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狭間の鬼神姫  作者: 廣本 涼
11/11

終章

狭間の鬼神姫、ついに終章です。

序章の注意事項をご理解くださった方のみ、この先にお進みください。


それでは、始まります。

あの襲撃事件から、一週間経った。

 輝政達の目論見通り、厳柳と支援団体者は政府上層部の人間への襲撃を計画、実行したとして警察に逮捕された。襲撃事件の際に亡くなった者も十人以上いるが、支援団体所属者の中で生きている者は全員捕まったようだった。これは警察が所属者名簿を手に入れ、照らし合わせたというので間違いが無い。

 襲撃事件前日に各組織の支援団体所属者が懲戒免職され、厳柳が違法な組織を個人的に持っていたというのは民衆にも知らされていたが、襲撃事件が起こった事で厳柳と支援者達は決定的に犯罪者として人々に認識されるようになった。輝政が高笑いしているのが目に浮かぶ。

 取り調べに対して厳柳は口を閉ざしているらしい。だが、支援団体の者達が少しずつ話し始めている。

 襲撃の際に使用された呪いの死体は、元は浮浪者だった。厳柳達は村や町を使って実験を行っていただけでなく、弱った浮浪者を唆して生前から血を飲ますなどして呪いを仕込み、浮浪者が亡くなれば手入れをして呪いの死体を何体か作り上げていたらしい。これは上層部襲撃事件の為だけではなく、いつか一般人相手にも使用するつもりで支援団体者達が多めに作ったようだ。何よりもの優先は上層部の人間を襲撃する事だと厳柳が言い聞かせていたので、まだ使用する予定はなかったと支援団体所属者は話した。上層部の人間への執着が組織の長である厳柳に強くあったからこそ、一般人の虐殺は防がれていたと言える。皮肉な話だった。

 使用されず残っている呪いの死体は、警察が保管場所を聞きだして、源魔対策対応課の倒魔官達が全て対処した。厳柳の支援団体者の存在は公表されたが、呪いの件に関しては箝口令が敷かれたので、あの恐ろしい死体の話を民衆が知る事は無い。呪いの方法などが広まり、真似をする者が出てくる事を防ぐためである。

 支援団体所属者が潜り込むことを許した政府、神領省、警察の信頼度は民衆の中で急激に下がっただろう。今後は信頼回復の為にも一層誠実に職務に努めるように、と上層部からお達しがあった。今回の事は上層部幹部が大きく関わっていた為、和豊からその命を聞いた対魔課の者達は一斉に複雑な顔をした。和豊や藍沢も苦笑いだった。

 厳柳や団体所属者への取り調べは続いているので、これからもまた新たな真実が判明するかもしれないが、一先ず源魔対策対応課としては呪いの死体に関する一連の事件は収束したと言える。

 利輝の話を聞き終えた添上成清は建物の外壁に凭れかかり、ほう、と息を吐いた。

「大変だったんだね、そっちも」

「私、成清さんに何回も飛び文で連絡していたんですけど」

 以前に添上が言った事が気になり、話を聞こうとしたのだが、ずっと連絡が取れなかったのだ。菊鶴から厳柳や神領省の疑惑についての仮説を初めて聞かされた後、虎吉に情報を集めるように命じてからすぐに飛び文を送ったのだが、返事が無かった。神領省内でも姿を見かけず、結局会えたのは今日だ。もう事件が終わってしまっている。

 ごめんごめん、と添上が苦笑した。

「連絡には気付いていたんだけど、仕事で地方に行っていてね。そこの祭りが抱えている問題がかなり厄介で、ずっとかかりきりになっていたんだ。それで昨日、ようやく帰ってこれたんだよ」

 だから『そっちも』と言ったのか、と利輝は納得した。仕事で忙しかったのならば仕方がない。

「で、鬼神姫様は僕に何の用だったのかな」

「二ヵ月ほど前に成清さんに視察先でお会いした時、最後に『厳柳についてどう思う』とおっしゃっていましたよね」

「……ああ、そうだったね」

「あの後、今回の一連の事件が始まりました」

 そして、襲撃事件の際の十人には入っていなかったが、添上家当主も政府上層部の一員だ。

「添上家は厳柳や支援団体者の事について知っていたはずです。成清さんも、あの時すでにご存じだったのではないですか? だからあんなに意味深な質問をなさったのでは?」

「残念。はずれだよ」

 添上が腹が立つ笑顔を浮かべて言った。

「うちの当主は確かに知っていただろう。当然だよね、政府上層部にいるんだから。でも僕は今回の事を知らなかったよ」

「では、何故あんな質問を?」

「詳しい事は知らなかったけど、上の方で何か動いている事だけは分かったからさ。家の中がちょっとバタバタしてたんだよね。苑条家もそういう時、あるでしょ? ああいう時って当主が何かこそこそとやっている時だよね。それでちょっと情報を集めて、どうやら統領が源魔に関して何かよからぬことをしているらしいっていう事までは分かったんだ。鬼神姫は対魔課にいるし、もしかしたら何か知っているかもしれないなと思って探っただけだよ」

「本当に?」

 利輝は添上をじっと見つめる。

「信用無いなあ、本当だよ。あの時の僕は、厳柳に関する噂程度の情報しか持っていなかったよ。僕が探りを入れた事で君を混乱させてしまったのなら、悪かった」

 そうですか、と利輝は息を吐いた。

「一連のことを全て知っていて黙っていたのだったら、ぶん殴ろうと思っていたんですけどね」

 添上が顔を強張らせる。

「え、本気?」

「本気ですよ」

 利輝は拳を握って見せる。「君、普通の女の子の力じゃないだろう。絶対に痛いよね、それ」と添上が大袈裟に身体を震わせた。「まあ、今回は違ったという事で」と利輝は拳を解いて腕を下ろす。

「今回の警備対象者だったのは、十人でした。正確な人数は知りませんけど、政府上層部の人間ってもう少し人数がいましたよね。添上家もいませんでしたし、どうして全員が集まらなかったのでしょう」

「さあねえ。こういう事は家の事にあまり関わらせてもらえない僕達には分からない事だよ」

 冷めた口調でそう言いつつ、添上は「でもまあ」と続けた。

「人間の中でも、一枚岩というわけにはいかないんだろうさ」

 表情を曇らせた利輝に、彼は笑ってみせた。

「あくまで僕の予想だからね。うちの当主はあのお歴々の中ではまだ若いから、計画に入れてもらえなかっただけかもしれないしね。どっちにしろ、もう気にしても仕方のない事だ」

「……そうですね」

 利輝は渋々頷いた。

「今日はお時間頂き、ありがとうございました。そろそろ始業時間が始まりますので」

 霊事局の建物が建ち並ぶその影でこそこそと話すのも、いい加減目立つので終わりにしたい。出勤してきた人々がちらちらと寄越す視線が気になる。

「あ、待って。最後に一つだけ」

 凭れかかっていた建物の外壁から背を離し、添上が呼び止めた。

「何でしょう」

「君、六人を相手に大立ち回りをしたんだって? こっちに帰ってきたらその話で持ちきりでさ。本当なの?」

 どっと力が抜けた。

「……一瞬だけですよ」

「えー、でも凄いね!」

 添上がにこにこする。

「どうしてそんなに話が広まるんですか……」

「鬼神姫は目立つからね」

「勘弁してください」

「これは諦めるしかないと思うよ」

 元気出して、と肩を叩かれ、利輝はその手をやんわりと払った。気にした様子もなく、添上がさらりと言った。

「何だか、前よりいい顔になった」

「そうですか」

 その理由については思い当たる節があったが、利輝は素っ気無く答える。「やっぱり可愛くなくなったな!」と添上は笑った。

「それじゃあ、今日もお互いに頑張りますか」

「そうですね」

 添上が手を振って敷地の奥にある神事局へ向かっていくのを見送ると、利輝は源魔対策対応課の建物へ向かった。扉を開け、挨拶をしながら中に入る。

 二階へ上がり、ここでも「おはようございます」と言うと、倒魔官達からばらばらに返事が返ってきた。利輝は階段近くの自分の席に行った。二階は、既にほぼ全員が出勤してきていた。

 菊鶴が鞄から本を取り出し、福野の前へ置いた。

「忠助。はい、これ。借りてた本。ありがとうね」

「あっ!」

「返せって言ってた事、忘れてたでしょ」

「そんな事ありませんよ」

「今絶対に『忘れてた!』って顔してたよ」

「気のせいですよ」

 にやにやと追いつめようとする菊鶴を、福野が微笑みながら躱す。

「いや、福野さんの表情はちょっと怪しかった!」

 科乃が菊鶴と同じようなにやにや笑いをしながら指摘した。「川波さんまで、何言ってるのかな」と福野はあくまで認めない。花菱は真面目な顔をして本を読んでいたが、口元が笑っていた。藤真は、素直に楽しそうにそのやり取りを見ている。

 藤真、菊鶴、花菱の術人達や混種の利輝は、一週間前の傷がもうすっかり治っている。科乃や福野はまだ少し傷が残っているが、仕事に支障をきたすほどでは無い。本当に無事でよかった、と改めて利輝は思った。

「おはよう」

 藍沢が階段を上ってきた。二階にいる倒魔官達は、一斉に挨拶を返す。普段はそのまま奥の副課長席へ行くのだが、今日は科乃の席の近くで立ち止まった。

「川波、神領省の門を入ってすぐの所に、ついに省内地図を貼った掲示板の設置が決定したぞ」

「本当ですか!」

 科乃がぱあっと顔を輝かす。

「ありがとうございます、副課長! 交渉、大変だったでしょう」

 あの事務局が相手なんだから、と恨みが籠った声で科乃が言う。「いや、それがだな」と藍沢は苦く笑った。

「四月に事務局に言った時は突っぱねられていたんだ。だが、昨日になって急に設置が決定したと連絡が来てな。どういう事かと思ったら、どうやら上の方が要望を聞いてやれと言ったらしい。それで、事務局がすぐに案を通したんだそうだ」

 上層部、という事で利輝達の表情は曇る。

「それはつまり、口止め料という事ですか」

 花菱が冷ややかに言った。

 支援団体に所属していた幹部を上層部が黙視していた事は、公にされていない。この話を知っているのは、対魔課だけだった。

 藍沢が渋い顔になる。

「そういう事かもしれないな。あとは、特殊任務成功の褒美といったところか。とにかく、これで省内迷子も減るだろう」

 組織なんてものは、そう簡単には変わらんよ。そう言い残して藍沢は自分の席へと歩いて行った。

「意見がやっと通った事は嬉しいけど、何だか……喜びにくいわ」

 科乃の言葉に、利輝は苦笑いした。

 組織は、そう簡単には変わらない。藍沢の言葉が、残念ながら今の神領省の現状だ。この調子だと、来年も輝政が圧力をかけて利輝の神事局への移動願を握り潰しそうだ。

 仕事の準備を始めながら、少し考えていかないとな、と利輝は思った。


          *


 仕事を終え、苑条家の屋敷に戻る。と、門を入ってすぐに

「お帰りなさいませ」

 と虎吉が出迎えに来た。

「ただいま。久しぶりだな、虎吉」

 はい、と微笑んで虎吉が頷く。

「私の我儘で振り回して悪かった」

「いいえ。少し落ち着かれましたか?」

「ああ」

 襲撃事件の後、利輝は自分の中に湧き上がる様々な感情が上手く整理できず、また、源魔ではなく生きている術人と戦った事の心労もあり、屋敷にいる時は自室に引き籠もっていた。それを虎吉は心配してくれたが、彼の心遣いを受け取る余裕もなかった為、虎吉に数日間の休暇を与えて自分から引き離したのだ。このままでは虎吉にあたってしまいそうだったので、それを避けるためだった。利輝の我儘に、虎吉は慈愛に満ちた笑みで静かに頷いた。

 会うのはそれ以来だ。

「怪我の具合はいかがですか?」

「大丈夫だ。全て綺麗に治った」

 虎吉がほっとした顔をした。虎吉に休暇を与えた時は、腕の傷に包帯を巻いて、他にも切り傷の跡が残っていたからだろう。

 二人は屋敷の中に入った。

 虎吉と共に部屋へ向かおうとする途中、廊下の角を曲がると足に軽い衝撃があった。見ると、寝巻姿の国輝が腰に抱きついていた。

 利輝に抱きついたまま、国輝がパッと顔を上げる。

「お帰りなさい、姉さま!」

「どうしたの、国輝」

 利輝は身体が強張ったのを国輝に悟られないかひやひやしながら、訊ねた。

「姉さま、しばらくはお怪我でずっと苦しそうだったでしょう。でも、今日の朝に見たら大分元気そうだったから、もう会いに行ってもいいかなと思って!」

「……そう。ありがとう!」

 利輝は国輝を抱き上げた。世話係達が慌てた様子でやってくる。

「もう大丈夫。お迎えも来たし、お部屋に帰りなさい」

 申し訳ございません、と謝る世話係に国輝を渡す。世話係に抱き上げられた国輝は、「おやすみなさい」と手を振った。おやすみ、と微笑みを返す。

 国輝達が見えなくなると、利輝は苦笑いをした。

「あの子の無邪気さは、本当に困る。私が避けている事に気付いていないんだろうな」

「国輝様は、利輝様がお好きなんでしょうね」

「好かれるような事をした覚えはないんだけどな」

 ああも懐かれると、こちらとしては心苦しくなるのだ。利輝は、国輝の味方にはなれないのだから。

 部屋に戻り、腰を下ろすと、虎吉に自分の前に座るように指示する。彼が腰を下ろしたのを確認して、「さて、虎吉」と利輝は話を切り出した。

「私はいつの日か、苑条家に対抗できる力を持ちたい。そして、その為にはお前の協力が必要だ。どうか私に、最後までついてきてほしい」

 虎吉は頭を下げた。

「はい。山杉虎吉、利輝様に最期までお仕えすることを誓います」

「ありがとう」

 顔を上げた虎吉は不思議そうな顔をする。

「ですが何故、改めてそのような事を?」

 確かに、虎吉には昔から利輝の野望を話していた。その度に、虎吉は利輝についてくる事を誓った。何度も繰り返した事だ。

 だが、今回改めて確認した事には理由がある。

「もう一つ、野望が増えたんだ」

 虎吉が引き締まった表情になった。利輝の背筋も伸びる。

「私は、人間と術人の争いをやめさせたい。混種として生きていく上で、私はこれが自分の為すべき事だと信じる事にした。人間でも術人でも無い私だからこそ、出来る事だ。私が力を持った際には、その力を争いの制定にも使おうと思う。それで、きっと傷つく人も減るはずだから」

「利輝様……」

 虎吉が輝いた目で、利輝を見つめた。

「これはきっと、とても傲慢な事だ。それでも私は、争いを制定したい。こんな私でも、お前はついてきてくれるか?」

「もちろんです!」

 虎吉は即答した。

「利輝様が混種として生きられる上で為したいと思える事、その意味を見つけられた事、嬉しく思います。僕は、どこまででも利輝様の味方です」

 絶対に。彼は力を込めて言った。その安心感に、利輝の顔がほころぶ。実のところ、虎吉が利輝に背く事は余程の事が無い限りあり得ないと分かっている。それでも、言葉に出して『貴女について行く』と言われるとほっとするものだ。

 幼い頃から、虎吉だけが味方だった。時々個人的な感情で憎らしくなる事もあったがそれ以上に大切で、この世で唯一、心から信じる事ができる存在だった。

 だが、もしかするとそれに近い存在が、これからできるかもしれない。虎吉が大切な事は変わらない。だが、大切な存在がもう一人できるとしたら、それはとても幸せな事だ。

「虎吉、一つ報告がある」

「何でしょうか」

「我々に、新しく仲間が出来るかもしれない」

「仲間、ですか」

 虎吉が目を丸くする。

「私の野望を叶える手伝いをすると言ってくれた人がいるんだ」

「それは、信頼できる者ですか?」

「まだ分からない。だけど、きっとこれから信じられるようになると思う」

「利輝様の味方が増えるというのであれば、それは僕にとって喜ばしい事です」

 嬉しそうに虎吉が言った。その姿に、利輝は胸が一杯になった。どこまでも彼は、利輝を中心に考えてくれるのだ。

「お前は本当に……」

「何でしょう?」

「いや、なんでもない。ありがとう」

 わけがわからない、と言いたげに虎吉が首を傾げた。だが、利輝が答えないのを見ると、すぐに切り替えたようで、わくわくとした表情で虎吉は身を乗り出した。

「それで、その新しい仲間というのはどんな方なのですか?」

 そうだな、と利輝は考える。あの相棒の事を、どう表すべきか。色々と記憶を辿っている内に、よく彼は自分の後ろをついてくるなと思った。それが、ある動物を彷彿させる。

「一言でいえば、犬かな」

 何だそれは、と言わんばかりに虎吉が眉を顰める。あはは、と利輝は声を上げて笑った。犬と言われた事を知ったら、彼はどんな顔をするだろう。

「ちゃんと話すよ」

 利輝は機嫌よく言った。

 まだ日は暮れたばかりだ。夏の夜は短いが、あの白い髪の術人の事を説明する時間くらいはあるだろう。

 まず初めに、彼と出会った日の事から話そうか。 

                                       了

終章でした。

狭間の鬼神姫は、人生で二番目に書き上げた長編小説で、設定が気に入っていました。二〇一七年の六月から八月にかけての約三か月間、ひたすら向き合った物語です。こちらへ掲載するために読み返して、改めて自分はこういった設定が好きなんだなと思いました。

もし、読んでくださった方が少しでも、ほんの少しでも「まあ面白かったんじゃない」と思ってくだされば、それは私にとって何よりの喜びです。そんな方が世界に一人いる事を祈りつつ、締めたいと思います。


ここまで読んでくださり、本当に、本当に、ありがとうございました!


                        二〇一八年五月十日     廣本 涼

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