第7話 ドラクル一族
「な、な、な、何事ですか!?」
アーシェ様の泣き声を聞いて、御者席を覗く小窓を勢いよく開けたラフールは大声で叫んだ。
その隣から同じく馬車内を覗きこんだダークエルフの冷やかな視線を受けて、大量の冷や汗が流れる。
「いえ…なんでもございません。ジャック様がドラクル家の事をお尋ねになられて」
自らに抱きつくアーシェ様を優しく受け止めその頭を撫でるクロネは、小窓を一瞥して、ラフールが微妙な表情を浮かべながらも頷くのを確認してから、静かに俺を見つめた。
その視線は俺を責めるようなものではないが、状況が状況だけにどうにも萎縮してしまう。
「ジャック様は、シュミネ家が現在どのような状況にあるのかはご存知無いのですか?」
「すみません。世界情勢には疎いのです。ドラクル一族の話を聞いた事があったので、少しでも情報が得られればと思ったのですが…」
俺は未だにこちらを睨み続けるダークエルフの視線に耐えられなくなって、俯いて言葉を切ってしまう。
俯いてクロネの爪先を見つめる俺の耳に、嗚咽を漏らしながらも話すアーシェ様の声が聞こえる。
「良いのです。歩いて旅をされていたと言うことは、長く情報を得られていないのでしょう。悪名高いドラクル家の動向が気になるのは当然の事です。」
俺がゆっくりと視線を上げると、アーシェ様はその大きな目から涙を流しながら、真っ赤になってしまった瞳で俺を見つめて頷いた。
「ジャック様が知りたいと仰るのなら、私達が知る限りの事をお話しいたします。現在のドラクル家の事を語る上では外せない、シュミネ家の事も」
そこからは、アーシェ様とクロネが交代でドラクル家の事を教えてくれた。アーシェ様が時折表情を歪めて涙を堪えながら話をする様子は見ていて苦しかった。
俺の心は終始ザワザワとざわついていたし、アーシェ様が泣く姿を見るのも辛かった。しかし意気地の無い俺は、知りたいと思う欲求に負け、彼女達の語るのを止めはしなかった。
2人の話を要約するとこうだ。
ドラクル家とは、現在俺達のいるナーパ王国の北にあり、この大陸の最も北に位置する亜人の治めるソエラ国、その南に位置する場所に土地を構えた、ドラクル大公国という国を治める家の名前だ。
ドラクル家の主の名は、ヴラド・ツェペシュ・ドラクル。別名をドラキュラ大公。
彼はその祖父が唱えた亜人族の大陸からの排除という制定を、大公国の歴史の中でも一番に推し進めた人物だ。
その方法は極めて残虐で、自国のみならず、大陸中に散らばる様々な亜人の集落を問答無用で攻め滅ぼし続けた。
彼が滅ぼした集落の亜人達は、老若男女問わず、皆生きたまま身の丈以上の木の杭に串刺しにされ、その場に放置されたそうだ。
その結果彼についた名が、串刺しにする者、そして悪魔大公だ。
元々家名は別にあったそうなのだが、悪魔の名を気に入ったヴラドが、家名をドラキュラと同じ意味を持つドラクルに変えたのだ。
大公国が興ったヴラドの祖父の代から、ドラクル家の残虐性は有名であった。その残虐性は、ヴラドの子供たちにも脈々と受け継がれている。
ヴラドには五男二女の子供達がいて、それぞれの名前が上から、
アーカム・愛の殺人鬼
イスト・悦楽の拷問官
ウルド・生者の放火魔
エマール・狂った傀儡子
サシャ・闇の公女
ジャック・狂人
メルミーナ・生まれながらの罪人
名前を聞いただけで目眩がしそうなラインナップだ。俺の狂人が一番可愛く聞こえるか?
ジャック・サイコ・ドラクルのサイコの部分は、ミドルネームか何かと思っていたのだが、どうも違うらしい。
名前の後、家名の前には、その人物を現すような実績や称号が入るのがこの世界の常識のようだ。それぞれの名前の由来は思い出したくもない。三人目で由来を聞くのはやめた。それぞれ吐き気のする奴らなのは間違いない。
そして俺のそれはサイコ。狂人。他の兄弟姉妹達に比べてシンプル過ぎる気もするが、理由は怖くて聞く気にはならない。
そしてそのような一族が治めるような国は、やはりろくでもないようだ。
北の亜人の治めるソエラ国に対して難癖をつけては、侵略侵攻と虐殺を繰り返し、それだけでは飽きたらず、最近は亜人を擁護していたシュミネの領地を要するナーパ王国にもちょっかいを出していたらしい。
そしてここからが、ドラクル大公国とナーパ王国の北西に領地を構えるジュリーク領を治めるシュミネ家との因縁の話だ。
始まりは、ドラキュラ大公からのシュミネ家に対する警告だったそうだ。
亜人と友好を築くのは奇人の所業。今すぐその行いを改めるか、賠償金をドラクル大公国に支払うかを選べと。
しかし、ジュリーク領とは獣人国との貿易で成り立っている領地だ。亜人との関係を絶てば、領地の経営がたち行かなくなるのは周知の事実。
初めからドラキュラ大公の目的は、ソエラ王国との戦乱を続けるための資金繰り、つまり金銭の要求にあったのだろう。その為に難癖をつけたにすぎない。
それに対してシュミネ侯爵は、この馬鹿げた要求を笑って突っぱねるのではなく、これを切っ掛けに何とか会談の場をもうけて、両国の関係を取り持つ事が出来ないかと、和平交渉の使者をドラキュラ大公に送る。
それに対するドラキュラ大公の返答は、使者の首を切り落とし、両目をえぐり、耳と鼻をそいで送り返すという、まさに悪魔の所業であった。
それに怒ったのは、送り出された使者の事を親友と慕っていたシュミネ侯爵の一人息子、アーシェ様の兄のランスロットだ。
怒り狂ったランスロットは、獣人王との会談に出掛けていた父シュミネ侯爵の帰りを待たず、五万の兵を引き連れてドラクル大公国に進軍する。
丁度その頃、ソエラ王国との戦の為に国の北に兵力を集中させて、ドラキュラ大公のいる城には千人に満たない数の兵しかいなかったため、アーシェ様の兄ランスロットは、五万の兵がいれば勝てると踏んだのだろう。
しかし、結果は惨敗。
領地に戻るなり慌てて後を追いかけたシュミネ侯爵が目にしたものは、領地の境目に沿って綺麗に並べられた木の杭に串刺しにされた、自分の息子と兵達の変わり果てた姿であったそうだ。
その報せを聞いて怒ったのはナーパ王だ。自国の民が穢され、国の名とプライドが傷付いたのだ。
今度は百万もの軍勢を伴ってドラクル大公国へ攻め寄せた。
10年以上もソエラ王国との戦争を続けていたドラクル大公国は疲弊しきっていた。
大陸一の戦上手と言われたドラキュラ大公も、百万を相手にたったの千人で3ヶ月は持ちこたえた。しかし何百倍の兵力を有する敵には敵わず。ドラクル大公国は、三代目のヴラド・ツェペシュ・ドラクル、ドラキュラ大公の代で潰える事となった。
ここまでが、アーシェ様とクロネから聞いたドラクル一族の話だ。
「そして、そのあと国を失ったドラクルの公子達と国の兵の残党が、新たな土地を求めて何れかの土地にて旗を上げるとの情報を得まして、戦乱の兆しを感じたシュミネ侯爵様は、アーシェ様を比較的安全な王都へと送り出したのです。それが、今の私達の状況でございます」
クロネはそこまで言うと、長い睫毛を伏せて、悲痛な表情のまま小さく頷いた。
俺は目を閉じて大きな溜め息を吐き頭を抱えた。
ドラクルの一族の話を聞いた時の衝撃と合わせてごちゃごちゃになった感情のまま話を聞いて、話が終わったあとの俺の頭には、彼女達の話した量に比べてどれほどの情報が残ったのだろうか。
胸のうちから湧き出てくる言い様の無いドロドロとした感情に呑まれて、聞いたことの全てが無くなれば良いとさえ思えた。
そういえばこれは、ダークファンタジーの世界観を持ったMMO RPGだった。
まさかその世界で、ダークな部分を牽引する狂気の一族の一人としてプレイするとは夢にも思わなかったが…。
ちょっと暗めの世界観ってカッコいいじゃん。それだけの軽い気持ちでこのゲームを始めたのに…。
両手で顔を覆っているが、きっと俺の顔はかなり青ざめていることだろう。
ドラクルという一族が、最低最悪のマジキチ一族という事は理解した。
アーシェ様とその兄のランスロット、シュミネ家とジュリーク領の人々には心の底から同情する。
この話が事実だとするならば、俺は亡国のプリンス。それもアーシェ様の家族を殺した一族。兄の敵だ。
うむ…なるほど。つまり俺は今まさに敵地真っ只中にいると言うわけだな。
話を理解すると同時に、俺はその事実に恐ろしくなり、身体がガタガタと震えだし、冷や汗が身体中からぶわっと溢れ出す。
馬車に酔うことはないと思っていたが、先程から催すこの吐き気はなんだろうか。
アーシェ様やクロネ、ラフールは、俺の正体に気付いて俺を馬車に乗せたのか?
まさかそのまま殺す気では無いだろうな?
そうだ! そうに決まっている! 良く考えれば解るじゃないか。普通血にまみれた怪しげな男を、なんの疑いもなく大事なお嬢様と同じ馬車に乗せるものかよ!
俺がガタガタと身体を震わせていると、俺の肩にそっと手を置かれるのがわかった。
「ジャック様? どうされたのですか? まあ、そんなに泣いて…」
俺が身体をビクンッ! と震わせて、ゆっくりと顔を上げると、そこには目を赤くしたアーシェ様の顔があった。
目を赤くしても相変わらずお美しいし、少し首を伸ばせばその唇を奪えそうな距離にいるが、今はそんなロマンチックなムードでは無い。
近づいてきた意味を勘繰り恐怖を感じる。
そうか、俺は泣いてるのか。
アーシェ様、この涙の理由が気になりますか? これは貴女方が怖いからですよ。貴女方に今にも殺されやしないかと怯えて泣いているのです。
ガタガタと脅える俺に、アーシェ様とクロネは優しい笑顔を向けた。
「ジャック様はお優しいのですね。私のために一緒に泣いてくれるなんて」
アーシェ様はそう言うと、俺の膝の上に頭を乗せて再び泣きはじめた。
え?
俺がきょとんとした表情のままクロネに目を向けると、クロネはその様子を優しげな笑顔を浮かべて見ていた。そんなクロネを俺が見ているのに気付くと、そのままの笑顔でゆっくりと頷く。
この人たちは本当に好意だけで俺を助けてくれたのだろうか…いや、だとするとそれはそれで問題がある気がする。
護衛は美しい見た目の黒猫メイドのクロネと、本当に戦えるのかが怪しい腹の出た御者のラフールだけであるし、俺が本当に殺人鬼であった場合や、悪の公子プレイを好むプレイヤーだった場合、疑うことを知らないこの善良な3人は、既に殺されていたかもしれないのだ。
穴だらけで間の抜けた護衛にちょっと心配になる。本当に大丈夫なのか。
「お! おおお俺の名は、ジャジャジャック! です」
俺が恐怖に歯の音をたてながら名前を告げると、クロネは不思議そうに首をかしげる。
ああ、くそっ!
殺されるかもしれない恐怖で、顎まで震えて上手く話せない。
しかし、確認を取らずにはいられない。俺がジャック・サイコ・ドラクルだと気が付いているのか探りも入れたいのだ。でないと落ち着かない。
俺は自らの頬を思い切り叩いて深呼吸をすると、再度口を開いた。
「俺の名は、ドラクルの五男と同じジャックです。そのような男を簡単に信じてしまい、あまつさえ同じ馬車に乗せる等、本当に良かったのですか? ましてや、その一族に狙われているかもしれないという状況下にあるのに、俺がそのジャック・サイコ・ドラクルだとは思わないのですか?」
「それは、ないでしょう」
俺が意を決してそう告げると、俺の膝で泣いていたアーシェ様が顔を上げてキッパリと言い切った。
「な、何故ですか? アーシェ様達はジャック・サイコ・ドラクルを見たことがあるのですか?」
俺は眉根を寄せたまま尋ねる。
「いいえ。ですがわかります。私には相手の本質を見抜く力があります。ジャック様の様な方が、ドラクルの人間であるはずがありません」
「ち、力? その力は信用できるのですか? 間違いは無いのですか? こう言っては何ですが、俺を信用すべきでは無いのでは? はっきり言って、ここまで人が良すぎると貴女方が心配です」
俺が立て続けに質問を並べると、アーシェ様とクロネは互いに顔を見合わせてクスリと笑った。
「ジャック・サイコ・ドラクルならば、その様に私たちを気遣うことはないのではないでしょうか」
アーシェ様がそう言うと、隣で頷いたクロネもそれに続く。
「アーシェ様のような力が無くとも、ジャック様がドラクルで無いことは直ぐにわかります。ジャック・サイコ・ドラクル。またの名を狂った人形。彼に感情はなく、表情も変わらず話すことはない。ドラクルの四男エマール・狂った傀儡子の傀儡。彼は本当は人間ではなく人形なのではないかと噂されるほどです。これは歌にも聞こえる程、この大陸では有名な話ですよ」
そこまで話したクロネの言葉の後、俺は訳がわからなくなって、未だに開け放たれた御者席の小窓から聞き耳を立てていたであろうダークエルフを見つめる。
ダークエルフは片耳をこちらに向けているので、話は聞いていたのであろうが、顔は殆どフードで隠れているし、ピクリとも動かないしで感情などを読み取ることは出来ない。
もしかしてダークエルフの勘違い、人違いなんじゃないだろうな。
もしくは、俺を蔑む為に同じ名前の悪党を引き合いに出して呼んだだけ?
いや、そうすると洞窟での一間の説明がつかなくなるか。記憶を失くしたと伝えた時の、ダークエルフのあの怒りようと、その際に話していた俺への言葉の事だ。
何度も頭突きをされていたので記憶が曖昧になっているが、呪われた血の一族だとか、亜人に対しての仕打ちだとか。確かそんな事を言われた気がする。
となるとやっぱり、アーシェ様達が疑いを知らないだけ?
そう言えば…。
先程洞窟で、ダークエルフは俺が話したこと、表情を変えたことに対して驚いていた。そしてこうも言っていた。
俺が誰なのかと…。
今の話を聞けばあのダークエルフの言動も辻褄が合う。
俺は、傀儡として生きていたジャック・サイコ・ドラクルというキャラクターの中に入り、ゲームをプレイしている可能性が高い。
であれば、俺はほぼ間違いなくジャック・サイコ・ドラクル。
《《サイコドール》》なのだ。
なんてこった…最悪なキャラクターじゃないか。この美しい容姿だけで当たりと決めつけていたが、とんでもない設定もつけられてしまった。
まあでも、ダークエルフの奴隷解放が済んだら、ログアウトをしてこのゲームをやることも無くなるだろうし、万が一やるとしてもキャラクタークリエイトからやり直すし、どうでもいい問題なのか?
俺は馬車の窓の外の景色を眺めると、肩を落として大きく溜め息を吐くのだった。
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