兄さんと
「懐かしいことを思い出したもんだ。……あ、そうだ。昨夜出来たばかりの新作を動かしてみないと。」
自分の部屋に向かっていると、廊下で仕事をしているはずの兄がなにか見ながら立っていた。
……あぁ、あれは確かずっと昔に魔軍をたった1人で殲滅したっていう英雄が、死ぬ直前に残した言葉を刻んだ石碑…だったか?
「兄さん?」
「うわぁ!!」
予想以上にいい反応をした兄が可笑しくて、つい笑ってしまう。
「何してんの?仕事やってたんじゃなかったっけ?まさか……サボり!?」
「違うって!ちゃんとした休憩中!たまたまこの石碑に目がいってさ。」
「『人が失うことを恐れた時、誰よりも強くそして、誰よりも弱くなる』か。何を失う時なんだろうな。」
この文には不可解な点が多すぎる。そもそも、どうして強くなったり、弱くなったりするのか。一度は考えたが、頭が痛くなったので諦めた。
「レンは、この文についてそんなに考えたことないんだったか。」
「まぁね。よく分からないし。」
そう言い放った俺を見て、兄は何が面白かったのかクスクスと笑った。
「相変わらずだなぁ。……俺はね、よく考えるよ。自分にとって失いたくないものは何だろうって。多分それは、俺の弱点になるだろうから。」
「弱点?」
首をかしげる俺に、兄は続けて言った。
「だってそうだろ?失いたくないもののために、人は必死になって『強く』なる。でも、それを相手に握られたらこちらは何も出来ない……取り返しのつかないことになるかもしれない。だから『弱く』なる。」
「なるほどなぁ……」
自分では想像もできなかった答えに、俺は納得するしかなかった。
「じゃあ、結局兄さんの失いたくないものって何なんだ?」
「今、弱点になるって話をした所だぞ……普通このタイミングで聞くか?」
呆れた顔でいる兄の答えを待つ。
兄はとても立派で尊敬する兄だが、ふとした瞬間に遠い存在のように感じてしまう時がある。何故なのかは分からないが。
弱点を知れば、もっと兄の近くにいけるのかもしれない。そう思って俺は、期待を胸に兄の言葉を待った。
「んー……そうだなぁ…国が一番…かなぁ?」
「……本当に?」
「ホントホント」
嘘だ。目が泳いでる。
本当のことを教えてもらえなかったことはショックだったが、無理やり聞いてもダメなのだろう。
寂しいとか思ってない。これっぽっちも思ってない。
「……まだ、選べないんだ。」
「え?」
兄が何か言った気がしたが、よく聞こえなかったし、何でもないとはぐらかされてしまった。
「そんな事より、レンはどうなんだよ。失いたくないものはないのか?」
「えっとー、それは……」
兄を見る。国王としてみんなの前に立つ時とは違う、子どものようにキラキラした目。俺が赤ん坊の時から変わらず、ずっと傍にいた……
「――っ!兄さんが言わなかったんだから、俺が言うわけないだろ!絶対言わない!というか兄さんだけは死んでも言わない!」
「はぁ!?何で!?」
「何でも!!ほら、まだ仕事残ってるんだろ?早く行けって!」
俺だって立派な男だ。いわば思春期真っ盛りなんだから、素直になんてなれない。
そんなこと言えない、言えるわけがない。
俺はグズグズしている兄を置いて、自分の部屋に向かった。後ろから「おーい」とか、「扱いひどいぞー」とか聞こえるが気にしない。
やる事をさっさと終わらせてしまおう。