南九州の旧石器時代と縄文時代
旧石器時代
日本に人が住み始めたのは40,000~30,000年前と考えられており、その当時は最終氷河期で、東シナ海の大部分も陸地となっていた。日本海と東シナ海をつなぐ対馬海峡もきわめて浅くなり、壱岐は九州と陸続きとなり、対馬海流の流入が止まったと言われている。この影響もあり日本列島は現在より寒冷で、冬の降雪量が少なかったと考えられている。その中でも南九州から関東にかけては暖流の黒潮の影響で、日本列島の中では比較的温暖であったと思われる。
また人々の活動、継続的に繰り返された火山活動と深い関わりを持っており、長い年月をかけて堆積した火山灰の層の中に埋もれることとなった。
立切遺跡(種子島)からは、約10,000年前の火山灰の下層から、たき火の跡や石蒸し料理の跡、木の実を貯蔵したと考えられる土坑、石器などが発見された。そこに住んだ旧石器人たちは、狩猟生活だけに頼らず、木の実などを採集して、加工して食料としていたことが明らかになった。
縄文時代(草創期・早期)
15,000年前頃、南九州地方は日本列島各地に先がけて、地球規模の温暖化と黒潮の影響を受け、豊かな森林が発達した。人類はそこで定住生活を始め、石器だけでなく土器を発明して使い始めた。このようにして、南九州地方の縄文時代がはじまった。
約12,000年~9,000年前の南九州の遺跡からは、「連結土坑」と呼ばれる調理場跡が発見されている。これは、大きな竪穴と小さな竪穴がつながっていて、二つの穴の間にブリッジ部分があるもので、保存食を作るための動物や魚の燻製施設であったものと考えられている。
約8,000年前に関東地方を中心に使用された「炉穴」もその連結土坑とよく似ており、南九州を起源として関東地方へ伝わったものと考えられている。
上野原遺跡(鹿児島県霧島市)からは、約9,500年前の最古の定住集落跡が発見された。ここからは、竪穴住居に加え、連結土坑や石蒸し料理施設の集石遺構などの生活遺構が出土している。竪穴住居の一部の竪穴内に、約9,500年前の桜島の火山灰が埋まっていたことから、遺跡の年代が明らかになった。また、この遺跡の南東部からは、約7,500年前の集石遺構や土器なども出土している。
鬼界カルデラ大噴火
ところが、約7,300年前に屋久島近くの海底で起こった鬼界カルデラ大噴火(アカホヤ噴火)は、草創期及び早期の南九州地方の縄文文化を壊滅させた。南九州地方の遺跡では、アカホヤ火山灰層の上下でまったく異質な土器文化が存在することが確認されている。このような土器形式の違いにより、その地域の縄文文化が一度完全に滅び、その後しばらくして別の文化を持つ人びとが、その地に移住してきたものと考えられる。
アカホヤ火山灰は、南九州では40~60センチメートルの
厚い堆積層が確認されているがそれ以外の四国、近畿、中部、関東地方や日本海側にも分布している。またこの噴火の影響で津波が発生し、太平洋沿岸部にも被害を広げた。そのため南九州以外の縄文人も、少なからず被害を受けたものと考えられる。
近畿地方の垂水日向遺跡(神戸市垂水区)では、干潟を歩いた縄文人の足跡が多数見つかっており、その上の層に数十センチメートルのアカホヤ火山灰層が検出されている。
降り注ぐ火山灰は、この地方に住む人々の生活にも大きな影響を与えたことであろう。ちょうどこのころ、近畿地方全域で遺跡数が減少していることから、人々は火山降灰量の少ない土地を求めて、移住したのかもしれない。