カクシツ
もう限界だ、という言葉が古い角質のようにボロボロと零れ落ちていく。
いや、古い確執かもしれない。
「そんな顔をするなら、もうSNSでエゴサーチなんて止めればいいじゃないか」
コタロウは綿飴を扱うような手で、私の頭を撫でてきた。
そんなコタロウの温かみに助けられた時もあった。
でも今はもうそんなことで癒されるレベルではない。
「SNSの人たちはサチのことを、サチの努力を、何も知らないで。ほら、一般の人ってさ、ドラマなのに、演じた役なのに、悪人を演じただけなのに、本当の悪人みたいに思っちゃってさ。サチのことを女優じゃなくて悪人として叩いてきていて、本当におかしいよね」
私は今、女優を生業にしている。
それなりにお金はもらっているし、表ではみんな私のことをチヤホヤしてくれる。
でも裏では。
SNSでは。
まるでサンドバッグのように私を叩いてくる。
私は人間なのに。
「SNSの悪口なんてみんな嫉妬だよ、少なくてもサチは嫉妬されるような人物だから。美人だし、やっぱりお金もあると思われているだろうし、実際あるし、みんなが羨む知名度もあるし、それに、なんといっても性格が良い、俺が保証する。大丈夫」
「コタロウに保証されたって誰も分かんないでしょ」
ポツリと呟いた言葉が、あの忌み嫌うSNSで発せられる文字と同じ棘だと気付き、私はバッとコタロウのほうを見た。
するとコタロウは菩薩のように微笑みながら、
「ほら、俺のことを気に掛ける優しさがサチにはある。サチは優しいんだよ。大丈夫。それに……俺に保証されるってすごいことだと思うよっ」
そう言って快活に笑ったコタロウ。
コタロウのこの明るさをいつも頼っていたけども、でも今は、今はやっぱり、私なんて、私なんて、
「私なんて死ねばいいんだ……」
「何でそんなことを言うんだよ」
すぐにそう言ったコタロウは真剣な表情でこちらを見ていた。
俯く私へ矢継ぎ早に、
「サチへの嫉妬は必然、SNSでの誹謗中傷は有名人になら誰にでも沸いて出てくるコバエみたいなものだよ。確かに俳優としてパッとしない俺には、サチの本当の気持ちを分かることはできないかもしれない。でも、でも、俺はサチを一生守っていくから」
そう言って私の手を握ってきたコタロウ。
コタロウの手はどこか冷たくて、ひんやりしたけども、逆に自分にはまだ命の温かさがあることを知れて、心地が良かった。
「生きていいのかな……」
と自分で言ってみた時に、あの頃のことがフラッシュバックした。
”生きていいはずがない”と、あの子に言われたような気がした。
そうだ、そうだ、私は騙し騙し生きてきたけども、本来生きていいはずがないんだ、だって、だって、
「一緒に生きていこう、サチ」
コタロウが強く手を握ってきたところで、私はその手を振り払った。
ダメなんだ、ダメなんだ。
「私、本来生きてていい人間じゃないんだ……」
言葉が震えてきた。
それに反比例するかのようにコタロウの語気は強くなり、
「何でそんなことを言うんだ……SNSの誹謗中傷なんて関係無いよ、サチの人生には」
「関係あるの……」
「無いよ! ただの嫉妬だ! 大なり小なり一般の人にだってある! サチは嫉妬されているだけなんだよ!」
「あるの……」
私はいつの間にか涙を流していた。
そんなことしていい人間でもないのに。
「何があるんだよ、何も無いよ、サチは清廉潔白な人間だよ! 何も無いよ!」
「あるのっ!」
コタロウの声を遮るように、私は声を荒上げた。
突然の私の大声に驚き、低い「んっ」という音を出したコタロウ。
私は一呼吸ついてから、喋りだした。
「ほら、私への誹謗中傷に、アイドル時代は周りを蹴落とすことで必死だった、ってよくあるじゃない?」
「……まあ、まるで全てを知っているかのように、そういうことを書いているSNSは見たことがある。でもサチはさ」
「していたの……私はしていたの……」
少しの間。
そして声を絞り出すようにコタロウが、
「……そんな……」
と弱々しい声を放った。
でも言わなきゃ。
もう全部言わなきゃ。
「アイドル時代は必死で、必死で、蹴落とせそうな相手には睨みをきかせて、時には暴言を吐いて、自分が生き残るために必死だったの……私は、家のために稼がないといけなくて……学業を諦めて芸能界に入ったから……弟たちには大学に入ってほしくて……」
「……そんな……」
幻滅されているだろうな。
でもいいんだ、だって
「私は死ぬよ、私が生きているとみんな不快なんだって。でもその通りだよね、嫌なことして生き残ったヤツがのうのうとテレビに出ているんだもんね、死ぬよ、みんなのために死ぬよ」
「そんな……」
そう、死ぬんだ。
「……こと……知ってるよ」
「えっ?」
私は生返事をしてしまった。
ふとコタロウのほうを見ると、コタロウは思ったよりしっかりとした体勢でこっちを見ていた。
そして、
「そんなこと知ってるよ、だって俺の姉はサチに苛められて自殺したカガミ・キョウコだから」
目の前が真っ白になった。
SNSには”カガミ・キョウコ”という文字は一度も出たことがない。
でも確かに私が一番脅威に感じ、ネチネチと攻撃していた相手はカガミ・キョウコだったから。
「俺の姉は俺にだけは愚痴っていてくれたよ、クラモト・サチには気を付けろって」
この時思った。
あっ、私、殺されるんだ、と。
でもいいか、コタロウに殺されるなら本望だ。
「俺はサチを殺すために近付いた。計画通りサチの彼氏になった。でも、そこで知ったんだ、サチの苦労に」
……えっ?
「サチは努力をしていた。そしてサチは純粋だった。結局俺は姉の意見しか聞いていない。もしかしたら姉も誰かを蹴落としていたのかもしれない。まあ大なり小なり、やり合っていたんだろうな、とは思うよ」
……。
「サチの裏表を全部知って思ったよ、サチは性格が良い、俺が保証する。大丈夫」
そう言ってコタロウは私を優しく抱き締め、
「暗い気持ちで近付いてきてゴメン、でも今は本当にサチのことが好きなんだ。一緒に生きてくれないか?」
「……ありがとう……」
私とコタロウは明日を誓って、ここで別れた。
コタロウは私の家から出て行って、今は部屋で一人の私。
SNSのみんなのために死ぬことは辞めた。
だから。
これから。
コタロウのために死ぬことにした。
私が、コタロウの隣にいることは相応しくないから。
SNSのみんなのために死ぬことは、どこか躊躇している自分がいた。
でもコタロウのためなら、すぐに死ぬことができそうだ。
私なんかと一緒にいたらダメだ。
私は死ななきゃ。
なんだ。
コタロウのためなら簡単だ。
ありがとう。
さよなら。
私は薬を過剰摂取した。
《了》