官が、イオタは大嫌いだった。教育や研究への情熱より若い男の子に慕われたくて教官職に就いたような人間は、放っておいてもそのうち学院を追い出されるだろうが、少しでも早く視界から消えてほしい。

「ところで二人とも、彼女の話を真に受けたりはしてないでしょうね」

「男性教官の前では態度が違うという件か?」とカルフィーが首を傾ける。

「男にこびるイオタというのがまったく想像がつかないんだが、怖いもの見たさで一生に一度くらいは遠くから目撃したい気もするな」

 カルフィーが賛同を求めてファイに視線を投げる。ファイまで吹き出したので、イオタはにらんだ。

「まあ、イオタの話からしても彼女は指導経験が豊富な男性教官とすぐ親密になれるようだから、組み合わせはこのままいこう」

 下等学院の訪問を取りまとめる仕事をしているカルフィーの微笑に、イオタは頬をひきつらせた。

「あんたって本当に、敵に回したくない人よね」

 穏やかな顔で辛辣なことを言うんだから恐ろしいわ、とぼやいてから、イオタはカルフィーがかかえる書類に気づいた。

 それは保管延長申請書だった。何らかの事情で途中になった論文は、申請すれば二年間は保管される。

「あまりヘリオトロープ学院長をお待たせするのも申し訳ないし、そろそろ見切りをつけなければとは思ってるんだけどね」

 暗黄色の瞳を揺らし、カルフィーがぽつりとこぼす。

 論文の書き手は、入学当初からカルフィーが認めていた少年だった。理解力も学習意欲も高く、よくカルフィーの後ろをついて歩いていたのをイオタも目にしていた。

 自分を支援してくれた孤児院に寄付をしたいと、忙しい勉強の合間に働いていたというが、家庭教師の職をあちらの勝手な理由で解雇されて落ち込んだ後、行方知れずになってしまったのだ。

 神法学院の教官になることを目指していた少年を自分の後継者として育てるつもりだったカルフィーは、心配して周囲にも聞いてまわった。警庁に捜索願も出したが、結局足取りがつかめないまま三年になろうとしている。

「途中まで読んだけど、完成すればとてもいいものになりそうね」

「ああ。だからもったいなくて捨てられないんだ」

 本当に、いったいどこに行ってしまったんだろうねと寂しそうに言い、カルフィーが去っていく。それを見届けてから、ファイがイオタをかえりみた。

「イオタに頼みがあるんだが」

「何?」

「炎王の石板を貸してもらえないか」

 イオタは驚惑した。炎の神を中心に十一の使者の名がぐるりと円を書くように刻まれた石板は、神法学院の資料室に置かれていて、炎の法専攻教官にしか持ち出しが許されていない。

 模造品は下等学院にあるが、本物が欲しいということはそれを使って何かをするつもりなのだ。

「また妙なことに首を突っ込もうとしているんじゃないでしょうね」

「天空神の導きの力がどこまで及んでいるか、確かめたいんだ」

 もしかしたら使者の助けを得られるかもしれないと言うファイに、イオタは我が子の仲間の問題を思い出した。

「そういえばオルトに聞いたけど、レオンの薬の継続的な調合を引き受けたんですって?」

 教官と薬司の任を両立させるため、ファイはこれまで個人からの依頼は単発のもの以外断っていたのだ。その基本姿勢を破って承知したということは――。

「ルテウスがリリーの冒険仲間になったと知ったとき、僕が昔ルテウスを助けたのは縁あってのことだったのかもしれないと思ったんだ。そして今回、レオンの薬のことを相談されて、確信が強まった。たぶん彼らを支えるために僕がいる」

 あの子たちの中に使者と同じ名前の子がいるだろうと言われ、イオタもはっとした。 

「もし、レオンと相性のいい使者がそれなら、レオンは長患いから完全に解放される」

 見つめ合い、イオタはうなずいた。

「……いいわ。すぐ出せるよう準備しておくから、いつでも言ってちょうだい」


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