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狭間の鬼神姫  作者: 廣本 涼
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第一章

狭間の鬼神姫、第一章を掲載します。

序章前書きの注意事項をご理解くださった方のみ、お進みください。


それでは、始まります。

 街には桜が咲き乱れていた。厳しい冬が終わり、気温は暖かく、空気は柔らかくなった。どことなく浮ついた雰囲気が街に溢れている。

 しかし、今の藤真ふじまにはそのような春の訪れを感じられる余裕はなかった。神領省の中で迷っていたのだ。似たような建物が密集しており、ややこしい。自力で辿り着こうと努力したが、時間ばかりが無駄に過ぎていった。藤真は諦め、通りかかった人を捕まえて案内してもらった。

源魔げんま対策対応課』

 案内された建物の扉の横に小さく看板がかかっている。

「見つけにくい!」

 藤真は思わず声に出して文句を言った。

 気を取り直して、藤真は扉を開けて中に入った。

 まず目に入ったのが、大量の机と椅子だった。向かい合った二つの机を一組とすると、その二組を並べて一つの塊のようになっている。つまり、四つの机で一つの塊が構成されているのだ。席に腰かけると、前、隣、斜め前に人がいる状態になるだろう。その一塊が、一定の間隔をあけていくつも整然と並んでいる。二十はあるだろうか。

 部屋の奥に、大きめの机が一つある。ちょうど、座れば部屋全体が見渡せそうな配置だった。課長くらいの役職の者が座る席だろうな、と藤真は思った。

 部屋の入り口から見て左端には階段があり、上に伸びていた。

 藤真は鞄から自分の辞令の紙を出して、広げた。もう一度目を通す。神領省霊事局警務部源魔対策対応課、倒魔官とうまかん。これから組む相棒の名まで書いてある。苑条利輝という人間らしい。倒魔官は、人間と術人が二人一組となって行動する。

 源魔とは、人間と術人の共通の敵で、名の通り『魔』である。魔とはこの世の常識が通用しない穢れた存在だ。その中でも人が遭遇する事が多い源魔は黒っぽい色をしているらしく、煙のようなもやもやしたものから実在する動物の姿を真似たものまで、個体によって様々な姿があるようだ。動物の姿をしているものほど力が強いと分かっている。

 この動物の姿をした源魔は生き物の死肉を喰らう。そればかりか、死肉を欲して生き物を殺める事もあるのだ。

 しかし、だからといって煙のような姿の源魔が害が無いかというと、そうではない。これは体内に入りこんでくることがある。源魔が体内に入ると、魔症と呼ばれる症状が出る。身体が腐りはじめ、血はどす黒く汚れ、最後は死に至るのだ。薬はあるが、材料が貴重な上に作り方も複雑なのでとても高価だ。並みの家庭が手を出せる物ではない。

 そんな人間にも術人にも深刻な害をなす源魔を倒すのが、倒魔官だ。倒魔官は、源魔が出た時にそれを倒し、被害を最小限に抑えるための公的な存在である。どんな町や村にも、一か所は対魔分所がある。そこに勤務する倒魔官は、生活の安全を守る正義の味方のような存在だった。藤真は、人々が安全に生活するために絶対に必要な存在である倒魔官という職に惹かれ、神領省の試験を受けた。霊事局警務部に属する源魔対策対応課でも、倒魔官として働けるからだ。

 そうして無事に望んだ部署に倒魔官として配属されたはいいが、さてこれからどうしようか、と藤真は悩んだ。こういった場所で働くのは始めてなので、どう動けばいいのか分からない。

 背後で扉が開く音がした。振り返ると、人間でいう三十代半ばくらいの見た目をした術人が入って来るところだった。洋装で、右手にじゅの痣があるのが見えた。薄茶色の髪に紺色の瞳で、優しそうな顔立ちをしている。

 彼に訊こう。藤真は素早く決定すると、彼に歩み寄った。

「すみません。少しよろしいですか」

「ん? どうしました」

 彼は嫌な顔をせずに立ち止まった。藤真は「初めまして」と礼をした。

「今日からこちらで働く事になりました藤真と申します。それで……」

 と話を切り出す前に、「あ、もしかして今年入省の新人君?」と彼は嬉しそうに言った。

「は、はい。でもどうして……」

「その洋装。今日おろしたてって感じだし、着慣れてなさそうだし。あと、雰囲気がね。人間も術人も、面白い事に新人の時の雰囲気は全く同じなんだよ」

 そうかぁ新人君か、と術人はバンバンと藤真の背中を叩いた。

「これはまた色男が来たなあ。女性陣が放っておかなさそうだ。藤真君、だっけ」

「はい」

「僕は菊鶴きくつる。家は鶴の字が象徴だ。よろしくね」

 よろしくお願いします、と藤真は菊鶴と握手を交わした。

 術人には、名字というものが存在しない。その代わり、象徴の一文字が受け継がれている。それは藤真でいう『藤』であり、菊鶴の『鶴』だ。術人は子供が生まれると、その家に受け継がれている象徴の一文字を入れて名前を付ける。同じ文字が象徴の家もあるが、人間でも名字が同じで親族関係が無いということがあるように、必ずしも血が繋がっているとは限らない。

「藤真君、白い髪なんだ。珍しいなあ。どこの家か聞いてもいい?」

 髪の色が薄い術人でも、完全な白髪というのは珍しいらしく、興味を持たれる事には慣れていた。

「都南西、藤の家です」

 へえ、と菊鶴が驚きの声を上げた。

「能力が高い者が多い事で有名な一族じゃないか! 有望な新人が来てくれて嬉しいよ」

「頑張ります!」

「うん、良い返事だ。そういや藤真君は見た目が若いね。人間でいう……二十四、五歳くらいだね。不老は始まってる?」

「はい。二、三年前に。でもあまり実感はないですね」

「あー、それ分かるよ。止まってまだそれくらいだと実感湧かないよね。僕もさ、数年前に不老が始まったんだ。どうせなら君みたいに若い歳で止まれば良かったんだけどさ、こればっかりは自分で決められるものじゃないから仕方ないよね」

 そうですね、と藤真は頷く。

 ああいけない、と菊鶴が軽く自分の頬を叩いた。

「こんな話をしてごめんね。分からない事があったら遠慮なく訊いて。何でも答えられるよとは言えないけど」

 冗談めかした菊鶴の言葉に、藤真はくすりと笑った。

「では遠慮なく」

 と辞令の紙を菊鶴に見せる。菊鶴は藤真の方へ身体を寄せ、紙を覗き込んだ。

「この、えんじょう……としき? としてる? さんはどこにいらっしゃいますか? 俺が組む方らしいのですが」

「ああ、これは『りき』と読むんだよ」

「りきさん、ですか」

「そう。えんじょうりき、だよ。あの有名な苑条家さ」

「有名なんですか?」

「知らないの? 政界にも力を持っているって噂の人間の名家で、霊力が高い子供が生まれる事が多い事でも有名なんだけど。昔は苑条家が神領省を動かしていたって言ってもいいほど上層部を苑条の親族で占めていたらしいけど……知らない?」

「すみません、知らないです」

 菊鶴は意外そうな顔をする。

「確かに一般人なら知らないかもしれないけどさ。都南西、藤の家なら苑条家と付き合いがありそうだし、知っていてもおかしくなさそうなんだけどな」

 ああ、と藤真は苦笑した。

「もしかしたら実家の者は知っているかもしれません。でも俺、実は自分の実家の事をよく知らないんですよ。子供の頃から一年前まで、親元を離れてずっと地方で住み込みで働いていたので」

 一年前にその仕事を辞め、半年ほど旅をしてから国の試験を受けて無事に合格し、今に至る。

「そうか……小さい頃から親元を離れて働くなんてすごいなあ」

 菊鶴がしみじみと言うので、藤真は少し照れた。

「そんな事ないですよ。自分にとってはそれが当たり前だったので」

 菊鶴はぽりぽりと頭を掻いた。

「でも、そうかあ。藤真君の相棒が利輝とは、驚いたな。新人に鬼神姫を充てるか。上のお偉いさん達は何を考えているんだろうな」

「え?」

 藤真は驚き、ひっくり返った声が飛び出た。

「おにがみひめ? 姫? 女性なんですか、この苑条利輝さんって」

 菊鶴は目をぱちくりとさせ、それから笑い出した。

「そうだ、初めて知った時は驚くよね。僕も最初は驚いたんだった。利輝は男らしい名前だけど、正真正銘の女性だよ。勇ましいけどね」

 藤真は不安になってきた。鬼神姫、などと呼ばれる女性など、恐ろしそうな想像しか出来ない。

「その……何で鬼神姫って呼ばれているんですか」

「容姿と性格と能力を恐れられてそう呼ばれているけど、職場の者が付けた渾名じゃないよ。初めは、彼女の実家である苑条の家の中の一部の人間がそう呼んでいたらしい。利輝本人がそう言ってた。その後、利輝が入省してそれがどこからか広まって、神領省内で定着したんだよ。彼女、苑条家って事でうちの省内では有名人だし、あまりに一気に渾名が広まったからか利輝も面倒になったみたいで嫌がらなかったしさ」

 菊鶴は藤真の顔を見て、安心させるように微笑んだ。

「そんなに不安そうな顔をしなくていいよ。確かにちょっと性格はきついし問題児な面もあるけど、優秀で良い子だよ」

 ちょっと性格がきつくて問題児、という点が不安なんですが。藤真はそう思ったが、口にする事は何となく憚られた。

「利輝の相棒なら、席はきっと二階だな。僕と一緒だし、案内するよ」

 不安を抱えながら、藤真は「よろしくお願いします」と言った。

「一応訊くけどさ、何で倒魔官は人間と術人が組むか理解してる?」

 移動しながら、菊鶴が訊ねた。

「人間だけ、術人だけでは源魔に対抗できないからです」

「そう。人間は源魔の姿が見えるけど、攻撃しても何故か効かない。術人は源魔の禍々しい気配は感じられるし戦えるけど、姿が見えない。だから霊力が強い人間が術人に力を送り、術人は人間の目を借りて戦うしかないんだ。人間と術人、お互いが協力して初めて源魔を倒すことが出来る。相棒は命を預ける大事な相手なんだ。とは言っても、この源魔対策対応課は全国の町や村に散らばっている対魔分所の元締め的存在だ。市民の頼れる正義の味方で源魔と直接戦ってばかりの対魔分所の倒魔官よりは、源魔を倒す機会は少ないよ。まあ、分所で対応できなくなった時はうちの課に応援要請が飛び文で来るけどね。ここから一時間以内で行ける範囲の分所からしかうちの課は要請を受け付けていないから、頻度はそう多くないけど、その時は現場に行って命を懸けて相棒と頑張れ」

 階段を上っていた足を止め、「ところで」と菊鶴は振り返った。藤真は彼を見上げる。

「藤真君はこれまで源魔の気配を感じた事がある?」

「いえ。以前働いていた場所の近所で源魔が出たという騒ぎが起きた事は何回かあったんですが、すぐに分所の倒魔官の方がやってきて倒してくださったので、幸いな事に今まで気配を感じれるほど源魔が近くに来た事はないんです」

「じゃあ、覚悟してた方が良いよ。あれは酷い気配だからね。吐きそうになる。僕は初めて気配を感じた時は、本当に吐いちゃったくらいだよ」

「そんなにですか」

 藤真は表情を強張らせた。菊鶴はふっと表情を緩める。

「脅したいわけじゃないんだけどさ。何も知らないまま現場に放り込まれるより、少しでも構えていた方が良いと思ったんだよ。僕らは源魔の姿が見えない分、気配を感じた時の被害が人間が源魔を前にした時より酷いんだ。術人の先輩からの助言だと思って気楽に受け取ってよ」

「はい、ありがとうございます」

 ん、と菊鶴は頷き、再び階段を上り始めた。藤真はそれに続いた。

 二階に上がると、一階と同じような光景が広がっていた。しかし、机の塊の数が一階より少ないようだ。

 部屋全体が見渡せる位置に大きめの机が一つあるのは変わらない。一階と違うのは、その位置だ。一階は出入り口から一番遠い位置に机が置かれていたが、二階は階段を登り切った場所から一番遠い場所に置かれていた。一階と二階で正反対の位置に大きい机が設置されているのだ。理由はすぐに分かった。一階と二階で、上座の位置が違うのだ。

 その上座の席に、人間の男性が座っていた。菊鶴は藤真をつれて彼の元へ向かった。

「副課長、新人君が初出勤してきましたよ」

 菊鶴の声に男性は顔を上げた。白髪交じりの厳つい顔の中年男性だ。菊鶴の後ろにくっついている藤真を見て、男性は表情を和らげた。

「ああ、利輝の新しい相棒か」

「藤真と申します」

 藤真は一礼した。

「源魔対策対応課副課長の藍沢東次郎あいざわとうじろうだ。よろしく」

「よろしくお願い致します」

「利輝はまだ来てないから……菊鶴、藤真を席に案内してくれ。利輝の席の前だから」

「分かりました」

 ほら行くよ、と手招きをされ、藤真は菊鶴について行った。

 つれていかれたのは、階段を上がってすぐの場所にある席だった。くっついている四つの机の中で、一つだけ何も荷物が無い。

「利輝の前だから、ここだよ」

 菊鶴が何も置かれていない机をこんこんと叩く。

「ありがとうございます」

 と礼を言い、藤真はひとまずその机の上に鞄を置いた。

「僕の席は隣の島だから、何かあったら声をかけてね」

 ほらあそこ、と菊鶴の指が示す先は、藤真の席から見て右隣の机の塊だった。四つの机の塊は島というらしい。

 階段から誰かが上ってくる音がした。

「おはようございます」

 気怠そうな声で二階に来たのは、二十代後半くらいの人間の女性だった。

「おはようございます」

 緊張しながら挨拶すると、眠そうだった女性の目がカッと開いた。

「びっくりしたあ。見慣れない顔といきなり会ったもんだから。もしかして、今年新しく来た人?」

「はい。今年入庁しました藤真と申します。よろしくお願いします!」

「良い男でしょ」

 菊鶴が自分の席から声をかけてきた。女性は「確かに」と頷く。そして安心したように笑った。

「良かった、今回はまともそう!」

 どういう事だ、と深く考える前に女性が手を差し出してきた。

川波科乃かわなみしなのです。よろしく」

 科乃は藤真と握手を交わすと、藤真の席の隣に鞄を置いた。隣の席だからよろしく、と言い残すと、科乃は部屋の奥へと歩きながら大きな声を張った。

「副課長、いい加減うちの省は門から入ってすぐの場所にでも敷地内の地図を貼るべきです。今日だけで何回場所を訊ねられた事か」

 遠ざかっていく科乃の姿を、藤真は呆気にとられながら眺めていた。菊鶴がおかしそうに笑う。

「風のようだよね、彼女」

 こくこくと藤真は頷いた。

 その後、続々と倒魔官達が二階に上がってきた。しかし、苑条利輝らしき人物は現れない。藤真はそわそわした。

「何をそわそわしているんだ」

 藤真の右斜め前の席に座る花菱はなびしという術人が鬱陶しそうに言った。すみません、と藤真が首を縮めると、花菱はふんと鼻を鳴らした。これが大人の姿なら嫌味っぽいが、花菱の容姿は十二、三歳くらいで金髪碧眼の可愛らしい顔立ちをした少年なので、微笑ましさを感じる。しかし生まれてから三十年以上経つという立派な術人であり、仕事においても人生においても先輩だ。頬を緩めるなどという事は許されない。

「苑条さんならもう少しすれば来るよ。普段通りなら、あと五分くらいで来るはずだ」

 そう隣の島から声をかけてきたのは福野忠助ふくのただすけだ。三十代くらいの人間の男性で、菊鶴の相棒らしい。席も彼の前だ。ちなみに、花菱は科乃の相棒である。

「花菱さん、聞いてくださいよ!」

 科乃が自分の席に戻ってきた。椅子に座るなり、上体をべたっと机に伏せる。花菱が片眉をくいっと上げた。

「だらしないぞ、科乃」

 しかし科乃は気にした様子もなく続ける。

「うちの省、まだ省内地図を貼ろうとしないんですよ。この季節になると迷う人が続出なのに!」

 ねえねえ、と科乃が顔だけを藤真の方へ向けた。

「藤真君はここに来るまで迷わなかった?」

「迷いました」

 だよねえ! と科乃が机をぱんと叩く。

「やっぱり新人や初めて来た外部の人は迷うわよね! 私も一日に何回も人を案内するのは大変だから嫌なのよ」

「僕は道を聞かれた事がないぞ」

 と言う花菱に「それは花菱さんの見た目と雰囲気が道を訊きづらいからでしょ」と科乃は遠慮なく返す。確かに花菱の見た目は幼く、その上近寄りがたい硬さがある雰囲気だ。横で話を聞いていたらしい菊鶴と福野もその通りだと言わんばかりの顔で頷いた。花菱がぶすっとした表情で頬杖をつく。

 科乃は、はあーっと長い溜息を吐いた。

「課長や副課長に訴えて、事務局に意見を出してもらってるんですけどね。中々通らないんですよ」

「事務局は頭が固い連中が多い」

 花菱の言葉に「その通りです!」と科乃が同意する。

「受付では目的の建物へ行けるよう説明をしている、予算が無い、今までどうにかなってきているんだからこのままでもいけるはずだ、その他色々あーだこーだ……理由を捻り出すのだけはお上手ですこと!」

 藤真君、と科乃は鋭い目を向ける。

「事務局はあまり頼りにしちゃ駄目よ。総務部はもちろん、あそこは人事部も酷いって噂が絶えないんだから」

「こら、あまり新人に悪い印象を植え付けない」

 福野が苦笑した。「事実を言っているだけです」と科乃はつんとした。

「私も科乃さんの意見に同意ですね」

 藤真のすぐそばで突然、凛と響く声がした。はっとして声の方を見ると、一人の少女が藤真の机の横に立っていた。

「おはようございます」

 おはよう、と科乃や菊鶴達が挨拶を返す。藤真も、どもりながらも挨拶をした。少女がちらりと視線を藤真に向ける。それだけで自然と頭を低くしなければいけないという気持ちになるほど、高貴な雰囲気を纏っていた。

「やっと来たのね、利輝。新人君が待ちくたびれてるわ」

「いつもより早く来ましたよ、私」

 少女は藤真に視線を固定したまま言った。

「彼が私が新しく組む相手ですか?」

「そうよ」

 科乃が机から上体を起こした。そして、手で少女を示す。

「藤真君、彼女が苑条利輝よ。見た目通り若いでしょ。今年で十八歳で……」

「十九です」

 本人からすかさず訂正が入った。

「あれ、そうか。ごめん。今年で十九歳で、君よりずっと若いけど、優秀な子だから」

「苑条利輝です。入省して今年で三年目です。ずっと倒魔官として働いてきました。よろしくお願いします」

 あくまで高潔な雰囲気を保ったまま、彼女は小さく会釈した。藤真はハッとし、慌てて席から立ち上がった。

「藤真と申します。今年入庁してきました。藤真って呼び捨ててください。言葉も、そんなに丁寧にして頂かなくて結構です。確かに年上ですが、貴女よりも後輩なので」

「分かった」

 利輝が頷く。藤真は勢いよく頭を下げた。

「よろしくお願いします!」

「藤真君、気合入ってるねー」

 菊鶴の笑い交じりの声が聞こえてきた。

 藤真は顔を上げると、改めて利輝を見た。

 まず目に飛び込んでくるのは、顔の右半分を覆う面だ。ちょうど真ん中で真っ二つに割れている形が特徴的な面だった。面自体は、身分の高い者や霊力が高い人間が自分の顔を隠すために使う事もあるらしいので、菊鶴が言っていた苑条家の話からすると彼女がつけていてもおかしくない。見えている左半分の顔は、高貴さを感じさせた。名家の生まれだという事に納得する。黒いおかっぱ頭に白い肌。細い眉。鳶色の瞳。小さめの鼻に、赤い唇。特別美しいというわけではないが、整った容姿をしていた。

 服装は、地味な色合いの袴だ。しかし使われている生地は良い物のように見える。手首から先は、黒い手袋が覆っていた。

 これから組み、一緒に働いていく相手を藤真は目に焼き付けた。一つ一つの仕草も品が良く、育ちが良いのだとすぐ分かる。

 鬼神姫などと呼ばれているそうだが、見たところ変わった格好をした上品な令嬢という印象だ。

 藤真はひとまず胸を撫で下ろそうとしたが、

「利輝、新人君をいじめちゃ駄目よ」

喬山きょうざんの時のようにはいかないぞ。振り回して吹っ飛ばすような事はするなよ」

 という科乃と花菱の言葉で不安が再燃した。

「私は私がやりたいようにするだけですよ。大丈夫です、術人は丈夫なのですから」

 利輝はそう言って小さく笑みを浮かべた。

 全く大丈夫ではない、と藤真は心の中で嘆いた。

 自分は一体どうなるのだろうか。初めて出勤してから数十分も経たないが、藤真はすでに新しい職場で上手くやっていける自信を完全に失っていた。


          *


 仕事が始まる前に一度、全員が一階に集められた。全員が座る場所は無いので、立ちっぱなしだ。出入り口の扉から一番遠い位置にある大きめの机は、課長の席だった。その隣に副課長の藍沢が立っている。

 全員が集まると、課長の術人が立ち上がった。四十代くらいの中年の容姿をしている。彼は和豊かずとよという名だと、一階に下りる前に福野に教わっていた。

 藤真は和豊に「前に」と呼ばれた。藤真は人をかき分けて出ていき、和豊の隣に立った。

「喬山が移動し、今年は新人が来てくれた。藤真君だ」

「よろしくお願い致します」

 藤真が言うと、わっと拍手が湧いた。歓迎している事が伝わってくる、温かい拍手だった。それから新年度の挨拶が続き、十分ほどで解散になった。

 二階の自分の席に戻り、ほっこりした気分に浸っていられたのは一瞬だった。

 部屋の奥から、

「利輝、藤真!」

 と藍沢の鋭い声が飛んできた。

「はい」

 利輝が引き締まった表情で立ちあがり、早足で藍沢の元へ歩いて行く。藤真は慌ててその後についていった。

 藍沢は手に紙を持っていた。恐らく飛び文だ。

「河原前対魔分所から応援要請があった。源魔が二体、猿と鴉の形をしているものが出たようだ。藤真は来て早々の倒魔となるが……利輝、いけるな」

「いけます」

「先輩として藤真を助けてやれ。行って来い!」

 はい、と二人の声が重なった。

「行くぞ」

 利輝は駆け足で階段の方へ向かう。途中で、菊鶴や科乃の「頑張れ」という声が聞こえた。答える間もなく通り過ぎ、階段を駆け下りる。

 建物から出ると、「こっち」と利輝は門とは逆の方向へ走って行った。とにかく藤真はついて行く。

 二人は一階建ての建物に着いた。扉の前を、二人の屈強な術人の警備員が守っている。しかし、利輝の姿を見ると身体を退かした。

「後ろも倒魔官だから」

 利輝はそう言いながら建物の中に急ぎ足で入っていた。藤真もそれに続く。

 ひんやりとした空気が全身を包み込んだ。わずかな明かりしかなく、薄暗い。窓は無かった。

「ここは武器庫だ。源魔を倒す時に使う刀が置いてある」

 そう言いながら利輝は部屋の奥へと進んでいく。

 そして、壁際の棚の前で足を止めた。正方形の小さな扉が上から下、左から右までびっしりと並んでいる。

「ここに藤真の刀が置いてある」

 指差された扉の上に、『藤真』という名前が書かれた紙が貼ってあった。その二つ右隣には、『苑条利輝』という名前がある。

 利輝は扉のつまみを摘まんで開け、中から横たえてある刀を取り出した。

「早く!」

 藤真は弾かれるように急いで扉を開け、置いてあった刀を出した。ずっしりと重いが、慣れた重さだ。神領庁の試験には刀の扱いの実技試験があったが、幼い頃から刀を持ち、鍛錬していた藤真にとっては容易いものだった。利輝も慣れた様子だ。

 武器庫を出ると、二人は再び走り出した。

「要請してきた分所が遠ければ車で向かうが、河原前分所は走った方が近い。だからこのまま走って現場に向かう。まずは分所の者と落ち合うぞ。制服を着ていて目立つからすぐに分かる」

「はい!」

 藤真からしてみれば利輝はとても小柄なのだが、利輝は全速力で走っている藤真より足が速い。なんだこの少女は、と驚いて、ふと疑問に思った。

 人間である彼女がどうして武器を持っているのだ?

 源魔を攻撃できるのは術人だけだ。なので、利輝が武器を持っていても意味が無い。一応の護身用のためか? と考えたが、訊く事は出来なかった。それどころではなくなってきたからだ。

 明らかに非常事態が起きていると分かる騒ぎ声が近づいてきた。と同時に、藤真は酷い吐き気に襲われた。何とか走っている速度を落とさないように努力したが、我慢できずに手で口を覆った。

 源魔に近付いている、と瞬時に察した。

「吐くな、耐えろ」

 前を走る利輝が藤真を見ずに非情な事を言う。

 見えない分、気配を感じた時の被害は人間が源魔を前にした時より酷い。菊鶴の言葉がよみがえった。禍々しい気配に肌がぴりぴりしている。教えてもらっていてよかった、と思った。何の構えも無しにこの状態になれば間違いなく吐いていただろう。

 利輝が足を止め、辺りをきょろきょろと見回した。藤真も吐き気で涙目になりながら周囲を見る。

 町の人間達が急いで逃げているのに対し、術人は不安そうに足を進めている。術人は源魔の姿が見えない為、どの方向へ逃げるのが正しいのか分からないのだ。

「ここに源魔は?」

 藤真は利輝に訊ねた。口を覆っていた手を刀の柄にかける。

「いない。見たら分かるだろう」

「分からないから訊いているんですよ!」

「いや、もう力は送っているから源魔がいたら見えている」

 藤真は驚いた。

「え、いつから!」

「神領省の門を出てからずっとだ」

 全く気が付かなかった。送られてきた力を感じられるわけではないようだ。

「言ってくださいよ……」

「すまない。喬山さんと組んでいた時はそれが当たり前だったから忘れていた」

 利輝が少し申し訳無さそうな顔になった。しかし、すぐに表情を引き締め、右方向を指差した。

「向こうから逃げている人間が多い」

「つまり、源魔は向こうに?」

「その可能性が高い。行こう」

 しばらく走ると、騒ぎが更に大きくなった。そして、騒ぎの中心に刀を振り回している制服姿の術人の男性がいた。彼の前で、黒い猿が刀をちょこまかと避けていた。更に酷い気配を感じ、藤真はまた一段と吐き気が辛くなった。

 そこから少しはなれた場所に、同じ制服の人間の女性がいた。女性は主に術人に対して、逃げる方向を指示しているようだ。しかし上手くいっているようには見えない。

 二人は女性の方へ走って行った。

「応援に参りました」

 声をかけた利輝に、女性は疲れ切った表情をほっと緩めて「ありがとうございます!」と言った。

「状況は?」

「鴉の形をしたものは何とか倒しました。でも猿に手こずっていて……あと、術人の避難が上手く誘導できないんです。私は彼に力を送るのに精いっぱいで」

「分かりました」

 利輝が話を遮った。そして藤真を振り向く。

「戦っている彼の援護。それから、猿を人気の少ない河原まで上手く誘導して。下手にここで始末しようとして源魔が暴れると困る。ここから更に右に進んでいけば広い河原に辿り着くから」

「分かりました」

 緊張で顔が強張っているのが自分でも分かった。

「大丈夫だ、形をとっている源魔に襲われても魔症にはならない。怪我をするだけだ」

 利輝が安心させるような声で言うが、反対に不安が加わっただけだった。

「私も町民の誘導が終わったらすぐに行く」

「はい!」

 藤真は吐き気を堪えて源魔の方へ向かった。

「お手伝いします!」

 そう言いながら刀を抜くと、術人が振り返らないままに頷いた。

 生まれて初めて、源魔を見る。真っ黒で影のようだ。猿の形をしているが、輪郭は煙のように曖昧だった。

「河原へこいつを誘導してください」

 藤真はわざと少し離れた場所へ刀を振り下ろした。すると、狙った方向へ源魔がぴょんと跳ねて移動する。

「こんな感じに!」

「分かった」

 二人で計算しながら刀を当てないように猿の側へ振り下ろしていく。誘導が上手くいき始めたのか、源魔を正確に避けて脇の道などに術人が逃げ始めた。

 藤真達は源魔を誘導しながら地道に進んでいき、河原へ辿り着いた。人はいない。

 藤真と分所の倒魔官は顔を見合わせて頷き、源魔に向かって刀を振り下ろした。しかし、避けられる。逆に猿が飛び付き噛みつこうとしてくるのを避け、後ろに下がった。体勢を立て直してすぐさま刀を突き出すが、今度は源魔が揶揄うように後退する。

 分所の倒魔官が挟み撃ちにしようと源魔の後ろに回り込もうとするが、次の瞬間に猿が彼の腕に牙を立てていた。藤真は驚いて息を呑んだ。移動している姿を目で確認できなかった。素早い、どころの話ではない。

 猿の見た目をしていても能力はそんな可愛らしいものじゃないか、と藤真は内心舌打ちをする。背中には冷や汗が伝っていた。

 利き手を噛まれた倒魔官は刀を左手に持ち替え、噛みついている源魔に突き立てようとする。すぐに逃げられたが掠ったようで、源魔が悲鳴を上げた。動きが鈍ったところをすかさず藤真が突く。源魔の右腕にあたり、狂ったように腕を振り回した。

 ちらりと倒魔官を見ると、噛まれた傷は酷いようで制服に血が広がっていた。刀も反対の手で持ったままで、利き腕はだらんと下げている。あれではまともに戦えそうにない、と一瞬で分かった。

 ここは自分だけでどうにかしなければいけない、と思った時、

「大丈夫か!」

 という声と共に利輝が河原へ下りてきた。

「噛まれましたか」

 倒魔官を見るなり、彼が口を開く前に冷静に利輝が言った。

「はい、すみません」

「謝る必要はありません。あなたは町へ戻って彼女と合流して傷の手当てを。ここは任せてください」

 藤真は源魔を逃がさないように! と鋭い声が飛んできて、慌てて猿を睨みつけた。刀を構え直し、攻撃する機会を窺う。

 倒魔官の焦った声が聞こえてきた。

「これくらい大丈夫です! 術人は回復能力も高いんですから」

「源魔の傷を甘く見てはいけない。魔症の心配はありませんが、通常の怪我より治りが遅いんです。血が出ているのなら早く止血しないと」

 藤真には源魔に襲われても怪我をするだけだから大丈夫、などと言っていたが、怪我をしたらやはり大丈夫ではないじゃないか、と心の中で文句を言う。

「止血して気持ちが落ち着いたら、町の混乱を治めている彼女を手伝ってあげてください」

 有無を言わさない強い声に、倒魔官は「分かりました」と諦めたような調子で言った。

 一人分の足音が遠ざかっていく。

「さて」

 と、彼女が藤真の隣に並んだ。

「おお、右腕を深く傷付けているじゃないか。藤真がやったのか?」

「そうですけど! 苑条さんは危ないから下がって!」

 人間の彼女に源魔が襲い掛かったら、と想像するとぞっとする。術人と違い、人間は回復能力が弱い。

 しかし、彼女は呑気に源魔を観察している。

「輪郭は……そこそこはっきりしているな。形をとっている源魔の中でも、輪郭がはっきりしているものとふわふわしているものがいるんだ。はっきりしている方がより力が強い。これはそこそこだな」

「分かりましたから、下がって!」

 藤真は我慢できずに怒鳴る。その声に弾かれたように源魔が口を開けて利輝に飛びかかった。藤真はさせまいと刀を振るう。だが遅い。

 間に合わない、と思った瞬間、源魔の悲鳴が響き渡った。

 彼女に飛びかかったはずの源魔は、吹っ飛ばされて二、三度転がり、それから後ろに飛び跳ねて距離をとる。

 彼女は涼しい顔で刀を抜いていた。

 切ったのだ、と藤真が理解したのは、源魔の胸のあたりが裂けていたからだ。本物の猿ならば血が噴き出ていただろうが、目の前の猿の傷の裂け目からは漆黒が覗いているだけだった。

 利輝がふん、と鼻を鳴らす。

「やはりそこそこの強さはあるんだな。さすがに一撃では倒せないか」

 攻撃できた? つまり彼女は術人なのか。しかし容姿は人間だ。霊力がある。そうでないと、藤真が今源魔を見ている事に説明がつかなくなる。じゃあ何故攻撃出来たんだ? 藤真は混乱し、頭の中で様々な考えが巡っては流れていく。

「藤真、早く片付けるぞ」

 利輝が刀を構えた。

 とにかく考えるのは後だ、と藤真は足に力を入れて前に飛び出した。源魔との距離を一気に詰める。素早く刀を振るが、外れた。しかし逃げた先に利輝の刀が振り下ろされる。左腕がスパッと切れた。源魔が暴れまわる。

「たまに一瞬で移動したような速い動きをする事がある。だが焦るな。よく見れば動きが分かる!」

 その言葉が耳に入ってきた瞬間に、怒り狂ったような源魔がこちらへ向かってくる様子が何故かゆっくりと見えた。藤真は咄嗟に回し蹴りをする。足に衝撃があり、源魔が吹っ飛ばされていくのが目で追えた。

 今のだ! と利輝が叫ぶ。

「今、動きが見えただろう。そうやって対応すればいい」

 利輝は刀を横に薙ぐ。源魔はそれを躱した。素早いが、先程よりは速さが落ちている。藤真は間を詰めて刀を突き出した。左胸の位置にぐさりと刺さる。源魔が絶叫し、凄まじい力で暴れまわった。振り回されそうになるのを堪えて刀をさらに深く刺そうとしたが、一瞬の差で逃げられた。

 逃げる源魔の前に利輝が滑り込んできた。面に隠れていない左半分の顔が、凄味のある笑みを浮かべていた。藤真はぞくりとする。

 利輝は刀を振りかぶったかと思うと、一気に振り下ろす。源魔は脳天から刃を受け、真っ二つに切れた。

 猿の身体が崩れ出し、黒い塵のようなものに変わっていく。その塵は天に昇っていき、やがて消えていった。

 利輝が静かに刀を鞘に戻した。藤真もそれに倣う。

 安堵の息を吐いてから、藤真は利輝の側まで歩いて行った。良かったぞ、と利輝が言うが、そんな事はどうでもよかった。

 藤真は感情を抑えた声で訊ねる。

「どういう事ですか」

「何がだ」

 とぼけている様子ではない。利輝は、本当にわけが分からないと言わんばかりの顔で首を傾げた。

「何故あなたが、源魔と戦えるんですか。あなたは人間でしょう。俺に目を貸してくれた。なのに、何故なんです?」

「……そうか。藤真は知らなかったんだったな」

 はあ、と利輝は溜息を吐いてから、頭の後ろに両手を持っていった。留め具を外したのか、面が顔からはらりと落ちる。

 彼女の顔を見て、藤真は言葉を失った。

 利輝の顔の右半分には、呪の痣が浮かんでいた。だがそれは本来利き腕と利き脚にあるものだ。顔に呪の痣があるなど、聞いたことも見たことも無かった。

 それ以上に不思議なのは、人間の容姿をして霊力を持つ彼女に術人である証の呪の痣がある事だった。

「混種なんだ」

 利輝が感情を排した声で言った。

「人間と、術人。その間に私は生まれた。そうしたら何故か、顔に呪の痣を持っていたんだ。あとは……」

 そう言って利輝は右の黒い手袋を外した。手首から先に、呪の痣が浮かんでいた。

「利き手である右の手首から先に痣。左の足首から先にも痣がある。腕や足には無いから、手袋をして足袋を履けば隠れる」

「……人間と術人の間には、子供が生まれないはずでは」

 やっと口から出てきたのは、そんな言葉だった。

 利輝が顔を歪めて笑い、頷いた。

「そうだ。普通は生まれない。生まれないはずなんだ。それなのに私はこうして誕生して、生きている。そして、人間と術人の両方の容姿を持ち、両方の能力を持っている。霊力がある一方、戦闘能力や回復能力も高い。源魔が見える上に戦える。倒魔官としての役割は一応人間側で、組んだ術人に目を貸すのが仕事だが、戦闘要員は多い方が良い。だから私も刀を持ち、戦っている。寿命や不老の事がどうなっているのかは、分からない。人間のように老いて早く死ぬのかもしれないし、不老が始まって人間の寿命で死ぬのかもしれない。術人のように不老で長く生きるかもしれない。全てが分からない。何故なら、他に混種が生まれた記録は無いからだ。そんな存在、生まれる方がおかしかった」

 私は、禁断の命なんだよ。

 利輝はそう囁き、口を噤んだ。

 暫くの間、川のせせらぎだけが響いていた。

 やがて藤真は、はあーっと長く息を吐き出し、膝に手をついた。身体の力がドッと抜ける。

「先に説明してくださいよ! 心臓に悪い……」

 利輝がポカンとした顔をした。藤真は抗議を続ける。

「人間だと思っていた人がいきなり戦い始めるから、すごく混乱したんですよ。そういう事は、最初に言ってください」

「そ、それは悪かった。一緒に働いている人は知っているのが当然だったから、今まで通りに戦ってしまったんだ」

「俺は前の方とは違うんですよ。新しく入ってきたばかりなんです。そういう事は、全て説明していただかないと分からないんです!」

「あ、ああ。そうだな、すまない」

 謝った利輝だが、

「……いや、他にもっとあるだろう。気持ち悪いとか、おかしな奴だとか」

 そして自分の顔を指差す。

「家の者……特に使用人達にはこの顔は不気味がられた。人間でも術人でもない容姿だ。だから陰で鬼神姫なんて呼ばれた。鬼神とは、恐ろしい神の事だ。大抵の者は、まずこの容姿に驚いて、気味悪がった。神領省だってそうだ。鬼神姫という渾名が有名になったのは、私の容姿の噂が広まり、それを皆が恐れたからだぞ。混種だから気持ち悪がられる事も、当たり前だった」

「課長や副課長や菊鶴さん達もですか?」

「そんなにあからさまな反応は無かったが、やはり初対面の時は顔が強張っていた人が多かった。今ではそんな事を忘れるくらい良くしてくださるが……最初は、そんな反応が普通だ。よく考えてみろ、人間と術人は身体の作りや容姿が似ているから分かりにくいかもしれないが、動物で例えれば犬と牛の間に子供が生まれたようなものだぞ。あり得ないだろう!」

 必死な様子の彼女を、藤真は気の毒に思った。利輝は藤真の反応が怖いのだ。気味悪がられるのが当然だったので、同じ反応をされないと相手の心が読めなくなるのだろう。それがこの少女は恐ろしいのだ。

 しかし、どれほど彼女が必死になろうと藤真は利輝の容姿を不気味だとは思わない。

「確かに苑条さんの存在はあり得ない事なのかもしれません。正直、顔の呪の痣を見た時は驚きました。でも、恐ろしいとも気味が悪いとも思いませんよ」

「何故!」

「だって、術人と人間の混種なんて奇跡じゃないですか。術人と人間の夫婦は子供が生まれないのが常識だから、そんな人達にしてみたら苑条さんは希望ですよ」

 利輝は唖然としていた。そんな事を考えた事も無かったのだろう。

「それに、混種という事は人間でも術人でもあるっていう事でしょう?両方の能力を持っているなんて、凄い事じゃないですか」

「違う。私は人間でも術人でもない、中途半端な存在なんだ。どちらでもなく、どちらにもなりきれない。……でも、ありがとう」

 気味悪がらないでくれて。利輝はそう言って、複雑そうながらもやっと微笑みを浮かべた。藤真もつられて彼女に笑い返す。

 利輝の笑顔を見ていて、彼女に少し親しみやすさを感じた藤真は、ある事を思い付いた。却下されるかもしれないと思ったが、言うだけ言ってみようと藤真は手を上げた。

「一つお願いがあるんですが、いいですか」

 利輝は真面目な表情に戻った。

「何だ」

「利輝さん、と名前で呼んでもいいでしょうか」

「何故」

「これから一緒に組む人と距離を縮めたいからです」

 ふうん、と利輝が頷く。

「なら、私からも提案がある」

「何でしょうか」

「藤真も、敬語をやめてくれないか。私は先輩だが、説明を忘れていたように至らない事も多いと思うから」

「それはつまり、お互い対等にという事ですか」

「そうだ。口調も呼び方ももっと気楽にしてもらう方がいい」

「分かりました」

 そうじゃない、と利輝が指摘する。藤真は言い直した。

「分かったよ、利輝」

「それでいい」

 利輝は頷いた。対等にとは言ったが、どうしても利輝の方が上に立つ者の威厳があるな、と藤真は苦笑した。

「でも、菊鶴さん達の前では利輝さんと呼ばせてもらうし、敬語を使うよ。さすがに他の先輩達の前で軽く接するのはどうかと思う」

「分かった。では、課の人達がいない時だけにしてくれ。とは言っても、その時間の方が多いと思うが」

 そう言った利輝は、おもむろに面を付けた。呪の痣が隠される。

「そろそろ町に戻るか」

 手袋をはめ直しながら利輝は言った。

 町に向かって並んで歩きながら、利輝が話しかけてきた。

「そういえば、随分と戦い慣れていたな」

「そう見えた?」

「ああ。ぎこちなさはあるが、躊躇いや戸惑いが無かった」

 藤真はぽりぽりと頬を掻いた。

「実践はあまり経験してこなかったんだけどね。子供の頃から訓練だけは受けていたんだ。役に立ってよかった」

 自分がやってきた事は無駄ではなかったのだと思えて、藤真は思わず顔がほころんだ。

 町に戻ると、駆け付けた時の騒ぎは嘘だったのではないかという程に日常の風景に戻っていた。対魔分所の倒魔官達は見事に混乱を治めたようだ。

 二人は河原前対魔分所の建物へ行った。

 中に入ると、椅子に座っていた制服姿の四人の倒魔官達が立ち上がった。

「ああ、座ってください」

 利輝は怪我をした倒魔官に声をかけた。すみません、と言って彼は椅子に座り直す。

「皆さんも、座ってください」

 利輝が言うと、初老の人間の男性と中年の女性の術人も腰を下ろした。

 若い女性の倒魔官が駆け寄ってきた。騒ぎを治めようとしていた倒魔官だ。

「終わったんですか!」

 利輝と藤真は頷いた。彼女はぱあっと顔を明るくする。

「ありがとうございました、助かりました!」

「彼の怪我の具合は?」

 利輝が訊ねる。

「傷は結構深かったんですが、止血して処置したので大丈夫だと思います」

「傷が膿んでそうな感じがしたら、病院で見てもらってください」

 男性の倒魔官に向けて利輝は言った。怪我をした彼が「分かりました」と頷く。

 女性が利輝の手を握った。

「本当に助かりました。うちの分所の倒魔官は本当は全員で四人いるのですが、今日は先輩達が別の源魔退治で丁度出払っていて……そこに力が強い源魔が二体も出たので、対処できずに応援をお願いしたのです」

「そうだったんですか。それは大変でしたね」

 利輝が労わるように言った。

「それにしても、あの時は本当にありがとうございました! 凄かったです!」

 興奮したように、女性が握った利輝の手をぶんぶんと振る。

「あの時?」

 藤真は聞き返す。キラキラした目で女性が藤真を見た。

「あなたの相棒の方は、本当に凄いですね!」

「どういう事ですか?」

「とっても凄い霊力だったんですよ!この方は、源魔が見えない術人を安全な方向へ逃がすために、避難している術人全員に力を送って、目を貸したんです!」

 横目で利輝を見ると、彼女は何とも言えない苦い笑いを浮かべていた。

「それって、どのくらい凄い事なんですか?」

 いまいちぴんとこないので訊ねると、女性がもどかしそうな顔をした。

「術人に目を貸す事は、それなりの霊力が必要なんです。なので、人間の倒魔官は一定の霊力の持ち主でないとなれません。私も倒魔官になれる程度には霊力があるのですが、それでも目を貸せるのは一人か二人が限界です。それに、かなり集中しなければならないので、他の事にはあまり手が回らなくなります。それなのにこの方は、何十人もの術人に霊力を送りつつも町民の避難誘導まで指示したんですよ。あんな事が出来る人なんて、今まで見たことが無いです!」

「ちょっと人より力が強いだけですよ」

 利輝がやんわりと握られてた手を外そうとするが、

「そんな! 本当に凄かったです!」

 と女性は強く握りしめ直す。

 苑条利輝。名家・苑条家の生まれで、人間と術人の混種。容姿と性格と能力を恐れられて鬼神姫と呼ばれている、と菊鶴は言った。

 女性の話からすると、確かに恐ろしいほどの能力を持っているらしい。

 これはとんでもない人が相棒になったな、と困った顔をする利輝を見ながら藤真はひっそりと笑った。

第一章でした。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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