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狭間の鬼神姫  作者: 廣本 涼
4/11

第三章

狭間の鬼神姫、第三章を掲載します。

序章の注意事項をご理解くださった方のみ、先へお進みください。


それでは、始まります。

 車、といえば動力を生み出す大型の絡繰りが積まれた屋根付きの乗り物である絡繰り車の事を指す。この絡繰り車は公共の乗り物として普及しており、運賃は少々かかるが絡繰り車を乗り換えていけば、全国の町へ早く移動できるのだ。

 公共の絡繰り車は二十人程度が乗る事ができるが、四人乗りという小さな車も存在する。それらは各省庁にあり、源魔対策対応課では分所からの応援要請を受けた時に現場に向かうために使う。一台一台に専属の運転手がおり、常に待機しているので、利用の申請をして車庫に行けばすぐに出発できるようになっている。

 絡繰り車の運転には免許が必要だ。車は一般家庭用のものはないので、運転手として働きたい者だけがそれを取得していた。

 人を乗せたこんなに大きな物体を動かす気持ちは、どんなものなのだろう。藤真は絡繰り車を利用すると時々そんな事を思う。

 藤真は公共の絡繰り車でがたがたと揺られながら、目的地へ向かっていた。隣の席には相棒である苑条利輝が座っている。

 二人は、視察に向かっていた。

 対魔分所を視察する事は、源魔対策対応課の主な仕事の一つだった。地方の分所へ出向き、仕事の様子や源魔の出現頻度などを確認する。対人関係や仕事に関する問題があれば、戻ってきて課長に報告する。対魔課の課長、副課長はそれらの報告を纏めて警務部の上層部に渡す事が仕事内容の多くの割合を占めていた。源魔を倒しに現場へ行く事はまずない。

 同じ分所には数年に一度しか視察に行かない。そうでないと、全国を満遍なく回る事ができないからだ。但し、分所側から視察要請があり、事情を聞いて視察する必要ありと判断されたら、視察して時間が経っていない場所でも出向く事がある。

 視察へ行くのは一か所につき数年に一度だが、その間全く顔を出さないかというと、そうではない。

 遠い地方へ行く時は、目的の対魔分所に着くまでに何日もかかる。なので、公共の絡繰り車を乗り換え、道中の宿に泊まりながらの出向になるのだ。そのついでに色々な分所に顔を出す事が暗黙の決まりになっている。科乃と花菱が二週間ほどの分所巡りの旅を終えて対魔課に帰ってきたのはつい先日の事だった。

 今回、藤真達が行くのは比較的近い分所だった。車も、乗り換えをせずに行ける。午前中に着き、それから視察をする。終わるのは日が暮れた頃になると予想されるので、その町で一泊する事になっていた。

 ずっと座りっぱなしなので、藤真は腰と尻が痛くなってきた。隣の利輝は膝に荷物を抱え、手に刀を持ちながら涼しい顔をしている。

 視察へ行く時も、刀は持ってきていた。道中や視察先で源魔に遭遇すれば、民衆を守りながら退治するためだ。藤真が源魔を見るために必要な目も、今朝待ち合わせ場所で会った時からずっと借りている。

「ずっと霊力を送り続けて、疲れない?」

 暇なので、一応利輝に訊いてみた。

「これくらいは大した事が無い」

 これが利輝の答えだった。自慢している様子は一切ない。以前、何十人もの術人に同時に目を貸していたくらいだ。彼女にとって、藤真一人に目を貸す事など本当に造作もない事なのだろう。

 科乃と福野の言葉がよみがえってくる。

 二人と雑談をしていて、霊力の話題になった事がある。

 その時に、人間が術人に目を貸す事はかなりの霊力と集中力を必要とし、体力も消耗するものなのだと知った。その上、目を貸している術人があまり遠くへ行くと霊力が送れなくなるらしい。

 しかし利輝は別だろう、と二人は口を揃えていた。

「あの子は別格なのよ」

 科乃は感心と呆れが混じった声だった。

「流石苑条家の血、というところかしら。もしかすると、歴代の苑条家の中でも上位かもしれないわね」

「彼女は、霊力の資質とそれを使いこなす才能の塊だよ。時々恐ろしくなるくらいだ」

「だから利輝は『鬼神姫』なのよ」

「神のような力を持っているという意味でね。苑条さんを恐れて鬼神姫と呼ぶ人もいるみたいだけど、僕達が彼女をそう呼ぶ時は、一種の尊敬の念を込めているんだ」

 藤真は術人なので霊力を感じられない。だから利輝の霊力がどれほどのものなのか実感できない事が残念だ。倒魔官になれるような人間達が口を揃えて「凄い」と言うほどなので、相当のものなのだろう。そこまで言われると興味が湧く。

「利輝なら、俺に霊力を感じさせる事は出来るのかな」

 そう口に出すと、呆れた目で利輝が藤真を見た。

「零に何をかけても零にしかならない」

「つまり、無理って事かい?」

「ああ」

「残念。霊力を俺も感じてみたかったのに」

 すると、利輝は突然、藤真の方へ掌を向けた。

「何これ」

「今、かなりの力を送っている。どうだ」

「何も感じないよ」

 藤真には全く変化が感じられなかった。

 ただ、利輝の髪の毛が風が吹いているようにふわふわと揺れている。「やっぱり零は零だ」と利輝が掌をかざす事をやめると、髪の動きはなくなった。

「髪の毛が動くのは、霊力が原因?」

 藤真が訊ねると、利輝が自分の黒髪を指先で触った。

「かなりの量の霊力を注ぐと何故かこうなる。ならない時もある。差は分からない。生まれ持った霊力が弱いと、こうはならないようだ」

「人間は不思議だなあ」

「ああ、全くだ」

 利輝は他人事のように言った。

 混種であるという事は、そのどちらでもある事。藤真はそう捉えているが、利輝は混種とはどちらでもない事だと言っていた。霊力は人間の特性だが、その特性を溢れんばかりに持っていても利輝は自分の事を人間ではないと思っているようだった。

 藤真は利輝の混種の事について、あまり口に出さないと決めていた。いくら考えようと藤真は純粋な術人で、混種の利輝が抱えているかもしれない悩みや思いを本当の意味で理解する事ができない。理解していない他人に知ったような口をきかれるのは相当腹が立つ事だ。だから、なるべく藤真からは話題を出さない事にしている。

 会話が途切れたので、窓際の席に座っている藤真は外を見た。のどかな景色だ。いつも出勤している神領省は都の中心にあり人も建物も多いので、のんびりとした風景を見ると心が安らぐ。

 絡繰り車には、もう客は藤真と利輝しか乗っていない。乗ったばかりの時は十数人いたが、皆途中で降りていった。藤真達は終点近くまで行く。

 道を曲がると、海が広がっていた。

「あ、海だ」

 藤真は思わず声を出した。ちらりと利輝を見ると、彼女も興味深そうに窓の外を見つめていた。 

 太陽の光が反射し、水面がきらきらと光っている。藤真は数えるほどしか海を見た事が無いので、興味深くてついじっと眺めてしまう。

 海が見えたという事は、もうすぐ目的地に着く。

 運転手が町の名前を告げた。

「次、降ります」

 利輝が通る声で運転手に言った。


          *


 絡繰り車から降りると、そこに待ち構えるように立っていた二十代半ばくらいの若い人間の男性が声をかけてきた。制服を着ていたので、対魔分所の倒魔官とすぐに分かった。

「すみません、源魔対策対応課の方ですか?」

「はい。源魔対策対応課の苑条と申します。視察に参りました」

「藤真と申します」

「下川です。本日はよろしくお願い致します」

 藤真と利輝は下川と握手を交わした。

 下川は利輝をしげしげと眺める。

「何か?」

 利輝が訊ねる。下川はハッとした顔をして、「すみません」と謝った。

「お面を付けている方を見るのは珍しくて、ついじっと見てしまいました。申し訳ありません」

 利輝は面に触れて微笑んだ。

「そんなに珍しいですか?」

「はい。この町では身分が高い者も霊力が高い人間もあまりいなくて。そういう方がお面をつけておられるという話は聞いた事があったので、つい興味が湧いてしまいました。苑条さんはとても強い霊力をお持ちなんですね」

「分かるんですか?」

 藤真はつい下川に訊いた。ええ、と下川が頷く。

「とても高い質と豊富な量をお持ちだと感じます。心地よい風が吹いているようです」

 下川は利輝に向き直った。

「苑条という名字も聞いた事があります。確か、都にあるかなり身分が高いお家でしたよね。苑条さんがお面をつけておられるのも納得です」

「そこまで身分が高いわけではありませんよ。家が古いだけです」

 利輝が控えめな笑顔で言った。

「分所に案内していただけますか」

「あっ、そうですね。ご案内します」

 こちらです、と下川は笑って、歩き出した。利輝がその後ろにつき、藤真がついて行く。「ここは海辺の小さな町です。田舎ですよ。お二人が普段暮らしていらっしゃる所とは大違いでしょう」

「落ち着いていて、穏やかな雰囲気ですね」

 藤真が感想を述べる。「そうですか?」と振り返った下川は嬉しそうな顔をしていた。

「何もない町ですよ」

「何もない、なんて事ないでしょう。空気が素晴らしいです。この土地の土地神様はかなり力が強いようですね」

 利輝の言葉に、「やはりお分かりになりますか!」と下川は反応した。

「この町には大きな神社があるんです。こんな小さな町には釣り合わないほど、立派な神社です。その神社には土地神様が祀られているのですが、その土地神様がこの町全体を守ってくださるのでかなり空気が清らかなんですよ」

 確かに、空気は澄んでいるように感じる。術人は霊力は感じられないが、神が作り出す空気なら感じる事ができた。つまり、神域の清らかな空気ならば分かるのだ。

「土地神様が守ってくださっているからか、源魔の出現率も低くて、たまに出たとしても力が弱くてすぐに倒せるので、とても平和なんです。だから、分所で働いているのは僕と相棒である術人の子の二人だけです。昔からこの町は倒魔官が二人しかいなかったんですが、今まで特に問題が起こった事はありません」

 凄い話だ、と藤真は半ば唖然としながら聞いていた。源魔とはこれまでに数回戦ったが、すぐに倒せる源魔に藤真はまだお目に掛かった事が無い。

「下川さんは、昔からこの町におられたんですか?」

 利輝が質問した。

「はい。ここで生まれて、ここで育ちました。もう一人の倒魔官もそうです。生まれた年も同じなので、彼女は幼馴染というものですね」

 そうなんですか、と利輝が頷いた。

 しばらく歩いて、下川が足を止めた。

「ここです」

 藤真は建物を見た。分所の中でも随分とこじんまりとした作りだ。

 下川に続いて、藤真と利輝は中に入った。

 机と椅子が二組置いてある。奥には書類棚があった。基本的な対魔分所の内装だ。

「もう一人の方は?」

 藤真は下川に訊いた。誰もいなかったからだ。てっきり相棒は留守番をしているのだと思っていた。

「彼女は神事局の方を迎えに行っています。今はその方に町案内をしているかもしれません」

 利輝が眉間に皺を寄せた。何故神事局の人間が、と言いたげだ。藤真も同じ気持ちである。

 その疑問に答えるかのように、下川はにこやかに言った。

「今夜は神社のお祭りですよ。それで、今年は祭事部の方が視察に来られるんです」

「……なるほど」

 利輝が納得したように呟いた。

 神領省神事局祭事部は、祭り事に関係することを扱っている。全国の祭りの研究もしているらしい。

 藤真は下川に聞こえないように利輝に囁いた。

「祭事部は田舎の町の祭りにまで顔を出すの?」

「視察ではないだろうがな。祭事部は、祭りを執り行う際に問題が起こった場合に、神社や寺側から連絡を受けてそれを解決する為に派遣される」

「つまりこの町のお祭りに何か問題が起こったという事かい?」

 ああ、と利輝が低い声で言った。

「一般には祭りの視察と研究の部署だと説明してある。それも間違いではないが、実際は祭りの問題解決が主な仕事だ。これは神社や寺や祭りの関係者、神領省勤務の者しか知らない」

 何も知らない下川は不思議そうな顔で藤真達を見ている。利輝が誤魔化すように微笑んだ。

「こちらの話です。お気になさらず」

 そうですか、と下川は頷いた。

「ところで、祭りには苑条さんも参加されると聞きました。何をなさるんですか?」

「……は?」

 利輝は面食らった顔をした。藤真は、彼女のそんな表情を初めて見た。

 利輝の反応を見て下川は首を傾げる。

「苑条さんもお仕事で今夜の祭りに参加されるんですよね?」

「どういう事ですか?」

「え、ご存じないんですか」

 おかしいな、と下川が頭を掻く。少しお待ちください、と言い残して奥の書類棚へ歩いて行った。

 藤真は声を潜めて利輝に話しかけた。

「誰かと間違えているとか?」

「分からない」

 利輝が小さく首を振った。

 下川が「これです」と一枚の紙を手に戻ってきた。

「祭事部から昨日届きました」

 利輝が紙を受け取った。そして、眉を顰める。藤真は彼女の邪魔にならないように横からそっと覗き込んだ。

 苑条利輝がそちらの対魔分所を視察後に仕事として祭りに参加する。泊まる予定の宿で禊をするので、当日は用意しておくように。

 要約すると、こういった事が書いてあった。何をするかなど、詳しい内容は一言も書かれていない。ただ、参加する者が利輝である事は間違いないようだった。

「そのように書いてあったので、ご存知だとばかり思っていましたが……」

 下川が不安そうな顔をする。

「上司に確認してみます」

 利輝は荷物から紙と筆記具を取り出すと何かを素早く書いた。紙を折ると、掌に乗せ、ふっと息を吹きかける。紙はふわりと宙に浮かんでから、溶けるように消えた。飛び文だ。見る度に、人間は便利なものだと藤真は思う。霊力が無いため飛び文を使えない術人は、直ぐに文を届けたい時は知り合いの人間に頼むか飛び文の代行所に行って頼まなければならない。

 利輝は顎に手を当て、何かを考えている様子だった。その姿は妙な気迫があり、藤真と下川は声を出す事が憚られて黙り込んでいた。

 ふいに、分所の扉が開く音がした。

「ただいま戻りました」

 明るい女性の声がした。見ると、制服を着た若い女性の術人が入ってきたところだった。室内のおかしな空気に、女性が固まる。

鷹音たかね

 下川がそう呼ぶと、女性は少し安心した顔をして、下川に駆け寄る。

「祭事部の方は?」

「宿に案内したわ。その後は自分一人で神社に行くからもういいって言われて、帰ってきたんだけど……」

 どうしたの?と不審そうな顔をした。

「神領省の方が視察に来られたんだけど、夜の祭りの話をご存じなかったみたいで。今飛び文で確認しているところ」

 下川が簡潔に説明する。

 そこでようやく利輝が女性の存在に気が付いたようで、考える事をやめた。張りつめていた空気が和らぐ。

 すみません、と利輝が謝り、女性に手を差し出した。

「源魔対策対応課から参りました、苑条と申します」

「鷹音です」

 二人は握手を交わした。藤真も名乗り、同じように鷹音と握手する。

「こちらの問題でお騒がせして申し訳ありません」

「いえ」

 鷹音はそう言ったが、心配そうに下川を見た。

 しばらく経ち、利輝の目の前にふわっと紙が現れた。宙に浮いているそれを、利輝は乱暴に掴んだ。そのまま部屋の角の方へ移動する。藤真はついて行った。

 紙を読んでいる利輝に「どう?」と訊ねた。利輝は驚くほどの速さで文章に目を通すと、小さく溜息を吐いた。

「和豊課長に連絡した。課長もそんな話は聞いていなかったみたいで、祭事部に連絡して確認したら、『取り敢えず夜に神社に行って祭事部の人間と会え。その人間から説明がある』としか返ってこなかったようだ。うちに連絡が無かったのは、『伝達する時に何か間違いがあって対魔課まで届かなかったらしい』と。本当かどうか」

 利輝の囁き声には不信感がありありと滲んでいた。

「何をするのかも分からないのかい?」

「ああ、さっぱりだ。課長から謝られた。他部署だが命令は命令だから取り敢えず言われた通りに動いてほしいと書いてある」

 課長がそういうお考えなら仕方がない、と再び利輝は溜息を吐いた。

「取り敢えず、夜は祭りに参加しなければいけない事になったからな。視察は素早く終わらせないと、準備ができない」

「頑張ろう」

 藤真の言葉に、利輝は頷いた。

 利輝は下川と鷹音の方へ戻ると、不安げな二人を安心させるように微笑んだ。

「すみません。省内での行き違いがあったようです。確かに、私もお祭りに参加させていただくようでした」

「よかった」

 鷹音が呟いた。二人の顔に安堵が浮かんだ。

「僕達にとって、年に一回の祭りはとても大切な行事なんです。何せ、この土地を守ってくださっている土地神様のお祭りですからね。なので、何か問題が起こったのかと不安になってしまって……」

「神領省の方が参加されるのですから、きっととても大切なお仕事なんでしょうね。祭りをよろしくお願いします」

 そう言って二人は頭を下げた。利輝は苦笑いをしていた。それもそうだろう、と藤真は思った。利輝は仕事の内容を知らないのだ。

「とにかく、まずは私の本来の仕事である視察をさせていただきます」

 利輝がそう言うと、二人は緊張した面持ちになった。背筋も伸びている。

「資料や今までの書類を確認するため、書類棚や机の上のものを拝見します。よろしいですね」

「はい」

「長くなると思うので、お二人は椅子にでも座って気楽に過ごしてください。ただ、机の付近で動き回るので椅子は移動していただきますが」

「分かりました」

 下川と鷹音は利輝の指示に従って、椅子を扉付近に移動させた。そして、椅子にちょこんと控えめに腰かける。

 ちらちらと見てくる二人に、藤真は落ち着かない気持ちになった。視線を振り払うように、利輝に小さく声をかける。

「まずはどこから手をつけたらいい?」

「机の上。特に書きかけのものや、最新のものだ」

「何故?」

 利輝は囁いた。

「そういった作業中の物を早めに確認して机を使えるようにし、業務に戻ってもらう為だ。分所の書類を全て確認するには半日近くかかる。その間完全に業務を止めさせるのはまずいだろう」

 なるほど、と藤真は納得した。椅子の移動は、机上の書類を確認し終えるまでの一時的なものだというわけだ。

 ここに来る前に読み込んできた資料によると、下川と鷹音の二人は前回の視察が終わった後の、今から四年前にこの分所に配属されたようだ。四年前に前任の人間が定年退職し、相棒だった術人は別の地への移動を願い出ていた。それで、地元出身の新人二人に任せようとなったらしい。

 つまり、下川と鷹音にとっては今回が初の視察である。そして、藤真にとっても初の視察だ。利輝は慣れているようだが、今この場所に居るのは若手だらけだ。大丈夫か、と藤真は少しだけ心配になった。

 藤真は机の上の書類を手に取った。書かれている内容に、素早く目を通していく。書きかけの書類の中には備品の購入履歴もあった。店側が書いた品物の領収書と、書かれた書類の内容を照らし合わせていく。今のところ、特に問題は見当たらない。だが、こういうものを一つ一つ確認していかなければならないので、てきぱきとしていても時間はかかる。そう思いながら作業していたが、何気なく利輝を見ると、恐ろしい速さで書類を捌いていた。

 視線に気が付いた利輝が藤真を見る。口が、『遅い』と動く。

「初めてなんだよ。仕方がないじゃないか」

 藤真は声を潜めて反論した。それから、ふと気になって扉付近にいる下川と鷹音を見た。二人は座り方こそまだ硬かったが、表情は柔らかくなっていた。小声で会話をしているようだ。室内は狭いので、途切れ途切れに内容が聞こえてくる。今夜の祭りについて話しているようだった。一緒に行くつもりらしい。誘った鷹音が「今年も」と言っているので毎年の事のようだが、下川が了承した時に彼女は心の底から嬉しそうに笑っていた。ふうん、と微笑ましく眺めていたが、早く仕事をしなければならないとハッとした。ばれたら睨まれるかもしれないと利輝の方を確認すると、彼女も下川達を見ていた。但し、藤真と違い二人を見る彼女は無表情だった。

 業務日誌も確認した。源魔が出たという記述は驚くほど少なく、倒魔に行った時も手こずった様子が無い。怪我も無いようだ。先程確認した書類の中にも、病院に行ったという記録は無かった。日誌には、業務内容だけではなく、近所の老人達が分所に遊びに来て話していった内容なども書かれていた。そういった事も書かないと、日誌を埋められないのだろう。

「この日誌の内容って、大丈夫かな」

 藤真は一応利輝に業務日誌を見せた。彼女は数頁くらいをパラパラと捲ると、

「いいんじゃないか」

 と日誌を藤真に返した。

「業務内容を書かずに業務外の事ばかり記していたら問題だが、書類を確認していると、どうもこの分所は業務が少ないようだからな。何とか日誌を埋めようとしていて、真面目だと思う」

 確かに、源魔が少なく平和だからかこの分所はかなり業務が少ない。藤真なら暇で暇で耐えられないだろう。源魔対策対応課は手強い源魔を相手にしたり机仕事が大量にあったりと大変だが、日々やりがいを感じる。下川や鷹音はよく耐えられるなと思ったが、下川は二人はこの町で生まれ育ったと言っていた。この平和でのんびりとした状態が子供の頃から当たり前だったのならば、業務がこのくらい少ない方が彼らの気質に合っているのかもしれない。

 机の上の作業が終わると、きりが良いので一旦中断し、四人で昼食をとろうという話になった。利輝は分所を空けて大丈夫なのかと厳しい顔をしたが、下川は「大丈夫ですよ」と言った。

「昼食の時はいつもそうです。僕達が昼食の時間には店にいる事を皆が知っていますから、何かあったら多分直接店に来ます。その『何か』が今まであった事は無いですけどね」

 あまりにのんびりとしている。利輝は呆気にとられたようで、「……対策があるのなら問題ないです」と言うのがやっとのようだった。

 まず、下川達に案内され今日泊まる宿に荷物を置きに行き、それからおすすめだという店へ向かった。

「といっても、その店くらいしか食事をするところが無いんですけどね」

 下川は苦笑した。

「でも、美味しいですよ。お年寄りのご夫婦がやっているお店なんですけど、味が優しくてほっこりするんです」

 ね、と鷹音が下川に同意を求めると、「味は保証します」と彼は力強く言った。

 着いたのは、古い民家のような外観の店だった。看板も無い。知らなければ、店だとは思わないだろう。下川は家の玄関のような引き戸をガラリと開け、「こんにちは」と中に入っていった。鷹音が続き、利輝はすたすたと躊躇いなく店の中へ歩いて行く。藤真だけが、こわごわと足を踏み入れた。

 内装は、普通の食事処と変わらなかった。十数席ほどある。地元の者らしき老年の人間や術人が四人席に座っていた。

 下川と鷹音は彼らに挨拶をすると、慣れた様子で四人席の片側に行き、向かい側を手で示して「どうぞ」と勧めた。利輝が鷹音の前に座ったので、藤真はその隣の下川の向かいに腰を下ろした。下川の後ろで、客達が興味津々といった様子でこちらを見ている。

「いらっしゃい」

 優しそうな人間の老婦人が店の奥から出てきた。藤真達を見て目を丸くする。

「珍しい。外からのお客様だわ。鷹音ちゃん達のお友達?」

 鷹音が笑う。

「違うよ、おばあちゃん。お仕事関係の方達だよ。都から分所の視察に来られたの」

 何となく、藤真は老婦人に会釈した。おっとりと老婦人が頬を緩める。

「そうなの。じゃあ都のお役人様かしら」

「そうだよ」

 鷹音の言葉に、老婦人はまあ、と微笑んだ。

「お役人様方、鷹音ちゃん達は良い子ですよ。小さい頃から二人は仲良しでね、倒魔官になってからも源魔が現れたら二人でぱーっとやってきてやっつけてくれるんです。とっても相性がぴったり。それに、町の皆を気にかけて、優しい子達なんですよ。ここにも毎日お昼ご飯を食べに来てくれてねえ。私達夫婦の事まで気にかけてくれるんです。私の夫は術人でね、だから子供がいないんですよ。なので鷹音ちゃん達みたいな若い子が来てくれると自分の子供や孫と話しているみたいで嬉しくてね」

 術人と夫婦、というところで、利輝がぴくりと頬を動かしたのを藤真は視界の端で捉えた。

 人間と術人が婚姻関係を結ぶことは禁止されていないが、種の違う夫婦というのはかなり少ない。種の本能的に同種を好きになりやすいなど様々な理由があるが、子供が出来ない事も大きな理由の一つだろう。

 混種である利輝は術人と人間の夫婦に何か思うところがあるのかもしれない。だが、利輝が反応したのはほんの一瞬だけで、すぐに表情を元に戻していた。老婦人や下川達は気が付かなかったようだ。

「優しくて真面目な子達ですよ。鷹音ちゃん達に、どうか良い評価をつけてくださいね」

 老婦人はそんな事を言う。

「やめてよ、おばあちゃん。困らせちゃうじゃない」

 鷹音が眉を下げた。「あら、ごめんなさい」と老婦人はそっと手で口元を隠した。

「お品書きです。決まったら呼んでくださいね」

 老婦人は手に持っていたお品書きを利輝に渡して、奥へと戻っていった。

「すみません。気にしないでください」

 下川が困ったように笑った。藤真は微笑んだ。

「優しいおばあさんですね。それに、お二人が好かれているのがよく分かりました」

「小さな町ですから、皆知り合いのようなものなんです。鷹音とも、家族ぐるみの付き合いなんですよ」

「それでは、お二人はずっと一緒なんですね」

「ここまでくると、腐れ縁ですよ」

「ちょっと、酷い」

 鷹音がむっとした顔をした。下川は冗談だよ、と笑った。

「親友ですよ」

 そう言った下川は気付いていないが、鷹音の目に傷ついた色が浮かんだ。だが、彼女は上手く笑みを浮かべていた。

「小さい頃から一緒なら、倒魔の時も息がぴったりなんでしょうね」

「お互いの力があまり強くないので、それを補おうとすると自然と息が合ってきますよ」

「羨ましいです」

 藤真はつい本音をポロリと零した。藤真が新人のため戦闘に早く慣れるようにと優先的に応援要請を回してもらっているのだが、利輝と共に倒魔をすると、藤真が足を引っ張ってしまう事がある。最近はようやく慣れてきたのでそういった事は減ってきているが、霊力だけでなく戦闘能力も才能が突出している利輝と足並みをそろえるのはまだ時間がかかりそうだった。

 たとえ力があまり強くなくても、お互いを心から信頼し合っている様子の下川と鷹音はとても良い相棒だった。自分もいつか利輝とそんな関係になりたい。藤真はそう思った。 

 四人が食べたい物を選んで注文すると、待ち構えていたように客の老人達から声をかけられた。

「そこの、術人の綺麗な兄ちゃんとお面のお嬢ちゃんは都から来たのかい?」

「そうですよ」

 少し微笑んで利輝が答える。

「お役人様だってな」

「もう、話を聞いていたの?」

 鷹音が老人達を振り返って怒った声を出す。

「聞いたんじゃない、聞こえたんだよ」

「なあ?」

 と老人達は悪びれない。

「どこのお役人なのかい?」

「神領省です」

 利輝の言葉に、「ほう」「そりゃあ凄い」という感嘆の声が湧く。

「お面のお嬢ちゃんも綺麗な兄ちゃんも、若いのに凄いなあ」

 いや、兄ちゃんの方は分からないか。人間の老人が付け足した。

「なあ、綺麗な術人の兄ちゃん」

 綺麗な、などと言われると返事をしづらい。それに、『綺麗』と言われる事は好きではなかった。

「……何でしょう」

「兄ちゃんの歳はいくつだ?」

「今年で二十七です」

「見た目相応……いや、ちょっと若く見えるか。不老は?」

「始まってます」

「だからか」

 老人達は頷き合った。

「白い髪ってのも珍しいなあ」

「ああ、初めて見る」

「ちょっと、じーちゃん達、そこらへんでやめてよ」

 下川が制止した。

「よそからのお客様は珍しいけどさ、そんなに質問攻めにしたら失礼だって」

「それもそうだな。すまん」

「すまんなあ」

「すみません」

 老人達、下川や鷹音に口々に謝られて、藤真は「いいですよ」と笑いながら手を振るしかなかった。

 食事が運ばれてきてからは、雑談を交わしながら和やかに昼食の時間は進んだ。下川達が太鼓判を押したように、料理の味は優しく出汁がきいていて、心が温かくなるようだった。

 老婦人や客達に見送られて店を出ると、まっすぐに分所に戻った。

 午後からは奥の棚の書類の確認だ。下川と鷹音は椅子を机の場所に戻して仕事をしてもらう。

 二人が扉の近くに置いてあった椅子を取りに行っている間、

「さり気なく仕事の時の様子や態度も確認するように」

 と利輝に耳打ちされた。

 過去の対源魔の記録など複数の書類を照らし合わせて業務が正常に行われていたか確認しながら、藤真は二人の様子をそっと窺った。下川も鷹音も真面目な顔で書類を書いている。時折、片方が質問や確認をしてそれをもう片方が答える事もあった。分からないところは一人で無理矢理解決するのではなく、きちんと確認している。藤真は立場上二人を視察しているが、本来は下川達の方がずっと先輩だ。二人の真面目で丁寧な仕事態度には学ばされる。

 利輝は、複数の書類を腕に抱えながら器用に確認作業をしている。少しでも利輝の手際に追いつこうと、藤真は慎重に、だがなるべく急いで書類に目を通していった。

 源魔対策対応課は分所からの応援要請を受け付けているが、それは神領省から一定の範囲の対魔分所だけだ。それ以外の場所は神領省から行くのは時間がかかり過ぎて、効率が悪い。出来るだけ早く救援に行かなければ応援要請の意味が無いのだ。だから、神領省から離れている殆どの対魔分所では、源魔を自分達で対処できないと判断した場合、近くの別の対魔分所二か所に応援要請を送る決まりになっている。二か所に送れば、ほぼ確実にどちらかに手が空いている倒魔官がいる。そうやって、助け合っているのだ。

 だが、この分所ではここ数年間応援要請を出していない。源魔の出現頻度が少なく力も弱い、と応援を呼ぶ必要が無いからだ。応援にも行っていないのは、この町には倒魔官が一組しかいないため離れるわけにはいかないからだろう。あまり源魔が出ないとはいえ、離れた時に万が一という事もあり得る。

 それにしてもこの町の土地神様というのは本当に力が強いらしい、と藤真は驚いた。

 源魔は神域には出現しない。これは源魔が神より力が弱く、尚且つ穢れた存在だからだった。清浄な空気の中では存在できないのだ。この町の土地神様はその清浄な空気を町全体に纏わせているようであった。流石に神域と同程度の空気というわけにはいかないが、他の土地に比べて大分澄んだ空気のこの町では、源魔はさぞかし出現しにくいだろう。存在できたとしても、力が出ない。そうやって町は守られて、平和でいられるのだ。下川達が祭りを大切にしている気持ちも分かる。崇めたくもなるだろうな、と藤真は思った。

 当初、視察の作業は日が暮れる頃に終わる見通しだったが、終わってみると空は少し赤く染まり始めたところだった。

 最後に、下川達に一人ずつ軽い面談をした。

「仕事上、気になる事はありませんか?設備など、些細な事でも構いません」

「対人関係で気になる事は?」

 それ以外にも決められた質問を利輝がいくつか訊ねたが、下川も鷹音も今に不満は一切ないという答えだった。

 調べた書類の内容も、下川達の仕事ぶりや対人関係も、問題が無い。視察は無事に終わったと言える。藤真はほっとした。下川達も、安堵したような笑顔を浮かべていた。利輝だけが飄々としていた。

 一旦藤真達は宿へ戻る事になった。下川が宿まで送ると案内したが、利輝は「大丈夫、二人で行けます。昼間に道は覚えましたから」と遠慮した。

「ただ、神社の行き方だけ教えていただけますか?」

 利輝が頼むと、鷹音が紙に簡易の地図を書いて渡してくれた。

「神社は木々に囲まれていて遠くからでも目立ちますから、迷わないと思います」

 鷹音はそう言いながらも、少し心配そうだった。ありがとうございます、と利輝は微笑んだ。

「私達もお祭りに行きます。また後でお会いしましょう」

「お気をつけて」

 二人の声を背中に、藤真と利輝は対魔分所を後にした。

 宿へ向かう道を歩きながら、藤真は思い切り伸びをして開放感に浸った。

「視察は何事もなく終わって良かった」

 ね? と利輝を見るが、彼女は浮かない顔をしていた。

「何か問題があった?」

 見逃したか、と急に不安になる。しかし利輝は「視察自体は、大きな問題は無かった」と首を振った。

「だが、鷹音さんが少し気になった」

「……もしかして、下川さんへの感情について?」

「気付いていたか」

 藤真は微笑した。

「あれは気付くよ。かなり分かりやすかった。隠す気が無いというよりは、想いを隠せない素直な人なんだろうね」

 下川の言葉で一喜一憂している様子は、典型的な『恋する女性』だった。

「下川さんは気付いていないようだったがな」

「幼馴染らしいし、かなり仲が良いみたいだったから、距離が近すぎて気が付かないという感じなのかもね」

「それか、ただの鈍感か」

「……利輝は遠慮が無いね。せっかく俺はそれを避けて理由を探したのに」

 台無しじゃないか、と藤真は軽い調子で文句を言う。

「それで、鷹音さんの想いが何か問題なのかな」

「下川さんは純粋に鷹音さんの事を親しい友人と思っているようだった。下川さんの言動で、鷹音さんもそれは気が付いているだろう。想いが拒絶されるくらいなら伝えない方が良い、と今のままの関係が続く。これなら構わない。下川さんに変化があって、二人が恋人関係になる。これも、まあいいだろう。だが、鷹音さんの想いを伝えて、それが叶わなかった場合、果たして二人は前と変わらず職務を全うできるのだろうか、と思ったんだ」

 日が傾いて薄暗くなる中、利輝は沈んだ顔をしていた。

「見ていると、鷹音さんは下川さんを深く想っているようだった。今の二人の関係にひびが入った時、彼女が仕事に支障をきたしそうな気がして、少し不安になった。それに、下川さんが鷹音さんの想いを拒絶した場合に彼の方が罪悪感で意識をし過ぎるという可能性もある」

 うーん、と藤真は眉を顰めた。

「難しいなあ。あの二人なら、食事処のご婦人みたいに幸せそうな夫婦になれそうな気がするんだけどな」

「そもそも、術人と人間の恋人や夫婦というのは難しいものだ。だから少ないんだろう。幸せに長く夫婦関係を続けられる組はもっと少ない。あの店の夫婦は特殊だ。寿命も違う、子供は出来ない、片方に不老が始まれば見た目の問題だって出てくる」

「子供は分からないだろう。現に、君のような存在がいるんだよ」

 はあ、と利輝は眉を吊り上げながら溜息を吐いた。

「私が混種だと知った時、藤真は奇跡だの何だのと言ったが、私は術人と人間の恋人や夫婦の希望にはなれない。私の前にも後にも、混種が生まれたという記録は無いんだ。つまり、私の父か母が特殊だから私が生まれたのかもしれないだろう。苑条家の事だ。その可能性が高い。子供が欲しいと思ったら、同種の相手を見つけるのが正しい。それに、鷹音さんは下川さんと同い年らしいが、今のところ二人の見た目は変わらない。恐らく、鷹音さんは不老が始まっていないんだろう。今のまま想い続けても、これから辛くなってくる」

 だからやめた方が良い、と言いたげだった。

「でもそれは、君がどうこう言う事じゃないよ。鷹音さんだって、きっとそれくらいは考えている」

「どうして分かるんだ」

「異種の相手を好きになったら、それくらいの事は考えるんじゃないかな。それでもきっと好きなんだろう。だから、鷹音さんの想いを勝手に否定するのは良くないと思うよ」

 藤真は少しきつめの声で言った。

 利輝は暫く黙った後、「すまなかった」と小さく頭を下げた。

「冷静になった。確かに、今日会ったばかりの私が言っていい事じゃなかった」

「うん。分かってくれて良かった」

 藤真は微笑んだ。利輝が気まずそうに「とにかく」と声を張った。

「鷹音さんの事は、一応備考として報告書に書く。今のところ問題は無さそうだが、今後変化があるかもしれない。想いが通じても、その後関係が拗れる場合もある。二人はこの町にたった一組の倒魔官なんだ。万全でいてもらわないと困るからな。もちろん、どんな関係になっても全く変わらず仕事が出来る事を願っている。だからこれは念のための対策だ」

「宿に行ったら、僕が書いておくよ。利輝は禊があるんだろう?」

 そう申し出ると、「頼む」と利輝は頷き、溜息と共に項垂れた。

「祭りか……面倒だな。祭事部が私に何の用だ。普段はお高くとまっているくせに」

「祭事部が出向いてくる祭りに仕事として参加させられるって事は、単純に考えれば祭りの問題解決の手伝いだよなあ」

「それくらい自分達でやれ」

 面倒な予感しかしない、と利輝は宿に着くまで何度も溜息を吐いていた。


          *


 藤真が報告書を粗方纏め終えた頃、利輝の禊は終わった。用意されていた一室に籠っていた利輝は、部屋から出てくると巫女のような服を身に纏っていた。混種である事を隠す面と黒手袋は、しっかりと身につけている。

「用意された服はきちんと着ているんだ。これくらい身につける事は許されるだろう。念のために面は綺麗に清め、手袋も洗濯してある物に変えた。多分大丈夫だ」

 神事の事はよく分からない為、藤真は黙って利輝の言葉に頷いておいた。

 二人は宿を出て、鷹音に書いてもらった地図を頼りに神社へと向かった。その間、一言も言葉を交わさなかった。利輝は何かをずっと考えているようだった。

 程なくして神社に着いた。

 鳥居をくぐると、広い境内があった。奥の正面には拝殿が構えている。下川が言っていた通り、この町の規模を考えると似つかわしくないほど立派な神社だった。すぐ近くには海があり、波の音が聞こえる。ただ、辺りは木々に囲まれていて森の中にいるようだ。森の中で海の気配を感じるという、不思議な空間だった。

 すっかり日が暮れていたが、境内のあちこちに提灯がぶらさがっており、不気味な明るさがある。人の顔はしっかりと見えているはずなのに、その顔が妙に歪んでいるような、ゆらゆらと不安定な明かりだ。

 藤真は、祭りとは賑やかで華やかだという印象を持っていた。だが、この神社にはそれなりの人がいるにも拘らず、さわさわと囁きばかりが響いているような奇妙な静けさがある。人が入って来てはいけない空間に迷い込んでしまったような気がして、藤真は情けないと思いつつも利輝との距離を縮めた。

 利輝はきょろきょろとしながら、奥へ奥へと進んでいった。人がどんどん減り、拝殿の近くまで来たところで、利輝は足を止めた。

「あれだ」

「何が?」

「今回の祭事部から派遣されてきた人間だ」

 利輝は視線で木の影を示した。視線の先を追って目を凝らすと、一人の人間が大木の幹に凭れかかっていた。和装の若い青年のように見える。

「どうして祭事部の人間だって分かるんだい?」

「知り合いだからだ。添上成清そえがみなるすみ。人間の名家、添上家の四男だ。もう何年も会っていなかったが、祭事部に入ったという噂は聞いていた。もし性格が変わっていなければ、添上成清は添上一族の中では変わり者だ。だが、神事局の者の多くに見られるような偉ぶった人間では無いだろう。相手としてはまだましだ」

 まるでこれから戦うような口ぶりだ。何をする気だ、と藤真は少し心配になった。

「喧嘩はやめてね」

「何を言っている。文句を言うだけだ」

 そう言って利輝は勇ましく青年の方へ歩いて行った。藤真は慌ててついて行く。

 足音で気付いたのか、添上成清なる青年がこちらを向いた。彼は目を丸くしてから、表情を和らげて「やあ、こんばんは」と手を上げる。

「こんばんは。お久しぶりですね、成清さん」

「まさかこんな田舎町で再会するとは思わなかったよ。大きくなったね、苑条の鬼神姫様」

「成清さんも年を取られたようで」

 利輝のそんな言葉にも、添上はにこやかな笑顔で「ひどいなあ」と返した。

「僕は今年で二十六だよ。まだまだ若者さ。それにしても君、当主継承権を剥奪されたんだって? 君に会わなくなったのも丁度その頃からだっけ。残念だよ。君は信輝さんよりはしっかりと意思を持った当主になりそうだったのにね。やっぱり輝政さんは自分の傀儡が欲しいだけだったのかな。でもそれじゃあ、自分が死んだ時に家が潰れるよね。輝政さんの事だからそのあたりの対策は勿論しているんだろうけど、それでも添上家一同は心配しているよ。そうお祖父様に伝えておいて」

「私はあの人にはなるべく関わらないようにしているので、添上家の方からお伝えください」

 利輝が冷たく言った。背筋がぞくりとするような冷え冷えとした声である。だが、添上は気にした様子もなく「そう? 分かったよ」と微笑んでいる。

 神事局の者の特徴として聞かされていた偉ぶるといった態度は確かに添上には無いが、遠慮の無い性格ではあるようだ。藤真がいるにも拘らず苑条家の事情などを話しているが、悪意は感じられない。思った事を口にしているだけ、といった様子だ。しかし、人を気にせずつい話してしまうといったある種の素直さは感じられず、空気が読めないからという様子でもない。

 かなり掴みどころが無い青年のようだ、と藤真は判断した。

 利輝は渋い顔をしている。彼に聞こえないくらいの小さな声で「こういうところは嫌なんだ」と呟いていた。

 添上が藤真を見た。底が見えない目だった。

「貴方が鬼神姫の相棒ですか。初めまして」

 藤真は警戒心を抱きつつ、「藤真です」と一礼した。

「そんなに警戒しないでくださいよ。怪しい者ではないです。祭事部の添上成清と申します。よろしくお願いします」

 添上は愛想のいい笑顔で名乗った。それから藤真に向けている目線を少し上にあげ、「珍しい髪色ですね」と言った。その口調はどこまでも邪気が無い。

「もしかして、都南西藤の家のご出身ですか」

「そうです」

「やっぱり! その髪色は特徴的ですよね。添上の当主がそちらの家主さんにご挨拶した事もあるんですよ」

「そうですか」

 淡々とした藤真の返しに、添上は苦笑する。

「うーん。もしかして鬼神姫の当主継承権の事を言ったから怒ってます? 僕としては久しぶりに会った彼女に事実を確認しただけなんですけど……随分相棒想いの方のようだ」

 利輝が咳払いをした。添上の視線が利輝に戻る。

 利輝は鋭い目で添上を見た。

「私は事前に知らされもせず祭りの参加を祭事部に決定されていたんですが、これはどういう事ですか?」

 ああ、と添上が頷いた。

「その節は本当に申し訳ありませんでした。僕も今日ここに来てから連絡がそちらに行っていないと知ったんだ。どうやら、こちらの連絡役に手落ちがあったようで。申し訳ない」

 そう言って添上が頭を下げる。「まあいいです」と利輝はすぐに溜飲を下げた。

「それで、わざわざ対魔課の私を指名してのお仕事とは一体何ですか?」

「簡単に言うと、この祭りの儀式を君のその霊力で手伝ってほしいんだよ」

「そういう事は、祭事部のお仕事だと思いますが」

「その祭事部で解決できなかったから君に声をかけたんだ」

 利輝は面倒そうな様子を隠そうともしなかった。

「その手伝いの具体的な内容は?」

「それは、拝殿の中に行って訊いてもらえるかな。神社や祭りの関係者が勢ぞろいしている。そこで詳しい事情を直接君に話したいとおっしゃっていたよ。僕がここにいるのは、あくまで案内役だからだ。神社関係者が険しい顔でうろうろしていたら町の人が不安になるからね。その点、視察という名目のよそ者の僕なら怪しまれない」

 さあどうぞ、と添上が手で拝殿を示す。利輝が深々と溜息を吐いた。

「分かりました。行きます。仕事だから仕方ありません」

 微かに安堵の笑みを浮かべた添上に、

「ですが、一つお願いがあります」

 と利輝は突き付けるように言った。

「何だろう」

「藤真に、目を貸してください。倒魔官として、こちらに来ているんです。藤真に源魔が見えなくなるのは困ります。ですが、私はその儀式とやらに霊力を集中させた方が良さそうですからね。私の代わりに、藤真に霊力を送ってください」

「それくらいはお安い御用さ」

「お願いしますね」

 藤真、と呼ばれた。

「何だい?」

「この町に源魔が出る可能性は低いと思うが、気は抜くなよ」

「分かっているよ」

「ならいい」

 じゃあ、と言うと、利輝はすたすたと拝殿の方へと歩いて行った。その背中が神社の中に消えるまで、藤真はじっと利輝を見ていた。

 はあー、と背後で添上が息を吐いた。

「と言ったものの、霊力を他人に送るのって大変なんですよね。目を貸してほしい、かあ。軽く言ってくれるなあ」

 藤真はちらりと添上を見た。添上が眉を下げて笑った。

「ああ、大丈夫ですよ。きちんとやりますから。これでも神事局に配属されたんです。それなりの霊力はあります」

 今から送りますね、と言われ、「お願いします」と一礼する。

「……分かりますか?」

「いいえ、全く」

 藤真は首を振る。

「術人の方は霊力が無いから、感じられないんですね。送れているはずなんですけど」

 暫く添上は遠い目をして何か集中しているようだったが、

「よし」

 一つ頷くと、目の焦点がしっかりとする。これでもう大丈夫、と添上が歌うように独り言を呟いた。

 会話が途切れると、人のざわめきが控えめに聞こえてきた。

「この祭りって、とても静かですよね。不気味なくらいだ。他の祭りだと、もう少し酒が入ったりして浮かれたおじさんとかがいるんですけど、ここはそういう人がいない。参加する全員が、祭りに対してひどく真剣だ。これまで色々な町や村の祭りに行ってきましたが、これは珍しいですよ」

 少し離れた場所にいる町の人々を見て、添上は目を細めた。

「源魔から遠ざけて守ってくれる土地神様が、この町の人達は本当に大切なんでしょうね」

 拝殿の前には、続々と人が訪れている。小さな子供から老人まで、人間も術人も一緒になって一心に手を合わせて何かを祈っているようだった。祈りが終わると、境内の両端に敷いてある茣蓙に座り、静かに言葉を交わしている。

 下川と鷹音の姿も見えた。制服から着物に着替えている。二人は引き締まった表情で周囲に座っている人と会話をしていた。

「皆、祭りが始まるのを今か今かと待っているようですね」

 添上が言った。

 藤真は添上の正面に立った。

「きちんと始まるんですか? 問題があったんでしょう? しかも他部署の利輝に頼むくらいです。それなりに深刻なんでしょう」

 藤真は添上の目を見つめる。添上は目を逸らさなかった。口元だけは笑みが浮かんでいる。

「説明していただけませんか。この神社で何が起こっているのか。利輝の相棒である俺にも、知る権利くらいはあるはずです」

「そうですね。藤真さんには説明しましょう。苑条利輝の相棒なら、不用意に町の人達に言いふらすような事はしないでしょうし」

 信頼していますよ、と添上は念を押すように言った。その瞳に鋭さが宿った。それを真正面から受け止める。

「約束しましょう。誰にも言いません」

「与える情報は選択せねばなりません。時に情報は不安や混乱だけを招いて、良い事など何一つもありませんからね」

 添上は藤真の後ろを見た。町の人々に視線を向けているのだろう。

 それを藤真に戻してから、添上は口を開いた。

「まず、鬼神姫がこの仕事を受けて拝殿に向かった時点で祭りは問題なく行われます。苑条利輝が祭りの儀式に参加する事で、問題は解決したようなものなのです」

 そもそも今回の事態はそれほど複雑な事ではないのですよ、と添上は微笑んだ。

「ただし、人を選ぶという点で厄介ですが。この町は、土地神様の力で守られているから源魔などの悪質な存在の出現が少なく、平和を保っていられているんです。それはご存知ですね?」

「はい」

「ですが、その土地神様の守りが緩み始めていた事が、最近の神事局の調査で判明したんです。このままでは源魔など悪いものが多く発生してしまいます。なので神事局はこの神社の関係者に危機的状況にあると説明し、対策を求めました。毎年祭りの時に土地神様が守りを固め直せるよう促す儀式をしてはいたらしいのですが、数十年前に霊力が強い者が亡くなり、それ以来霊力不足になっていたようなんです。なので、今年の祭りの時に外部から霊力の強い者を補助に入れて儀式をする事が決定しました。初めは祭事部の人間で探したのですが、以後数十年分の霊力を一気に注ぎ込めるほどの者はいませんでした。十年程度持つだけでよければ何人か…例えば僕とかがいたんです。でも何度も外部の者を祭りに入れるのはあまり良くありませんから、一回で数十年持たせる事は譲れません。数十年経てば、流石に神社の後継者に霊力が高い者が生まれ、育つでしょう。祭事部で見つからなかったために次に神事局内で探したのですが、該当するほど霊力が高い者は皆どうしても手が離せない仕事が入っていたんです。そうして省内で人を探し回っていたところ、苑条利輝が丁度祭りの日にこの町に視察に行くという情報が入ってきました。鬼神姫ほどの霊力の持ち主ならば問題ありません。よって、今回は他部署ではありますが彼女に頼むことに決まったんです」

 これが全てですよ、と添上は話を結んだ。

「この町に視察に来る日が丁度祭りの日で、行く人間がたまたま条件を満たしている利輝だったというわけですか」

「そうですよ」

「随分と都合が良い偶然ですね」

「僕もそう思います。ですが、本当に偶然なんです。不思議な巡り合わせと言ったところですか。だって、苑条利輝がこの町に視察に行くように決定したのは源魔対策対応課の課長なんですよ。貴方の課長は何か企むような事をする人なんですか? 神事局と示し合わせて、鬼神姫を騙すようにしてこの町に連れてくる方だと?」

「それは……」

 藤真は首を左右に振った。

「そうでしょう。ただの偶然ですよ。でも、今回の事は鬼神姫にとっても悪い話じゃないんですよ」

「どういう事ですか?」

「あの子はきっと、神事局に行きたがっている。そういう噂を耳にしたんですよ。それで昨年度末、人事部と少し揉めたらしいです。今回の事は神事局への貸しになりますし、力を持っているという証明にもなります。僕も、上司から鬼神姫の霊力の質や強さ、作用をしっかりと確認してくるようにと言われていますからね」

 仕方がないとか言いつつ、あの子もその辺りは計算に入っているんじゃないかなあ。添上がのんびりと言う。

 表情を強張らせる藤真に気付いた添上は、「あくまで噂ですからね、分からないですよ」と笑った。

「今は彼女は倒魔官で、貴方の相棒なんです。それに変わりはありません」

「……そうですよね」

 自分でもよく分からないもやもやとした気持ちを、藤真は振り払った。

「そろそろ我々も茣蓙の方へ移動しましょうか」

 添上はそう言って歩き出した。藤真もそれについて行く。

 拝殿から一番遠い茣蓙に、二人は座った。

「平和ですね、この町は。空気が美しい」

 ぽつぽつと近くに座っている町の民と、添上はにこやかに会話をしている。

 そうしていると、拝殿の奥から人が出てきた。さわさわとしたざわめきが、ぴたりと止む。波の音が響いた。

「これから始まります」

 関係者らしき人がそう告げた。

「見慣れない女の子が拝殿に入っていったようだが、彼女は一体何の為に拝殿に入ったんだ?」

 茣蓙の方から、男性の声が飛ぶ。

 どう答えるのか、と藤真は関係者の人を見つめた。彼は汗を拭いてから、口を開いた。

「神領省の方が、我が町の土地神様にご挨拶をされるそうです。それから、一緒に祈ってくださるようなので、神主様が拝殿にお招きしました」

 納得の空気が境内に広がる。よそ者が祭りに加わる事には、あまり拒否反応はないようだ。

 嘘は言っていませんね、と添上が囁いてきた。

 関係者が再び奥に消えると、程なくして、神聖な空気が辺りを包み込んだ。ぴっちりと閉められた拝殿の奥から、祝詞などを読み上げる声が響いてくる。微かにだが、利輝の声が混じっている事を藤真は確認した。町の人々は、それを一言も聞き逃さないようにとばかりに一心に耳を傾けていた。祈るように目を閉じている者もいる。

 ふと、木々が擦れる音が気になって、藤真は神社を囲む緑を見た。木々が風に吹かれたように揺れている。その揺れは徐々に激しくなり、やがて大きなうねりのようになっていった。しかし、そこまでの強風は吹いていない。澄んだ空気の心地が良い風が吹いているだけだ。

 この不思議な現象に、「これは……」と藤真は思わず声を零した。

「鬼神姫の霊力がこうさせているのでしょうね」

 隣の添上がひそひそと説明した。

 へえ、と藤真は頷き、半ば呆然としながら木々を見上げる。自然が動かされているようなその様子に、圧倒された。

 藤真は霊力を感じる事ができない。だが、これで利輝の霊力が作用するところを目にする事ができた。利輝の力は周りの人間が言うように、確かに相当なものなのだろうと分かった。

「利輝は……凄いんですね」

「ええ、凄い力です。ですが、彼女の母親はもっと凄かったようですよ。人よりも神に近い、とまで言われていたそうです」

 神、と藤真は呟いた。

「それは、相当な方だったんでしょうね」

「霊力自体は、ね。ただそれを使いこなす才能が無く、若くして亡くなったようです。鬼神姫は霊力は母親に劣るようですがそれを使いこなせる才能が飛び抜けているので、優秀なんですよね」

 うちに来てくれないかな、楽しいんだろうなあ。添上がくすくすと笑う。

 それを聞かなかった事にして、藤真は目を閉じた。波の音と木々が揺れる音、柔らかい風が感じられて、気持ちが穏やかになる。

 利輝の霊力とは、きっとこの風のように心地の良いものなのだろう。藤真はそう思った。

 祭りの夜は、驚くほどの静けさを保ちながら進んでいった。


          *


 祭りが終わった後、宿に戻った利輝は顔に疲労を滲ませていた。昼前に絡繰り車に乗って都へ帰る予定だったが、利輝は起きられないかもしれないと藤真は思った。帰りは遅くなるが昼過ぎの車に乗った方が良いかな、などと藤真は考えていたが、翌朝利輝は予定通りの時間に目を覚まし、報告書をまとめ上げ、帰る準備を済ませていた。藤真の方が用意が遅かったくらいだ。

 昨夜の疲れ切った表情は欠片も無く、利輝は引き締まった普段通りの顔に戻っていた。

「疲れはもう大丈夫なのかい?」

 藤真は訊ねた。利輝がふんと鼻を鳴らす。

「あれくらい一日寝ていれば回復する」

 そういえば彼女は術人の回復能力も持っていたな、と藤真は思い出した。

 荷物を持ち、宿から出ようとすると、添上が玄関で待ちかまえていた。

「おはようございます」

 そう言って彼は爽やかに微笑む。胡散臭そうに利輝が「おはようございます」と返した。藤真も挨拶したが、利輝と同じ表情になった。

 利輝と藤真を交互に見て、「そっくりだ!」と添上は笑い声を上げた。

「何の御用でしょう」

 利輝が素っ気無く言った。

「いや、挨拶にね」

「それはわざわざどうも」

「すっかり可愛くなくなっちゃったなあ。小さい頃は、まだもう少し可愛げがあったというのに。昨日は疲れた顔をしていたけど、もう大丈夫なのかな」

「ええ。これくらい寝たら回復します」

「飛び抜けた霊力も回復能力も持っているとは、いっそ厭味だね。混種というのは、実にずるい存在だ」

 混種、という部分を人に聞かれないよう声を潜める配慮は添上も持ち合わせていたようだった。

「そんなにいいものではありませんよ」

「君を見ているとそんな気がするね。ずるいとは思うが羨ましくはない」

 利輝は苛立ち混じりの溜息を吐いた。

「本当に何の用ですか」

 すると、添上は真面目な表情になった。背筋を伸ばし、それから深々と頭を下げる。

「今回は、祭事部の仕事をお手伝いいただき、ありがとうございました。助かりました。連絡が上手くいかなかった事は、こちらでしっかりと指導します。源魔対策対応課の上司の方にも謝罪しますが……申し訳ありませんでした」

「もういいです。貸しですからね」

 頭を上げてください、気持ち悪い。利輝はぼそぼそと言った。

 上体を上げた添上は、にこりと笑った。

「本当にありがとう。気を付けて帰るんだよ」

「添上さんはまだ残られるんですか?」

 ふと気になり、藤真は彼に訊いた。

「僕は省からの迎えの車を待つので、あと少しここにいます」

 え、と藤真は低い声を漏らした。

「もしかして、行きも神領省からの車に送ってもらったんですか」

「ええ」

 にこやかに添上が頷く。

 祭事部が出向する時は送り迎えがあって、何故対魔課は公共の車を利用しなければいけないのだ。どういう事だ、と利輝に目で訴えると、「これが神事局と末端部署の差だ。文句を言おうがもうずっとそういう組織になっているんだ。今すぐにはどうにもならん。諦めろ。公共の車も旅のようで悪くない」と彼女らしくない取って付けたような理由がおまけで付いて返ってきた。藤真はがくりと項垂れたくなる。

 利輝は藤真は引っ張り、

「それでは。同じ省内に勤務していればまた会う事もあるでしょう」

 と言うと引き戸を開けて外へ出ようとした。

「利輝」

 その声で、利輝が驚いたように振り返る。藤真は、添上が彼女を名前で呼ぶのを初めて聞いた。

 添上は真剣な目をしていた。

「我が国の現統領である厳柳げんりゅうについて、どう思う?」

 利輝が困惑したように眉を寄せた。

「何故、そんな事を?」

 添上は暫くじっと利輝を見つめていたが、やがてふっと表情を和らげた。

「いや、いいんだ。気にしないでくれ。帰り道、気を付けて。藤真さんも、またお会いする機会があったら話しましょうね。昨日の祭りはなかなかに楽しかったですよ」

 そう言って手を振る添上に、内心首を傾げながら藤真は会釈した。今度こそ利輝と並んで宿を後にする。

 道を歩きながら、藤真は利輝に言った。

「何だったんだろうね」

 厳柳といえば、二期連続でもう七年も統領をやっている術人、という程度の印象しかない。良くも無ければ悪くもなく、とにかく目立たない、という政治家だ。

「……昨日言っただろう。添上成清は変わり者だ。本人が気にするなと言っているんだ。もう忘れよう」

 それもそうだね、と頷く。

 絡繰り車の乗り場に着くと、下川と鷹音が待っていた。二人は利輝達の姿を見ると、ぱっと顔を輝かせた。

「おはようございます」

 四人は口々に挨拶をする。

「苑条さん、昨日のお祭り、本当に凄かったです。今までの祭りとは全く違う、とても力強くて清らかな霊力を感じました。あれは苑条さんの霊力ですよね。今朝、神社へ寄ったんですが、境内の空気が更に澄んでいる気がしました!」

 下川が興奮したように話す。利輝は「落ち着いてください」と苦笑した。

「微力ながら、この町のために祈らせてもらいました」

「ありがとうございます」

 鷹音が嬉しそうに目を細めた。

「苑条さんも藤真さんも、今度は是非この町に観光として来てくださいね。歓迎しますから!」

 鷹音の言葉に、「ありがとうございます」と藤真は微笑んだ。

 絡繰り車が道の向こうから走って来た。

「下川さん、鷹音さん」

 利輝は真剣な表情で二人を見た。その表情につられたように、下川達もすっと背筋を伸ばす。

「あなた達が、職務にどこまでも誠実である事を願っています」

「はい!」

 二人は声を張って利輝の言葉に答えた。

 その表情を見て、きっと大丈夫だ、と藤真は感じた。この二人は、この先何があっても職務を疎かにするような事は無いだろう。そう思わせるような、頼もしい表情だった。

 利輝は柔らかい表情になり、

「生意気な事を言ってすみません」

 とぺこりと頭を下げた。途端に下川達が慌てた顔をする。

 絡繰り車が到着し、利輝と藤真はそれに乗り込んだ。客は利輝達以外いない。

「お疲れさまでした」

「さようなら」

 下川と鷹音が手を振った。

「お元気で」

「お互いに頑張りましょう」

 利輝と藤真が答えると同時に、車がゆっくりと軋みながら動き出した。

 下川も鷹音もこの町の人々も、平和なまま暮らしていってほしい。そう願いながら、藤真は窓の外のきらきらと光る海を目に焼き付けた。

第三章でした。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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