終話「生きる理由」
私は一真君と一緒に、あの崖の場所へと来ていた。あの日と同じように天気はとてもいい。
「ここに来るのも、久しぶりな気がしますね」
私は一真君の方を振り向いてそう言った。
「そうだな。確か、二週間ぶりになるのか?」
海の方を見て彼がそう答える。
彼が言った二週間、というのは私が不登校になってから初めて教室に行った日から数えてのことだ。少しだけ心が変わってからの学校、というのは以前よりも大変だったような気がする。
まずは、最初から予想していたけど、私に悪口を言ってくるような人たちがいた。一真君に比べたら見当違いなことばかり言ってたから言葉自体は気にならなかった。けど、うるさい、とは思った。
だから、一真君へと言い返す時みたいに適当な言葉を返してあげた。そうすると、私に悪口を言っていた人たちは一瞬だけ呆然としたようになって、それから、更に悪口を言ってきた。いや、あれは罵倒の域だったのかな?
とりあえず、更にうるさくなってしまった。こういうのを火に油を注ぐ、というんだろうか、と少し関係ないことを考えていると、一真君が間に割って入って、私に悪口を言ってきていた人たちを睨んで黙らせた。そのあと、私は、約束を破りましたね?、と言って追い払おうとした。
当然ながら、彼が何かを言い返してこない、ということはない。そして、その言い返された言葉に私が何も言い返さない、ということもない。よって、私と彼は言い合いを始めてしまう。たぶん、私に悪口を言ってきた人に言い返す時以上には力が入ってたと思う。
そのまま、授業が始まって教室に入ってきた先生が私たちを止めようとしたけど、私と彼とで怒鳴ってしまった。
まあ、でも、私と彼がお互いに落ち着いてから先生には謝った。さすがに、言い合っている間に入ってきた人が悪い、とか言えるほど傲慢でもないし。
そういうことが二、三回あった。それ以後は私に悪口を言ってくるような人がいなくなったから彼が助けに入ってくることもなくなった。
悪口を言う人がいなくなった一因は私たちが悪口を言ってきた人たちを無視して言い合いをしていたからだと思う。それだけではないと思うけど、それ以外の理由は思い浮かばない。
それから、二週間近く学校を休んでいた反動とかもあった。とにかく、自由に動くことができない、というのがとても辛かった。
何度か休み時間の間に逃げ出そうかとも思ったけど、その度に彼に目ざとくその姿を見つけられ捕まってしまった。
必死に彼から逃げ出そうとはしたけど、力と体力の差で私はすぐに消耗してしまって彼に教室に連れ戻されてしまった。
まあ、最近は彼から逃げるのはあきらめて仕方なく授業に出ている。やる気がなくて窓の外を眺めてることが多いけど。彼にそれを咎められたことはなかった。
彼が動く判断基準はよくわからない。それは、今でも同じだ。
あと、一番私を疲れさせたのは麻莉さんだった。
いつも、ではないけど、二日に一回くらい私に抱きついてこようとする。しかも、時々不意打ちで来るから捕まってしまうことが何度かあった。
その度に私は必死で抵抗して麻莉さんから逃げ出した。あの人をどうにかすることはできないんだろうか、と何度も本気で考えた。
これらがあの日からあったことの一部だ。これら以外にも起こることがあったにはあったけど、特に変わったこともなかったことだったから思い出すようなことはしない。
「……千智はなんで、またここに来たいと思ったんだ?」
ここ二週間のことを思い出していると彼が話しかけてきた。今まで話しかけてくるのに間があったのは彼も私と同じようなことを思い出したりしていたからなんだろうか。そうだと、少しだけ嬉しい。
「なんとなくですよ。特に、深い理由なんてないですよ」
「ふーん、そうか」
彼は特に気にした様子もなくそういう。
本当は理由がないなんていうのは嘘だった。私は一真君にあることを伝えたくてここに来たのだ。
前は彼にはっきりとは伝えられなかった、それを伝えようと思っているのだ。
やっと、私は彼への気持に自信を持てるようになった。それと同時に生きる理由も見つけた。
それらに気がついたのは一週間くらい前だった。今まで伝えよう伝えようとは思ってたんだけど気恥ずかしさとか、そういうものを感じてなかなか伝えられなかった。
今まで一度も感じたことのないような感情だから制御の仕方もわからない。だからだと思う、気恥かしさ、なんていう煩わしいものを感じるのは。
私は今までここに来た時のように崖の端っこに腰を下ろす。
「そんなとこ座ると危ないぞ」
彼が私のことを見下ろしながら言う。
「大丈夫ですよ。ここに座るのは慣れてますから」
私は彼に向けてそう言う。最近気がついたんだけど、一真君は結構心配性みたいだ。なんだかんだで私のことを心配してくれてる。というか、今まで私が気がつかなさ過ぎていたような気がするけど。
彼が、無言で私の隣に腰掛ける。肩が触れるか触れないかの距離だ。
こうやって、彼に触れたり、話をしたりするのは全然平気なのに、自分の気持ちを伝えることだけはできない。
「あの……」
「ん?なんだ?」
私は頑張って彼に私の伝えたいことを伝えようとしてみる。だけど、彼が返事をして、私の方を見てきた途端にその意思は追いやられてしまう。
だからといって、このまま何も言わないままでいるわけにもいかない。とにかく、何か、話題を探さないと。
そう思った途端に、私は彼に関するある一つのことを思い出した。
「あの、答えたくなければ答えてもらわなくて構いません。ひとつ、聞いてもいいですか?」
「ああ。……というか、お前がそうやって切り出してくるのは珍しいな」
「それって、どいうことですか」
「お前が言いたいことばかり言ってるってことだよ」
「私、そんなに言いたいことばかり言ってますか?」
首を傾げる。一真君に言われたようなことは今まで感じたことがなかった。
でも、言われてみれば一真君の言うとおりだったかもしれない。相手のこととか考えて発言したことは今までほとんどなかったから。
「ああ、言ってる。それで?俺に聞きたいこと、っていうのはなんだ?」
私の言葉に頷く。それから、私の話の先を促す。
「それは、……一真君がどうして死のうと思ったか、です」
少し躊躇して、言葉にした。
「……そういうことを聞いてくるのも珍しいな」
一真君は露骨に驚いたような表情を浮かべている。私の予想していなかった彼の表情に私が困惑してしまう。
「お前がこういう踏み込んだことを聞いてくるとは思ってなかったんだよ」
私が困惑しているのに気がついたのか彼が驚いた理由を説明してくれる。
いや、私はそれが聞きたいわけじゃない。先ほどのが私らしくない質問だったとは自覚している。
だから、私が困惑しているのは彼がどうして驚いているのかがわからないからではない。
あまり感情を表に出すことなく平然とした様子で答えるものだと思っていた。答えてくれるにしても、答えてくれないにしても。
「いや、そんなことはどうでもいいか。で、俺が死のうと思った理由か?」
「は、はい」
私は頷く。少し物思いに耽りそうになっていた所で彼に話しかけられたので少し驚いた。
「そうだな。お前と似たようなもんだな。生きてる理由が見つからなくて、でも、お前と違って俺は少し絶望してた」
今の彼は私のことを見ていない。海の向こうを、空の向こうを、どこか遠くを見ている。それは、過去という既に過ぎ去ってしまったものなんだろうか。
「こういう眼の色をしていていじめられたりしてた。まあ、それは適当にあしらってやってたんだけどな。それでも、面倒なものは面倒だった」
いじめられていた、というのは少し私も想像はしていた。彼の青い瞳は正面から相対した時には目立ちすぎるから。
「それで、そんな感じで学校を過ごして、あるとき、俺の両親が交通事故で死んだんだ。父さんは即死だった。母さんは病院に運ばれて、治療が終わって数日経っても目が覚めなくて結局そのまま死んだ」
そう言っている彼の顔は無表情だった。
「母さんが死んでからだよ。俺が生きてる理由を持ってないことに気付いて、生きていることに絶望をしたのは。俺の父さんと母さんの死を受け入れることも、それから逃げることもできなかったんだ。だから、俺は死のうと思った。姉さんと一緒にこっちに引っ越ししてきて、見つけたこの場所でな」
私は彼から視線をそらして、彼が見つめている方を見る。
そこに広がっているのは太陽で輝く青い海と、雲一つ見えない青い空。私が死ぬ時として選んだ絶好の景色だ。太陽も真上に浮かんでいる。
でも、彼もきっとそうであるように、私も死のうという気持ちはない。
「まあ、でも、不覚にもこの場所に立って見えた景色に目を奪われた。それから、なんで俺はこんなことをしようとしてるんだろう、って思って死ぬ気も失せたんだ。たぶん、馬鹿馬鹿しくなったんだろうな、こんな綺麗な景色があるっていうのに、勝手に絶望してるのが。そのあと、姉さんに少しだけ話したんだ。俺が死のうと思っていた、ということを。……というか、お前は俺が死にたいと思った理由を聞きたかったんだよな。喋りすぎたか?」
「別に、そんなことないです。それも、聞きたいと思ってましたから」
「そうか。なら、いいか……」
彼の呟くような声。そこにどんな思いが込められていたのか、というのは私にはわからない。
でも、彼には辛いことがあったんだな、と思う。その点では私とは大違いだ。私はただ純粋につまらないから、生きる理由がないから死のうとした。彼のように辛いことがあったわけではないのだ。
話すことを話した彼は黙ってしまう。私も言いたいことがあるけれど黙ってしまう。
そのまま、私たちの周りは静かになる。
聞こえるのは波の音、木の葉が擦れる音、それから、小さく響く私の心臓の音。
こうして黙っていると隣にいる彼のことを意識して緊張してしまう。それは私が彼に伝えたいことがあり、それを言うことを躊躇しているから。
でも、せっかく彼と一緒にここに来たのだ。どうせなら、今すぐにでも伝えておきたい。あんまりため込んでおくのは私の性分ではない。
でも、そうは思ってもこういうのを他人に伝えたことがないからどんな表情を浮かべて、どんなふうに言えばいいのかがわからない。
私はちらちらと海を眺める彼の横顔を見てどうやって言おうか、を考える。
「……千智、俺に何か言いたいことでもあるのか?」
「……っ!」
その言葉に驚いて私は体をびくっ、と震わせてしまう。
「何驚いてんだよ」
「一真君がいきなり話しかけてきたからです!」
私は驚いていたことを隠すように少し大きな声を出す。とはいっても、すでに彼は私が驚いていたことに気付いているみたいだから無意味なことだ。それでも、意地っ張りな部分が驚いていたことを隠そうとする。
「だったら、どうやって話しかければよかったんだよ」
彼が呆れたように溜息をつく。それに対しても何かを言い返そうと思ったけどやめた。不毛なだけでするだけ無駄だ。
「……それで、お前は俺に何が言いたいんだ?」
私が何も言わないからか彼は私に先を促すように言う。
これはもう、言うしかないのかもしれない。別にこのまま黙ったままでいられない、というわけでもない。けど、このまま言わないままでいるわけにもいかない。
私は隣の彼に気付かれないように息を多めに吸う。でも、たぶんこれだけ近くにいるのならどんなに小さく息を吸ってもわかってしまいそうだ。
でも、仕方ない。今まで勇気なんていうものを必要としたことなんてないから、こうでもしないと勇気なんて絞り出せない。
吸えるだけ息を吸うと今度はゆっくりと息を吐く。それから、彼の、一真君の方を見る。
「……あの、では、言わせてもらいます」
私はゆっくりとそう言う。彼は私の顔を真剣な表情で見る。それだけで、胸の鼓動が速く、大きくなっていく。
今更、後に引くことはできない。彼は私が何かを言うのを待っているし、私の言いたいことだけを考えていたから話題をそらすための言葉もない。
もう一度、私は息を吸って、吐く。
「……私は、一真君、あなたのことが、好きです」
一瞬の躊躇ののち、私はそう言った。それだけで、胸がいっぱいになる。顔に熱が集まってくるのがはっきりとわかる。
だけど、まだ、彼には言いたいことがある。
「あと、今まで、すいませんでした。……一真君には、迷惑を―――え?」
私の謝罪の言葉の途中で彼は私の頭に手を乗せてきた。私はそのことに困惑してしまう。
「わざわざ、そんなことをお前が謝る必要なんてない。俺がやりたいからやった、って言っただろ?それよりも、俺は別に聞きたいことがある」
彼は私の頭から手を離してじっ、と見つめてくる。
彼の手が離れたことに名残惜しさを感じた。けど、その前に彼の聞きたいことを言ってあげよう。私がもう一つ本当に言いたいと思っていたことを言ってあげよう。
それは、
「私は生きる理由も見つけました」
「そうか。それで、それはどんな理由なんだ?」
彼にそう聞き返されてしまう。けど、理由を言うのはさすがに恥ずかしい。
「それは、秘密です」
だから、そういうことにしておいた。
「まあ、それでもいいか」
それほど気にしていないような口調で言って、再び私の頭に手を乗せる。
さっきは少し困惑していたからわからなかったけど、彼が頭に手を乗せてくれることに心地よさを感じる。
「その代わり、これからは、絶対に死にたい、とかそういうことを思うなよ?そんなことを思いそうになったら俺に言え。今回以上にうまく何とかしてやるから」
彼の優しい口調は私にくすぐったい嬉しさを与えてくれる。私も、彼に何かを与えてあげたいな、と思った。
何をすればいいのか。その答えは、彼の手の温もりを感じているとすぐに思い浮かんだ。
「はいっ」
私は彼に向けて笑顔を浮かべてあげた。いつか、彼が私が笑っているのを見ると安心できる、と言っていたのを思い出したから。
彼も私に向けて微笑んでくれた。それは、安心してくれた、ということなんだろう。
私の笑顔で安心してくれたことが嬉しくて、嬉しくて、小さな幸せを感じた。
これが、生きてる楽しさなんだろうな、と思う。
私が生きるその理由は彼の隣にいる、そんな単純なことなのだから。
FIN
これにて、「死ぬ理由と生きる理由」完結です。
まだまだな点がいくつかあったと思いましたが楽しんでいただけたなら幸いです。
もし、感想、批評批判などありましたらよろしくお願いしまう。
では、またいつか別の作品を読んでもらえることを願って、この作品の連載を終了させていただきます。
ここまで、読んでいただきありがとうございました。
(まだ、読んでない人は最終話で気に入ったなら最初から読んでみてください)