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魔導の残骸  作者: 清澄 武
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第1話 穴


 それは、ビルとビルの狭間にあった。

 大通りから覗き込む路地裏は、日がまだそこそこ高いというのに、すでに薄暗い。


 人通りの多い通りを一歩外れ、分厚いコンクリートの壁に左右を囲まれた間隙へ足を踏み込む。人一人がやっと通れる狭い隙間。もう少し余裕をもって建てればいいのに。都会はどうも無駄を嫌う。


 進む度、潮が引くように遠のいていく街の喧騒。周囲は薄暗さを増していく。なんだか物々しい。


 学校の帰り道だというのに私はなにをしてるんだろう。

 まあ、たまには気分転換もいいかもしれない。中学の授業なんて例外なくつまんないしね。


 明かりの乏しい路地裏を真っ直ぐに進むと、宙に浮かぶそれが次第に鮮明になる。

 私はそれの手前で足を止めた。

 目の前にあるのは、みぞおちほどの高さに浮かぶ球体。色は闇のように深い漆黒。直径、十数センチ。ちょうどソフトボールくらいの大きさをしている。

 なんだろう。これ。


 人知れずひっそりと、音もなく浮かぶ謎の球体。微動だにしないそれは、さながら穴のようにも見える。まるでそこだけ空間が抜け落ちているかのよう……。


 いつもの帰り道に見つけた不可解な物体。

 ……見るからに不気味ね。


 どことなく禍々しさを放つ穴。触れないよう注意しながら、穴の周りをぐるりと一周、手を動かしてみた。

 糸かなにかで吊るされてるわけじゃないみたいね。この球自体が浮かんでる。どういう原理なんだろう。さっぱり謎。


 そこだけ世界が抜け落ちてしまったかのような漆黒の穴は、じっとそこに佇んでいる。まるで無音で。闇のように黒くて。――見ているだけで吸い込まれそう。


 中学も二年に上がったというのに、毎日の生活はとくに今までと変わらない。ごく平和なものだった。言い換えれば退屈。

 こんなことをしているのはきっとそれが理由だ。

 それとも純粋に好奇心からだろうか。


 奇妙な塊にそっと指先を近づけてみる。触れたらなにかが起こるかも。そう考えるのは自然な発想だと思う。……たぶんきっと、面白いことが起こるはず。

 根拠はない。ただそう思っただけ。


 こんなことを考える私は映画の観過ぎだろうか。それとも漫画の読みすぎか。

 私の期待を乗せた指先が、闇の保護色に身をひそめる穴へ伸びる。どれだけ指を近づけても、穴が逃げ出す、なんてサプライズはなし。そんなの当たり前だけど、内心、ちょっとガッカリする。


「……やめた」


 穴に触れる直前、思い直して指を止めた。こんな得体の知れないものに直に触れるなんて流石に危なすぎる。そもそも危険そうなものには近づきすぎないほうがいい。そういうのはスマホの画面越しに眺めるくらいでちょうどいいのだ。

 でも……。


、つい魔がさして近づいちゃったけど、本当に危険なものなのかな。……まあ雰囲気からして良いものではなさそうだけど。

 ま、深入りはやめておくか。

 指をひっこめてその場を立ち去ろうとした時だった。


「……あれ?」


 気のせいか?

 穴が一瞬だけ輝いた気がした。

 薄らぼんやりとだけど、でもたしかにそう見えた。

 次の瞬間。


「えっ」


 ぐん、と。全身をとてつもなく強い力で引っ張られた。視界が回転する。一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなる。前のめりに倒れ込む感覚が全身に走る。どうやらバランスを崩したらしい。


「あ――」


 声を漏らした時には、目の前にはすでに黒い穴が迫っていた。あの闇のように黒い穴が……。

 私の意識はそこで途切れた。



「ん……」


 冷たい。

 顔や手やお腹や足からひんやりと伝わる冷気が、体の芯に細い痛みを与え続ける。

 なんなの。

 唐突な全身の異常。私は急いで目を開いた。……まぶたがいやに重い気がした。


 目の前には硬い地面。どうやら私はうつぶせに倒れているようだ。上半身を起こして周囲に目を向ける。薄暗い。両サイドには巨大な壁。ひどく狭い空間。

 どれくらいの時間かはわからないけど、どうやら私は意識を失っていたらしい。

 地面から伝わる冷気が、いまだ全身の体温を奪い続ける。私は無機質な攻撃から逃げるように重い体を起こした。


「さっきの路地裏……か」


 そう。さっきの路地裏だった。しかし……。

 ……変だな。

 強烈な違和感。明らかな異常。異変。

 ……静かだ。怖いくらいに。

 周囲はしんと静まり返っていた。物音一つ聞こえない。無音。

 さっきまで聞こえていた街の喧騒が、なぜか全く聞こえない。ここは街のど真ん中。そんなことはあり得ない。

 ……とりあえずここを出よう。


 大通りに出た途端、まばゆい光が差し込み、私は目を細めた。しばらくすると光に目が慣れ、次第に周囲が見通せるようになる。世界が広がっていく。


「え――」


 目に飛び込んできたのは明らかに異様な光景。

 そこには誰もいなかった。大通りは完全に無人。

 さっきまでそこかしこに溢れ返っていた人たちは、なぜかこつぜんと姿を消していた。

 左右へ視線を這わせても、何車線もある車道を挟んだ反対側の歩道にも、誰ひとりとして存在しない。地平の彼方まで人影一つ見当たらない。痛いほどの静寂が世界全体を包み込み、私はどこか取り残された気持ちになった。

 ここは街の中心地。どう考えてもありえない光景。


 異常はそれだけじゃない。何車線もある車道には車が一台も走っていない。さっきまでひっきりなしに聞こえていたクラクションの音も、今は一切鳴らない。普段は耳障りなあの音も、この突き刺さるような静寂よりは幾分かマシに思える。音がないということがここまで不安を掻き立てることを私は初めて知った。


 気味が悪い……。いったいどうなってるの。

 音を遮断する箱の中にでも閉じ込められたみたいな静けさ。

 街の人々はどこへ行ってしまったんだろう。

 私は焦りながら背後を見た。

 ……間違いなくさっきの路地裏なのに。

 そう。たしかにさっき私が忍び込んだ場所だった。


 ――そうだ! あの黒い球!

 意識を失う前にぶつかった、あの黒い穴のことを思い出す。

 あの黒い球にぶつかってから急におかしくなった。もしかしたらこの異変となにか関係があるかもしれない。だったらもう一度あれを調べれば……。


 それに気づいた私は、すかさず薄暗い路地裏に駆け込む。

 お腹の高さに浮いていたあの謎の物体。どこだっけ。たしかさっきは路地を数メートル入ったあたりにあったはず。……あれ、もう少し奥だったっけ?

 記憶を頼りに探してみるが一向に穴は見つからない。

 ……変だ。さっきはこの辺りにあったはず……。


 そのまましばらく歩き続けても、なぜかあの穴が見つからない。

 おかしい。明らかにさっきよりも奥に進んでる。もうとっくにあってもいいはずなのに。

 さらに奥へ目を凝らしても、それらしいものは見当たらない。念のため上も確認する。やはり無い。空が見えるだけだ。


 無い。さっきの穴が。


 あの球体がどこにも無い。たしかにさっきぶつかったはずなのに。なんで……。

 なぜかはわからないけど、黒い穴はまるで最初から存在しなかったかのように、路地裏からこつぜんと姿を消していた。


 ……………………。

 穴が消えた事実を知った瞬間、なぜか嫌な予感がした。明確な根拠があるわけじゃない。それはただの直感にすぎない。ただ、漠然となにか良くないことに巻き込まれた気がした。こういう時の勘がよく当たることを私は知っていた。冷や汗が一筋、背中を伝った。

 ここには長くとどまらない方がいい。なぜかはわからない。だけどそんな予感がした。私は早足で狭い暗がりから逃げ去った。


 表通りは相変わらず無音。普段だったら絶対にありえないことだけど、目の前で現実に広がっている光景だ。……受け入れるしかない。


 とりあえずこの場所を離れよう。そして……。まずはなにが起こったのか調べないと……。

 私は不気味に静まり返る無人の街へ、恐る恐る歩き出した。


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