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狭間の鬼神姫  作者: 廣本 涼
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第九章

狭間の鬼神姫、第九章を掲載します。

序章の注意事項をご理解くださった方のみ、この先にお進みください。

いよいよクライマックス!


それでは、始まります。

 菊鶴が和豊に話をした二日後の朝、源魔対策対応課の倒魔官全員が一階に集められた。利輝は出入り口の扉付近に立ち、菊鶴達と話が始まるのを待っていた。

 室内の空気はざわめいていた。倒魔官達は、何故集められたのか、今から何の話が始まるのかを皆察しているようだった。和豊は自席に座り、藍沢と何やら話をしている。それをちらちらと気にしながら、倒魔官達は近くの者と会話をしていた。

「よし」

 和豊がそう言って頷き、椅子から立ち上がった。一瞬で室内は静まり返る。全員が彼の話を聞く態勢に入った。

 和豊は倒魔官達をぐるりと見回した。

「皆揃っているな。君達を招集したのは他でもない。神領省の不祥事疑惑の件についてだ」

 呼吸音すら聞こえそうなほどの静寂が、和豊の続きの言葉を待った。

「上層部に問い詰めた結果、幹部三名が不正に人事に口出しをしていた事が判明した」

 ざわっと空気が騒めく。信じられない、という囁きも聞こえてきた。うわあ、と菊鶴が感動したような声を漏らす。皆驚いていた。不正があった事ではなく、その事を上層部が認めた事に対してだ。

 パンパン、と藍沢が手を叩くと、ざわめきはすぐに治まった。和豊が続ける。

「前統領の支援団体という違法な組織に所属していた事もあり、その三名は昨日を持って懲戒免職となった。前対魔課長と、不正に給料を分所の倒魔官に支給していた給与課の者も、その組織に所属していた事もあって同じく免職となった。また同時に、政府の上層部でも支援団体所属者が免職になった。警察内部でもだ。彼、彼女達は全員術人だった。同じ種である私個人としては、今回の事は残念でならない」

 そこで和豊は、少し物憂げな顔をした。だが、すぐに引き締まった表情に戻る。

「そして今日、神領省上層部から源魔対策対応課に特殊命令が下った。これは、政府からの命と言ってもいい。昨日に懲戒免職の処分が行われたことを受けて、政府内上層部で本日十七時より非公式に緊急会議が行われる事になった。その会議が行われる場所の敷地を警備せよという命だ。何故対魔課が警備するのか、疑問に思う者もいるだろう。これは、前統領が行っていた呪いの研究が関係している。約一か月前の、源魔で滅んだ村の一件を君達も覚えているだろう。その後は全国で呪いが施された死体も見つかり、我々が対処した。あの死体の呪いを開発したのが前統領だ。退任の際に説明していた心身の調子を崩したというのは、表向きの理由だそうだ。実際は、あの呪いの開発の件で、辞めさせられた。これは神領省の上層部が言っていたので、確かな事だ。今回の会議の事が万が一前統領に知られた場合、彼が支援団体者と共に襲撃してくる可能性を政府上層部は懸念しているらしい。そして、襲撃が起きた際にはその呪いの死体を使ってくる可能性が高いと考えているようだ。その場合、呪いの死体や源魔を対処せねばならない。だが、慣れていない者が源魔を対処する事は難しい。なので、普段から源魔を相手にしている源魔対策対応課がうってつけという事になったそうだ。それに、源魔以外で武力行使されても我々なら対処できる。なので今日は、一部の者に会議場所敷地内の警備に行ってもらう。人選はこちらでしておいた。今から呼ばれた者は、気を引き締めて警備をするように。尚、今回は人間の倒魔官にも刀が配給されることが決定した。現場へ向かう際は忘れずに持っていくように。以上」

 そう締めて、和豊が着席した。隣に立っていた藍沢が、和豊の机の上から一枚の紙を取ると、それを見ながら名前を読み上げ始めた。その中に、福野と菊鶴、科乃と花菱、そして利輝と藤真の名前があった。

 警備する者の発表も終わり、倒魔官達はそれぞれが自席に戻ろうと動き始めた。

 利輝達も二階に戻ろうとしたが、和豊に

「菊鶴君! と、あとそこの五人、ちょっとこっちへ」

 と呼び止められた。利輝達は顔を見合わせ、首を傾げると、足早に和豊の席へ向かった。

「何でしょうか」

 和豊の席の前へ並ぶと、菊鶴が訊ねた。

「菊鶴君が言っていただろう、上層部は不正を黙視していたんじゃないかと」

「はい」

 菊鶴が急に目をギラギラと輝かせる。

「どうでしたか」

「これは私と藍沢君が上層部から話を引っ張り出してその欠片を張り付けた、推測の話になる。だが、恐らくほぼ確定と見ていいだろう。初めは菊鶴君にだけ話そうと思ったんだが、菊鶴君はきっと仲の良い君達にも話すだろうと思ってね。こうして呼び出したわけだ。これを聞いて何かが変わるわけではない、という事を前提で、聞いてほしい」

 一呼吸おいて、和豊は話し始めた。

「昨日懲戒免職された三人の術人の幹部の不正を、他の幹部達が気付いていないはずがない。でないと、私に視察をするようせっついてきた説明がつかないからね。私はその問いを上層部にぶつけた。話を濁され、はぐらかされたが、断片を繋いだ結果、ほぼ確実に上層部は今回の一連の事を知っていたのだろうという結論に至った。どうも、政府内や警察内でも前統領の支援団体の存在を認識していて、頃合いを見計らって一気に叩くつもりだったらしい。だから、昨日一斉に動いたんだ」

「昨日……課長が不正疑惑を上に報告した事に、何か関係があるのでしょうか」

 菊鶴が聞いた。和豊は「いや、それは偶然だろう」と首を左右に振る。

「いつから支援団体の存在を知っていて動きを見張ってきたのかまでは分からない。だが、懲戒免職に持ち込むまでの手際の鮮やかさから見て、かなり前からだろう」

「つまり、あの村の存在を知っていながら放置していた可能性もあるという事ですか?」

 利輝は思わず口を挟んだ。

「昨日の上層部の口振りからすると、政府上層部は前統領である厳柳を大分前から見張っていたようだし、彼の動きも知っていたようだった。だから、あの村を認識していた可能性は高いのではないかと思う。あくまで私の推測だがね」

「そんな……」

 科乃が呆然と呟く。花菱と藤真は、厳しい顔をしていた。

 利輝は、ふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。あの村の呪いが発動する事を知っていながら黙って見ているだけなど、見殺しも当然だ。

 上の人間は皆揃って民を見殺しにしたのか。それは絶対に、絶対に許される事ではない。

「今回の上層部への報告は、対魔課にとって重要な事だったようだ。どうやら上は、我々に大した説明もしないまま警備に行かせようという計画だったようだから。それが狂ったようで、昨日の会話している時の声が不機嫌そうだったよ。疑惑の報告があり、こちらがある程度の情報を握っていると上が知ったから、今回はかなりの情報を教えてくれた。不正があった事も認めたしね。これは今までの対魔課の冷遇を考えると大きな事だ」

 和豊は、一人ずつの目を見て言った。

「今回の事について、色々な思いがあると思う。それでもまずは、警備の任務をしっかりとこなして対象者を守ってほしい」


          *


 はあ、と科乃が溜息を吐いた。

「課長は警備に集中、とおっしゃってましたけど、やっぱり苛々しますよ。上が不正を黙視していたのは問題です」

「あと、死体の呪いの事を知りながら対処に動かなかった事もだ」

 花菱が付け足した。彼の眉間には、深い皺が寄っている。荒れてるねえ、と菊鶴は苦笑いした。

 時計の時刻を見ると、十六時四十五分を過ぎたところだった。とっくに警備対象者の政府上層部の者達は敷地内の一室に籠っている。

 会議が行われる敷地は、都の外れにあった。周囲には民家や店などが何もない。そして、周りを林に囲まれている。以前は政府内の一部の部署がこの敷地内にあったが、現在の都の中心の政府本拠地に統合されてからは使う者がおらず放置されていたらしい。今回は非公式の会議という事で、こそこそとこんな辺鄙な場所で行う事になったようだ。

 敷地内を警備する事になったのは倒魔官十組二十人だ。命令が下された時はもっと少人数だったが、安全のためにと和豊達が強引に人数を増やしたらしい。菊鶴と福野、花菱と科乃は、塀で囲まれた敷地の東西二か所にある門のうちの東側の警備を任された。放置されていたので門は空きっぱなしのまま閉まらなくなっており、守りの事を考えると不安が残る。なので、中にも倒魔官を多めに配置して警備に回っている。

 移動中も警備位置についてからも、科乃達はずっと怒っていた。呪いの死体で滅んだあの村の惨状を実際に目にしているのは、科乃、花菱、藤真、利輝の四人だけだ。上層部が黙視していた可能性が高いと知って、許せないのだろう。会議が行われる部屋の警備を任された利輝も、顔が強張ったまま大股で中に入っていった。藤真は怒りもあるのだろうが、比較的冷静な表情でその後ろをついて行っていた。

「何なんですか、本当に!」

 腰に差した刀の柄を弄りながら、科乃がぶつぶつと呟いた。

「川波さん、気持ちは分かるけれどそろそろ会議が始まるから、いざという時の為に冷静にね」

 福野も菊鶴と同じく苦笑いをしている。

「分かっています。それはちゃんとします。それでもあの村を見逃したかもしれない人達を守らなければいけないと思うと、複雑なんです。あの村の人達の事は守れなかったのに」

「じゃあ、今度こそ守ろう」

 福野の言葉に、科乃の表情がふっと変わる。一瞬穏やかになったかと思うと、悔しそうな顔になる。

「仕事ですもんね。上への怒りはあります。今に始まった事じゃないけど、今回は尚更。でも、仕方がない。守らなきゃ」

 自分で確認をするように言って、科乃は「よし」と頷いた。落ち着きが戻っていた。

 花菱は眉間に皺を寄せたままだが、こちらは心配ない。怒りはあるだろうが、それと今回の任務は別だと割り切っているからだ。恐らく藤真も花菱と同じだろう。

 問題はあの鬼神姫様だ、と菊鶴は敷地内を見た。利輝と藤真は、他二組の倒魔官と共に警備対象者達が集まる部屋の警備を任されている。中は広く廊下が入り組んでいるので、ここから利輝達が警備している部屋は見えないが、気持ちは彼女の方を向く。

 利輝は今までに見ないほど怒りを感じ、それを抑え込んでいるようだった。それが爆発しないかどうか、心配だ。

 いや、いっそ爆発した方がいいのかな。菊鶴はふとそんな事を思う。あの子が爆発でもして政府の上の人間に食ってかかったら小気味よいだろう。利輝の事ならきっと恐れもせずにやる。政府上層部の人間を親族に持つ上に生来の気質もあって、利輝は所謂『偉い者』に対して委縮する事が無い。

 さて、どうなるか。気になりながらも、菊鶴は敷地の外の警備に意識を戻した。


          *


 今回の警備対象者の名簿には、利輝の祖父である輝政の名前もあった。

 そして今、障子が開け放たれた部屋の中には輝政がいた。祖父の姿を見るのは、冬の終わりの面会以来だ。

 集まった者達と雑談をしながら、輝政は面白そうな顔でちらちらとこちらを見ている。利輝は怒りや憎しみを隠そうともせずに睨みつけた。ははは、と輝政が声を上げて笑う。何事かと部屋の中にいる者達が輝政を見て、それからその視線は全て利輝に集中した。

「ああ、お孫さんでしたか」

 一人が微笑ましそうに言う。

「鬼の苑条も孫には甘いか」

「いやあ、微笑ましい」

 どこを見れば微笑ましいのだ、と利輝はぎりっと歯を食いしばった。祖父に対しては憎しみしかない。微笑ましげに見られるのは、屈辱だった。輝政はといえば「もう一九ですよ」などと言って良い祖父を演じており、更に怒りが湧いてくる。

 冷静にならなければ、と思い、利輝は彼らに背を向けて荒れ放題の中庭らしき空間を見る。あと二組が部屋の警備のためにここにいる。全員が部屋の中の様子をじっと見ていてもまずいだろう、と理由を付けてそこを睨んでいると、利輝を倣って中庭の方を向いた藤真がひそひそと話しかけてきた。

「名簿を見た時も思ったけど、今回の警備対象者十人って全員人間なんだね」

 苛々した気持ちが収まらないまま「それが」どうした、と言おうとして、利輝はふと引っかかる事があり言葉を飲み込んだ。藤真の方をちらりと見る。藤真が言った。

「いや、特に意味が無いのかもしれないけど、何か人間ばっかりっていう事に違和感があって」

 確かにそこは少し気になる、と利輝は思ったが、

「前統領の厳柳が不祥事を起こしたから、今回は術人は会議に入れなかったとかじゃないか。非公式だしな」

「そういう事なのかな」

 今一つ納得していない顔の藤真が、懐中時計を取り出した。

「何時だ?」

「十七時十分」

「もう会議が始まってもいい頃だが……」

「全員、とっくに集まっているしね」

 利輝と藤真は後ろを振り向く。十人は雑談をしていて、一向に会議を始める気配が無い。違和感が膨らみ始める。

 と、一人の人間が言った。

「しかしまあ、上手く事が運んだようで良かったですな」

「神領省も上手くやったようで」

 障子は開けっ放しで、部屋の中の会話は廊下にいる倒魔官達に丸聞こえだ。だが、彼らは気にした様子が無い。

 いや違う、と利輝は気付いた。

 彼らは警備に当たっている倒魔官達の存在など、無いものだと思っているのだ。

 倒魔官達の存在を無視したまま、会話は続いていく。

「あの村の存在に気付かせる頃合いは、運だった」

「あれが発覚して神領省が動き出さない限り、我々も動けなかったからな」

「まあでも、全ては上手くいったではありませんか。あの件で神領省が動き、支援団体所属者の存在と今までに行ってきた工作が動かぬ証拠となった事で、無事厳柳を追いつめる事ができた。いやあ、私は気分が良いですよ。全ての計らいがぴったりと上手く嵌まると、何物にも代えがたい爽快感がある。今回は素晴らしかった」

「それは言えてますな」

「それにしても……いやあ、七年ですか」

「長かったですなあ」

「七年?」

 利輝の低い呟きに、ちらりと輝政が視線を寄越した。

「どういう事でしょうか、お祖父様」

「分からぬほどお前は愚かではないだろう、利輝」

「七年前と言えば、厳柳が統領に就任した頃ではありませんか。まさか、その頃から厳柳はこそこそと動いていて、あなた方はそれに気付いていたというのですか」

 ふん、と厳柳が鼻を鳴らす。利輝は眉を吊り上げた。

 まあまあ、と一人がとりなすように言った。

「苑条さん、説明してもいいのではないですか? 知ったからといって、彼女らでは我々をどうにかできる立場ではないのですから」

「それもそうですな」

 厳柳が「では、よく聞きなさい」と利輝や、固まっている藤真達一人一人の顔を見て言った。

「そもそもの始まりは、術人である厳柳が統領になった時に、我々人間の上層部を酷く見下し、敵視していると分かった事だ。それが今から七年前。見下し、敵視しているだけならば別に珍しくもない。こんな諍いなど、どこにでも腐るほどあるわ。だが奴が我々が対立してきた他の術人と違ったのは、虐殺的な思考を持っていた事だった」

 物騒な言葉に、利輝は眉間に皺を寄せる。ははは、と馬鹿にしたように輝政が笑う。

「奴は我々をいつか排除しようと思っていたのだよ。文字通り、この世からな。馬鹿馬鹿しい。だが奴は支援団体を使って、呪いの開発などを始めてしまった。そして、実際に技術を見つけた。それが六年前だ」

「それとなく支援団体の動きを探った時に『自分は兵器を作れるのだ』と漏らさなければ、もう少し上手くいっていたかもしれないものを。焦ると思慮が浅くなる男でしたな」

「その思慮が浅い者を相手に何年も待たなければならなかったのは、腹立たしい」

「全くだ」

「民衆に対しては上手くやっていたようですがな。良くも悪くも目立たないというのは、彼の特技だった。だからまんまと統領の座に就かれたわけですが」

「あれは敵ながら見事だった」

 ははは、とあくまで優雅に十人の人間達は笑う。

「あの死体の呪いに気付いておきながら、何故六年も放置したのですか! あの呪いの所為で、村が一つ滅んだんですよ! それもあなた方は知っていたんでしょう!」

「ああ、あの実験に使われた村か」

「実験……?」

 利輝は呆然と呟いた。隣で藤真が目を見開く。

「あれは厳柳が呪いがきちんと発動するのか実験するために選んだ村だった。言っただろう、虐殺的な思考を持つ奴だったと。目的を将来殺すためには、村くらいは使い捨てる奴だったのだ」

「そこまで分かっていたのならば何故、見殺しにしたんだ!」

 利輝は叫んだ。助けられなかった村人達が死体となって倒れていた、あの光景を思い出す。そして、火葬されて天に舞い上がっていく煙も。

 間に会わなかったと思っていた。だが、もっと前からあの村へ行って村人達を説得出来た道があったのかもしれない。呪いの事を知っていたなら、他の村や町の時と同じく無理矢理引き剥がす事だって出来た。そうすればあの村人達は、死なずに済んだ。

 それを彼らは、見殺しにしたのだ。

「全ては、厳柳と支援団体を一気に叩くためだ。あの呪いが実際に発動すれば、それが証拠となる。そして厳柳達も我々を狙って動き出すのだ。そうすれば絶対にボロが出てくる。それまで待つ必要があった」

「あなた方もあの村を道具のように使ったという事じゃないか!」

 利輝、と輝政が溜息交じりに言った。他の九人も、利輝を憐れんだように見ている。利輝の怒りに、彼らは少しも心を揺るがさない。

「お前は分からんのか。だから甘いのだ。あれは仕方がない犠牲だった。我々はあの村を将来的な証拠になるとして見ていたが、死んでいいとは思っておらん。ただ、状況的にもう助けられなかったのだ。もしあの村に呪いが仕掛けられた時に我々が動いたとして、厳柳は統領から降ろせるかもしれんが、どうしても支援団体所属者の残党は残る。それではいつか残った残党が動き出して事が繰り返されてしまう。そうすれば、我々だけでなく、一般の民まで大勢犠牲になるやもしれん。いや、そちらの可能性の方が高いだろう。厳柳の狙いは我々政府上層部の人間だったが、支援団体の末端は人間全てを狙うようになっていたという報告がある。だから支援団体という膿は、一気に外へ出さねばならなかったのだ。一人残らずな。あの団体は厳柳の思想に染まって、奴と同じく虐殺的な思考を持っている。一人でも残っていたら、厄介なのだ。まず始めに厳柳を降ろし、全ての準備が整ったのは昨日だ」

 輝政達は、正しい選択をした者特有の、覚悟を背負った顔をしていた。それを見て、利輝の怒りが行き場を失う。説明されて、輝政達の考えを利輝は理解してしまった。だが、あの村の惨状を忘れる事は出来ない。もっと他に方法があったのではないか。でも、思い付かない。複雑に感情が絡み合い、何故か利輝は涙が出そうになった。

 わあっ、と遠くで騒がしい声がした。利輝はハッとする。来たのか、と藤真が囁いた。二組の倒魔官達も、ピリッとした顔になる。

 にやりと輝政が笑った。

「今からは最後の後始末だ。さあ、頑張っておくれ」


          *


 源魔の気配を、肌が感じた。

「忠助、目を!」

「科乃!」

 菊鶴が叫ぶと同時に、花菱も鋭い声を上げた。今は源魔は姿を見せていないが、近くにいる。菊鶴と花菱が刀を抜くと、遠くで騒ぎ声が聞こえた。

「敵さんがお出ましかな?」

「菊鶴さん、目がギラギラとしていますよ」

 科乃が緊張したように顔を強張らせながら言った。

「そんなのいつもの事だよ」

 福野が苦笑する。

「どうもね。これも術人だからかな。戦いが始まると思うと興奮するんだよね」

 菊鶴は笑った。

 同じく術人である花菱は、冷静な表情のままだ。

「科乃、抜刀できるように用意しておきなさい」

「はい」

 科乃が柄に手をかける。福野も周囲を警戒しながらいつでも刀を抜けるように態勢を整えた。

 と、ガンッという鈍い音と共に、林の中から木箱が転がってきた。木箱は地面を何度か跳ねながら転がり、門から少し離れた場所で止まる。弾みで蓋が外れ、中からごろりと人の身体が転がり出てきた。みすぼらしい恰好をしている。そして、ピクリとも動かなかった。死んでいると一目で分かった。だが、死体の状態が美しすぎる。

 科乃と花菱が息を呑んだ。それで菊鶴は瞬時に察する。これが呪いの死体だ。だがどうすれば、と何かを考える前に術人が林から走り出てきて、死体に向かって何かを放った。燐寸だ、と思った時にはそれが死体の上に落ち、死体が燃え上がった。死体の口がぱかりと開き、濃い煙状の源魔が噴き出てくる。

 菊鶴は刀を薙ぎ払いながら死体の方へ向かった。呪いが発生した場合は、死体の中にいる源魔を刺せばいい。死体に近付く途中、ハッと気配を感じて避けると、先程まで菊鶴の身体があった場所に刀が飛び出てきた。術人が、めちゃくちゃに刀を振り回している。それを取り敢えず避け、何とか死体の元に辿り着くと、菊鶴は源魔を噴き出している元凶に刀を突き刺した。黒い煙に包まれていた視界が一瞬で晴れる。

 門の前には、何人かの術人が倒れていた。魔症でやられたと分かる見た目だった。動ける者は、めちゃめちゃに刀を振り回しながら門へと突き進んでいる。視界が晴れた事に気が付いた福野や花菱、科乃は、彼らを止めにかかった。だが、相手の数が多い。十名ほどが敷地内になだれ込んでいった。

 菊鶴は林から飛び出てきた術人の前に立ちふさがり、振り回していた刀を受ける。力を流して、鳩尾に拳を入れた。相手はぐったりと地面に崩れ落ちる。

 刀を振り回しながら林から出てくる術人達の攻撃をかわし、拳や蹴りを入れて気絶させながら、菊鶴は舌打ちをした。

 呪いが発動する前の死体は燃やして器を失った源魔が出てきたところを切る事が対処方法だったが、相手はそれを逆手に取って敢えて死体に火を点け、強引に源魔を噴出させて場を混乱させたのだ。相手が死体の呪いを使う可能性はあると分かっていたのに、まんまとやられた。相手の術人は人間から目を借りていない為源魔が見えない。なので呪いを使うにしても、もう少し慎重にくると思っていたのだ。まさか見えないまま刀を振り回す事によって源魔を切りつつ強引に突撃するという力技で来られるとは。あはは、と笑うしかなかった。目をらんらんと光らせ、菊鶴は怒りを込めて術人の腹に拳を叩き込んだ。

 術人達を倒し終わり、林から出てくる者がいない事を確認し終わった頃には、菊鶴達は傷だらけになっていた。刀を振り回すというめちゃくちゃな戦い方をする者の相手をした所為だ。

「全員無事か?」

 頬が切れ、顎に垂れてきた血を拭いながら花菱が確認した。四人とも、重症になるほどの傷を負ったものはいない。だが、回復能力が高い菊鶴と花菱はともかく、科乃と福野は手当てをして安静にしていないと危ないだろう。

「花菱、何人中に入ったか分かる?」

 福野と科乃を塀に凭れるように座らせてから、菊鶴は訊ねた。

「十二、三人ほどじゃないか」

「まずいね。向こうの門も同じように襲撃を受けていると考えると、中の警備より多くなっているかもしれない。どうしよう、僕らで敷地内に応援に行く?」

 いや、と花菱は首を振った。

「ここで待機しておいた方が良い。警備対象者が逃げるにしても、最終的にはここか西の門に出てくる。倒れている術人の見張りもあるし、ここを手薄にするわけにはいかない。西と東で、逃げてきた警備対象者の照らし合わせもしないといけないしな。福野と科乃だけを残したら、一人が照らし合わせに行って一人がここを見張らなければいけない状況が出てくる。それは危険だ」

「それもそうか…」

 花菱が不機嫌そうな顔をした。

「源魔が見えるようになる事は術人の倒魔官の特権だが、今回はそれが仇になったな。源魔で視界が遮られ、敵の侵入を許してしまった。敵は源魔が見えないからこそ刀を振り回しながらも一直線に門へ向かえたんだろうしな」

「ほんっとうに苛々するなあ。自分にも、相手にも」

 菊鶴は笑みを浮かべながらも、もう一度舌打ちをした。

「とにかく、これからは西門の警備をしている者との連携が大事になってくる。菊鶴は塀の外を回って向こうの様子を見てきてくれ」

「分かった」

 菊鶴が頷くと、花菱がふっと唇を緩めた。

「中の警備は大丈夫だろう。きっと対象者を守って見せる」

「そうだね」

 少し頭が冷えてきた。と、焦げ臭い匂いが鼻を突く。燃やされた死体の匂いとは、また別だ。

 門から敷地内を覗き込むと、奥の方でちらちらと赤い炎が燃えているのが見えた。

「あいつら、火を点けたのか!」

 信じられない。相手は本気で対象者を追いつめる気だ。赤い炎が、殺意の塊のように感じられる。

 花菱が厳しい顔をした。

「やはり、今外にいる者が中へ入るのはやめておいた方が良いな。状況が混乱する。菊鶴、早めに向こうと連携を取るぞ。警備対象者と、あとうちの課の者が揃ったか確認しなければいけない」

「じゃあ、ちょっと走ってくるよ」

 利輝や藤真など、中にいる仲間達の安否を考えると不安が立ち込めてくる。菊鶴はそれを振り払って、西の門へと走り出した。


          *


 遠くの方が騒がしくなり、利輝達倒魔官は臨戦態勢に入った。

 しかし、警備対象者十人はのんびりと腰を上げた。

「一番の苦労は結局この後始末だったな」

「いやはや、身体を張るのも大変ですな」

 利輝は彼らの様子に違和感を覚えた。襲撃を覚悟して倒魔官を警備につかせたのは分かる。予想していたから実際に襲撃が起きても焦っていないというのも、理解はできる。だが、何かがおかしいと利輝の直感が告げていた。彼らは襲撃を予想していたのではなく、まるで待ち構えていたような様子なのだ。

 利輝は一つの可能性を思い当たり、ハッとする。今回、この非公式の会議に集まったのは政府の上層部の中の人間ばかり。厳柳が狙っている者ばかりだ。そして何故か時間が来ても始まらなかった会議。そして、この言葉。

「もしかして会議というのは嘘で、罠を仕掛けたのですか? 人里離れたこの場所を選んだのもそれが理由で? この場所なら周りを林に囲まれていますし、襲撃しやすいですからね」

 利輝が問い詰めるように言うと、輝政が不敵に笑った。

「厳柳は焦ると思慮が浅くなる奴だった。そして更に、挑発にも弱い」

 それが答えだった。

「何やっているんだ、あなた方は!」

「狙っている獲物が辺鄙な場所に集まっていると知れば、奴は必ず支援団体を使って襲撃してくる。奴自身は地位を失って支援団体の重要人は昨日免職になった。もうなりふり構っていられんからな。支援団体者の人数も恐らくそう多くはない。必ず総攻撃を仕掛けてくる。ここまで見事に思い通りに動いてくれると、もはや愉快になってくるな」

「そんな愉快な気持ちになっているあなた方を守るのは、事情を知らない私達なんですよ!」

「ああ、頑張ってくれ」

 駄目なのだな、と利輝は思った。自分達の目的を達成するために下の者を振り回す事に何の抵抗も無いのだ。

「本当に私は貴方が嫌いだ!」

 そう吐き捨てた利輝に輝政は笑うだけで、何も堪えていない。

「とにかく、腹は立ちますが警備対象者です。守り抜きましょう!」

 利輝は倒魔官達に叫んだ。利輝と輝政のやり取りに呆然としていた彼らは、我に返ったように引き締まった顔になって拳を掲げた。

「おお!」

 十人の対象者を、ここから西門から脱出させる事になった。東門よりはまだ近いのだ。先頭に術人二人と人間一人、最後尾に利輝と藤真と人間一人の前後三人ずつの倒魔官で十人を挟み、廊下を駆け抜ける。放置されていた所為か、廊下の床板がみしみしと嫌な軋みを上げていた。

「何だか焦げ臭くないか?」

 先頭の人間の倒魔官が叫んだ。そして廊下の角を曲がった瞬間に、炎に包まれた部屋が見えた。

「燃やしたのか……!」

 信じられない、という声で先頭の術人の一人が呟いた。

「先輩、どうしますか!」

 藤真が最後尾から叫んで問いかける。

「廊下は無事だ、突き進むぞ!」

 この中で一番対魔課勤務が長い先頭の人間の倒魔官が、素早く判断する。

「皆さん、気を付けてください!」

 彼がそう後ろに声をかけるが、

「火を放つとは、やりますな」

「虐殺的な思考を持つ彼ららしい」

「やはりもう必要のない敷地を選んで正解でしたな」

 と脱力しそうな会話を繰り広げている。

 倒魔官達が呆れの余り気が緩みそうになりながら、燃えている部屋を通り過ぎた時だった。進む方向から、倒魔官ではない術人が四人ほど叫び声をあげながら走って来た。利輝達は一斉に抜刀した。

 先頭の術人二人が敵二人を素早く切り伏せ、人間の倒魔官が敵一人の攻撃を刀で受けながら、警備対象者たちの中に突っ込もうとしていたもう一人の足を引っかける。引っかけられた者はどう、と倒れた。対象者達がわっと割れる。

「先に行け!」

 人間の倒魔官が叫んだ。

「分かりました!こちらへ!」

 先頭二人が誘導する。倒れた敵を容赦なく踏み越えて対象者が六人ほど彼らについて行った時だった。敵が立ち上がり、残り四人の方へ刀を向けた。最後尾にいた人間の倒魔官が四人を押し退けるようにして前に出て、刀を受ける。利輝と藤真は四人を下がらせた。

 鍔迫り合いが続く。金属のぶつかり合う音が狭い廊下に響き、火花が弾けそうだった。倒魔官が仕掛け、敵の胴体を薙いだ。敵が後ろに倒れ、廊下から外の地面に背中から落ちて行く。だが最期に、敵が倒魔官の腹を刺した。

 腹を抑え、倒魔官が崩れ落ちた。彼の額からぶわっと脂汗が噴き出てくる。血が袴に滲んできた。

「皆さん、進んでください!」

 藤真が四人に言う。そして、「失礼します!」と一言断ってから強引に傷付いた倒魔官を担ぎ上げた。利き手である左手は空いた状態で、右腕のみで彼の身体を支えていた。

「行きましょう!」

「ありがとう、藤真!」

 先頭にいる、負傷した倒魔官の相棒が叫んだ。

 そして十人を守りながら、利輝達は進んだ。

 地獄のような光景だった。

 建物のあちこちに火がつけられ、燃えていた。敷地内を警備していた倒魔官達と敵が戦っている。それを避けながら、廊下や庭を走り抜けた。敵の術人のピクリとも動かなない身体が転がっているところもあった。

 敵に襲われる時もあった。利輝達も十人を守る為に、相手の命に関してはもう配慮していられなくなっていた。やってくる敵をひたすら切り伏せ、自分達も傷付けられながら進んでいく。途中で、敵の相手をしてあの場に残っていた倒魔官が追いついて合流した。即席のこの部隊の隊長とも言える彼は、再び先頭を走り出す。

 もう少しで西門に辿り着く、という所まで来ていた。先頭は三人、人を背負っている藤真を真ん中あたりに配置し、利輝は最後尾を守りながら駆けていた。目の前には輝政がおり、その先は少し空間が空いている。

 利輝はふと危険を感じ、輝政の腕を掴んで後ろに引っ張った。そこを、根元が燃えた柱がドオッと轟音を立てて横倒れになる。

 藤真が振り返った。

「利輝!」

「先に行け!」

「後ろだ!」

 ハッと後ろを振り向くと、三人ほどの術人がぼうっと刀を構えて立っていた。皆、ギラギラとしながらもどこか虚ろな目をしている。

「今そっちに行くから!」

 藤真の声が聞こえる。利輝は怒鳴った。

「馬鹿言うな! 先輩を背負っている上に、藤真は残りの九人を守らなければいけないだろう!」

「でも!」

「私は一人でも大丈夫だ! 何とかできる!」

「また何でも一人でやろうと……!」

 藤真の苛立った声が微かに耳に届いた。彼がそんな声を出すのを、利輝は初めて聞いた。

「藤真、進め!」

 遠くで、先頭の倒魔官の指示が飛んでいるのが聞こえた。

「絶対に無事でいてよ!」

 藤真が悔しそうな声で叫ぶ。足音が遠ざかっていった。

「……さて」

 利輝は後ろに庇った輝政に言った。

「すみませんね、お祖父様。思い切り前に突き飛ばしておけば、あれに合流できたでしょう。あ、でもやっぱり駄目ですね。お祖父様はもうお歳ですから、受け身が取れなくて骨折でもしたら大変」

 ははは、と輝政が笑う。

「そんなやわな身体ではないわ」

 敵が輝政を目掛けて飛びかかってくる。利輝はそれを防いで、相手を蹴り飛ばした。敵が後ろに吹っ飛ぶ。次から次へと襲い掛かってくる敵から輝政を庇いつつ、相手に致命傷を与える事は思ったよりも難しい。利輝は手こずり、徐々に傷が増えていった。

 ちらりと倒れた柱を確認すると、倒れた根元から火が横に燃え広がり、炎の壁のようになっていた。

「苦労しておるな、利輝」

 輝政は涼しい顔で言った。

「ええ、誰かさん達が罠を仕掛けたせいでね!」

「これが最善の方法だ」

「そりゃあ、あなた方は守られるからいいでしょうけど!」

 刀を受けて、力を込めて弾き飛ばす。追って胸を刺そうとしたが、飛びずさって逃げられた。

「現場はこうやって大変な思いをするんですよ!」

 輝政に伸びた刀を、間一髪で防ぐ。敵が舌打ちをした。

 敵の動きが一度大人しくなる。三対一で、睨み合いが続いた。流石に輝政を庇いながら三人を相手にしていると、体力の消耗が激しい。利輝は荒い息を何とか整えようとした。

「利輝よ、一度試してはみないか」

 輝政が囁いてきた。

「三人相手だと苦労するだろう。あやつらに霊力を与えながら強く願えばいい。自分の思い通りに動け、と」

 冬の終わりの面会の時に聞いた、衝撃的な話を思い出した。人間は術人を、霊力によって操る事ができる。

 利輝は即答した。

「いいえ、やりません」

「何故だ」

「お祖父様がそれをお望みだからです。私の力を苑条家に利用する事ができるか、試したいのでしょう?」

 三人が一斉に飛びかかってくる。一番早くに近付いた術人を蹴り飛ばし、残りの二人の刀を受け止め、上手くその力を流して相手が体勢を崩したところで切りつけた。敵が飛びのく。致命傷を与える事は出来なかったようだ。

 利輝は不敵に笑った。

「私を人間に肩入れさせて利用する実験は失敗ですよ、お祖父様!」

「人間にも術人にもなれぬ、出来損ないが」

 輝政がつまらなそうに言った。

 相手の猛攻が再び始まった。戦いながら、利輝は大声で言う。

「人間と術人の争いなど、私から見れば実にくだらない事ですよ。それが原因で村が二つに分かれたり、こんな戦いが起きたり。実に馬鹿馬鹿しい!」

「だが、お前には関係がない事なのだろう? お前は昔からそういった事に無関心だった」

「ええ!」

 向かってきた一人を突き飛ばすと、後ろにいたもう一人の敵にぶつかって、二人はどうっと倒れた。

「以前の私はそうだった! だって私は、人間でも術人でも無い、中途半端な存在なのだから! 争う事など全く理解が出来ないし、理解できないから孤独を感じてしまうし、自分には関係ないと思うようにしていた」

 二人が転がっている間に、一人を切りつける。大分傷つけられているとは思うが、まだ決定的な一撃を与えられていない。敵が後ろに飛びのく前に、利輝の腕を切りつけた。ぐっと喉の奥が鳴る。血が噴き出した。深めの傷だ。だが、利き手ではないだけましだろう。

 まだ戦える。

「でも今は違う!」

 利輝は叫ぶ。痛みを堪えながら。

「混種として生まれてきて約十九年、私はようやく今回の事で自分がやるべき事、進むべき道を見つけた! 私は人間でもなければ術人でもない。その狭間に存在する者!」

 人は、どう生まれたかではなくどう生きるかが大事。そうなのでしょう、母上。利輝は亡き母に確認する。

 利輝は自分が何をなすべきかを見つけた。

「だから人間と術人の争いは、混種である私が裁定します!」

 血だらけの利輝の叫びに、一瞬敵が止まり、炎が燃え盛る音さえ静まり返った。

 静寂を破ったのは、輝政の笑い声だった。

「随分と傲慢な事を言うではないか、利輝!」

「傲慢で結構です! 人間と術人の争いなんていうあんなにくだらない事で、人が傷付くのを見るのは嫌なんだ!」

 厳柳が政府上層部の人間を敵視し、排除しようとした事で今回、どれほど多くの人間と術人が傷付いただろう。

 こんな事はあってはならないと思った。ならば対立する双方のそのどちらでもない混種の利輝が、それを裁定し、やめさせよう。それで傷つく人を減らせるのならば、どれだけ傲慢だと罵られてもいい。

「……愚かで哀れだな、お前は」

 ふと、優しげな囁きが聞こえた。驚いて、利輝は輝政の顔を見ようとした。だが、敵の奥から、更に三人の術人が走って来るのが見えてそれは叶わなかった。まだ残っていたのか、と利輝は唇を噛んだ。気絶でもしていた敵が、追いついてきたのかもしれない。

 これで六対一になってしまう。更に、腕の傷が予想以上に深いようで、利輝の術人のような回復能力をもってしてもなかなか血が止まらず、目の奥がふらふらとしてきた。利輝と輝政の後ろには炎の壁。だが、向こう側までは恐らく柱の幅の距離しかない。

 決断は一瞬だった。

「お祖父様、柱を乗り越えてください」

 利輝は早口で言った。

「炎の中を行けと?」

 輝政は面白がっている声だった。

「炎の中を進まなければいけない時間は恐らく一瞬です。乗り越えたら、西門まで走り抜けてください。きっともうすぐですから。私はここで彼らの相手をするので、そこまでお守りできません。申し訳ございません」

 じり、と敵が身じろぎする。

「行ってください!」

 利輝が鋭く叫ぶと同時に、輝政が躊躇いなく炎の中に飛び込んだ。後を追おうとする敵の前に、利輝は立ちふさがる。願わくは炎の先に敵がいませんように、と思った。個人的には憎しみがある祖父だが、今死なれてはこの国にとっての打撃になる立場にある事は理解している。

 六人を相手に、何としてでも持ちこたえなければならない。

 飛び掛かってくる相手を切りつけ、攻撃を受け止め、流し、蹴り、薙ぐ。全反射神経を使って対応し、敵を進ませないように妨害する。だが、持ちこたえている時間に比例して切りつけられて傷が増えていく。あちこちから血が流れ出し、痛みで歯を食いしばった。

 これは少し無謀だったかな、と利輝は顔を歪めて笑った。


          *


 九人を誘導し、倒魔官を担ぎながら無事に西門に転がり出た藤真は、息を整える間もなく一人の術人の倒魔官と一緒に敷地内へ戻った。

「苑条君は大丈夫だろうか……」

 不安を滲ませた声で倒魔官が言った。

「不吉な事を言わないでください」

 感情を制御できず、ついとげとげとした声が出た。すまない、と謝られて、ハッとして「すみません」と藤真も謝る。

 よく、一人で戦おうとする利輝。そして実際に戦えてしまう、強い彼女。そんな利輝に、相棒として認められたいと思っていた。信頼し、信頼される相棒になりたいと考えていた。

 だから、こんな所で倒れられては困るのだ。

 柱が倒れ、別れた所に近付いてくると、利輝の叫び声が聞こえた。

「私は人間でもなければ術人でもない。その狭間に存在する者!だから人間と術人の争いは、混種である私が裁定します!」

 藤真は思わず息を呑んだ。

 凛とした、通る声で発せられた宣言。

 そのあまりに気高い響きに、魂が震えるような感覚がした。

 自分を中途半端な存在だと言っていた彼女が、何かを見つけたのだ。藤真の胸の奥が、かーっと熱くなっていく。訳も分からず、息が苦しくなる。

『お前が仕えるに相応しい真っ直ぐな素晴らしい主に出逢ってね』

 何故か、らんの言葉がよみがえった。

 ガツンと殴られた後のように頭がふわふわとしながら、藤真は倒魔官と二人で柱のところまで来た。横たわった柱が燃えて、炎の壁となっている。

 どうしようか、と二人が顔を見合わせた時だった。

 炎の奥から、人が飛び出てきた。輝政だ。けほ、と彼は一つ咳き込む。着物の裾などに付いた火の粉を、藤真と倒魔官で慌てて払った。

「おお、迎えがあるとは」

 輝政が感心したように言った。

「苑条輝政様ですね」

 倒魔官が確認する。ああ、と輝政は厳かに頷いた。

「西門までご案内します。どうぞ」

 先導する倒魔官について行こうとした輝政が、藤真を見た。

「奥にいる倒魔官を助けてやっておくれ。あれは無謀でな、一人で六人もの相手をしようとしておるのだ」

 藤真は唖然とした。

 六対一。それはあまりにも無茶で、危険だ。

 倒魔官と輝政が去って行くのをちらりと見てから、藤真は覚悟を決めて炎の中に飛び込んだ。

 激しい熱さが舐めるように肌を撫でたと思うと、一瞬で散った。服などをはたきながら閉じていた瞼を持ち上げ、藤真は目を剥いた。

 利輝が四人の刀を、器用に一人で受け止めていた。一人は地面に転がり、上体を起こそうとしている。そしてもう一人は――今にも利輝に切りかかろうとしていた。利輝の刀は四人の攻撃を受け止めている。彼女があの術人の刀を防ぐことは不可能だ。

 藤真は思い切り地面を蹴った。ぐんと視界が後ろに流れて、一気に間合いを詰める。そこで初めて藤真の存在に気付いた術人が、驚愕の表情に変わる。藤真は刀を抜き、彼の胸を突いた。利輝が驚いたように「藤真!」と短く叫んだ。心底驚いたといわんばかりの彼女の表情は、普段よりもずっと幼く頼りなさげに見えた。

 刀を引き抜くと、術人の身体がドッと倒れた。地面に血が広がる。起き上がってはこない。

 先程上体を起こそうとしていた敵が、低い位置から突き上げるように攻撃してくる。藤真はそれを受け止めてから後ろに流し、体勢が崩れた相手がつんのめるように藤真の横に転ぶのを、背中から刀を突き刺した。それを引き抜くと同時に、敵が地面にうつ伏せに倒れる。利輝が四人の刀を力技で跳ね返し、距離をとる。藤真もその横に並んだ。

 四対二で、向かい合う。

「来てくれたのか……」

「うん、来たよ」

「お祖父様は……」

「先輩が西門に誘導している」

「そうか」

 利輝が安堵したような表情になる。

「あと外に出ていないのは俺達だけだ。早く終わらせて、帰ろう。燃えた建物が崩れでもしたら大変だ」

「そうだな」

 敵の、ギラギラとこちらを狙う目はもはや正気を失っている。気絶させて運ぶ、などという甘い事はもう無理だと二人とも理解していた。確実に仕留めないと、こちらがやられてしまう。

「本当に嫌な事になったね」

「全くだ」

 利輝が呟いた。その声には、微かに悲しさが混じっていた。

 敵が二人ずつ襲い掛かってきた。藤真は一人の刀を避けてもう一人の刀を受けた。同じように動いた利輝が、刀を受けている敵の胴体を蹴り飛ばして、攻撃を避けた方の敵が近づいてきたところを不意打ちで切る。藤真は相手を押し返して、素早く敵の喉を突いた。引き抜くと相手が倒れたかどうかは確認せず、素早く移動して利輝の顔の横に刀を突き出した。ほぼ彼女に抱きつくような形だ。彼女の背後にいた敵の顔を、藤真の刀が貫通していた。利輝は挟まれるようになった敵と藤真の身体の隙間から抜け出し、最後に残った敵を討った。

「二人だと呆気ないな」

 利輝が少し呆然としたように言った。呼吸は荒く、身体も傷だらけだ。かなり消耗しているようだった。

 離れた場所で、建物が崩れる音がした。

「まずいね。帰ろう」

「ああ」

 二人は炎の壁を飛び越え、火の粉をはたき、それからふらふらと西門に向かって走った。だんだんと速度が落ちて行く利輝の腕を掴み、藤真は引っ張って進んだ。

 人を抱えならがら敵を倒し、その疲れを取る間もなく炎の中を戻って再び戦闘をした藤真も、そろそろ限界が近付いている。止まりそうになる脚に内心で叱咤激励をしながら、利輝を連れて藤真は走り続けた。

 そしてついに、二人は門の外に転がり出た。

「あっ、戻ってきた!」

 菊鶴の歓喜の声が聞こえる。笑顔を浮かべた倒魔官達が、走り寄ってきた。

 それを確認したところで、藤真は利輝を道連れにして地面に倒れ込んだ。


          *


 隣に座る藤真が、また申し訳無さそうに言った。

「本当にごめん」

「別にいい」

「でも……」

「くどい」

 疲れた声でぴしゃりと言うと、ようやく藤真が謝る事をやめた。

 藤真に腕を引っ張られながら門の外に出た時、彼が倒れた為に利輝も引っ張られて一緒に転び、地面に額と鼻を思い切り擦ったのだ。面を付けていた右半分は無事だったが、肌が出ている左側の顔は擦り傷がついて赤くなっている。

「私は人間じゃない、混種なんだ。術人の回復能力でどうせすぐに治る。それに倒魔官に傷はつきものだ」

「そうなんだろうけどさ……でもやっぱり綺麗な肌なのに」

 その言葉に、ぞわりと肌が粟立った。今は傷だらけとはいえ顔の綺麗な男に心配されると、ぞっとする。虎吉は別だ。

「もう本当に気にしないでほしい。頼むから」

 利輝は弱々しく言った。落ち込んだ顔で、藤真が頷いた。

 今は、建物の消火作業などの後処理が行われている。少し前までは警察が来ており、倒魔官に捕まったり炎に追われて外へ出てきた襲撃者達を捕らえる事で忙しそうだった。警察が襲撃者を連れていくと、現場は大分静かになった。

 警備対象者十人は全員軽傷で、誰もがぴんぴんとしていた。彼らは倒魔官達に「ご苦労だった」と満足げに声をかけると、迎えの車で念のための検査をするため病院に向かった。彼らを守るという特別任務を、利輝達は無事達成したのである。

 今回警備任務に就いた二十人も、全員生存していた。しかし無事とは言えず、多かれ少なかれ誰もが傷を負っていた。その中でも軽傷の動ける者が、現在後処理を行っている。一番最後まで敷地内に残り、体力の限界を迎えていた利輝と藤真は、応急手当を施されると絶対に動くなと先輩達から厳命された。なので、燃えている敷地から少し離れた場所にあった大きな木に二人で凭れかかって座っている。

 もぞ、と座り直そうとすると、全身が悲鳴を上げたように痛み、利輝は顔を顰めた。西門と東門を走り回って状況を見ていた菊鶴曰く、倒魔官の中で一番重傷なのは利輝だったらしい。六人の敵を相手に一人で戦ったという話がどこからか菊鶴に伝わっており、「あんまり無茶して藤真君を心配させちゃ駄目だよ」と怒られ、額と鼻の擦り傷で盛大に笑われた。

「春に利輝と相棒を組み始めてから、もう三ヶ月以上経ったよね」

 藤真が静かに話し始めた。うん、と相槌を打ち、利輝は遠くで慌ただしく動く仲間達を眺めながら耳を傾ける。

「俺さ、全然信頼されていなかったよね。それに利輝は基本的に一人でやろうとしていて、相棒を必要としていない感じに見えた」

「ああ」

「でも、今回で一人では駄目だって気付いてくれたんじゃないかな」

「……私は、混種だ。だから源魔を見る目も戦う戦闘能力も全て私一人で持っていて、本当は自分には相棒なんか必要ない、一人で出来るとずっと思ってた。でも、藤真の言う通り、今回で痛感した。相棒が助けに来てくれなければ、私はきっと……死んでいた」

 輝政を逃がした後、六人を相手にした時だ。痛みで集中力も切れかけていた。一人を蹴飛ばし、何とか四人の攻撃を一本の刀で受け止める事ができたが、そこで動きが止まってしまった。あと一人、自由に攻撃できる者が残っている。敵が動く気配も感じた。ここまでか、と思った。だが間一髪のところを、藤真が助けに来てくれた。彼の姿を見て胸に湧き上がったのは、今までに感じた事が無い安堵と頼もしさだった。

「ありがとう、藤真」

 ふっと藤真が微笑んだ気配がした。

「今度からは、源魔を相手にする時も、他の仕事をする時も、もう少し頼ってほしいな」

「分かった。そうする」

「良かった」

 藤真の声は、心の底から喜んでいるようだった。その声が本当に嬉しそうだったので、もう少し相棒と距離を縮めるべきなのかな、と思った。単なる仕事仲間ではなく、背中を預けられる相棒として、利輝は藤真にもっと話をするべきなのかもしれない。

 ところでさ、と藤真の声が僅かに沈んだ。

「本当は対魔課じゃなくて、神事局に行きたいって本当なのかい?」

 利輝はバッと藤真の方を向いた。途端に体中が軋み、悶絶しながら言う。

「何故、それを」

「添上さんが勝手に話してきた」

「……あの人は人の事情をぺらぺらと!」

 本当なんだ、と藤真が悲しそうな顔をする。だが利輝が眉を顰めたのを見て、慌てて笑った。

「せっかく本当の相棒になれたと思ったのに、利輝の気持ちが違う方向に向いているならちょっと悲しいなと思ってさ」

「確かにいつかは神事局に行きたいと思っているが、だからといって対魔課の仕事を軽く見ているわけじゃない。倒魔官の仕事も、真剣にやっている。みくびるな」

「そうだね、ごめん」

 藤真は素直に謝った。

「対魔課にいる間は、私はその一員として精一杯働くだけだ。そしてそれは誰にでも言える事。藤真だって、いつかの人事で対魔課を離れる時が来るかもしれない。だがそれまでは、私達は相棒だ。そうだろう?」

「うん、そうだね。その通りだ」

 藤真は微笑んだ。「解決したのなら何よりだ」と利輝は溜息交じりに言った。

「何で神事局に行きたいか聞いてもいい?」

 その質問に、利輝は自然と背筋が伸びた。その瞬間は、痛みも気にならなくなる。

「力が欲しいからだ」

「力?」

「世の中、結局は力ある者が強いんだ。力ある者が歴史を、政治を、他人の人生を好きに動かす。私も、苑条輝政という力がある存在に人生を狂わされてきた。だから私は、そんな者達よりさらに大きな力が欲しい。そして大きな力を持ったら、その力で他の人が自由に生きられるようにしたい。強大な存在に人生を狂わされる人がいなくなるようにしたい」

 上に行けば、今回の輝政達のように多くを助けるために一部を見捨てなければいけないという場面が訪れるかもしれない。利輝がそれに怒ったのは人としては正しいが、上に行く者としては甘い考えなのだ。それでも利輝は、なるべく多くの人を助ける方法を模索しようと思う。一部を見捨てなければいけないという事になる前に対処が出来るくらいに、視野の広い目と大きな力が欲しかった。

「それに新たに、人間と術人の争いをやめさせたいという目標も加わった。上層部で起こる争いを止めたら、今回のように犠牲になる人もきっと減るだろう。これも、力が無いとできない。これらを叶えるためには、まず神事局へ行く必要があるんだ。神領省で出世すれば、国の中心に近付く事ができる。そして、上層部へ行くには神事局に所属しておいた方が出世が早いのが現実。だから神事局へ行きたいんだ」

 そっか、と感嘆したように言う藤真は、目を輝かせていた。利輝、と囁くように呼びかけられ、「何だ」と答える。

「対魔課にいる間は、俺達は相棒だ。でも、もしこの先君が神事局に行き、力を得るために行動していくのであれば、個人的に手伝いをさせてほしい。俺も利輝に力を持ってほしいと思う。君だったらきっと、人が伸び伸びと生きられる世の中を作っていくんだろう」

 真っ直ぐな目でそう言われて、思わず利輝は視線を少し逸らした。

「……私にそんな才能があるかは、やってみないと分からないけどな」

「いいや、利輝ならきっとできる。だからそこに辿り着くまでに、俺を使ってほしい。相棒ではなく、利輝に仕える者として」

 利輝は驚き、逸らした視線を藤真に戻してしまった。

「個人的に、私に仕えるという事か?」

「ああ。苑条家の使用人にしてくれとは言わないけどね。それじゃ駄目かな」

「駄目ではないが……仕えるという立場で良いのか?」

 藤真は即答した。

「それが良いんだ」

 はあ、と利輝は脱力した。

「……変わっているな」

「俺は昔からこんな奴だよ」

 藤真はにこやかだった。その目の奥に、ちらりと危ういものが見える。何かに縋るような、依存的なものだ。だが、利輝の味方になってくれると言うのなら、その危うさも受け入れてみせよう。それが主の役目だ。

 しかし、それは先の話だった。まだしばらくは、彼は相棒だ。利輝はふっと笑った。

「今、初めて藤真の過去が知りたいと思ったよ」

「今度、ゆっくりと話すよ。利輝の話も聞かせてほしい」

「分かったよ」

 今度一緒に昼食にでも行こう。

 そう誘うと、藤真は明るく「了解!」と答えた。

 夏の夕暮れ時、喧騒から少し離れた木の影で、利輝は新たな味方を得たのだった。

第九章でした。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

次で最後です。

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