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「相談内容はなんだ、座敷童子」
「えっ」
部屋の奥にあった小さな給湯スペースで母親の見よう見まねで作ったお茶。
慣れないながらもお茶の入った湯飲みを慎重にローテーブルに出していたのに、玖郎が突拍子もないことを言ったからビックリしてお姉さんより先に声が出てしまった。
急に何を言い出すんだ玖郎。
思わず、顔面ごと動かして玖郎を見やると、眉をひそめたご尊顔と出会った。はい、黙ります。
「どうかしたの、キミ……って、キミ、人間じゃない!」
お姉さんは丸い瞳をさらにまん丸に、大きく開いた。
「あー……えっと、臨時のバイトです」
「そうなんだ! こういうトコって、そういうのがアリだって聞いてたけど、イイなー」
「そういうの?」
「あっ、ねぇねぇ、キミの名前なんて言うの?」
瞳をキラキラとさせたお姉さんは次から次へと言葉が流れてくるので、俺もその勢いに押されまくって、ついその言葉の波に乗っていた。
「俺の名前ですか? 俺の名前はーー」
名前を言いかけた瞬間、鋭い声が言葉を制す。
「そこまでだ」
「え?」
俺に向けた言葉だと思ったが、玖郎の視線は、お姉さんに固定されている。
「座敷童子、コイツはまだ狭間にいるやつだから、礼儀を知らん。からかうな」
「あーだからこんなに初々しいっていうか、ふわふわキラキラしているのね」
クスクスと笑い声をこぼしながら、妙に納得しているお姉さん。
ちなみに俺は、からかわれている自覚がなかった。でも正直、悪い気はしていない。
「そんなことはどうでもいいだろう、座敷童子」
「えー?」
話が切り替わったので頭をペコリと下げて、窓際に戻る。
「お前、問題が起きているんだろう」
「んーっと、問題が起きているっていうか、なんと言うかー」
「お前のゴチャゴチャとした私見など不必要だ」
あまりにも横暴な言い方に自分に言われているワケでもないのに心臓にぐさっと刺さる。関係ない俺でさえそうなるのだから、お姉さんが泣いたりしてしまわないかとヒヤヒヤしてしまう。
だけど、お姉さんは困ったように笑っただけだった。
「そうね。私じゃ、もう……どうにもできそうにないから」
「だろうな。今、起きている問題を話せ」
玖郎の冷ややかな言葉に、お姉さんは観念したように口を開いた。
「実は、私、いま、人間の会社で働いているんだけど……」
いわく、座敷童子のお姉さんは奥村 識と名乗って、とある会社で人間として働いているとのこと。
もちろん、偽名であるが、それがまかなり通るのが、摩訶不思議。ツッコミどころ満載、謎いっぱい。
さきほどの失敗をふまえて、お口にチャックをして奥村さんの言葉を静かに聞いた。
「別に、会社でなにか問題があった、とかじゃないんだけどー……」
奥村さんは言いにくそうに、口をモゴモゴと動かした後、大きく息を吐いた。
「ある時、たまたま、その、飲み会の人数合わせで参加したんだけど、そこで、出会った男性と、イイ感じになって……」
予想もつかない展開に俺は目を見開くことで、言葉を発することを耐えた。
「お前、まさか、理りを破ったのか?」
低く唸るような玖郎の声に驚いたのか、奥村さんは両手を左右に振り、慌てて訂正する。
「違う違う! 付き合うとかじゃないからね!
そ、それに頃合いをみて、友人としてもちゃんと距離を置くつもりだったしっ」
「当たり前だ」
「その彼は、最近じゃ珍しいぐらい真面目で誠実な人間なの。それで才能もあって。あ、彼ってグラフィックデザイナーなんだけど」
「そんなことはどうでもいい。で、理りを破っていないのにここにきたにはワケがあるんだろ」
一刀両断って言葉がしっくりくるほどの、話しの切り方に、聞いているだけのはずの俺の心はガリガリと削られていく。
奥村さんの本来の性格なのか、眉を下げながらも明るい空気を保ちながら玖郎の言葉を受け流す。
「んー、そのー、で、彼すごく頑張っているんだけど、タイミングが悪いって言うか、運が悪いって言うかー」
「つまり、座敷わらしの力を使った、ということか」
「えぇ。もちろん、使ったって言っても、一緒にいることで与えられる最低限、のはず、だったんだけど……な」
奥村さんの声は小さくしぼんだ。
「予想外のことが起きたんだな?」
「そう。私だけでは、もう、どうにもできなくなっちゃった」
顔を傾け、笑った口元。
明るい口調で、奥村さんの瞳は、悲しげに揺らいでいた。
*
「珠美さん。座敷童子って、あの有名なアレですよね?」
奥村さんの内容、相手の情報を聞いて、対応は時間がかかると言うことで、玖郎が奥村さんを帰していた。
必要なことがあったら連絡するからそれまでは何もするな、と冷たく言っていたのは数分前のこと。凍える。
奥村さんはそんな玖郎に臆することなく、眉を下げて、お願いしますと丁寧に頭を下げて帰っていった。
そのあと玖郎は、別件があると外に出て行ったので、今は珠美さんと二人きり、とても気が楽だし、質問もし放題だ。
『うむ。人間の世界で噂されていることは予々、事実であるな』
「じゃあ、家に住み着いて、幸せなことを引き寄せたり、富をもたらすとかって。まじか、すげー」
『そうだ。昔から、ヒトがノドから手が出るほど、欲しいアヤカシよ』
珠美さんは尖った耳をふせ、目を細めている。その様子はどこか剣呑だ。何か気になることがあるのだろうか。
俺はなんとなく、そのことは触れないでおこうと思った。
「あ、でも女の子って言われているけど、フツーに大人の女性だったんですね」
『あぁ、そういえば、そうだったのう』
珠美は俺の指摘に動じることはなく、ごく自然に思い出しているようだった。
「つまり、実は女の子じゃないってことですか?」
『そうとも言えるし、そうとも言えない。その辺りは、ヒトと同じことよ』
「同じ?」
『状況に合わせて身なりを変えるだろ? そう言うことよ』
「なるほど」
この相談所も、この世で生活しているアヤカシと人間との間で起きたトラブルを受け付けるための場所だって、言ってたし、俺が気づいていないだけで、たくさんのアヤカシが実は街の中で生活しているのかもしれない。
確かに言われてみれば、いかにも怪しい姿でいたら、変に思うし、目立つ。
『そうだ、壱。お主、名は簡単に他のモノに口にしてはいけないぞ』
「え? 座敷童子っていうか、奥村さんも名乗ってって、あ、偽名か。なんで?」
『真名を知られると、操られやすくなるからな。妾も、玖郎も、名しか名乗ってないだろ』
「た、確かに……正直、意地悪かと思ってたけど、理由があるのか」
玖郎はすごくイヤイヤだったもんな。バイトすることになって、さすがに名前がわからないと困ると思って、名乗ろうとしたら「下の名前だけでいい」って言ってたのも、奥村さんの時も、そういう理由か。
『まぁ、人間の真名なんていうモノは無意識化にあるのみ。今の世で使われている名は、仮の名のようなものだがな』
「うん? じゃあ、俺は別に名乗ってもいいのでは?」
『彼奴はそれでも、拒みたいのだろう』
「それって……」
噂をすれば影。と言葉がぴったりなぐらい、玖郎の名を出す寸前に、その声が聞こえた。
「珠美。ここ最近、オシャベリが過ぎるんじゃないか?」
外に出ていたはずの玖郎はいつの間にか、部屋の中に立っていた。
声は冷え切っているし、心なしか部屋の中の温度も急激に下がったような気がする。
『そうかのう? お主が手抜きをして、壱に隠り世のことを説明してやらんからだ』
「今だけしかいない手伝いに説明は不要だ」
『ふはっおかしなことを言う、ならば、壱が不利になるような時、わざわざ止めているのはなんでだろうな』
「後々、面倒なことになることを避けているだけだ」
『ならば、最初に説明しとけば、都度都度の手間をなくせるではないか?』
「このっ! 減らず口の女狐が!」
『若造には負けはせんよ』
息を呑む、言葉の打ち合い。
殺伐とした空気に俺は呼吸を忘れていたかもしれない。すごく息苦しかった。
怒りのオーラを出す玖郎に対して、珠美さんは飄々とのらりくらりに話を続ける。最後は玖郎の舌打ちで、幕が降りた。
「壱。お前は、この男のところに行って、様子を見てこい」
口撃の範囲外かと思って静かにしていたのに、玖郎からのキラーパス。
「ひぇ。え、えっと、その、様子を見る、とは……?」
ダメ元で質問したら忌々しげに舌打ちをした玖郎。
八つ当たりだと思いながらも、体は勝手に震える。
「お前が追える範囲すべて、観察して、異変を感じたら、それを伝えればいい」
さっきの珠美さんの言葉のおかげか、少し説明はしてくれたけど、けど。やっぱり意味がわからない。
でも、今、その言葉を発してはいけない空気が流れている。
「わ、わかりました……」
明日のバイトがとてもつもなく憂鬱で地獄な予感しかない。
それでも、なんとか返事をした俺を、誰か褒めてほしい。