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狭間の鬼神姫  作者: 廣本 涼
7/11

第六章

狭間の鬼神姫、第六章を掲載します。

序章の注意事項をご理解くださった方のみ、この先にお進みください。


それでは、始まります。

 普段は静かな苑条家の敷地の中で、今は子供の明るいはしゃぎ声が響いていた。

「姉さま、こっちですよ!」

 国輝が、庭を走り回りながら声を弾ませた。はいはい、と言いながら利輝が国輝にぎりぎり追いつかない絶妙な速度で彼を追いかけ続けている。

 今日は利輝の仕事が休みの日だった。国輝は朝早くに彼女の部屋を訪れて、庭で追いかけっこをしようとせがんだのだ。利輝は笑顔でやんわりと断ろうとしていたが、国輝は食い下がった。結果、利輝が折れて国輝と二人で遊ぶ事になったのだった。

 庭で遊ぶ二人の様子は一見、従姉弟の微笑ましい交流だ。しかし、虎吉の心は穏やかではない。利輝の気持ちを思うと、微笑ましくその様子を眺めているなどという事は出来なかった。虎吉と同じく傍に控えている国輝の世話係の女性達も、浮かべた微笑みが微妙に強張っている。

 夏が近づいてきている中、太陽の下で走っている国輝は顔が真っ赤だ。時折世話役に水を貰って飲んでいるが、汗だくで暑そうだった。それでも久しぶりに『姉さま』と遊べた喜びで、弾けんばかりの笑顔を浮かべている。

「姉さま、早く早く!」

 国輝は悪戯っぽくそう言いながら、小さな足を目一杯に動かして利輝から逃げた。

「そんなに走るとこけるぞ」

 利輝が言った直後、国輝が派手に転んだ。べち、という音が聞こえそうなほど見事な転び方で、国輝は両手を上げて地面にべたりと突っ伏すようにぶつかった。

「国輝様!」

 世話係達が悲鳴を上げる。

「ほら、言っただろう」

 利輝が呆れたように国輝に駆け寄り、しゃがんだ。そして、その小さな体を抱き起す。虎吉も近くに駆け寄った。女性達も周りを囲み、心配そうに国輝の顔を覗き込む。国輝は、何が起こったのか分からないといったような、きょとんとした顔をしていた。

「あーあ、膝をすりむいて……痛くない?」

 全身に付いた土を払ってやりながら、利輝が訊ねる。

「平気です、姉さま! 苑条家の当主たるもの、こんな事では泣きません!」

 満面の笑みで答えた国輝の言葉に、空気が凍り付いた。国輝が生まれてから利輝が当主継承権を奪われた事を、この家で働く者ならば誰でも知っている。しかし、当の国輝だけがそれを知らない。

 利輝がどんな反応をするのか。周りの者は、緊張しながら様子を窺った。

 利輝は、優しく目を細めた。土を払った方の反対の奇麗な手で、国輝の頭をそっと撫でてやる。

「そうか、国輝は偉いな」

 ぱあっと顔を輝かせた国輝の額を、利輝は指で軽く弾いた。

「でも、今の当主はお祖父様だ。その次が国輝の父上である信輝様。国輝はその次だ。まだ少し気が早いな」

「はい」

 えへへ、と国輝が笑った。それに応えるように、面を付けて右半分が隠れた顔が、綺麗な笑顔を作る。利輝の顔は整っているが飛び抜けて美しいわけではない。だが、研ぎ澄まされた刃のような凄味のある美しさが、その笑顔にはあった。その醸し出される高貴さに、虎吉の身体は震えた。

 世話係達が思わずといった手つきで国輝を利輝から離し、自分達の方へ抱き寄せる。

「国輝様、もうそろそろお部屋に戻りましょう」

 ええ? と国輝は不満げな顔をする。

「いやだ。まだ姉さまと遊ぶ!」

「利輝様もせっかくのお休みで、ご予定もあるでしょう。国輝様もお部屋に戻って着替えて傷の手当てをして、それからはお勉強をしなければなりません。もうお時間ですよ」

「そうか……」

 残念そうに国輝が利輝の方を向いた。

「姉さま、遊んでくれてありがとうございました。国輝はお勉強をしにお部屋に戻ります」

「そう」

 利輝は微笑みながら頷いた。

 世話係達は立ち上がって国輝を抱き上げた。

「それでは利輝様、失礼致します」

「姉さま、またね!」

「ああ」

 利輝が答えるのも待たず、世話係達はそそくさと廊下に上がり、床の板を軋ませながら早足で歩いて行った。

 彼女達と国輝の姿が見えなくなると利輝の表情が一変し、冷やかさを感じさせる無表情になる。

「怖がられてしまったな」

 利輝は立ち上がり、伸びをした。

「疲れた。子供の足の遅さに付き合うと無駄な体力を使うな。全力で走った方がまだ疲労が溜まらない」

「お疲れ様でございました。廊下に冷たいお飲み物と水で濡らした手ぬぐいをご用意しております」

「流石は虎吉。気が利くな」

 利輝が少し嬉しそうな顔になる。虎吉は主のその表情に、喜びを覚えた。

 利輝は履物を脱いで廊下に上がると、どっかりと座った。今日は着物ではなく袴姿なので、その座り方が出来る。仕事着はいつも袴だが、普段着は着物と袴の両方を持っていた。着ている割合は、袴の方が多い。

 虎吉は盆に載せた手拭いと飲み物を利輝の側に持って行った。利輝は水をごくごくと飲み干した後、面を外して手拭いで顔の汗を拭いた。

「ああ、さっぱりした」

 利輝がはあ、と息を吐き出した。虎吉は微笑んだ。

「虎吉、調べの方はどうだ」

 利輝が庭を見たまま、囁いた。前統領である厳柳にまつわる噂話を調べるようにと言われていた件だ。奇妙な死体の話も聞かされていた。その死体の作り方を教える旅人の特徴や辞めた倒魔官達の名前、あとは不正に給料を流していた給与課の者の名前も虎吉は利輝から教えらえていた。この者達の行方や過去、厳柳との関わりを調べると同時に、厳柳自身の事も調べなくてはならない。難易度の高い命令だった。しかし、苑条家の中にいると、その力をばれないようにそっと借りて調べる事も可能だった。だが利輝本人が調べては目立ちすぎる。当主継承権を剥奪されたとはいえ、利輝は苑条家の血を引く者なのだ。だから、虎吉がこそこそと調べる事が情報収集の方法として正しい。

「大分纏まってきています。もう少しお時間を頂ければ一度ご報告できるかと」

「頼んだ」

 虎吉は深々と頭を下げた。

 国輝が騒がなくなると、この屋敷の中は途端に静かになる。

 不意に、蝉の鳴き声が聞こえ始めた。

「蝉か……もう夏だな。となると、もうすぐお前は二十歳になるんだな」

「はい」

 あと二週間ほどで、虎吉が生まれた日を迎える。これで二十回目だ。

「という事は、もうすぐでお前とも十二年の付き合いになるわけだな」

「はい。利輝様にお仕え出来て虎吉は幸せです」

 心の底から、虎吉は言った。

 利輝がちらりと虎吉の方を向き、ふっと笑った。

「こんな私に仕え続けるなんて、お前は本当に変わっているな」

「そんな事はありません。僕は正しい道を選びました」

 虎吉は胸を張った。

「当主継承権を剥奪された者なのにか?」

「はい。利輝様にお仕えする事が間違いだったなど、万が一にもあり得ません」

 自分の一生を、このお方に捧げよう。

 その思いは、十二年前から変わらない。


          *

 

 苑条利輝という主に出逢ったのは、虎吉が八歳になったばかりの夏の事だった。

 山杉家は昔から苑条家に仕えている家だ。苑条家に子供が生まれると、山杉家はその子と年の近い子供を側仕えや世話係として働きに出しており、虎吉もまた昔から続くそれに倣って、八歳になると家を出て苑条家にやってきたのだった。

 苑条の屋敷は立派だったが、とても静かだと思った。自分より一つ下の子供に側仕えとして仕えるようにと言われていたが、とてもそんな子供がいるような雰囲気ではなかった。

 虎吉を迎えてくれた使用人に連れられて、当主である苑条輝政やその息子で次期当主とされている信輝などに挨拶し、一通り屋敷を案内された。その全てが終わって最後に、虎吉はようやく自分がこれから仕える主がいる部屋に行くことが許された。

 そこは、主の自室だった。障子を開け、虎吉はすぐさま深々と頭を下げた。

「山杉の家からやってまいりました、虎吉と申します」

「頭を上げてください」

 幼いが、ハッとするような凛とした声が響いた。虎吉はゆっくりと頭を上げ、驚きに思わず目を見開いた。

 なんと孤独で、寂しそうな方なのだろう。まず虎吉が感じたのは、その幼い容姿に不似合いな物悲しい雰囲気だった。それから遅れて、変わった格好が目に入ってきた。何故か顔の右半分を面で隠し、黒い手袋を両手にはめている。

 苑条利輝。男の名を付けられた少女は、虎吉を真っ直ぐな目で見た。

「嫌になれば、いつでも言え。私からお祖父様に話して、家に帰してあげるから」

 一人ぼっちの雰囲気を纏わせた利輝は、いきなり虎吉が家に帰るための話をした。自分は迷惑なのだろうか。虎吉は戸惑いなら、首を横に振った。

「虎吉は、利輝様にお仕えします。それが僕の生まれてきた意味ですから」

「生まれてきた意味……」

 利輝が呟いた。それから何かを振り払うように、「とにかく、辞めたくなったら遠慮なく言ってくれたらいい」と言うと、ふいとそっぽを向いた。それきりこちらを見ようともしなかったので、虎吉は仕方なく「失礼いたします」と部屋を出るしかなかった。

 初めの一週間は、新しい生活に慣れる事で精一杯だった。自分の身の回りの事は、基本的に自分でやらなくてはならない。その上、利輝が行動する時には側にいて、彼女が滞りなく一日の予定をこなせるように先回りして動かなければならないのだ。利輝は信輝の次に当主継承権を持っており、跡取りとして学ぶ事が多くあった。その勉強道具を用意したりするのも虎吉の役割だ。次から次へと流れていく予定についてくのは、目が回るような忙しさだった。

 それに慣れてくると、周りを観察する余裕が出てきた。使用人達は、幼い利輝を避けているように見えた。恐れを抱いているような、そんな気がした。それが虎吉は不思議で仕方が無かった。利輝には高貴さがあり、仕える身としては少し近寄りがたいところはある。だが、恐ろしさがあるようには感じられなかった。十数日間側に仕えただけで、利輝が利口で優秀な子供である事はよく分かった。それに、霊力がとても豊富だ。とても質が高い霊力の持ち主である事も実感した。彼女の側にいると、清らかな風が吹いているような気がするのだ。苑条家の人間として、跡取りとして、利輝は素晴らしい才能の持ち主である。殆ど声をかけてはもらえないが、性格が悪いという事は全く無い。虎吉が利輝が使う道具を用意すると、時折「ありがとう」と礼を言ってくれることもある。不満は一切なかった。だから、利輝を避ける使用人を奇妙に思っていたが、彼らは大人ばかりな上にまだ親しくも無かったため、理由を訊く事ができなかった。

 それよりも、虎吉は利輝が屋敷の中で一人きりである事が気になった。世話係の女性も、用事が済んだらそそくさと離れていく。利輝はそれに対して何も言わない。側仕えとして虎吉は一日の大半を彼女の側で過ごしているが、用事以外で彼女に話しかける人間はおらず、話しかける時も皆表情が少し硬い。子供に対する態度ではなかった。使用人とはそうあるべきなのか、と思ったが、虎吉はつい我慢が出来ずに利輝に声をかけてしまっていた。他愛もない話だが、利輝は拒絶せず普通に話してくれた。それを続けていると、利輝から雑談をしてくれる事もあった。そうやって話している利輝は時折笑顔を浮かべる事もあり、彼女を避ける使用人達とは反対に、虎吉は利輝と距離を縮めたいと思うようになっていった。

 そうやって働き始めてから三週間ほどが経った、ある夜である。虎吉は明日朝一番に利輝が剣術の稽古で使う竹刀を用意し忘れた事に気付き、急いで稽古場に向かった。暗い廊下を手燭を持って静かに歩いていると、中庭の方から人の気配がした。

「誰ですか!}

 虎吉は手燭を中庭の方へ向け、目を凝らした。すると、暗闇の中から利輝が現れた。虎吉は慌てる。

「失礼いたしました。利輝様でしたか」

 こくりと利輝が頷いた。

「何をなさっていたのですか。もう夜も遅いというのに……」

「心配してくれるのか」

 利輝が少し驚いたように言う。当然ですよ、と虎吉は答えた。

「お部屋にお戻りください」

 虎吉が優しく言うと、利輝は無言で微笑んだ。今までで一番柔らかい表情で、虎吉はどきりとした。

「お前は優しい。私を恐れず、話しかけてさえくれる。でも、いつまでも隠しているわけにはいかないな」

 利輝はおもむろに面を外した。そして、虎吉が持つ手燭の灯が届く場所まで近づいてきた。

 虎吉は思わず息を呑む。

 面で隠れていたその顔には、人間には無いはずの呪の痣が浮かんでいた。

「私は人間じゃないんだ。そして、術人でもない。人間と術人の間に生まれた、混種だ。本当は、生まれるはずの無い存在。だから使用人達は私を気味悪がり、恐れる。当然の反応だと思う」

「利、輝様……」

 虎吉は彼女の呪の痣に手を伸ばしそうになり、ハッと手を引っ込める。軽く触れていい相手ではない。

「初めて会った時、お前は私に仕える事を自分が生まれてきた意味だと言っていたな。私もそれを何度も考えていた。混種として私が生まれてきた意味とは何なのだろうと。何か、生まれてきた事に意味はあるのだろうか。私は、世界にただ一人だ。同じ存在がいない。そうお祖父様が言っていた。たった一人で、誰もいないのに、もし意味なんて何も無かったら、これからどうやって生きていけばいいんだろう」

 利輝の声は震えていた。だが、目に涙は無い。虎吉に縋るような様子もない。真っ直ぐに、一人で立っている。

 初めて会った時に感じた寂しさや孤独の正体は、これだったのだ。この世界でただ一人という、途方もない状況。それが、彼女を孤独にしたのだ。

 虎吉の目から、すーっと涙が零れた。利輝がそれをじっと見つめる。

「私が恐ろしいか、虎吉」

 いいえ、と虎吉は掠れた声で首を振った。

「そんな事はありません。利輝様は利輝様です。僕に話しかけてくださって、笑っておられた利輝様です。混種であろうと、利輝様であることには変わりがありません」

「では、なぜ泣いている」

「利輝様が一人だからです」

 彼女の孤独を思うと、視界が滲んだ。そして、それでも屋敷の中で一人で立ち続けてきた彼女の気高さに、涙が溢れる。

「利輝様。僕がいれば、少しは寂しさが薄れますか」

 虎吉は囁くように訊ねた。利輝は気丈に微笑む。

「私は一人で大丈夫だ。それより、虎吉はどうなんだ。家に帰りたくはないか。この屋敷は寂しいだろう。私に仕える事が生まれた意味でも、それ以上に寂しいのなら、遠慮せず帰ればいい」

 だから、嫌になったら自分に言えと言っていたのだ。利輝は虎吉の存在を迷惑に思っていたのではない。ただ純粋に、家から出てきたばかりの虎吉を案じていたのだ。自分は一人だというのに。

「利輝様。正直に言ってください。僕がいれば、少しは寂しさがましになりますか」

 虎吉は利輝の目を真正面から真剣に見つめた。嘘やごまかしは許さない、という思いを込めて。

 利輝は暫く抵抗するように黙っていたが、やがて虎吉の視線に折れたように呟いた。

「年の近い子が来てくれて、嬉しかった」

 本心だと分かる響きだった。それがとても、いじらしかった。

 孤独で、気高く、いじらしい主。虎吉は堪らない気持ちになった。

 思わず、利輝の手を取る。

「利輝様。虎吉は、一生を利輝様に捧げます。これは生まれた意味など関係ありません。僕自身の思いです。僕は利輝様の味方です」

 虎吉には、利輝が抱えている『混種』という根本的な孤独は癒せない。だが、彼女を一人にしないように側にいて、味方になる事ならばできる。

「誓います」

 利輝は暫く目を丸くしていたが、やがて、ゆっくりと顔がほころんだ。

「ありがとう」

 きゅっと握り返されたその手を、虎吉は一生忘れないだろう。

 それから虎吉は、利輝の側に仕え、話しかけ、時折諌めながら、時を過ごしていった。いつまで経っても利輝を避ける使用人達には彼女の事を何も見ていないのだなと不満を覚えたが、仕事上の付き合いはそれなりに上手くやった。夜の僅かな自由時間には読み書きや計算などの勉強をして、忙しい毎日を送った。

 利輝は、日々苑条家の当主候補としての勉強に励み、精進していた。座学だけでなく、剣の扱い方も利輝は優秀だった。剣術の稽古は虎吉も一緒に受けていたが、利輝が十歳になる頃には虎吉は彼女に勝てなくなった。これでは主をいざという時に守れないばかりか、自分が守られてしまうと危惧した虎吉は必死に自主練習をしたが、それでも利輝に時折勝てるかどうかという結果だった。

 利輝は混種である事を悩みながらも、苑条家の当主候補としての自覚を持ち、それに見合う者になれるように努力していた。未来の当主としてあらゆる能力が求められ、傍から見ていて心配になるほど利輝は色々な事を大量に学んでいた。並大抵の者ならば、耐えられなくなってもう止めてくれと泣きつくような日々だった。それでも、利輝はそれら全てをこなし、成長し続けた。

「将来当主になれたら、それは私が今やってる努力が認められたという事だ。人間だとか混種だとか、そんな事は関係ない。私の力だけが、認められる。いつか人間の一族であるこの家の当主になる事が、幼い頃からの私の希望だ」

 利輝は真剣な表情で、そう語っていた。そんな主が、虎吉は誇らしかった。

 だが、その希望は彼女が十四歳の時に引きちぎられるように奪われた。

 子宝に恵まれなかった信輝に、待望の赤ん坊が生まれた。その日、自室で勉強をしていた利輝を当主である輝政が訪ねてきた。

 赤ん坊が生まれたぞ、と言ったその流れで、輝政はあっさりと告げた。

「お前の当主継承権は、今日をもって剥奪する」

「……え?」

 利輝が呆然とした表情になる。虎吉も何を言われたのか理解できなかった。

「今までよく頑張った。もう勉強もしなくていいぞ」

 そう言って部屋から出て行こうとする輝政に、我に返った利輝が叫ぶ。

「何故ですかお祖父様! どうして私の当主継承権が奪われなくてはならないんですか!」

「この家は繁栄し続けなければいけない。それだけだ」

 反論は許さないと言わんばかりの威圧的な声だった。この家では輝政が絶対だ。彼が利輝の当主継承権を剥奪すると言ったら、もうそれは変えられない事実となる。利輝はぐっと黙り込んだ。それを何の感情も籠らない目でちらりと見て、輝政は部屋を出て行った。

 閉められた障子を、利輝は憎しみが籠った目で睨みつけた。

 その後すぐに、当主継承権が国輝と名付けられた赤ん坊に与えられた事が判明した。それを知った時の利輝の気持ちを考えると、虎吉は胸が張り裂けそうになる。利輝は、国輝や信輝、輝政を避けるようになった。そして、使用人達は利輝に対してますます腫れ物に触るような扱いをするようになった。

 国輝が三歳の時だ。どうしても利輝と遊びたいと駄々を捏ねた国輝に、利輝が仕方なく付き合った事があった。遊び疲れて利輝の腕の中で眠った国輝に、その小さな頭を優しく撫でながら彼女は呟いた。

「ごめんね国輝。私は貴方の幸せを願えない」

 別の道で苑条家に対抗しようと、神領省に優秀な成績で入省した年の事だった。小さな声だったが、国輝を起こさないようにと静まり返っていた部屋の中で、その言葉はよく響いた。国輝の世話係達は戦慄したような顔をした。虎吉は、ただ胸が苦しくなった。

 利輝は、悲しそうに微笑んでいた。

 その表情は記憶に強く焼き付いて、二年経っても虎吉は鮮明に覚えている。


          *


 利輝に一つだけ問題があるとすれば、それは人間と術人の争いに無関心な事だ。民衆間は比較的平和だが、国や官庁などの上の方へ行くと、水面下の争いが起こっていると聞く。利輝は苑条家に対抗するために神領省の上層部へ行くことを目指しているが、そこへ行くためにはその問題に無関心でいる事は許されない。もっと関心を持つべきだと諌言するべきだと分かっていたが、虎吉は悩んでいた。彼女があの問題に無関心なのは、関心を持ってしまえば混種である己が一人であると思い知らされるからだろう。人間と術人の争いは、利輝にとっては関係がない、関わる事ができないことなのだ。それを突き付けられると、きっと利輝は傷付く。それを知っている虎吉は、ずるずると言えないでいた。

 だが、ある日、利輝が今までの無関心ぶりからは考えられない発言をした。酷い顔をして仕事から帰ってきた、ちょうど一週間後の事だった。

「虎吉、私は常々思っている事がある。上に立つ者は人々の運命すら変える事があると自覚し、それを背負わねばならない。そして、自覚していようと無自覚だろうと、力で人々の人生を歪める者を私は許さない。この間、無自覚な村の長にあった。その長が遠因で村は争いになった。そしてそれがきっかけとなり、村は滅んだ。私はあの長が許せない。でも、私も無力だった。その村を助けられなかった……」

 そこで利輝は言葉を切った。暫く黙り込み、やがてまた口を開いた。

「その村の争いでは、人間と術人が対立していたのだそうだ。平和そうな民衆間でも、そんな争いは起こるんだな。種が違うから、争いなんかが起こってしまうのだろうか。それならば混種である私は、一体どうすればいいのだろう。混種である私の役割とは、一体何なのだろう」

 虎吉に語り掛けるような口調ではあったが、利輝は自問しているようだった。その答えは利輝自身が見つけなければいけないものだ。虎吉は、彼女が話したい時に、静かに話を聞くことしかできない。

 もし利輝が答えを見つけたのならば、彼女はまた一段と成長する。

 それを、虎吉は楽しみにしている。

第六章でした。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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