3・相談所
「あの……俺は本当に必要なのでしょうか?」
昨日の雨が嘘のように、気持ちのいい青空。
カラッとした陽射しが窓から差し込んでくる。
太陽に背中を押された俺は、思い切って口を開いた。
「お前は雑用なんだから、テキトーに掃除をするなり、茶でも出すなりすればいいだろ」
陽射しの当たらない、ソファにだらしなく横たわる男、玖郎は、俺の勇気ある疑問の声をわずらわしそうに手を払う。
「そんな無茶苦茶なー!!」
「うるさい」
新人、いや下っ端らしくソファの隅にちょこっと座って待機していたところ、ソファを使うと言う玖郎に追い出さて、俺が移動した先は、なぜか、窓際にあるデスクだった。なんの知識もない俺でも見てわかる高級そうな木目が美しい机。クッション性のある革張りの椅子。
……うん。どう考えても、この場所って生徒会とかで会長が座ったり、校長先生とかが座るような、絶対、偉い人が座る位置で間違いないポジション!
そこに新人かつ、雑用係の俺が座るとか、おかしくないか!?
「昨日今日で、いまだに俺、理解追いついていないんですけどっ!?」
泣き言と言われたら、その通りだ。
正直、泣いてもいいと思っている。
「だぁから、お前は客が来たら対応しろ。それと人間がきた場合はテキトーに追い払えよ」
面倒くさそう上半身を持ち上げた玖郎はそう言うと、ソファの上で再び、ごろりと寝転がった。
「それも意味わかんないし。そもそも見分け方は!? 俺わかんないって!?」
俺の悲痛な訴えは虚しく、回答なし。
玖郎はそのまま、もぞもぞと動き寝る体勢をつくっている。ただ、足先はソファの外へ飛び出ていて窮屈そうだ。他に寝転がれそうな場所があるわけじゃないけど、それでも玖郎は移動する様子はない。
部屋自体はすごい広いワケではないけど物がない分、空きスペースがある。もっと寝やすい大きなソファでも買えばいいのに。
「お前はわかる」
つらつらと頭の中で考えていたため、急に飛んできた言葉にどきりと胸が跳ねた。
だって会話が成立していなかった。
「え?」
玖郎は会話を放棄していたくせに、さも当然、確信的な言葉が投げつけてきた。きちんと言葉を受け取ることができず、疑問符を浮かべるしかない俺を横目に玖郎は背を向けたまま動かなくなった。
その背中に声をかける勇気はない。
「・・・はぁ」
疑問を口にする代わりに小さく息を吐き出す。
玖郎がソファで寝るのには理由がある。
なんでも朝方まで仕事をしていたらしい……何時から働いていたのか。トータルの労働時間が知りたいけど、知りたくない。現代社会でも驚くほど真っ黒な仕事量にいろんな意味で震えている。
そんな目の前で寝転がる男、玖郎の仕事は”死神”だと言った。
わぁ、思っていた通りだね!
人間じゃないと思っていたよ!!
なんて喜べるわけでもなく、当選プレゼントがもらえるわけでもない。「あ、ソウナンデスネ」とカタコトのお返事するのが精一杯。深く考えず、突っ込まず、小川のごとく流した。
そうして俺はそのブラック労働な、死神の手伝いをすることになりました、とさ。
うん。震える、震えるぜ。現実が受け入れられないぜ。
そして、昨日ずるずると引きずられて来たこの場所は、いわゆるアヤカシと言われる、この世ではない別の、隠り世で生きるモノたちが、この世の人間とトラブルが起きた時のアヤカシ相談所、らしい。
アヤカシと人とのトラブル自体は多くはないが、トラブル対応以外にも、死神としての業務は日々あって、忙しい。その上、玖郎曰く、時々、人間が迷い込んでくる時があり、その対応がさらに面倒で手間だった。
なのに、いくら申請しても人員補充もなく、仕方なしに馬車馬の如く働く玖郎の前に「なんでもやります」と言う、アホな人間、俺、登場。
飛んで火に入る夏の虫、ネギを背負ったカモ。
そう言われたとしても、ぐうの音も出すことができない。
こうして、アホで間抜けな俺は、使い放題できる雑用係となった。
納得いかない。
そもそも、そんなに人手不足なら、俺でなくて迷い込んだ人間にやらせれば良かったのでは?と思うところだが、隠り世のモノであるアヤカシたちが、この世で生活する場合は、いろんな条件があるらしく。
特に、仕事で、その間に立つことの多い死神には、俺たち、人の認識ができないように認識阻害というフィルターみたいなものが常時かかっている状態だとか。
だから、たとえ会話をしたとしても、人は死神の顔や服装などをハッキリと認識できない、はずなのに、しっかりと認識をして、会話をした俺は、珍しい存在で、雑用係にピッタリだった、のか。
とにかく、今の人手不足ならぬ死神不足、ワンオペ状態を解消するために、猫の手レベルな俺でも使う。
それに俺のことは一時的に雇っているだけで、認識できている俺の記憶も消そうと思えば消せる。
すなわち、俺は、玖郎の手のひらでコロコロと転がされている状態、逃げ出すことも不可能と言える。
「はぁ……」
なんで俺だったのか。
俺のタイミング悪かっただけ。もしかしたら、ばあちゃんのいう、縁なのかもしれない。不幸中の幸いと思えば、別に取って食われるわけじゃなかったワケだし、記憶と時間を消されるだけ、のはず……だから、良かったといえば良かったのか。
さよなら、俺の安息の連休。
カムバック、ゴールデンウィーク。
『若いのに、何度もため息なんぞ吐いて、幸せが逃げてしまうぞ?』
ぐるぐると思考マラソンをしていた俺の視界に、ふわりと黄金色の影が現れる。
「珠美さん」
大きな耳をピンと立て、優雅に机の上に座る猫、いや、狐の珠美さん。
まさかまさかの狐だった。
嘘です。うっすら予想はしてました。信じたくなかっただけです。
なんでも珠美さんの本当の姿?は、街中で動くには不便だから小型化して、猫のように擬態しているとか。
そんな変化も器用にこなすのは、年齢不詳のたまものなのか。かなりの長生きさんらしい。
安直な考えで行くと、あらゆる物語に登場している”妖狐”なんて予想していたが「そうではない」とはぐらかされてしまった。一応、アヤカシの仲間ではあるらしい。
いろいろ説明されたような気がするけど、怒涛の情報量を俺の頭が処理しきれていない。
『いやはや。ここ最近、玖郎は愚痴ばかりで、ちと面倒だったからの』
あの威圧的な玖郎を凪のごとく流すどころか、この言いよう。
聞いている俺の胃がキリキリと締め付けられる謎のプレッシャー!
『うむ、壱は可愛げがあってよいのう』
だけど目を細め、クニャンと愛らしい声で鳴かれると、悪い気はしない。
謎な部分が多すぎて色んな意味で落ち着かないが、結局、動物好きの性分が勝ってしまう。
「え、あ、ありがとう、ございます?」
『くくっ。壱は面白いの』
珠美さんは、こんな俺の様子さえも楽しんでいる模様。
見た目と中身との差がありすぎる、個人的に。珠美さんの声は玖郎にも聞こえているはずだが、なんの反応も返さないところを見るに、この部屋で珠美さんが最強なのかもしれない。
だから、俺が自然と”さん”付けをしてしまうのは仕方がない。
「はぁ、どうしようかな」
玖郎には「掃除でも……」なんて言われたけれど、するところがない。
物であふれているわけでもなく、荒れているわけでもない。
もしも、掃除する場所があるとしたら、本棚の整理だろうけど、それも数分で終わってしまう程度の乱れだ。
『壱は真面目だの。そんなに堅苦しく考えず、好きなように過ごせば良いもの』
「いや、さすがにそれは」
無理です。雑用やれって言われて、自宅のようにのんびり過ごせるほど図太い神経もっていたら、きっとここに来ていません。
『玖郎はああ言っているが、そもそも人間がこちらに紛れ込むなんて、稀なことぞ?』
さすがに否定の言葉は飲み込んだが、俺の表情から読み取ったらしい珠美さんは、笑いをこぼしながらこの相談所の状況を説明してくれた。
『ならば何故だと思うだろう?
玖郎はこのような見た目の癖に苦労性でな。いや、貧乏くじの引きが強いとでも言うのか。こんな風に仕事で夜中駆けずり回った日に限って、ただの人間が来たり、面倒な案件が舞い込んで来たりしてな』
「えーっと、それは大変ですね」
とりあえず、当たり障りのない言葉を返す。
『まぁ、それで、下級のモノでもいいから助手が欲しいと申告したものの、補充はない。仲の良いモノもいないから助けもなく、このザマよ』
尻尾を上下にパサパサと音を立てながら、内容と反対に、ククッとても楽しげに笑っている。
「あー……」
珠美さんの言葉に大きくは頷けないが、心の中で深く頷いた。
黙っていれば、同性でも目を奪われる美貌ではあるが、あんな威圧的な言動でプラマイゼロにはならないだろう。あやかしでも人間と同じく顔だけでは、どうにもならないことがある。ある意味、人生の教訓のようなものを教えられたような気がした。
その時だった。ピンと張りつめた弦が震えたような不思議な感覚が湧き上がった。目に見える変化があるわけでもない。あれ、と首をかしげた時には、玖郎は起き上がっていた。ソファに腰をすえ、ドアを見つめていた。
「なにかーー」
あるのか、そう疑問を口にする前に、珠美さんが声を重ねる。
『どうやら客が来たようだぞ』
「はい?」
珠美さんはノドを鳴らした。
『面倒な客じゃないといいな、玖郎?』
玖郎は返事をしなかった。
控えめなノックが2回、そしてギィっと音を立てドアが開く。
「あのー。相談窓口ってここで良いですかー?」
顔にかかりそうになる明るい髪を耳にかけた女性が顔を出した。青いストライプのシャツに白のパンツスタイル、丸い瞳をした可愛いお姉さん。
ただ、どう見てもフツーのお姉さんなので、ここは「違います」と言うべきなのか迷っていると、玖郎が先に口を開いていた。
「合っている、座れ」
ニコリともせず、淡々と席に着くようにうながしている。
客商売なんだよな?と疑いたくなるほど、冷淡である。
お姉さんは「えっと」と俺の方にチラリと目線をさまよわせながら、おずおずと玖郎の向かい側のソファに座った。
そらそうでしょうよ、威厳がある顔立ちでないことはわかっている。
むしろ、1ヶ月前まで高校生なんだから。
そんな俺が、この偉い人が座るであろう位置に座っている。
戸惑うお姉さんの気持ちがすごくわかる。
とりあえず、お姉さんと目が合った俺は、玖郎の代わりに満面の笑みを返しといた。