雪風
アトス山東部エリアを管理しているクラン「雪風」はクラン員自体は小規模で、冒険者のランクも平均5と、中堅以下のクランなのだが…。
「例えば、私は雪風の下部クランである春風のクラン員なんです。雪風は規模こそ小さいものの、下部クランを合わせると西部を担当しているカタストロフと同規模になるんですよ」
雪風のクラン員だと思い、お姉さんに声をかけて宿の場所を案内してもらっていたら、そんな話を聞いた。
という事はこのお姉さんは正しくは雪風の人じゃないわけだ。
「まあでも、私達のクランも全部ひっくるめて『雪風』として扱われているし、それで問題ないと思いますけどね。…ああ、昔のカタストロフとの揉め事だって本来なら別の下部クランが起こした話だけど、最終的に雪風とカタストロフの問題って事になったのは問題かもしれませんけどね」
と、まあお姉さんもあんまり深く気にしてないようだ。なら外部の俺達はもっと気にする必要は無い。
そんな訳で下部クランだろうが雪風のメンバーとして捉えて置くほうが状況把握が楽で良いかもしれない。
「さて、着きましたよ」
「ありがとうございます」
「あとは、素材の買取はここから3分ほど奥に行くと見えるかな…?あの建物で行われているので売りたいものがあればそこで売ると良いですね」
「なるほど…」
「需要があるのに供給が少ないもの程、高く買い取ってもらえますが日々相場変動起こすので、朝のうちに確認しておくようにしてください」
「分かりました、何から何までありがとうございます」
さっきから俺ばかり話してるんだけど、仕方が無い。
エミリーは何かライナスに呼び出されてどこか行ったし、有紀はこういう時は基本無言だからな…。
宿の1階に食堂があり2階と3階で寝泊りするわけだけど、従業員の雰囲気からクラン員では無く外部の人が働いてるような感じだな。
食事中に店員の人に聞いたら、どうやらクラン員は仕事の取り纏めの為に居る程度で基本的には周辺の村から派遣された村人が就業しているらしい。
「村にダンジョンが無い所は出稼ぎするしかないからねえ。村とクランで契約してこうやって働くのさ」
食堂で食事を持ってきてくれた中年のオバさんが教えてくれた。
冒険者にならなかった者や低ランクのまま冒険者を引退した者はモンスターと戦って生活する事は難しい。農業をして生活できるならそれもアリだけど、この周辺は気候の問題で作物の育ちも悪いらしいしな。
そんな訳でこうやって派遣業を行う村がこの近辺に多い。
俺達の世界にあった派遣業はピンはねが酷いってネットで書かれてたけれど、ここではどうなんだろうな…。まあそういう話はあまり大っぴらにしない方が良いだろうから聞かないけどね。
そして今俺達は自分たちの部屋に居るわけだけども、さてどうしたものか。
目的としては有紀の龍牙穿空の強化があるわけだけどそれを優先するかどうかという事になる。
「修司君を強くする事を考えるとしばらく滞在するのが良いと思うんだけど、どうだろう?」
戻ってきてたエミリーはそう言う。
彼女の言い分は俺の強化を先に行い、山頂までのモンスターにも対応できるようにしておきたいという考えから出てるんだと俺は思う。
ただ有紀の反応は逆だった。
「ボクはまず自分の用事を片付けておきたい。その後に修司の修行という形のほうが良いと思う」
有紀の言い分は別に自分を優先しろという話ではない。単純にここに何時まで滞在するのか、あるいは滞在できるのか現時点では不明だから「何時でも離れる事ができるように先に用事を済ませておく」という提案だ。
安全重視なら確かにエミリーの考えが良い。ただ、ここでの狩りで得られる収益はモンスターのドロップ売買のみなので、ギルドの依頼報酬に比べると安いという事を踏まえると先に用事を済ませるのが得策か。
「うーん…」
ちなみに「じゃあ二手に分かれる?」と言うのは却下だ。いや、有紀が断固拒否だったわけだけど。
「修司とエミリーの2人きりは駄目じゃない?常識的に考えて」との事。
「妥協案じゃないけど、数日まずこの近辺でモンスター討伐始めてみるってのはどうだろう?金も今はあるだろう?」
どっちにするかって決められなかっただけなんだけど、案外良い案だと自分では思う。
「そうしようか」
「いいよ、それでいこう」
2人も「ここが落としどころ」と考えてくれたようだ。
アトス山はどこも寒くて、この部屋も例外ではない。ストーブは勿論備え付けられているけど、やっぱり加工魔石は必要になるわけで…。
「ここで買う加工魔石は高いんだよね」と有紀。確かにさっき見たら1個で8千コムだったな。
俺達はストックがあるから購入する必要は無いが、かと言ってやたら使うわけにもいかない。
というか、正直ストーブ使用しなきゃ辛いのは俺だけなんだけどもね。
ただ今日はもう寝るだけなので布団に包まって眠れば良いだろうと思ったが…
「寒い…」
掛けるものは毛布一枚だけ。
というか、それ以前の問題で、この部屋はストーブ以外にはカーペットが敷いてあるだけで、基本的に野宿よりマシってレベルの部屋だったりする。
ああ、勿論これは案内してくれたクランのお姉さんがハメた訳じゃなくて、単に宿で空いてる部屋がこのくらいしかなかっただけなんだけども。
宿は3階にはベッド付きの部屋があるものの、こちらは料金が高い。その癖に女性冒険者からは人気があるので基本的に埋まりやすいらしい。
で、俺達が今居る2階は部屋数を多くするために、殺風景な部屋だがその分安い。有紀達だけでも3階にしたかったけど空いてないというか、寧ろ「他の冒険者の為に」と1パーティーで1つの部屋しか取れなかったから、狭い部屋に3人…という形になってしまったわけだ。
「でも、私はこういうの楽しいんだよね」
エミリーは普通に楽しんでる。そりゃそうか…この子は空間転移の魔術が使えるから暖かい自宅に戻ることだって出来る。
「普通にボク達ごと転移してエミリーの家で過ごしても良いんじゃないかな」
有紀が聞くけどエミリーは「こういう環境で友達と過ごすって言うのが大事なんだよ」と譲らない。
まあ俺はどっちでも良い。いや…本音を言うと狭いこの部屋で女2人の側に居るって言うのは恥ずかしいけど嫌じゃないんだけどね。
「でもほら、見てエミリー。修司の顔…期待してるような顔でしょう?」
いや、そんな事はないはず!…と自分に言い聞かせる。
「うーん、別に良いと思うけどねえ。それに安易に過ごしやすい環境に移動するのって冒険者としてどうなのかなー?」
「う…まあ…そうだね…」
エミリーの説得により有紀は下がる。
こうしてこの狭い部屋で俺達は過ごすことになる。