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色とモチーフは祝福の日に

黄色のタイルに感謝のチョコレートを

作者: キホ☆




 やや喧噪になり始めた、週末の夜。小さなバーだが、満席に近い状態になるのは週末だけという寂しい現実を忘れさせてくれる―――そんな時間だった。そして、俺はこんな夜が嫌いじゃない。


「マスターよぉ、今夜はゲストは無しかあ?」

 カウンター席から俺にそう尋ねたのは、馴染み客だった。既に酔い始めているようで、若干ろれつが怪しかったが、まぁその意味はわかった。

「今に来るさ。週末の夜だ、俺だって歌を楽しみにしてんだ」

 そう告げて、にやっと笑ってみせる。客も目じりを下げ満足げに頷く。ついでに、そのグラスが底を尽きかけているので、酒を勧めてみる。

「そうだ、先週から新しいカクテル出してんだ。あの子たちをイメージして作ってみたから良かったら歌と一緒にどうだい?」

「おぉ、そんなこともしてたのかぁ。んじゃ、一杯頼むよ」

「はいよ」

 そう言って、俺が酒を並べているバックバーに手を伸ばしたところで、店の戸が開いた。いらっしゃい、と声を掛けようと首を回して、入ってきた少女と目があった。

「こんばんは」

「いらっしゃい」

 客に向けて言ういらっしゃい、ではなく、訪ねてきてくれてようこそというニュアンスでそう言った。

 黒い髪をばらつかない程度に自然におろし、左耳の上にはシンプルな銀色の髪飾りで耳が見えるように留めていた。年齢よりは少し大人びたワインレッドのワンショルダーのドレスを着た、まだあどけなさが残る少女―――最近、ここでよく歌ってくれるシンガーの一人だった。

「ちょっと早かったですかね」

 ちらっと壁に掛かった時計を見て、彼女は困ったように曖昧に笑った。

「気にすんなよ。でも歌い始める時刻はいつもと変えたくねぇから、それまで座ってな」

 入口で立ったままもどうかと思ったので、そう言いながら俺はカウンターの一番奥の席を示した。少女は頷いてそこへ座り、礼を述べる。俺は何も言わずに水のグラスを置いた。

「今夜は人、多いですね」

 水を一口含んだ後、素直な感想が聞こえてきた。そこには嫌味や悪気は一切感じない。この子には平日の夜も歌わせてほしいと言われることがあり、つまりはそれに比べていつもよりは人が多いと言っているだけだ。―――繁盛していないことなど、突きつける意図は無い。だが、俺の胸の奥がどこかちくり、と痛んだ。

「緊張するか?」

 それでもやはり、そんな痛みを若い女の子にぶつけるなんて大人としてできることではないので、俺は笑ってそう聞いた。ましてや、この子はとても良い子だ。夢に向かって努力をするその姿には、いつ見ても感動させられる。

 質問に、少女は眉尻を下げたが、笑みを残したまま答えた。

「まぁ、それなりには。でも、たくさんの人に聴いてもらえるならそれはとても嬉しいことですから」

「そうか。ま、お前さんの歌ならきっと気に入ってもらえるさ。気ぃ張りすぎずに頑張んな」

「はい!」

 年相応の笑顔と、元気な返事が俺の気持ちも明るくさせてくれた。俺は少女の前で先ほど頼まれた新しいカクテルを作りながら、適当に話を続けた。注文してくれた馴染み客を確認したところ、隣の客と話こんでるらしく、別に急かされることもなさそうだった。そういえば、と話を変えるように少女は口を開いた。

「オーナー、彼女さんは今夜いらっしゃいます?」

 俺は一瞬だけどきっとしたが、……この子の質問に、焦ることはないと心中もすぐに持ち直す。首を横に振った。

「いいや。今日は来てねぇんだ」

「そうなんですか。ほとんど毎日来てるって前に聞いてたから、もしかしたらまだいるかもと思ったんですけど……残念」

 ―――そう、あいつは確かにほぼ毎日俺に会いに来てくれている。

「まぁ、たまたまな。なんか用でもあったか?」

 胸の内は顔に出ないようにしながら、話を続ける。

「んー……大した用ではないんですけど、ちょっとだけお礼を言いたくて」

「礼?」

 目の前の少女は、あいつとこの店で何度か会ったことはあるはずだが、その時に礼を言われるようなことはあっただろうか?

 俺のそんな疑問を汲み取ったように、彼女はあぁ、と説明を始めた。

「実はこの間、街中で会いまして。その時に最近お店で歌えているか聞かれたんです」

「あぁ……。そういえば最初の頃は、緊張していつもより声が出ないとあいつに漏らしてたか」

 そういう場面は確かに何度かあったような。俺が思い出したように彼女も思い出したのか、苦笑いを浮かべた。

「そうなんですよね。ここはあたしが人前で歌いだしてすぐの頃からお世話になってますし。……まぁそれで、久しぶりに会ったのでそう聞いてくれて、今はほとんど大丈夫だけど、満席や立ち見になるとまだ慣れないと言ったんです」

 確かに最近は、この子が歌う日には観客としての客が増えてきている気もする。週末の夜なんか特に。それはバーとしてもありがたいことなので事前に告知しておくこともあり、そうなると立ち見まで出ちまうことも過去数回あった。歌うことが好きで、もちろんシンガーとして食っていくことを夢に頑張っているし、それ自体はとても良い傾向だろう。だが、本人は大勢の観客を前に、というのはまだ慣れないというのが本音らしかった。それを、あいつにも言ったということだ。

「そしたら、言ってくれたんです。『いつも何か同じ景色があれば少しは落ち着かない?そういうものが毎回あるという安心感があれば、どんなに大勢の前でもきっと歌えるわよ』って。それで、そのために歌う場所から見える位置に何か用意しておくと約束してくれたんです」

 少女はそこまで言ってから、普段自分が歌う場所から正反対に位置する壁へと視線を移した。俺も、作業する手を止めて同じように目を向けた。……壁の、男の背丈よりも天井に近い位置。

「あ……」

「はい。そしたら、今夜あれがあるから、お礼言わなきゃって思って」

 彼女は嬉しそうに、壁に掛かった四枚のタイルを見つめる。

 市松模様に並べられた、男の拳サイズの正方形のタイルが四枚。二枚は白地に銀色の葉が四枚重ねられたデザインで、もう二枚は黄色単色のタイル。上品なタイルと明るいだけの安っぽささえ感じられるタイルの組み合わせは、普通なら考えないものだ。……だが、とてもあいつらしいと思った。

「不思議ですね……合わなさそうな種類なのに、どこか調和していて、不細工じゃない―――あたしは、すごく気に入りました」

「あいつはプロだからな」

「タイルの輸入と販売、でしたっけ」

「あぁ。あいつはその過程で家具や雑貨にタイルはめ込んでオリジナル商品を作るんだ」

 腕は悪くないだろう。だから、風変わりなデザイナーとして名も売れ出している。……家族もそりゃ、実家残ってほしいと思うわけだ。

 俺の胸は、またどこかで痛みだす。


 生家がタイルで商いをしており、そこそこ良い階級を相手にできるほどは大きな店だ。そして、そんな家のデザイナーをしている娘が、繁盛していないバーを営む男とつき合っている。結婚を望まれないのは目に見えている。……俺も、あいつも、それをわかって今まで一緒にいたはずだ。


「そうだったんですか。あたし、あれを見て歌うの楽しみです。黄色って元気をもらえる色ですよね」

 深く考えそうになって、少女の純粋な声に意識を引き戻す。

「そう、だな……」

「オーナー?」

 怪訝そうに俺に視線を戻した彼女を心配させないように、慌てて繕う。

「いや、あいつが黄色好きだからよ。たぶん、それで」

「へぇ、いいですね!本当によく知ってるんですね、お互いのこと」

「まぁ……共有した時間が長いと、自然に」

「素敵じゃないですか」

 カウンターに座る、純朴な少女はそう言って微笑んだ。年齢的には、こういう反応が当たり前だろう。……そんな風に言えることが、羨ましいと思ってしまう自分は、いつの間にこんなに年を喰ってしまったんだろう。


 あいつの家族から、俺は嫌われていない。いつ訪ねても迷惑そうな顔されたこともないし、親父さんと酒を一緒に飲んでもいつも楽しい時間を過ごせる。あいつ自身からも、好かれているらしいと伝えられている。だが、結婚だけはおそらく許されていない。何度も言われているのだ。―――我が家に来ないか、と。

 それは、至極妥当なことだとは思う。あいつの家の方がずっと商売としてはうまくいっていて、それに比べて俺は続けるのがやっとなバーを手放さない。俺自身は気に入ってくれている。でも大切な娘を、食わせきれるのかやっとの所へ嫁がせることはできない。ならば、婿として俺を迎えたい。それは、親としては当然だ。

 このバーを閉めるなんて……、俺には無理だ。だけど、愛しているあいつのためにも、そろそろ決めなければいけない。結婚を押し通すか、俺が店を畳んであいつの家に入れてもらうか。時間は有限で、まだまだ若いと見栄を張れない年齢になってしまった俺たちだ。―――わかっては、いるんだ。


 今まで何度も繰り返してきた思考がまたもや脳に浮かぶ。のろのろと作っていた淡いピンクのカクテルが完成する。外面だけは明るく、注文してくれた客の前に置いた。

 ふと、店内を見た。カウンター席が七つに二人掛けのテーブル席が三組、すぐに全体を捉えられる。とても小さな、俺の大切な場所。今夜はカウンター二席を残してすべての席に客の姿があった。酔いの程度はそれぞれだが、みんなどこか安心したように過ごしていた。笑い話をする者、額を突き合わせて話す者、一人でグラスを眺める者―――その姿はさまざまだが、みんなこの場所があることへの安堵がある。そう感じていた。それを眺めるのが、俺はたまらなく好きだった。

「オーナー、ちょっと」

「ん?どうした」

 少女が俺を手招く。そろそろ予定時刻にもなるはずだ。そのことだろうと思って近づくと、彼女はカウンターの上に何か置いた。

「これは?」

 片手に収まる四つの丸い包み。コロンとしたそれらは、茶色の薄紙で覆われたままカウンターの上で自由に転がっていた。

「チョコレート。今持ってるのこれくらいなんで、大したことないんですけど。彼女さんと、それからオーナーへのお礼です」

「俺にも?」

 あいつへは、さっきの話の通りだろう。だが俺は、何もした覚えがない……、と首をかしげると少女は声を上げて笑った。

「やだなぁ、いつもお世話になってるじゃないですか。これくらい受け取ってくださいよ」

「!」

 驚きを隠せない俺に、彼女は気にせず続けた。

「……あたし、ちょっと前に同い年のシンガーの子にパトロンがついたって知って、かなり落ち込んだんです。それこそ、歌うのやめて田舎に帰ろうかって思うくらい」

「そんなこと―――」

「あ、今は気にしてないですよ、大丈夫。……でも、そのときこうやってお店で歌わせてくれる人たちへの感謝、ちゃんと表してないかもとか思っちゃったんです。だから、機会さえあればこうやってちっちゃい感謝を積み重ねていこうって。……いつもありがとうございます、オーナー」

 ―――若い彼女のパッションは、なんてすごいんだろう、と。ある意味で感動してしまった。若さゆえの無謀、と言われても諦めない姿勢。前を向き続ける少女は、……俺が失ってしまったものを持っている。やはり、とても眩しい。

「あ、じゃあそろそろなんであたしは準備始めますね」

 俺が思ってることなんて露知らず、若いシンガーは自分のステージを整えるために席を立った。


 俺がバーを続ける理由はこれで充分なんじゃないか―――。そう思えてならなかった。客が安心できる場所。感謝される場所。そして、夢を応援できる場所だ。それを形にしているのが、このバーなのだ。


 少女は壁際に並べられた椅子にカバンを置いてから、定位置に立って、舞台からの眺めを目に焼き付けていた。彼女なりの、集中するための術なのだと以前教えられたことがある。そして少女は向かいの壁の一点を見て、ふっと落ち着いた笑みを浮かべた。俺自身もはっとする。……タイルがあるのだ。元気をもらえると言っていた。もしかすると今まさに元気をもらったのかもしれない。


 あいつは、どんな思いであのタイルを飾ったのだろう。なんてことないように、ここに飾っていい?と尋ね、俺の返事も待たずに勝手に付けてしまった。殺風景な壁なままもどうかと思ったので、そのままにしていたが……。

 昨日、喧嘩してしまったことを思い出す。ほぼ毎日ここにやって来るあいつが今日来なかったのは、喧嘩が原因だろう。―――俺が、店畳もうか、なんて一瞬でも口にしてしまったことを、あいつは怒った。お前のためでもあると投げやると、泣いて喚いて最後には大馬鹿と残して出て行ってしまった。


「……確かに俺は大馬鹿だな」

 ぽつりと零れた。

「あ?おい、マスター、なんか言ったかい?」

「独り言だよ。それより、歌が始まるぞ。待ってたんだろ」

「おぉ、やっとかい!そりゃあ楽しみだ」

 カクテルを飲む客を見る。この親父も、もう何年も通ってくれているな、と思う。

 

 俺は、こういう些細なことの積み重ねが好きだ。店を続けて良かったとつくづく感じられる。

 ―――それを自ら蔑ろにしようとした。そりゃ、あいつは怒るわな。なんせ、俺のことはよーく知ってる女だ。俺の愛する日常を知り、俺らしく生きることを望んでくれる女。

 そんなあいつのためだと店を捨てることは、ただの逃げだと言われても仕方がない。結婚をしても楽な暮らしをさせてやれないだろう自分への、八つ当たりだ。


 少女が座っていたカウンターに残るチョコレートを眺めた。四つの包みは、相変わらず丸っこいが、もう転がっていなかった。好き勝手散らばる様子が、悪くないと思える。

 ―――あいつに会いに行こう。このチョコレートを持って、お前の好きな色で元気になれると言った少女から預かったと渡そう。そして、二人で食べよう。それから……将来のことを、話す。俺はこのバーを閉める気はない。楽な暮らしもないだろう。だが、それでも―――それでも、愛しているから、ちゃんと結婚したいと。俺の傍にいてほしいと伝えるべきだ。


 また、バーの戸が開いた。

「いらっしゃい」

 俺は考えを断ち切り、すぐに歓迎の意を述べた。もう、答えは出た。これ以上迷う必要なんてない。

「どうも」

「お客さん、初めてみる顔じゃねぇか。さ、こっちに座りなよ」

 小さい店だ。こうして客が新顔かどうかわかるのも、この小ささなりの利点だと思う。カウンターへ座った栗色の巻き髪を持つ男は、優しそうだが、こういった場にも慣れているように見えた。

「何にする?」

「じゃあ……何か、おすすめを。実は、酒よりも歌が目的でね」

「その口か。それなら、ちょうど良いのがある。待ってな」

 先ほども作ったばかりのカクテルを用意し始めて、合間に男を見る。その視線は、ちょうど歌い始めたシンガーを見つめていて―――、微笑みを浮かべて眺めるその姿に、内心俺も嬉しかったことはあとであいつにも伝えようと思った。







友達の誕生日プレゼントです。

お誕生日おめでとう!素敵な一年になりますように。

これからもよろしくね!


2018/02/07 キホ☆。

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